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19戦





 話し合いは深夜にまで及んだ。途中で帰ってきた宰相も交え、延々と話し合った。黙示録という名の漫画を皆で読みながらの会議は、なかなか奇妙な気分になった。確かアイあいの世界ではこういった状況を表す言葉があったはず……そうだ。しゅーる、というのだ。


 ちなみに、ここでようやく私とシャルルはイシュー様の腕の中から解放された。解放されるや否や、シャルルは長椅子の背に回って私の反対側に座った。イシュー様は淋しそうだった。



 学園での私の役割は、一言で言えば囮だ。この部分にシャルルが凄まじい反発を示したわけだ。でも、一口で囮と言っても色んな種類があるし、探査機の役割だけを果たす方法もあった。その場合は、名も姿も偽ることになる。

 でもこの特徴的な、とにかく見えなくなる目元は隠しようがない。この部分は、あちら側の介入力によるものだからだ。目隠れ部分が隠せない。この収まりの悪さ。


 王様達は、もし私を見つけたら協力してほしいと思っていた作戦を一杯持っていた。一杯ありすぎて、どう考えても実現不可能な物までわんさか出てきたくらいだ。私は分裂出来ないし、私は火を吐けないし、私は空を飛べないし、私はウインク一つで人々を悩殺できないし、片手一本で学園を滅ぼしたり出来ない。……この人達はアルテミシア・エルシャットを何だと思っているのだろう。そんなものは純情可憐な、ど田舎の子爵令嬢ではない。ただの魔王だ。



 結局、私は私のまま学園に残ることになった。

 私が学園で偽れるのは、精々名前と髪の色くらいだろう。でも、それさえも向こうの介入力を考えれば、一番騙したいぷれいやーの目は誤魔化せない可能性があった。生みの親の世界は、考察力が高いらしい。正確には、こちらの事情を第三者の目で余すことなく見ることが出来る場所にいた名残、だそうだ。よく分らないが、とりあえずずるいことは分かった。


 すとーりーに添っている部分は全て知られているとみたほうがいい。神官長はそう言った。逆に、すとーりーから外れている部分を詳細に知られることはなく、そこだけが勝機に繋がる。宰相は言った。だからこっちは、そう言った細々した場所を積み重ね、つっつき、穴を開けていくのだと王様は言った。

 アイあいのことを知っている人はここにいる面子と神様だけだ。神官長が言った。けれど他世界から介入があり、この世界に危険が迫っていると知っている人は極秘ながらそれなりにいる。宰相が言った。この件に関しては神殿の神官が主戦力になる。王様が言った。役立たず。イシュー様が王様を見て言った。王様はしょんぼりしていた。


「……命令を出せば騎士団も動かせるぞ。王だからな。だが、事情をある程度把握した状態で動けるのは神官なんだ。適材適所だ、適材適所……」


 ぼそぼそ言っていたけれどイシュー様はそれを完全に無視している。



 しかし、何とも分の悪い勝負だ。負ければ世界である権利が失われるという凄まじい損害、というか存在の消滅を受けるのに、こっちが断然不利なのである。


 結局私は、アルテミシア・エルシャットのまま学園で過ごすことになりそうだ。どうせ私の目隠れは隠せないのだ。ぷれいやーが見たら一目で分かってしまうだろう。私が隠すところは、シャルルとの繋がりらしい。シャルルの婚約者と知られたら、学園生活どころではないというのが理由だ。正直ぷれいやー対策で手一杯なのに、全く関係ない一般生徒と揉められるとどうしようもないという。

 そりゃそうだ。学園生活一時間くらい過ごしてみたけれど、シャルルの人気はよく、よく、よーく分かった。


 群がる恋敵を千切っては投げ千切っては投げすることも吝かではないけれど、そっちに気力と体力を回すのは、この大勝負が終わってからのほうがいいと思う。婚約解除する気は、私もシャルルも全くないのである。それに私達は恋人にもなったので、これからはこっそりひっそり慎ましく適当にやりたいようにお付き合いしていこうと約束した。



 そんな大人のやりとりを聞きながら、私はシャルルの横でその手元を見ている。シャルルは小さなノートにいろんな紋様を書き付けていく。不思議な色のインクだ。青にも見えるし、黄色にも見えるし、白にも見えるし、紫にも見える。


「ミーシアは石何個光らせたの?」

「三個弱、かな。ぎりぎり三個ってくらい」

「分かった」


 シャルルが書いているのは、魔術師が使う術式だ。学園でシャルルが一足飛びで自室に飛び込んだときに使った物と似ている。一から組み立てて魔術を使うのではなく、既に形作られている物に力をこめるだけの簡易な物だ。最初に一手間かけている分、早く楽に発動できる。だけど、その場で組み立てる物より力が落ちる、らしい。鮮度が落ちるのかな。

 私にはただの図形にしか見えない物を、何の教本も見ずにすらすら書いていくシャルルに感心する。全て覚えているのだろう。それに、綺麗な丸を書く。上手だな。お絵かき、昔はあまり上手じゃなかったのに、円はとても綺麗に書いていて凄い。

 ペンを止め、最後の術式に息を吹きかけてインクを乾かしたシャルルは、ノートをイシュー様に渡した。


「父様」

「うん…………いいね、上手だよ。ただ、これは斜線の数を三に減らしなさい」

「魔石で補助しても駄目かな」

「こめる魔力の微調整が必要になる。その際溢れた反動を逃がせなければ逆に怪我をしてしまう。慣れた魔術師ならばともかく、ミーシアには難しい。後はいいよ。分かりやすいように何の魔術か書いてあげるんだよ」

「うん」


 こくんと頷いた際に、シャルルの黒髪がさらりと揺れる。昔と変わらない光景だ。昔、まだまだシャルルの口数がとても少なかった頃は、シャルルの髪が揺れ動く様が私は好きだった。だって、なんだかシャルルの感情を表しているように見えたからだ。

 前に広げられたノートに文字を書き込みながら、シャルルが説明してくれる。


「何の術式かは今から書いていくけど、ここからここまで……この一枚開けているところまでが、ミーシア自身の魔力でも扱える範囲だよ。後は魔石がないと使えない。後で渡すよ」

「私、魔石から魔力を使う方法が分からないわ」

「大丈夫。繊細な調整が必要な物は弾いてる。使おうとすれば勝手に使用されていくから。魔石、空になったかどうかは分かる?」

「……分かるか分からないかも分からないわ。魔石なんて、見たこともないもの」

「そっか。いずれ授業でやると思うけど、一応色が変わるようにしておくね。そうすれば空になったって分かるから」


 そうなんだ。ちょっと、わくわくしたなんて言ったら不謹慎だろうか。授業でやるんだ。魔術師のこと学べるんだ。それってちょっと、ううん、かなり、楽しみだ。

こんな状況だから手放しに喜べないんだろうけど、興味があったことを学べるって嬉しい。ずっと死なないようにすることばかり考えてきたけど、新しいこと出来るって、本当はとても嬉しいことなのだ。

 私はどんな顔をしていたのだろう。シャルルは私を見て、小さく笑った。



「ミーシアは危ないことしちゃ駄目だけど、もっと遊んだほうがいいよ」

「そうかしら」

「うん……君が大人しく部屋にいる姿なんて想像つかない」

「まあ、失礼ね! いいわ、学園にいる間いーっぱい木登りしてやるんだから」

「駄目。君、スカートでしょ」

「裾が長いから平気よ」

「……君、長い裾邪魔で捲るでしょ」

「そうね」

「駄目」

「誰も見ていないわ、きっと」

「僕が見てるよ」

「じゃあいいじゃない」

「駄目だろ」


 大人達の話し合いの邪魔をしないよう、二人でひそひそ話していたのに、結局肩をぶつけ合ってのふざけ合いになっていた。シャルルはすぐ私の髪を指で巻き取ってしまうから、私はシャルルの耳を指先で挟む。でもこれ、やり過ぎるとシャルルはいつの間にか寝てしまうのだ。だからほどほどに。


「私、学園で友達作れるかしら」

「さあ……ガキ大将になっちゃ駄目だよ?」

「まあ、失礼ね。もうならないわ。女の子の友達作るもの」

「頑張ってね」


 二人で控えめに遊んでいたら、何となく視線を感じた。顔を上げれば、王様達がこっちを見ている。じっと見ているから、居心地が悪くなった。心持ちイシュー様のほうに身体を傾ける。シャルルも若干詰めてきた。


「……イシュー・アーグレイ」


 王様がそっと訪ねてきた。イシュー様は何も答えないどころか、反応一つしていない。これは無視を決め込むつもりだ。


「その……お前の息子はいい子だな」

「僕の友人が素晴らしい人格者だからだ。僕は育てていない。お前がその機会を奪っただろうが」


 喧嘩が始まってしまった。喧嘩……と簡単に言っていいのかは分からないが。私はシャルルと目を合わせ、ひそひそ耳打ちした。シャルルはちょっと嫌そうな顔をしていたけれど、氷のようなイシュー様を見て小さく溜息を吐く。


「父様。僕は十五年中九年も父様に育ててもらった。父様も……ちゃんと僕の父様だよ」


 ぼそぼそと途切れそうなほど小さな声で紡がれた言葉を、イシュー様はちゃんと違えず拾ったと分かった。だって、その顔をくしゃりと綻ばせて泣き出しそうに笑ったのだから。シャルルはその笑顔を見て、憮然としてそっぽを向いた。

 出来れば私を挟まずやってほしかったのだけど、この二人照れ方一緒だなぁと薄ら赤くなった二人の耳を見ながら思った。










 学園に戻れたのは日付が変わってからだった。

 真っ暗な部屋に、窓から入る。建物内からだと受付を通さないといけないからだ。私達は外出していない。ずっと部屋にいた。そういうことになっているのだ。


 じゃあどうやって部屋に戻るのだと首を傾げ、あの透明になるマントを羽織るのかと思いついた通り、マントをかぶったシャルルに抱えられた。そのまま四階まで飛んだシャルルに、もう全てがどうでもよくなった。



 部屋の中は綺麗に片付いていた。ごちゃごちゃに物が散らかっていた右半分、窓側から見れば左半分は、ずっと誰も住んでいなかったかのようにすっからかんだ。

 部屋には後で届いたのだろう私の荷物と、その上に制服が置かれていた。机の上には置き去りにした鈍器(生徒手帳)が変わらず鎮座している。


 窓で靴を脱いで、靴置きの棚まで持っていく。シャルルは脱いだ靴を窓に置いた。私が靴を置いている間に、明かりをつけてくれる。



 明るくなった部屋は、昼間見たものと雰囲気が少し変わり、何だか別の部屋のような感じがした。他人行儀な部屋だなぁと思う。リアンダーからほとんど出たことがなく、よその家にもいかなかった私にとって、知らない部屋というのは珍しいのだ。さっきまでいたお城の部屋だって、驚きとは別にちょっと不思議な気持ちで座っていた。

 シャルルの部屋は、初めて入ったのに何だか懐かしかった。それどころじゃなかったのが悲しいところだ。


 ここが自分の部屋だなんて信じられない。淋しく、冷たく、つまんなくてわくわくする。ここが段々と、馴染み深く感じるようになっていくのかなと思ったら楽しみだ。



「もう荷物解く気力が無いから、着替えだけ出して全部明日にするわ」

「お疲れ」

「シャルルも」


 お互い労い合いながら、私は荷物を見上げた。さて、問題はこの箱のどこに着替えがあるかだ。シャワー室が部屋に付いていてよかったけれど、着替えは持ち込んだ物しかない。掘り出していて結局荷解きすることになっていたらどうしよう。


「ところで……着替えどこに入ってるか分かるの?」


 ばれた。


「分かんない……頑張る……」


 箱に名前書いとくんだったとうんざりする。制服はあるんだし、最悪の場合は裸で寝て下着はそのまま使い回して入学式に行くしかない。それも嫌だなぁ。


「手伝っていいなら手伝うよ」


 カーテンを閉めた窓に凭れていたシャルルが、そこから背を離す。杖をくるりと回して消すと、箱の前に座り込んだ。


「いいの!?」

「開けて、見ちゃ駄目そうな箱は渡す」

「ありがとう! 助かるわ!」


 猫の手も借りたいし、男の手も借りたい。男は男でもシャルルだからいいだろう。





 そこから私達は、取り留めない話をしながら荷物を解いた。

 思い出話だけでも花が咲くのに、これからのことも話していたら根が張りそうだ。つまり、止まらない。時間が時間なので両隣に配慮してぽそぽそと話すのは、意外と楽しい。二人で布団をかぶってこっそり夜更かしした子ども時代を思い出す。

 箱の中には見覚えのないものが入っていて、首を傾げながら包みを開けばシャルルに渡してねとのメモ書きが入っていて笑った。シャルルが昔好きだったお菓子だったのだ。そのまま包み事渡したら、ちょっと恥ずかしそうにお礼を言って受け取ってくれた。






「……ねえ、ミーシア」

「うん」


 包みを抱きしめるように抱えたまま、ぽつりとシャルルが話し始めた。


「父様はずっと……本当にずっと、あいつらに色々制限されてて」

「うん」

「僕の母親も……その為にあいつらから差し向けられた存在だったんだって」

「……うん」

「それは僕を確保するためだったんだなって今日分かったんだけど……母親は僕が出来たって分かったらあいつらに渡したくなくなって、父様の前からも姿を消して一人で僕を産んで、無理がたたって死んじゃったんだって」

「うん」


 私は作業を続けながらその話を聞いていた。シャルルは私を見ていない。大事そうに抱えた包みを見つめながら、ぽつぽつ話してくれる。

 本当はイシュー様から聞いたほうがいいのだろう。でも、イシュー様には悪いけれど、シャルルが話したいのなら私はそれを止めるつもりはなかった。シャルルの話したいことは、余さず全部聞くって、子どもの頃から決めているのだから。


「あいつらからも父様からも隠れて暮らしてたから、僕達がいた場所はあんまりいい場所じゃなくて、というか、酷く、汚い場所で……そんな場所だし、僕は強い魔力を制御できていない子どもだったし、孤児だし、で、当然のように持て余されて、僕、あの人が……父様が僕を見つけるまで、外に出たことが無くて」

「うん」

「狭い、箱みたいに小さい、地下の物置にいたんだ」

「うん」

「汚くて、狭くて、硬くて、冷たくて、臭くて、暗くて……静かだった」

「うん」

「初めて父様と会ったとき……僕は酷く汚れていて、本当に、酷い有様だったのに、父様、僕を当たり前のようにだっこしたんだ。汚れた床に膝をついて物置に入ってきて、僕をだっこして、泣いてた。父様、僕に触ったところ全部が汚れていったのを、覚えてる」


 小さな子どもみたいな喋り方になっていることに、シャルルは気がついているのだろうか。イシュー様と同じで、元々乱暴な言葉遣いをする人ではないけれど、何だか舌足らずにも聞こえてくる。



「……ねえ、ミーシア」

「うん」

「僕で、いいの?」

「うん?」


 言われている意味が分からない。そこではじめて作業の手を止め、シャルルを見る。シャルルは私の視線から隠れるように、箱の影に身体をずらす。


「僕は、周りを不幸にするみたいなんだ」

「あら、その分幸せにしているからいいのよ」

「……してないよ」

「父様もお父様もお母様も私も、あなたがいたら幸せよ」

「その分、厄介事が増えるじゃないか」


 何故かむっとした顔をされたので私もむっとなる。


「あなた、私のこと厄介事と思っているの? ……確かに石がないと死に続けるし、すとーりーの呪いがあるから面倒だと思うけど」

「どうして君が厄介事なの」

「だって私の事情だもの」

「君の事情は僕の事情だよ」

「あなたのことだってそうじゃない。あなたの事情は私の事情よ。何が違うの。あなたが自分を厄介事だと私に言うなら、私も私のことそう思ってあなたに接するわ。要約すれば、出来る限り関わらないようにするわ。だってあなたに迷惑かけたくないもの。あなたに面倒だって思われたくないし、あなたが傷つくことがあったら絶対嫌だし。それにルルは伯爵家だものね。田舎子爵の娘では釣り合いが取れないわ。私は美しさもなければ賢さもなく、令嬢らしい教養もないし、我が家はそんなに財力も無いし。それなのに理不尽に死に続けて身代わり石が常に必要なのよ。金食い虫の、疫病神だわ。……あら嫌だ、関わらない理由しかないわね。困ったわ。これでは私、結婚相手どころか友人すら作れそうにないわ。一生一人で生きていかないと、周りの人に迷惑をかけてしまうわね」


 喧嘩を売られたら買う。卑屈を売られたって買う。何を売られたって、喧嘩腰に買ってやる。こんな馬鹿な話、まともに取り合うだけ無駄なのだ。相手がシャルルだから話を続けてあげているだけである。そうでなければ、さっさと部屋から追い出していた。

 つんっとそっぽを向けば、シャルルは困り切った顔をしている。



「ミーシア」


 弱々しい声に、もっとそっぽを向く。もう一度、もう一段階弱くなってしまった声で名を呼ばれ、嘆息して視線を戻す。そんなにしょげてしまうくらいなら、最初から言わなければいいのに。肩も眉も目も気も、全部を落としてしまったシャルルに、私も眉を落とす。


「どんな事情があったって、私はあなたといられないほうが嫌なの。あなたがどこかに行ってしまうほうが嫌だと昔からずっと、ずっと、ず――っと言っているのに、あなたはまだ分からないのね。あなたが面倒で厄介な私を疎まないように、私もあなたにどんな事情があろうと構いやしないのに」


 これが私の心を試したいだとか、私からそんなことないわと否定の言葉を聞きたいだけならばいくらだって付き合う。シャルルが飽きるまで、そうして満足して満たされるまで、何千回繰り返したって構わない。

 だけど、シャルルのこれはそうじゃない。本当に、そう思っているのだ。自分には価値がないと、自分の存在が害になると、心の底から信じている。九年前は少しマシになっていたはずなのに、少し離れていた間に悪い癖がぶり返したらしい。

 自分を卑下する言葉は簡単に吐けるのに、私が自分を卑下する言葉を吐いたら心の底から困った顔をする。まあ、私の場合は卑下も何も真実なのだけれど。


「あんまり馬鹿げたことばかり言っていたら、私、あなたのこと襲ってしまうわよ」

「……何てこと言うの」

「既成事実を作って、逃げられなくしてやるんだから」

「ミーシア!」


 薄ら頬を染めて、されど青ざめて。器用な顔で叫んだシャルルは、慌てて自分の口を押さえた。深夜に今の声は、きっとよく響いたことだろう。そうは言っても、どうせ皆寝付いている時間だ。さして問題はないだろう。

 そう考えながら、私はふんっと鼻を鳴らす。私の頬もきっと赤い。全く、年頃の娘に何を言わせるのだ。言葉を尽くして駄目なら実力行使である。私だって娯楽小説くらい読む。相手を繋ぎ止めるために必要な手段は言葉や贈り物だけではないと知っているのだ。


「…………そもそも君、既成事実が何か、知ってるの」

「あ、当たり前よ」


 胸倉を掴み、拳を握り、振りかぶりながら脅しの言葉を……違う、これは海賊の話だった。最近読んだ恋愛小説は………………しまった、最近は海賊と盗賊と山賊と冒険と勇者と怪盗物しか読んでいなかった。やはり戦闘は欠かせない。

 違う、そうじゃない。いま大事なのはそれじゃない。シャルルのせいで私まで混乱してきたではないか。全く、どうしてくれるのだ。


 つらつら語ろうとして盛大に失敗し、つっかえつっかえ最近読んでいる本の話になってしまった。海賊は嵐の海を越え、人魚と戦い、海の王様から人の頭ほどもある大きな真珠を奪ってくるのだ。シャルルの目が半眼になっていく。


「……ミーシア、略奪してまでほしいものがあるなら、実力行使に出る前に僕に言って」

「しないし、頼まないわよ!」

「それと、その海賊物、昨日新刊が出た」

「え、嘘」

「ほんと。王都だとリアンダーより大分前に発売されるから」


 よし、買おう。外出届ってどうすればいいのだろう。知らないことは学園生活の先輩に聞けばいい。シャルルに外出届をもらう方法を聞いたら、深い溜息を吐かれた。な、何よぉ。

 シャルルはくたりと箱にもたれかかった体勢のまま、自分の目をごしごし擦る。


「君といると、眠くなる」

「……私そんなに刺激臭放ってる?」


 すんすんと袖口を嗅いでみるも、やっぱり自分じゃよく分らない。小説でもよくハンカチに染みこませた薬品で眠らされた人が出てくる。でもあれ、以前機会があって軽く嗅がせてもらったが、凄まじい刺激臭なのだ。ちょっとしか嗅いでいないのに気持ち悪くなった。そりゃあ、あれを口元に貼り付けて嗅がされたら気絶する。臭いし。

 本を買うついでに石鹸も見ようかな。悲しい思いで自分の手首の臭いを嗅ぐ。すんすん鼻を鳴らしても、やっぱりよく分らなかった。




「……君を好きな奴なんて腐るほどいるんだよ」

「腐ればいいんじゃないかしら」


 いるかは知らないし、たぶんシャルルの気のせいだと思うけど。全く、恋する男とは盲目だ。恋する女も盲目だから、私達はきっとお相子である。

 シャルルはきゅっと拳を握り、俯く。


「……それなのに、どうして僕なんか選んじゃうの」

「それを言うなら、可愛い女の子なんて星の数ほどいるのに、嵐の暴風お頭ミシアなんてぶん殴りたくなるあだ名をつけられた私を選ぶあなたもどうかしていると思うの」


 俯いたまま動きを止めた後、シャルルの視線がふわーっと彷徨った。


「………………ごめん、嵐って言ったの僕」

「…………歯、食いしばっとく?」


 戦犯を一人発見してしまった。

 握りしめた拳にはーっと息を吹きかけ、ぎゅっと目を瞑ったシャルルの頬を両手で思いっきり引っ張った。ぽかんとした顔とよく伸びた頬が大変可愛らしかったので許した。


「それにしても、私、一人部屋になっちゃったわ」

「……あれと二人部屋になりたかったの?」

「それは嫌ね。でも皆知り合いや、最低でも同室者と入学式に行くでしょうし、私は一人だと思うと少し心細いわ」

「大丈夫だよ。どうせ明日は皆同じような日程なんだし、人の行列について行ったら迷わないよ」

「そういうことじゃないわ……」


 まあいい。何とかなるだろう。未来の心配は未来にしよう。後でもっと考えとけばよかったと思うかもしれないけれど、対処法ならともかく心配だけしてても意味が無い。




 気持ちを切り替えて、さっさと荷解きを終える。シャルルのおかげで思ったより早く終わった。


「一人部屋なら、僕ここへ話しに来てもいい?」

「ええ、勿論。私がいないときは勝手に入ってくれていいわ。窓の鍵開けておくから。私も話しに行きたいけれど、難しいかしら」

「うーん……君は飛べないからなぁ。マントは貸すけど、男子寮は今日の女子寮みたいに結構走っている奴が多いから、廊下でぶつかられるかもしれないし、僕が行くよ。連絡はつけれるようにしたし、何かあったら呼んで」

「うん」


 そろそろ帰るねと立ち上がったシャルルの手を握る。きょとんと首を傾げた拍子にさらりと流れる黒髪の上を、ほのかな明かりが流れ落ちていく。


「明日も会えるなんて、夢みたい」

「明日じゃないよ。姿を見るだけなら、えーと、式が十時からだから、七時間後には見られるよ。僕も、今までは面倒だから部屋からあまり出ないようにしてたけど、これからは出るようにする。食堂にも行く。今までは面倒だから取り寄せてたけど、行く」

「……あなたが出てきたら混みそうね。でも、ルルがいる時間を私も狙おうかしら。何時頃に食べに行くの?」

「どうしようかな……前の晩に決めたら、食堂でも君に会えるね」


 待ち合わせというにはなんともささやかだ。それでも嬉しい。あの混雑を思えば、触れるどころか言葉を交わすことも出来ないだろうけれど、シャルルも嬉しそうに笑ってくれた。

 けれどすぐにきゅっと唇を噛みしめ、私を抱きしめた。シャルルは温かい。昔のままだ。でも、私をぎゅうぎゅうに抱きしめてもぴったりならない。ちょっと硬い。昔みたいに、お互いふにふにではないからだ。ほとんど同じ大きさどころか、私のほうがちょっとだけ大きかったのに、今ではシャルルの肩幅内に私が収まってしまっている。

 いつのまに私より大きくなってしまったのだろう。九年は遠い。けれど会ってしまえばあっという間だ。あっという間に九年間の不在が今に追いついてきた。それはきっと、私達の気持ちが同じだからだ。



「困ったことがあったら、すぐに僕を呼んで。僕に聞いて。危ないと思ったら、条件反射で僕を呼んで。他のことは何も考えなくていいから、とにかく自分の無事を優先して」

「うん」


 そぉっとシャルルの背に手を回す。何も考えず、それこそ条件反射で回していた手を、そうと意識して回すのは何だかどきどきした。そのまま体重を預けてしまおうかと思ったけれど、ちょっと考えて少しだけ身体を離す。だって、そうしないとシャルルの顔が見られないのだ。シャルルも同じことを考えたのか、私が動くのと一緒に少しだけ離れた。顔を見合わせて、くしゃりと笑う。

 額を合わせてまた笑う。くすくす笑って、鼻を擦り合わせ、またくすくす笑う。そうしてそのまま顔を傾け、私達は初めてのキスをした。

 野原を走り、喧嘩をし、ベッドの下で眠り、嫌いな物を押し付け合い、大声で泣き合い、大声で笑い合い。いろんなことを一緒に経験して大きくなってきた私達にも、まだ沢山の初めてが残っていたようだ。

 シャルルとの初めては、何をしてもいいし、何度してもいいものである。失敗しても、成功しても、楽しくても、びっくりしても、全部嬉しくなるから。

 唇を離した後、お互い真っ赤になって強く抱き合う。さっきは顔を見るために離した距離を、顔を見ないように抱きしめ合って塞ぐ。ぎゅうぎゅう抱きしめ合った身体は、二人とも温かいを通り越して少し熱かった。

 色々あったし、私は山ほど死んだというのに、これらは全て序章に過ぎないので呆れたものだ。


 これからどうなるのか、何が起こるのかはさっぱり分からない。私は死に続けるんだろうし、石は割れ続けるだろう。でも何だか平気な気分だ。

 何だって出来ると思う。無敵だ。シャルルがいて、この夜があって、ここに繋がってきた思い出があれば、私はどんな明日も越えられる。そう思う。この先どんなすとーりーがあっても、どんな死が私を飲みこんでも、私は走り続けていける。

 ぴしりと、石が割れる音が部屋に響く。私は口角を吊り上げた。

 誰かが私を殺し続けても、笑ってやる。もう泣いてなんてやるものか。笑って死に続けてやる。


 だって私はアルテミシア・エルシャット。


 どこかの世界ではすぐに※死亡済みと書かれる思い出の目隠れ令嬢と同じ名を持つ、この世界では※死ぬ予定はないと書くつもりの。


 ただシャルルが好きなだけの、アルテミシア・エルシャットである。










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― 新着の感想 ―
これで終わり?いや もっと続きが読みたいです
[良い点] 話の展開にすごくドキドキしました!おもしろかったです!
[良い点] 太陽のようなヒロインと闇を背負った魔法使いヒーローのバランスって最高ですね
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