焼き海苔のアイデンティティー。
四話目
俺の名前は有賀幸作。
自慢になるが『戦艦大和』最後の艦長•有賀幸作大佐と同じ漢字だ。
昨日、深海で眠った戦艦大和を目の当たりにしたことで、俺の中にあった戦艦大和のイメージが覆された。更に、山本五十三の世話役じいやとの出会いが俺に大きな影響を与えてくれた。
じいやは戦艦大和の乗船者、有賀幸作大佐との面識もあり、一言一句勉強になる聡明な人だ。
そんなじいやが世話するこの女は……
「有賀幸作海軍中将、なにを携帯なんぞ眺も! ……眺めている!」
……山本五十三。軍人言葉を使って舌を噛んでしまう黙っていれば上品な宝塚風お嬢様。俺の前では戦時中マニアで戦艦が大好物な本性が現れる。じいやの影響を受けてるのは言うまでもない。
とりあえず、舌を噛んだことは記憶の抽斗に収納し、毎度お馴染みになるが訂正させてもらう。
「有賀幸作ではなく、有賀幸作です」
「電話か⁉︎」
いつもどおり俺の訂正は五十三には届かない。それだけでなく、プリプリと怒るお嬢様モードになっている。
しかし、そんなことを一々気にしてたら五十三を含めた山本一族とは関われない。早々とご機嫌を取ることにする。
「いえ、戦艦大和のことを調べてました」
「うむ、良い心がけだ。だが、今は朝食をいただくところだ。携帯はマナーモードにし————」
このとおり戦艦関係の話をすれば、プリプリお嬢様モードではなくなる。
この現象に気づいたのは昨日。手を繋いだことによる恥ずかしさを誤魔化すために、戦艦大和の話を尋ねたら一変、知識を自慢したい饒舌お嬢様モードになったのだ。多少話が長いことを除けば問題ない。
言い忘れてたが、俺たちは鳥取県のとある薬師湯の宿にいる。
外観は年代を感じさせた純和風木造二階建て、収容人数は四○人ほど、隠れ家的で居心地の良い風情ある宿だ。玄関外に掲げてあった看板には【薬師湯猪屋】と書いてあった。
何故、鳥取県にいるのかというと——
昨日、海底観光潜水艦出目金から降りた時。外の空気と開放感に背筋を伸ばして空を見上げたら、次の予定地は決まってると言わんばかりに軍用ヘリコプターが垂直降下してきた。
山本一族のGWや連休には、ポジティブポージングで酷使した筋肉を温泉で癒す、という恒例行事があるらしく、脳筋ジジイの湯治に付き合わされている。平たく言えば旅行だ。
その脳筋ジジイ……山本財閥総帥山本五十六は、じいやと朝風呂に入ってるため、現在、二○畳ほどの宴会場を貸し切った朝食は俺と五十三の二人、そしてピンク色を基調にした着物を着た仲居さんが一人。
仲居さんの外見は、色素の薄い茶髪のショートボブ、年が十五〜十六歳ぐらい、オヒツからご飯を茶碗によそう姿はぎこちなく、修行中の仲居さんと思わせる。気弱な垂れ目が男心をくすぐり、守ってあげたくなる少女だ。
朝食がのる御膳には、焼き鮭•焼き海苔•ご飯•味噌汁•漬け物そして納豆に卵、質素でありながら栄養価の高い俺好みの和食だ。
俺は仲居の少女からご飯の盛らさる茶碗を受け取り、御膳に置く。そして、御膳に対して手を合わせ「いただきます」と食に感謝する。
念のために言っておくが、俺の宿泊費や食事代など全て自腹だ。山本財閥が出すと言っていたが、潜水艦での深海観光費用やヘリコプターやプライベートジェット機などの不明な交通費は別として、宿泊費や食事代まで世話になるというのは我が家の家訓に反する。山本財閥御用達の高級旅館やホテルでなく、観光地から外れたGWでも予約が満室にならない隠れ家的な宿になったのは、俺の金銭事情があるからだ。
山本一族から離れてゆっくりしたい気持ちもあり、わざわざ俺の泊まる旅館に合わせる必要はない、と言ったが、五十三をはじめ脳筋ジジイやじいやまで宿泊している。
それだけなら俺の安息ない思い出の一ページが完成するだけだが、被害とは飛び火するものらしく……
この宿の温泉を気に入った脳筋ジジイが湯治というのを忘れてしまい、昨晩から露天風呂で温泉に浸かっては筋トレを繰り返している。
温泉の効能が生んだ被害と思いたい、だが、俺の金銭事情で脳筋ジジイを連れてきてしまったのは事実、薬師湯猪屋にはかなりの迷惑かけている。
昨日からの経緯や脳筋ジジイの話をしてたら進まないため、俺の独り言はここまでにし本題に戻す。閑話休題と言うべきか?
俺は納豆が入った深皿に箸を入れ、糸が繭になるまで掻き混ぜる。余談だが、我が家の納豆約六割は俺が消費するため、納豆の扱いには自信ある。
そして、今日は贅沢にも卵がある。
日本人にはたまらない発酵臭を醸し出す納豆に深皿の端で割った卵を入れる。俺は黄身と白身を入れる派だ。
そして、ミスできないのが醤油の分量、今日は焼き鮭という塩分濃い目のオカズが贅沢にもあるため、塩気を欲する成長期の欲望を我慢しつつ小匙半杯。そして、黄身が絡む程度に優しくかき混ぜ……ご飯にぶっかける。もちろん、ご飯の中心を少し凹ませた後に。
今日のTKGには納豆が付き、オカズには焼き鮭……思い起こせば我が家の朝食では月に一度あるかないかの贅沢。思わず表情がほころび、少ないお年玉を貯金していた自分を褒めたい。
「な、なにをしているのですか……」
動揺した声。
感動していた俺は視線を声のした方に向ける。そこには、困惑と驚愕を混ぜ合わせた表情で俺を見ていた五十三。
俺は五十三の言葉と表情がわからず、疑問符を頭に浮かべる。
「どうしました?」
「このくさい豆はなん! ……なんだ!」
納豆が入った深皿を幸作に向けた五十三、お嬢様口調でなく毎回舌を噛む軍人口調になっている。だが、今回は舌を噛んでいない、強敵を目の前にした時のように動揺している。
「……納豆ですが……」
「なっとぅ……?」
「なっ•と•う、です。正確には小粒納豆です」
「……、この骨はどこの部分だ!」
「骨ではなく、卵です」
「嘘を言うな! タマゴはフワフワトロトロだ!」
「……おいおい……」
マジで言ってんのか? と語を繋げたいが、五十三が納豆の匂いに恐怖した表情は外人と納豆のファーストコンタクトを思わせ、冗談で言ってるように見えない。
お嬢様と庶民にはどれだけの距離があるんだ……というのが内に秘めた本音、無意識に温泉があった方向を見てしまうのは、じいやに助けを求めたい俺の願望がさせているのだろう。
「(こんな無知なお嬢様を毎日世話してるのか……)」
改めてじいやを尊敬する。いや、今はじいやを尊敬してる場合でない。
この場には、俺と仲居少女そして卵の原型さえ見たことないお嬢様のみ。
心の中で『じいやさん、ここは俺に任せてゆっくり療養して下さい』と決意を固める。
だが、その決意は「あぁ……」という仲居少女の気弱な声音から、沈没手前まで追い込まれる。
視界を仲居少女に向けると、両手をあたふたしながら、困惑が混ざった表情をお嬢様の御膳に向けている。
俺はその視線を辿り、視界をお嬢様の御膳に向ける。
大変だ、いや、このお嬢様は危険だ。
卵を豪快に割った結果、中身でなくグシャグシャになった殻が納豆が入った深皿にある。
ふと頭をよぎったのは幼少期の妹、背伸びする度に卵は食卓に飛び散り、納豆はツインテールに巻きつく、語れば尽くせない我が家の食卓被害。
だが、五十三は妹とは一味違う。黄身と白身は奇跡的に焼き海苔がのった四角形の器に着地、お嬢様が持つ幸運が生んだであろう不幸中の幸いだ。
しかし、無知が危険であることには変わりない。思い切りのいいお嬢様は御膳上の被害など気にせず、納豆が入った深皿に箸を入れ……
「ま、混ぜるな!」
「くさい!」
「くさいじゃない! とりあえず混ぜるな!」
先日から思うことがある。それは、五十三や脳筋ジジイを前にした時、俺はツッコミ要員になってるような気がする。いや、今はそんなこと考えている暇はない、お嬢様が混乱している。
「黒い紙にデロデロがついた!」
「黒い紙じゃない! 焼き海苔だ! 卵も殻じゃなくデロデロが食べる部分だ!」
「これはなんだ!」
「見ればわかるだろ! 鮭の切り身だ!」
「わたしは未成年だぞ!」
「酒じゃない! サケ! アレだ……シャケだシャケ」
「シャケ……?」
恐る恐る鮭の切り身に箸を入れ、匂いを嗅いで口に含む。
「……サーモンではないか!」
「何人だ⁉︎ 日本ではシャケだろ! 」
「塩分過多!」
「ご飯食べて味噌汁を食べればちょうどいいから食ってろ!」
「味噌汁?」
「それだ」
味噌汁が入った器を指差す。
五十三は味噌汁が入った器を取り、恐る恐る口に運ぶ。
「焼きサーモンと味噌汁なるものは塩分過多だな」
「日本庶民が代々受け継ぐ朝食だ。とりあえずシャケ•ご飯•味噌汁の順に食ってろ……」
朝一からのツッコミは敬語を忘れてしまうほど疲れる。
俺は五十三の御膳から納豆と卵の殻が入った深皿を取り、焼き海苔と卵が入った四角形の器をとる。
じいやの苦労は無限大だな……と思いながら、納豆が入った深皿から卵の殻を取り除く。箸はまだ口に付けてないためそのまま深皿に入れ、細かな殻を取り除く。
幼少期から、妹が起こした災害の後始末は俺の役目、殻を取り除くのはお手の物だ。
殻を全て取り除いたら糸が繭になるまでかき混ぜ、卵を入れて醤油を……塩分過多とうるさいため二滴、黄身が絡む程度に混ぜて、五十三の御膳に深皿を戻す。更に、焼き海苔はパリパリ感が失ってるため、俺の焼き海苔と交換し五十三の御膳に置く。
「納豆卵をご飯にかけて食べてみてください」
「くさいリゾットだな」
焼き魚•ご飯•味噌汁の塩気を無くすトライアングルが気に入ったらしく、嬉しそうだ。
「くさいは余計です」
リゾットではなく贅沢TKGだ、と言いたいが、めんどくさい説明責任が問われるため内に秘める。一仕事を終えた俺は息を吐き、ご飯茶碗に手を伸ばして食事する。
「あぁ……」
気弱な声音が耳に届く。もちろん五十三でなく仲居少女が動揺した声だ。
このまま食事を進めてやり過ごしたい。だが、見ずにはいられない……恐る恐る視線を五十三の御膳に向ける。
「…………」
言葉を失う。
視線の先では、ご飯茶碗から土砂崩れを起こした納豆卵、しかも、焼き海苔がのった四角形の器に集中災害という奇跡。
否……奇跡というには被害状況は致命的。
焼き海苔のアイデンティティー、パリパリ感と磯の風味が失っている。
ワザとでないとわかっていても二度の災害を目の当たりにしては訊きたい。いや、アイデンティティーを失った焼き海苔の無念を晴らすために言いたい。
「……焼き海苔に恨みでもあります?」
「?」
わたしは何かしたか? と言いたげな表情、頭に疑問符を浮かべながらTKGを上品に食べている。
お嬢様には焼き海苔を恨む動機はない。焼き海苔や焼き海苔を作った生産者さんには悪いが……俺には無知なだけのお嬢様を責めることはできない。
「……美味しいですか?」
「うむ、くさいが癖になる」
「焼き海苔に巻いて食べてみてください」
見本を見せるように箸でベチャベチャになった焼き海苔を取り、TKGを巻いて食べる。
「うむ」
幸作の真似してTKG焼き海苔巻きを上品に食べる。
これでベチャベチャ焼き海苔は浮かばれた。焼き海苔と生産者さんには、いずれパリパリの焼き海苔をお嬢様に食べさせるということで矛を収めてほしい。
俺は幼少期の妹を思わすお嬢様の食事風景に疑問を問う。
「あの、いつもどのような食事の仕方を……?」
「じいやが皿に取り分けたのをいただいてる」
「(じいやさん過保護すぎだろ!)」
心の師じいやの名前が出てしまっては、これ以上の追求はできない。
「も、申し訳ありません……」
不意に会話に割り込むのは仲居少女。罰悪そうな表情で幸作を見る。
「……なにが?」
「お客様の食事を取り分けるように言われておりました……」
小刻みに震えながら俯く。
俺は昨夜の晩食時を思い出す。
じいやは大テーブルにあった舟盛りから刺身を皿に取り分け、見事な戦艦大和を皿の上に作っていた。じいやの芸術性に感服して忘れていたが、思い起こせば五十三の前には『そのまま食べれる状態』になったモノしかなかった。
「(いや、待て……そんな山本一族の事情はどうでもいい)」
今の問題は仲居少女が戸惑っていることだと割り切る。
俺は一般常識と今までの家族旅行を考え、旅館の朝食に仲居さんがいるという今の状況に違和感を感じた。おそらく、じいやの代わりに五十三の食事を取り分けるのが、彼女の役目なのだろう。
だが、それは山本一族の都合だ。
「いや、一人で朝食も取れないのが悪い、仲居さんは気にしないでいい」
「うむ、朝はパン派のわたしだが、なっとぅはパンにも……」
「お前は黙って食ってろ」
「うむ」
山本一族のポジティブはこんな時に便利だ。冷たい言葉よりも無限に広がる納豆の虜になっている。
俺は落ち込む仲居少女に視線を向け、自分らしくないと思いながら気を回す。
「納豆•卵•焼き海苔•味噌汁の定番朝食をわからないなんて普通は思わない。そもそもそんな日本人がいるとは誰も思わない。それ以前に、朝食の取り分けなんて仲居さんの仕事じゃないだろ?」
「……お客様が居心地の良い場を作るのが仲居の仕事です……」
「居心地は美味い料理と普段どおりの気づかいで十分。それと、山本財閥だから特別視しないとダメというのは、一般のお客さんには手を抜いてることになる。それは違うだろ? 仲居さんはどんなお客さんにも平等に笑顔を送り、自分にできる精一杯の接客をするのが仕事だ」
「…………」
「素人の俺が言うのもおかしいけど……居心地の良い場を作るのが仕事、ではなくて、居心地の良い場を作りたい気持ちが仕事になるんじゃないか……と思うぞ」
「……ありがとうございます」
「いやいや、素人が偉そうに言ってるだけだか……」
「仲居さんの名前はなんだ?」
先に続く言葉を不意に止めたのは五十三。米粒一つない茶碗を仲居少女に向けておかわりする。
仲居少女は茶碗を受け取り、ご飯をよそいながら言う。
「仲居見習いの猪口敏……」
「ひらか⁉︎」
間髪入れず言葉を被せた五十三は更に続ける。
「猪口敏平か⁉︎」
「おいおい、女の子がそんな男っぽい名前なわけないだろ……んっ? 看板は猪屋だったな……」
「名前は敏未です。父が宿を経営しています」
五十三の御膳に茶碗を置く。
「娘さんなのか……まだ学生だろ? GW中だけ手伝ってるのか?」
「いえ、学校には行かず女将になるための修行を……」
「曾祖父か祖父は猪口敏平か⁉︎」
「会長、仲居さん困ってますよ、なに興奮してるんですか?」
「猪口だぞ! 鳥取県で猪口だぞ! しかも敏だ! 未も少しズラしたら平だ!」
「未は未だ。少しもズレない。とツッコミを入れたいが、……変わった名前なんすか?」
「有賀幸作海軍中将! 勉強不足だぞ! 携帯で戦艦大和•姉妹•猪口敏平と調べろ!」
「……、」
鬼気迫る勢いの五十三に後々めんどくさくなると思い、携帯情報端末を出してサイト検索する。
「……武蔵? 宮本武蔵ですか?」
「違う! よく見ろ!」
「あぁ〜、宮本武蔵じゃないですね。えぇ……と大和型武蔵、……」
検索画面を読んでいくとジワジワと額に汗が溜まる。
「戦艦大和の姉妹艦……その……最後の艦長が猪口……敏平……」
ゆっくりと仲居少女猪口敏未に視線を向ける。心の中では最後の艦長仲間ができたと感動した自分がいる。
「戦艦武蔵最後の艦長であり、提督艦長猪口敏平海軍中将だ!」
興奮した五十三は目を輝かせる。
しかし、猪口敏未はレアなファンしか訪れない知る人ぞ知る温泉宿で働く見習いの仲居。レアなファンとは温泉好きの年長者になり、その年代になると鳥取県で猪口なら戦艦武蔵最後の艦長猪口敏平の孫かひ孫かその血縁かと当たり前に訊かれる。その返しは慣れたものだ。
「よく訊かれますが猪口敏平は大工の家柄です。うちは明治維新前から代々薬師湯猪屋を生業としてます。苗字は同じですが、家系図でも血の繋がりは無いと確認しております」
「いや、猪口敏平海軍中将だ。猪口敏未は仮初めの姿、提督艦長猪口敏平海軍中将だ。こうしてはいられません!」
後半はお嬢様口調になる。そしていつもどおりの自己解釈。
敏未の話はまったく訊かず、勢いよく立ち上がり、出入り口の襖へ走って行く。そのまま宴会場を後にした。
「……わたし、また何かしましたか?」
「いや、何もしていないし何も悪くない」
「どうされたのですか?」
「……えぇっと、……女将への修行は三年間ほど休みになるかな」
「?」




