夏の章(8月編)その13
―― その日、諏訪地方は高天原で鬼族と呼ばれる種族の中でも"土鬼"と呼ばれる氏族の者が複数来ていた。
しかし、当地の一般人は彼らの存在を感じ取れるでもなく、また彼らが展張した結界の存在も認識できていなかった。
そのため、非霊的な存在は結界の壁をすり抜ける事ができた。この事もあり、この土地で起きている事態に気付かなかったのである。
そんな中、諏訪大社(下社・春宮)は、特に厳重な守りが付いていた。参拝客で賑わうはずの周辺も、ここだけは異様な空気が支配していた事もあり、この時は誰も近寄ることができなかった。
無論、鳥居正面に"関係者以外立ち入り厳禁"という立て看板が掲げられては、物好きな者ですら近寄るのを控えるほどであった。
その下社・春宮の奥、社殿の離れの掃除用具を収めた小屋の中に、先々代の三人、先代の土の鬼の王が幽閉されていた……
これより少し前、彼らは諏訪のこの春宮で当代の土の鬼の王である土屋紬花を王の地位に留めるか?それとも先代が復位するか?といった話し合いを、留守を守る形となっていた先代の土の鬼の王と行っていた。
数日に渡る話し合いが交わされていた……そんな最中、突如として会談場に現れた複数の候補達。その中には先々代の土の鬼の王である"土岐睦恵"すら見知る者達が含まれていた。
彼らは最低限の礼儀を弁えていたが、会談の場に居た四人の王経験者に対し"土屋紬花"と称する小娘から王位を剥奪し、改めて土の鬼の王を選び直す事を強く求めてきたのである。
これに対し、先代の土の鬼の王である"岩瀬つちか"は『その話は何度も言ったはずだ。既に紬花が王となっている時点で全ては完結している。それを覆す事は長い鬼の王の歴史への冒涜である!』と一喝して、多くの者を怯ませた。
だが、一人の大女は怯むことなく『僭越ながら先代、あの者に王としての威厳や強さを求めるのは我々にはできかねます。ここには貴女と同世代の方々も来ています。それが意味するのは、王としての覚悟を持ちながら、"王選公会"の解体で、それを示す機会を失った者達が、今一度立つ好機を得たという"心弾む"事が起きようとしている。または、自ら起こすのだという矜持を得たからです。私の世代も基本は同じ。』と述べ、一歩も引かない姿勢を示す。
その上で、彼女は更にこう語る……
『先の戦役の折り、我々が大陸側から侵略してきた敵軍を何度となく撃退し続け、将来の鬼の王としての証を示していた。先代がソビエトの軍を何度となく打ち破ったように……。にも関わらず、戦役終了後、我々を待っていたのは、ヤマト国内の警邏活動のみを行なっていた"気弱な鬼"を土の鬼の王とするという、信じ難い決定であった。』
そう語る大女の言葉には無念さと怒りが内包されていた。それを察し、他の候補達や三人の先々代もただ黙るしか無かったという。
先代も黙っていた。しかし、その瞳には"決定を覆す意思"はさらさら無く、『理解はするが、ただそれだけだ。』という思いが見え隠れしていた。
その事を察した大女は、軽く指をパチンと鳴らす。それを合図に、一喝で怯んでいた候補達だけでなく、会談場の外に控えていた他の候補達が"鬼力"を解放していく。
これを受けて、先々代の一人である"風麻襟姆"は即座に『風が遮られた? まさか結界を展張しているのか!?』と叫ぶ。
また同じく先々代の火の鬼の王である"焔野灯火"も『結界ですって!? 随分と本気になっているじゃない!!』と吠える。
風と火、それぞれの先々代がやる気満々になりかかった時、睦恵が『やめな、二人とも。ここでわたしらが争えば、諏訪大社だけでなく、この周辺が灰燼に帰する事になるさぁね。そして、確実に何人かが命を落とす。それはわたしも先代のつちかも望んではいない。』と釘を刺した事で、両者とも不満気を残しつつ自制する事となる。
それを見て、大女は『流石は先々代。良く状況をご理解なされているようで。しかし、それだけ見えているなら、なぜ昔あのような力比べなどを行なったのか? アレがなければ、紬花と称する弱鬼が鬼の王に就く事も無かったでしょうに。』と、どこかトゲがある発言を発したが、睦恵は内心はともかく、表面的には平静を装っていた。
その後、先代を含む四人の身体が重くなる感覚に襲われる。この事から岩瀬つちかは『拘束結界か。まさかここまで行う覚悟で来たとは。だが、これだけの事をすれば、富士宮の火の者達がすぐに気付くぞ!』と述べるも、大女は『この拘束結界と同時に諏訪地方全域を封鎖する結界も展張中です。仮に気付いたとしても、すぐには動けますまい。』と回答している。
その返事を受け、睦恵が『なるほど、土鬼の大結界だぁね? 複数の強い土鬼の者達が鬼力を解放することで展張できる結界術。しかし、展張完了するのに時間が掛かるのはアンタも知ってのことだぁね?』と、大女に問う。
この問いに大女は答えなかったが、おおよそ図星を突かれた事は僅かな瞳の動きだけで察する睦恵であった。
その直後、別の土鬼の者が現れ、大女に何やら耳打ちをしたあと、大女の口から『まさか稲荷の者が狸を使うとはな。分かった、その件は私が対応する。他の方々は諏訪の要衝を。特に諏訪大社の他の社や"守屋社"などの重要拠点は特に防備を固めるように。』と述べた上で……
『あくまで今回の行動はヤマト国に反旗を翻すとか、そう言う目的ではない。あくまで土の鬼の王の地位をあるべき所に戻す、それだけだ。その事を皆々様もお忘れなきように。』
……そう語ると、大女は砂塵のように姿を消していく。
それと歩調を合わせるように、灯火、襟姆、睦恵、つちかの身体が重くなる感覚に襲われる。
これは拘束結界の影響で、重くて見えない手枷足枷を填められたようなものであったという。このために彼女らはこの場所から動けなくなり、程なく掃除道具を収めた小屋に身柄を移される事となったのである。
―― それから数日が経過し、大女は諏訪へと戻り同志達と対応策を練っていた。
自身が佐渡狸を追い詰めたものの、水の鬼の王である水梨鈴鹿と称する水鬼の者に邪魔され、致し方なく撤退した事。
その際に水鬼の者の中にも今の自分たちと同じような考えを持つものがいる事を匂わせてきた話を出し『あの者は用心深いだろうから、佐世保とやらからは動けまい。となれば、どこかに潜伏して居る紬花と称する今の王が動くしかあるまい。』と報告している。
そう語る大女の自身のある表情に、多くの者は賛意を向けていた。もっとも、紬花が王位を手離せば皆ライバルとなる間柄ではあるが、紬花を退かせるという共通理念では一致していた面々である。
そんな中、一人の土鬼の者が『何かを忘れている気がする。』という不安感を抱いていた。
その土鬼の者……"アヅナ"と言う名を持つが、そのアヅナが『若輩の者が申すのも烏滸がましいとは思いますが、少しよろしいですか?』と声を上げる。
他の者達が『水を差すような事言うな。』と言わんばかりの表情を見せる中、土鬼の大女……名をミブキと言うが、そのミブキが『何だ? 何か気になる事があるか?』とアヅナに振ると、彼女は『諏訪の状況を知り、紬花は来るでしょうか?』と、素朴な質問をぶつける。
それを聞き、今更そんな基本的な質問!?と思う周囲を横目に、ミブキは『彼の者は来る。来なければならない。何故なら、土の鬼の王として揉め事を収める必要があるからだ。もし来ねば、その時点で自ら鬼の王としての権威も威厳も捨て去るという事だ。心配するには及ばん。』と答える。
そう語ると、ミブキは『紬花が諏訪の地に入り込めば、すぐに拘束結界術で動きを封じる。鬼の王としての力を発現する前ならば、我々の力でも通用する。一気に畳み込む。』と述べ、対策はできていると言わんばかりであったという。
だが、それでもアヅナの不安感が消える事は無かった。
―― 何かを忘れている。もし、異変に気付いて当代の風の鬼の王が現れたとしても、紬花が来た場合の策を応用するだけでいい。だけど、何だろう? この、言い知れないモヤモヤは。――
アヅナが心の中で感じたモヤモヤの正体が何なのか?
それが解ったのは、その翌日の事であった。
その日、彼女は諏訪大社の下社・秋宮の警護を、他の候補だった者達と行なっていた。
一般の参拝客には、普通に巫女服を纏う背丈のある巫女さんくらいにしか見えていなかった。
その事もあり、アヅナらは参拝客に対しては普通に大社で奉仕している巫女さんとして振る舞っていた。
そう、諏訪地方外縁部に展張している土鬼の大結界が"内側"から。そして時間差で"外側"から激しく揺さぶられ、その結果、彼らの瞳に結界に大きな亀裂が生じるのが映り込む事となるまでは。
そして、その揺れは、結界に鬼力がぶつかった時に生じる“荒々しさ”を伴っていなかった。
まるで、結界そのものが“自分の内側から息を吐いた”かのように。
さらにその揺らぎは、アヅナの知る限りのいかなる結界破壊とも異なり、結界を維持している自分達の意志や鬼力とは、一切の同期を持っていなかった。
無論、一般の参拝客や、諏訪地方に住むほとんどの住人は気づいてはいない。しかし、動物達は何かを察して吠えるもの、どこかに逃げ込むもの、どちらも出来ずに硬直するもの……色々な反応を示す事となる。
そんな中、結界の異変に気付いたアヅナ達秋宮組は、参拝客への対応を人間の巫女さんに半ば押し付け、社務所前に集まる。
集まり、話し合いを行う最中も、結界の亀裂は拡大していく方向に進んでおり、崩壊も時間の問題となっていた。
ここで集まっていた面々の中の一人が『紬花が結界を破ってきたのならば、すぐにその場所に向かうべきだ!』と述べるが、別の者が『結界に亀裂が生じる瞬間を見たけど、あれは内側から破られる際の亀裂の生じ方だ。この諏訪の地に紬花側の者が隠れ伏せていた可能性もある。そいつを探し出さないと、内と外から挟み撃ちに遭うのは私たちだ!』と語り、まずは"内側の敵"を探し、捕縛するべきだと主張したのである。
秋宮で起きたこの会話だが、春宮や上社側でも同じように起きていた。
春宮側には中心人物と言えるミブキが居たが、彼女は『紬花を抑える。そうすれば、内側に居る者がどう動こうとも、大勢を決する事ができる!』と語り、幽閉中の四人の鬼の王経験者に対する見張りを残して、残りの者と共に外縁部側から亀裂を生じさせた者―― 推定紬花 ――を迎え撃ち、あわよくば拘束結界で身柄を抑えるべく飛び出して行った。
上社側の者達も、ミブキの移動を察知し、その移動先へ向かう。そこには標的が居るはずである。誰もがそう考えていた。
ただ一人、秋宮に留まる判断をしたアヅナを除いて……
ー つづく ー




