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パグとナナフシの二人は、そのまま踵を返して千佳のいるビルへと戻って来た。パグは、一度住処に戻ってもう何人か連れてくるべきではないかと提案したが、ナナフシは、それでなにもなかったら俺たちが酷い目に遭うぞ、とたしなめた。
「なにが起こってるにせよ、まずは俺たちで確かめてみるべきだ。」
えぇー、とパグはウンザリした表情を見せた。ナナフシはお構いなしにさっきのビルを足早に目指していた。
その気配を、千佳とラインは早くから察知していた。すでに擬態を使い、いつでも動ける態勢を整えていた。いよいよね、とラインが言い、千佳は頷いた。
「一応聞いておきたいんだけど、あなた、人を殺せる?」
さあ、と千佳。
「でも、あいつらなら迷いなく殺せる気がするわ。」
頼もしいわね、とラインはいろいろな感情を込めて言った。そうこうしているうちに、おっかなびっくりやって来る二人の姿が見えた。かなり警戒をしているようだ。
「思ったより早かったわね。」
二人が進入禁止の柵を乗り越えて外階段を上り始めたタイミングで千佳は部屋に入り、天井に上り、張り付いた。ようやく訪れた復讐の機会に、その目はギラギラと輝いていた。あのちっちゃい変な髪型の方を残して脅して住処を吐かせるのがよさそう、とラインは言った。そのつもりよ、と千佳は早口で答えた。
千佳が開けておいた入口のドアを、滑稽なほど慎重に二人の男は潜って来た。一度バルコニーに出て、間違いなくここだった、というような話をして、店の中に戻り、家探しを始めた。そして、千佳がわざと適当に隠しておいた鞄を見つけ、二人はまた蒼褪めた。帰ろう、とパグが言った。みんなに来てもらおう。待てよ、とナナフシが静止する。
「思い出せよ、あの時、誰かに見られていたって可能性があったかどうか…。」
ないよ、とパグは泣き出すような声になった。
「俺たちいつだって、絶対に見られないようにしてるじゃないか。」
「そうだけど…。」
「裕木さんは、誰かがあの女のふりをしてるって思ってるんですか?」
「わからん。でもそういう可能性はあるだろう。」
あいつだったじゃないか、とパグは叫んだ。落ち着け、とナナフシはそれをなだめた。
「あんまり大きな声出すな。」
あっきれた、と、千佳は口を開いた。
「あなたたち、しょっちゅうあんなことしてるの?」
千佳は天井から彼らの背後に降り、擬態を解いていた。彼らが振り返って悲鳴を上げた時には、逃げようとしたその脚はがっちりと糸で固定されていた。
「なんだこれ…。」
あたしちゃんと死んでるわよ、心配しないで。と千佳は静かに話した。自分でも不思議なくらい、なんの感情も生まれていなかった。これが野性というものなんだ、と千佳は嚙み締めた。そして、ラインがポエティックと言ってた感覚なんだ。
「ただ、化けて出ただけよ。」
そう言いながら千佳は、右腕を前に突き出した。それはあっという間に蠢く巨大なムカデに変化した。叫ぼうとした二人の口を、蜘蛛の糸が塞いだ。
「静かにしなさいよ、少しは楽しませなさい。」
それは千佳があのとき、彼らに言われた台詞だった。千佳はゆっくりと距離を詰め、巨大なムカデをナナフシの喉元に突き立てた。ムカデはうねりながら牙をナナフシの喉に深く差し入れた。そして跳ねるように離れ、右腕へと戻った。パグは泣きながら小便を漏らしていた。ナナフシは恐怖に喘いでいたが、全身が赤い浮腫で覆われ、やがてぐったりと動かなくなった。あら、と千佳はそんなナナフシを見下ろした。
「ムカデアレルギーだったの?ごめんなさいね。」
それから、もう心配ないとは思うけど…と言いながらカミキリムシの口を右手に宿し、ブチブチとナナフシの首を切り裂いた。ごろりと落ちたそれは、パグの目の前に転がり、向かい合うように止まった。パグはもう気も狂わんばかりになっていた。千佳はそんな彼の前に立ち、こう言った。
「ショック死したりしないでよ…あなたにはちょっと教えて欲しいことがあるの。口もとの糸を切るけど、くれぐれも騒がないでね?」
パグは呻きながら、何度も頷いた。
「一度でも余計な真似したら、先輩の隣に首だけ転がることになるからね。」
そう念を押して、口もとの糸を切ってやった。間近で見る、ナナフシの血が付いたままの巨大な牙を見て、パグは気を失いそうになった。ぱあん、と、元に戻した右手で千佳はその頬を張った。
「さて、いくつか質問させてもらうわよ…。それから、あなたのおうちに案内してもらうから。」
案内だけは勘弁してくれ、と、パグはか細い声で言った。
「あとで俺、ボコボコにされちまうよ…。」
それを聞いて千佳は、にっこりと笑った。
「馬鹿ね…そんな心配、しなくてもいいのよ。あなたたちこれから、みんな、死ぬんだから。」