断罪の時……
まばゆいばかりのクリスタル・シャンデリアが、王宮の大舞踏室を昼間のように照らし出していた。床の磨き抜かれた大理石には、色とりどりの豪華なドレスや、金糸銀糸で刺繍された夜会服が万華鏡のように映り込んでいる。溢れんばかりの光と、甘やかに響くヴァイオリンの旋律。本来であれば、それは至高の幸福を象徴する夜であるはずだった。
しかし、その中心に作られた歪な空白の中で、私は冷たい床に膝をついていた。
「アイリス・ラングレイ! 貴様の悪逆非道な行い、もはや見過ごすわけにはいかない。本日、この場をもって、貴様との婚約を破棄し、我が国からの国外追放を命ずる!」
頭上から降ってきたのは、私の婚約者であった第一王子、レナードの傲慢な声だった。
彼の隣には、か弱い小鳥のように彼の腕にしがみつき、涙を浮かべて私を見下ろしている少女がいた。男爵令嬢、ミーシャ。私の従姉妹であり、そしてレナードが新しく「真実の愛」を誓った相手だ。
「レナード殿下……私は、そのような身に覚えのない罪で断罪される筋合いはございません。ミーシャのドレスを破いたことも、彼女の毒殺を企てたことも、すべて事実無根です」
私は声を震わせながらも、毅然と前を見据えた。
私の着ているドレスは、この夜会のために用意されたはずの仕立ての良いものではなかった。レナードの命令によって数日前から自室に監禁され、まともな洗面も許されずに引きずり出されたのだ。髪は乱れ、ドレスの裾は薄汚れている。
周囲を取り囲む貴族たちの目は、冷酷そのものだった。つい数週間前までは、私を「国の守護聖女」「未来の王妃」と崇め奉っていた者たちが、今は一転して、まるで汚物を見るかのような視線を投げかけている。くすくすと忍び笑う声、露骨な蔑みの囁きが、広い舞踏室に反響して私の鼓膜を容赦なく刺した。
「黙れ、往生際の悪い女め! ミーシャがこれほど怯えているのが、何よりの証拠だ。お前がその強大な魔力を笠に着て、陰湿に彼女を虐げてきたことはすべて調べがついている!」
レナードはミーシャの肩を抱き寄せ、さも正義の味方であるかのように胸を張った。ミーシャは私の視線に気づくと、怯えるふりをしながら、レナードに見えない角度で、その唇の端を醜く釣り上げてみせた。
勝ち誇った、醜悪な笑み。
私は胸の奥で何かが決定的に冷めていくのを感じた。
この国――グランツ王国のために、私はどれほどの犠牲を払ってきただろうか。生まれながらに持っていた膨大な魔力を、国の結界を維持するために捧げ続けてきた。毎日、心臓を削り取られるような痛みに耐えながら、祭壇で祈りを捧げ、魔獣の侵入を防いできたのだ。ラングレイ侯爵家も、私をただの「魔力供給の道具」としか見ていなかった。レナードとの婚約も、私の魔力を王家に囲い込むための政略に過ぎなかった。
それなのに……用済みになれば、この仕打ちだ。ミーシャという、私より少しばかり愛嬌のある、しかし魔力は人並み以下の女が現れた途端、彼らは私の功績をすべて忘れ去ったのだ。
「お前のラングレイ侯爵家も、すでに貴様を勘当した。国を脅かす魔女め、二度とその不浄な顔を我が国に見せるな!」
レナードの合図とともに、近衛騎士たちが私の両腕を乱暴に掴み上げた。あまりの力に手首が悲鳴を上げる。彼らによって首に嵌められたのは、魔力を完全に遮断する『沈黙の首輪』だった。冷たい金属が肌に触れた瞬間、私の中に流れていた温かな魔力の奔流がせき止められ、凄まじい虚脱感が全身を襲った。
「さあ行け! 荒野の果てで、己の罪を悔いるがいい!」
背中に浴びせられるレナードの罵声と、ミーシャの満足げな笑い声。そして、かつて私が命をかけて守ろうとした貴族たちの、容赦のない嘲笑。
私は引きずられるようにして、きらびやかな王宮から、漆黒の闇の中へと放り出された。
グランツ王国の国境沿いに広がるのは、植物もまともに育たない不毛の荒野だった。
夜会から数日、水もまともに与えられないまま馬車で運ばれ、私は文字通り泥の中に放り捨てられた。
容赦なく降り注ぐ冷たい雨が、私の体を芯から凍えさせていく。破れたドレスは雨水を吸って重く肌にまとわりつき、泥に汚れた指先は寒さで感覚を失っていた。魔力を封じられた私の体は、ただの脆弱な人間の娘と変わらない。
「はは……あははは……」
渇いた喉から、自嘲の笑みが漏れた。
結界の要であった私を失えば、あの国がどうなるか、レナードたちは考えもしなかったのだろうか。いや、あの愚か者たちのことだ。「聖女の代わりなどいくらでもいる」とでも思ったに違いない。
遠くで魔獣の遠吠えが聞こえる。魔力のない今の私があの怪物に見つかれば、一溜まりもなく噛み砕かれ、貪り食われるだろう。
(このまま、ここで死ぬのかしら……)
意識が遠のいていく。冷たい泥の感触が、なぜか酷く心地よく感じられ始めたその時だった。
雨の音に混じって、規則正しい重厚な音が近づいてくるのに気づいた。蹄の音、そして車輪の軋み。
重い瞼をかろうじて開けると、激しい雨のカーテンの向こうから、一台の馬車が姿を現した。それは、グランツ王国の地味な馬車とは一線を画す、漆黒の漆塗りに銀の装飾が施された、恐ろしく豪華な馬車だった。馬車を引く四頭の黒馬は、どれも一目で名馬とわかる体躯をしている。
馬車が私のすぐ傍で静かに止まった。
御者台から降りてきた男が、恭しく客車の扉を開ける。
中から現れたのは、一人の男性だった。
その姿を見た瞬間、私は息を呑んだ。
月光を溶かし込んだかのような、美しい銀髪。それは夜の闇の中でも毅然と輝いている。そして、切れ長の冷徹な双眸は、妖しく光る琥珀色。彫刻のように整った顔立ちは、冷酷なまでの美しさを湛えており、纏っている漆黒の外套からは、圧倒的な強者の覇気が漂っていた。
ルシアン・ヴァレンタイン。
隣国である軍事大国・バルカ帝国の公爵であり、「戦神」あるいは「冷徹公爵」として恐れられている男。なぜ、そんな大物がこんな辺境の荒野にいるのだろうか。
ルシアン公爵は泥まみれで横たわる私を見下ろした。その琥珀色の瞳が私を捉えた瞬間、彼の表情が、まるで劇的な舞台の幕が上がるかのように一変した。
冷酷だったはずの瞳に、狂おしいほどの情熱と、深い切なさが灯ったのだ。
「……見つけた」
彼は躊躇うことなく、高級な革靴で泥を文字通り踏み締め、私のもとへと歩み寄った。そして膝を泥に突き、自身の汚れなど一切気に留めない様子で私を優しく抱き上げた。
「ああ、なんて酷いことを……。アイリス、私の愛しい人。ずっと、ずっと君を探していた」
彼の低い、耳に心地よい声が凍えきった私の耳腔に滑り込んでくる。彼の纏う上質な外套から、焦がした薪と高級な香水の香りが漂い、私の冷え切った体を包み込んだ。
「ルシアン……公爵、様……? なぜ、なぜ私を……」
「喋らなくていい、我が宝よ。もう大丈夫だ。君を傷つけるものは、この私がすべて、地上から消し去ってあげるからね」
彼の言葉には、甘美な響きと同時に、背筋が凍るような絶対的な「意志」が宿っていた。
ルシアン公爵は、私の首に嵌められていた『沈黙の首輪』に細く美しい指を触れた。彼がほんの少し魔力を込めただけで、国最高峰の魔導具であるはずの首輪が、まるでガラス細工のようにあっけなく粉々に砕け散った。
「――っ!」
一気に戻ってきた私の魔力が、全身の血管を駆け巡る。それと同時に、極限に達していた疲労が私を襲い、私は彼の腕の中で、深い闇の中へと意識を失った。
次に目が覚めたとき、私は自分が天国にいるのではないかと思った。
視界に飛び込んできたのは、最高級のシルクで織られた天蓋付きのベッドだった。部屋のいたるところに洗練された最高級の家具が配置され、窓からは暖かな陽光が差し込んでいる。空気はほんのりと薔薇の香りで満たされていた。
「気がついたかい、アイリス」
枕元から聞こえた声に視線を向けると、そこにはルシアン公爵が座っていた。彼は私を看病していたのか、上着を脱いだシャツ姿で、その琥珀色の瞳には、溢れんばかりの慈愛が満ちていた。
「ここは……」
「私の邸宅だよ、アイリス。君は三日間、眠り続けていたんだ。本当に心配したよ」
ルシアンは私の手をそっと取り、まるですりガラスでも扱うかのように、愛おしそうに自分の頬に寄せた。彼の肌の温もりが、私の手の甲を通じて伝わってくる。
「私は……国外追放されて、あの荒野に……」
「知っている。グランツ王国のあの愚王どもが、君にどのような仕打ちをしたか、すべて調べさせた。我が国の大切な恩人であり、私のすべてである君を、あんな泥の中に捨てるなど……万死に値する」
彼の美しい顔が一瞬だけ、酷く冷酷な「戦神」のそれに変貌した。だが、私に向き直ると、すぐに蕩けるような笑みを浮かべる。
「だが、もう安心するといい。君はここで、世界で最も幸福な女性になるんだ。私が君の望むものすべてを、君の足元に捧げよう」
それからの生活は、まさに夢のような「溺愛」の連続だった。
ルシアンは公爵としての激務の合間を縫って、一日の大半を私と共に過ごした。朝起きれば、彼が自ら私の髪を梳かし、最高級のドレスを選んでくれる。食事の席では、私が少しでも手を伸ばそうとすれば、「私がやろう」と言って、料理を口元まで運んでくれるのだ。
「ルシアン様、これではまるで、私が何もできない子供のようですわ」
「いいんだ、アイリス。君は今まで、あの国のために身を粉にして働いてきたのだろう? これからは何もしなくていい。ただ、私の愛を受け入れ、微笑んでいてくれれば、それでいいんだ」
彼は私の髪に、愛おしそうに何度も口づけを落とした。
用意されるドレスは、一日では着きれないほどの数になり、クローゼットにはエメラルド、サファイア、ダイヤモンドといった宝石が山のように積まれた。私がほんの少し「このお花、綺麗ね」と呟けば、翌日には庭園がその花一色で埋め尽くされるほどだった。
グランツ王国では、ただ冷遇され、利用されるだけだった私。
そんな私が、ここではまるで神聖な女王のように、世界で最も価値のある存在として扱われている。
ルシアンの過剰なまでの甘い言葉、執着、そして包み込むような優しさに、私の傷ついた心は急速に癒やされていった。
(ああ、私は本当に救われたのだわ……)
ルシアンの胸に抱かれながら、私は心からの安らぎを感じていた。彼の銀髪に指を絡め、その琥珀色の瞳に見つめられるたび、かつての辛い記憶が、遠い過去の霧のように薄れていくのを感じていた。




