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百虫少女  作者: ホロウ・シカエルボク
死後の息吹
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「それじゃあ、行きましょう。」

と蜘蛛は少女に言う。その前に、と少女は口を開く。

「蜘蛛さん、お名前とかある?」

「ないわ。」

「私は千佳というの。あなたの名前を決めてもいい?」

「あなたたちは名前がないと不便そうだものね。いいわよ。」

うーん、と少女は少しの間頭を悩ませる。

「ライン、なんてどう?」

蜘蛛はクスっと笑う。

「糸だから?」

それもあるけど、と少女も微笑みながら言う。

「会話用の名前だから。電話とか、そういうニュアンスも込めてね。」

それでいいわ、と蜘蛛。

「まさか、こんなに生きたあとで名前がつくとは思ってもみなかったわ。」

「生きてるとなにが起こるかわからないものよね。」

「あなたが言うと凄く説得力があるわねえ。」

「からかわないで…さ、行きましょう。」

そうね、とライン。

「すぐそこの窓から建物に入れるわ。鍵が開いてるの。」

「―あなたが開けたのよね、きっと。」

「隙間から滑り込むより気持ちいいもの。窓を開けるとまるで違う世界に入るようでワクワクするじゃない?」

「詩的な表現。」

千佳はそう言いながら窓を開ける。それまでとはまるで違う世界であることには違いないと思いながら。そりゃあね、とラインは楽しそうに言う。

「虫や動物なんて、人間よりも詩的な生きものよ。」

どうして?と千佳も楽し気に尋ねる。

「人間よりも脆い。寿命だって短い。その癖に命のやり取りは多い。生きたままの相手を食べる。そんなことをただの本能だけで続けているのよ。とんでもなくポエティックだと思わない?」

なるほど、と、千佳は頷く。

「だけどその説には致命的な欠点があるわよ。」

「なにかしら?」

「客観的な同種が居なければ成立しないってこと。」

ああら、とラインは芝居がかった調子で言う。

「その説を語っているのは私なのよ?」

む、と千佳は言葉に詰まる。それから、まいった、と素直に言う。蜘蛛はよろしい、と教授のように言う。ねえ、そんなことより、と千佳は話を変える。

「廊下、抜け落ちてるわ。」

目的地へ向かう長い廊下は隣に並んでいる部屋ひとつぶんほどの距離が陥没していた。千佳は部屋の中を通ろうと思ったが、ドアには鍵が掛かっていた。

「ねえ、さっきの、隙間を潜る、っていうやつ、私にも出来るのかしら?」

もちろん、とラインは答える。

「あなたは蜘蛛でもあり人間でもあるのだから。」

「どうやればいいの?」

「スポンジとか、そういうものを隙間に押し込むみたいに自分の身体を押し込んでいけばいいのよ。隙間の無い建造物なんてこの世にはないんだから。」

示唆に満ちた言葉ね、と千佳は呟きながら、ドアと壁の隙間辺りに身体を押し付けてみた。ずるん、と布が抜けるみたいに千佳の身体はそこを簡単にすり抜けた。

「もっと難しいのかと思ったわ。」

「簡単じゃないと役に立たないからね。」

ふうん、と相槌を打ちながら千佳は部屋の中を見渡した。

「理科室みたい。」

ハイレベルな理科室よ、とライン。

「あなたはここでの研究はやりつくしたの?」

ええ、とライン。

「だから鍵を掛けておいたのよ―この部屋はもう必要なくなったから。あなたが手をしてくれるならもっと先へ行けるわ。」

「その終点には何があるのかしら?」

「興味の成就よ。」

「それはどれだけ生きても辿り着けない場所かもね。」

「ならば出来るだけ近づけばいいじゃない。」

ラインはほんの少し真面目な調子になる。

「もしかしたら不死になることだって出来るのよ、私たち。」

私もう死んでるんだけど、と千佳は返し、二人は笑い声をあげる。


陥没した廊下の対岸へと出るドアを解錠し、千佳は廊下に戻る。一番奥がロッカー、とラインが言う。ここには女性も居たのね、と千佳が言う。

「二人居たわ。一人はあなたとほとんど同じ背格好よ。」

なんとかなりそうね、と千佳。

「バブル崩壊のころってどんな服が流行ってたんだろ?」

心配要らないわ、とライン。

「研究者の私服ってシンプルなものよ、シャツとジーンズ、寒くなるとそれに何か合わせるの。そんなものよ。」

「ねえ、そういえば今全然寒さを感じないわ。」

「蜘蛛は基本戸外に居るからね。」

便利っちゃ便利ね、そう思いながら千佳はロッカールームのドアを開けた。

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