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墓標•戦艦大和。

 三話目


 GW


 俺の名前は有賀幸作(ありがこうさく)

 歴史書や参考書に載る『戦艦大和』最後の艦長•有賀幸作(あるがこうさく)海軍中将と同じ漢字だ。

 貫禄ある名前だが、俺は平民。

 将来はデカいことをしたいなど考えたこともない、平々凡々を望む高校一年生だ。

 そんな俺の人生を狂わせたのが、目の前の高級ソファ席でくつろぐ山本五十三。

 山本学園の生徒会長であり大富豪山本財閥のお嬢様、戦時中マニアで戦艦(航空母艦や駆逐艦含む)が大好物。

 着飾らない白のワンピース姿から滲み出る宝塚風お嬢様の高貴は、タライの中を泳ぐ金魚に餌を与える日常さえ、絵になってしまう。

 こんな美人を前にしては、俺のハイビスカス柄甚平も枯れてしまうというものだ。

 俺等は今、GW(ゴールデンウイーク)を使ってとある場所に向かっている。


【北緯三○度四三分•東経一二八度○四分/北緯三○.七一七度•東経一二八.○六七度•長崎県男女群島女島南方一七六キロメートル】


 この方位が示す場所の深海三四五メートルには、戦艦大和が沈没している。

 有賀幸作という名前でありながら、戦艦大和が沈没した方位を知らないのは恥ずべきことだと五十三に言われたが、俺は名前とは関係なく平々凡々なサラリーマンを目指していた庶民。大目に見て欲しいというのが本音だ。

 そして、俺と五十三が今いるこの部屋は、水深三四五メートルの深海に向かう潜水艦の艦内、操舵室にいる。

 近代科学の贅を尽くした潜水艦の艦内には目に見えるパイプはなく、操舵室は畳三○畳ほどの円形、三六○度の壁には本来なら真っ暗な深海を浅瀬のように映像(ライブ)で写し出している。水族館にある水槽に囲まれた通路をイメージしてほしい。

 本来なら、こんな潜水艦は何かしらの条例に引っかかり、沈没船を見に行く認可も簡単には降りない。

 しかし、それを実現させるのが山本財閥総帥山本五十六。

 沈没した戦艦を見たいという孫娘のワガママを実現させるため、条例や認可をポジティブポージングで解決、近代科学や造船技術を集めて深海観光潜水艦『出目金』を造る大プロジェクトを決行した。今日は潜水艦出目金の処女航海だ。

 潜水艦の操舵員は大勢いるという固定観念を持っていたが、ここの操舵室にはレーダーや潜望鏡もなく、操舵席にはF1マシンのようなボタンがあるハンドルと簡単な計器メーターがあるだけ。

 その操舵席に座っているのは、白色の軍服を着た男性、白髪で壮年の男性だと思わせる。

「お嬢様、そろそろ戦艦大和が見えてきます」

 包容力のある優しい声音。振り向いた顔も眉毛が垂れ下がり、シワで微笑む顔を作る小柄な老紳士。父性が溢れた優しいおじいちゃんと言った方が正しい。

「じいや、お嬢様ではない、山本五十六だ」

 金魚が入ったタライをソファに置いて、立ち上がる。

「じいや?」

 俺は思わず声に出してしまった。

 変わった名前だな、というわけではない。『じいや』といえば執事というイメージが強く、白色の軍服からはイメージができなかったのだ。

 じいやはハンドルに備わる赤いボタンを押すと、無駄のない動きで立ち上がる。二歩前に出ると幸作を正面にして両手を腹の位置で重ねる。

「お嬢様を幼少期からお世話させていただいております。じいやでございます」

 会釈を加えた丁寧な挨拶をする。

 俺はじいやの無駄のない佇まいと何かを秘めた威圧感に寒さを感じた。ベッドから即座に降りてよれた襟を正し、思わず敬礼しそうな右手を下げて一礼する。

「は、はじめまして、有賀幸作(ありがこうさく)です」

 頭をゆっくり上げる。

 俺が見下ろすじいやの表情は優しいままだが、何かを秘めた威圧感は小柄な体格とは別に存在感を大きく見せ、乾いた喉に生唾を飲み込ませる。

 そんな俺に気を使うように、じいやは優しく微笑みながら口を開く。

「お嬢様に貴方のお話を聞いてから、共にこの地を訪れることを楽しみにしておりました。有賀幸作(ありがこうさく)様……」

「! ……(この人は有賀(あるが)とは言わないんだな……)」

 俺にはじいやが『様』と付けたことに対して、否定と訂正する余裕はなかった。

「ここが、有賀幸作(あるがこうさく)大佐が眠る地です」

「大佐? ……」

 有賀幸作の階級は海軍中将のはず、というのが俺の中での知識だ。返答しようと思ったが、じいやの微笑む顔が俺の言葉を止めた。

「じいや!」

 じいやを呼んだのは五十三。

「アレはどこの部分ですか⁉︎」

 舌を噛むいつもの口調ではなく、興奮するお嬢様口調の五十三がそこにいた。

 俺は五十三が指を差す先を見て、言葉を失い息を呑んだ。いや、息が詰まったと言った方が正しい。

 そこには、海雪の中で威風堂々と眠る轍の要塞戦艦大和のどこか。鉄板が引きちぎれて重なり合う中、三○メートルほどの一本の柱が横たわる。

「マストです」

「これがマスト!」

 アニメや漫画で見た色彩豊かな戦艦大和はそこにはない。

 目の前では、マストと言われなければ分からないほどイソギンチャクや貝が張り付き、引きちぎれて重なり合う鉄板は塗装が剥がれて錆が浮き出ている。

 一見、海底の廃材置き場のように見えるが、その存在感からの畏怖はお化け屋敷の一○○○倍、海底に沈む廃墟と書いて聖地と呼ぶに相応しい未知のメッセージ性がある。

「じいや、あの穴は!」

 五十三は目を輝かせて指を差す。

「主砲の砲座が抜け落ちた穴です。お嬢様の大好きな四六センチ砲三基の内の一基があった場所です」

 優しく説明するじいやの言葉に、俺は無意識に足が進み、拳を握っていた。

「す、すげぇ……」

 圧巻。言葉に吐き出して表現できない自分に悔しさが出る。だが、不意に視界に入った光景には声を上げた。

 そこは、浮き出た木材の板が規則性があるように重なっている。

「ここはどこですか⁉︎」

「チーク材を使った甲板です。そして甲板の先にあるのが……」

 指を差したのは深海の暗闇。

 潜水艦は勿体振るように進み、甲板の先にある三角形のなにかを写し出す。

 じいやは差していた指を下げ、目を細める。

「この戦艦が大和だと証拠付けた……」

「旗竿だな!」

 興奮した五十三がじいやの言葉に割り込む。

「はい。そして……」

 じいやは言葉を勿体振るように口元を笑わす。

 潜水艦はゆっくりと半円を描くように方向転換、俺と五十三はそれに合わせて戦艦大和に視界を合わせていくと、じいやはそれに合わせて説明する。

「バルバス•バウ、と言われる球状艦首、更に、艦首の最先端に飾る……菊の紋章」

 寂しげな説明口調。

 だが、俺と五十三はその口調に気づかないほどに、菊の紋章に意識を奪われていた。

 勇猛果敢を彷彿とさせる艦首、その最先端に堂々と自己主張した直径一.五メートルの菊の紋章。

 正面にした時、菊の紋章が出す輝きに、息を吸うのも忘れて絶句していた。

 海雪が生む幻想のなか、イソギンチャクや貝が潜水艦のライトに反射した輝きではない。

 菊の紋章に残る金箔がライトに反射した輝きでもない。

 我が戦艦大和だ、という力強い息吹が、輝きとなって心を鷲掴みにしている。

 俺は吐く息さえも詰まる喉から無理矢理声を出す。

「……か、会長……ありがとうございます」

 無意識からの涙が出ていた。

「…………」

 涙を流す五十三には俺の言葉は届いていなかった。

 そんな俺の行き場のない感動を掬い取るように、じいやの声が届く。

有賀幸作(あるがこうさく)大佐含め、亡くなった二七四○人の墓標です」

「墓標……」

 涙を拭いてじいやを見る。

「沈没した戦艦は商船と違い、沈没しても墓標として海底に眠らせているのです。当時の家族が希望し引き上げた戦艦もありますが、船体の規模や深海三四五メートルという深さから、技術的な引き上げは現代でも困難……そして家族の希望もあり、このままの状態で静かに眠っています」

 説明する表情は、微笑みながらもどこか強い思いが込められている。

 俺はじいやの表情と秘めた威圧感から、戦争経験者ではないか、と推測。遠慮しながら聞いた。

「じいやさんは……戦争経験者ですか?」

「はい。この大和にも乗船しておりました」

「⁉︎」

 俺は予想以上の返答に寒気がした……が同時に尊敬という気持ちがじいやに対して生まれた。

「……あ、有賀幸作(あるがこうさく)、にも?」

「はい。大佐の最後、戦友の最後、大和の最後、今も鮮明に覚えております」

「…………」

 俺はそれ以上の話を訊くことができなかった。

 じいやが見てきた最後は、教科書で学べる写真や文章ではない。

 当時の体現者、沈んでもなお威風堂々と存在感を出す戦艦大和の乗船者、訊けば話てくれるだろうけど……俺には訊ける勇気がなかった。

 自分の小ささ、情けなさ、有賀幸作という名前がじいやの前では恥ずかしく思い、悔しさで奥歯を噛み締めた。

 そんな俺にじいやは優しく微笑み、懐かしむように戦艦大和に視線を向けた。

「殉死した兵隊は階級が上がります。ですが、私の中では有賀幸作(あるがこうさく)大佐は大佐のままです。お嬢様に有賀幸作(ありがこうさく)様が入学してきたと聞いた時は、年甲斐もなく胸が踊りました」

「そんな……漢字が一緒なだけです」

「そう、漢字が一緒なだけです。ですが……有賀幸作(あるがこうさく)大佐は今でこそ有賀幸作(あるがこうさく)と知られてますが、当時は有賀幸作(ありがこうさく)と間違われ、何度も訂正しておりました」

 言葉を失う幸作の反応を楽しむように微笑むと、更に続ける。

「晩年は訂正するのも諦めて有賀幸作(ありがこうさく)でかまわない、と言っておりました」

「あ、諦めたんですか……」

 俺には意外感しかない。

 当時のことはわからないが、海軍中将や大佐の名前を間違えることがあれば、鉄拳が飛ぶイメージしか俺にはない。

 じいやは懐かしむように微笑みながら俺を見る。

「お嬢様が有賀幸作(あるがこうさく)海軍中将と呼び、それを訂正する有賀幸作(ありがこうさく)様は、大佐が訂正していた時と重なります」

 何故、じいやが俺を有賀幸作(あるがこうさく)ではなく、有賀幸作(ありがこうさく)と言うのか理解できた。

 じいやの中では有賀という漢字は有賀であり、当時のまま『あるが』でも『ありが』でもない有賀幸作大佐と重ねているのだと。

 じいやの中では俺が名前を訂正しても有賀幸作である事に変わりはない。

 俺は、人生ではじめて有賀幸作という名前を重く感じた、が胸を張って自慢できる名前だと嬉しく思えた。

 じいやは優しく微笑むと会釈をして操舵席に向かう。

 俺はじいやの背中に敬礼したい気持ちが湧き出た。その矢先、不意に右腕が引っ張られる。

 思わず引っ張られた腕をはらう動作をしたが、五十三はそれ以上の力で俺の腕を引っ張った。

有賀幸作(あるがこうさく)海軍中将! 四六センチ砲だ!」

 目を輝かせながら指を差す。

「……大砲だ」

 圧巻の迫力に呟く程度にしか声が出ない。

「射程距離四二.○二六メートル。その射撃命令を有賀幸作(あるがこうさく)大佐はしてたんだ。有賀幸作(あるがこうさく)海軍中将もやれ!」

「……なにを?」

「はなてぇ!」

 右腕を上げる。

「…………」

 それはできない、とは五十三の期待を込める嬉しそうな表情には言えなかった。

「は、はなて……」

「はなてぇ!」

「はな、て」

「はなてぇ!」

「はなてぇ」

「はなてぇ!」

「はなてぇ!」

 いつの間にか俺と五十三は手を繋いでいた。そして、俺は左手を握り、五十三は右手を握り、暗闇の深海に拳を向け、声を上げた。

「「はなてぇ!」」

 その時————

 【——戦艦大和の司令塔内にいる俺と五十三が、大空に拳を向けて『はなてぇ!』と射撃命令。四六センチ砲三基九門から轟音を鳴らして砲弾が発射、雲を突き抜け空の彼方に飛んでいった——】

「「えっ?」」

 俺と五十三は顔を合わす。

「か、会長……?」

「今のは……?」

 時間にして三秒ほど見つめ合う。

 額から汗が滲み出る。戦艦大和と五十三を交互に見ると、五十三も同じく戦艦大和と俺を交互に見ていた。

「じいやさん!」

「じいや!」

 錯覚だと思うにはあまりにも現実的で、夢か幻で解決したくない気持ちが湧き上がる。

「どうされました?」

「「四六センチ砲を撃ちました!」」

 同時に言いながらじいやのいる操舵席に駆け寄り、司令塔で四六センチ砲三基九門から砲撃した事を興奮しながら伝えた。

 じいやは優しく微笑みながら視界を深海の中に向ける。

「錯覚じゃないですよね⁉︎」

「そうですね……。それでは……」

 じいやは真っ暗な深海の先に指を差す。

 俺と五十三は指を差した方に視線を向け、目を凝らした。

 ゆっくりと姿を現したのは先ほど見た司令塔。

「「司令塔だ!」」

 同時に言い放つ。

 俺と五十三は本物の大和を見るのも司令塔を見るのもはじめてだ。司令塔がどんな形なのかは模型や教科書でしかわからない。

 だが、目の前で横たわりイソギンチャクや貝の住処になっている司令塔は、先ほど見た司令塔と寸分違わず同じ。俺と五十三は確かにあの中で『はなてぇ!』と言った。

「じいやさん、司令塔ですよね⁉︎」

「はい、司令塔です」

「じいや、まったく同じです!」

「当時は砲弾一発も貴重でしたから……」

 二人が繋いでいる手にチラッと視線を向け、更に続ける。

有賀幸作(あるがこうさく)大佐から、お二人の愛を祝う、戦艦大和はじめての祝砲です」

 じいやは嬉しそうに微笑む。

 俺と五十三は顔を真っ赤にして、繋いでいた手を慌てふためきながら離した。


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