モフモフを創造しよう
「……よし」
俺は神殿の大広間、その中央へ立ちながら、小さく気合いを入れた。
静かな空間だった。
白い石で組まれた床は磨き上げたように滑らかで、左右へ並ぶ巨大な円柱は高い天井を支え、その奥では薄い布が風もないのに静かに揺れている。
外では滝の音が微かに響き、森を抜けた風が長い回廊を流れていた。
「で、次は……モフモフだな」
俺は真顔で頷いた。
大事なことだ。非常に大事である。世界には癒やしが必要だ。
しかも今のこの世界、綺麗ではあるのだが、どこか完成されすぎている。神殿があり、滝があり、森があり、生き物もいる。だが、なんというか、触れたくなる存在が足りない。
モフモフ。
圧倒的なモフモフ成分。それが必要だった。
「猫もいいけど……いや、やっぱ犬だよなぁ」
呟きながら腕を組む。
すると、不思議な事に脳裏へぼんやりとしたイメージが浮かんだ。
茶色い毛並み。
くるりと巻いた尾。
三角の耳。
そして、どこか誇らしげな顔。
「あー……柴犬」
記憶に思わず口元が緩む。好きだった気がする。いや、かなり好きだった。スマホの画像フォルダに大量保存していたような気がするし、動画を見ながらニヤニヤしていた気もする。
信号待ち中の柴犬を見て『かわいいな……』とか思っていたような気もする。
「いいよなぁ、柴犬……」
あの丸っこさ。ちょっと生意気そうな顔。でも忠誠心高そうな感じ。あと何より、あの“自分を大型犬だと思ってそうな雰囲気”が良い。小さいのに堂々としている。最高だ。
「よし、決まり」
俺は両手を広げた。
だが、その瞬間。頭の片隅に、別のイメージが入り込んだ。
神の使い。
そんな単語が浮かぶ。
すると自然と、柴犬よりももっと巨大で、もっと神秘的で、もっと威厳に満ちた姿が脳裏へ現れてしまった。
白銀の長毛。月光みたいな瞳。風を纏うように歩く巨狼。神殿の階段を静かに下りるだけで空気が張り詰めるような、圧倒的な神獣。
「……いや、かっけぇな?」
俺はちょっと揺れた。正直かなり格好いい。創世者の神殿にいる存在としては、そっちの方が“それっぽい”。
だが。
でも。
「いやでも柴犬……」
捨てがたい、非常に捨てがたい。
俺は真剣に悩んだ。神の使いとしての威厳を取るか。圧倒的な可愛さを取るか。
「……両方いけない?」
その瞬間だった。世界が反応した。
白い光が大広間の中央へ集まり始める。床へ円を描くように風が渦巻き、金色とも銀色ともつかない粒子が舞い上がる。
俺は思わず少し後退った。
なんかめっちゃ神っぽい演出が始まったな。今までこんなことなかったのに、さすが創世。神殿内だとノリが良いのか?
俺がどうでもいいことを考えながら見ている光は、次第に輪郭を持ち始める。
まず見えたのは脚だった。
太い、かなり太い。大型犬サイズだ。
続いて胴体。
毛並みは長く豊かな白銀の毛が、フサフサと優美に流れている。
「おぉぉ……!」
思わず感嘆が漏れる。
これは凄い。めちゃくちゃ神獣っぽい。
さらに頭部が形を持つ。
威厳ある額。鋭い耳。堂々たる首回り。
そして。
「……あれ?」
丸い。
顔が。
なんかちょっと丸い。
光が晴れる。
そこにいたのは、巨大だった。とても巨大だった。肩までの高さだけで、たぶん俺の胸くらいある。
毛並みは美しく、長く、神々しい。
白銀の毛は床へ流れるように揺れ、立っているだけで神秘的な風格があった。
だが。
顔が柴犬だった。
完全に。
めちゃくちゃ柴犬だった。
「…………」
「…………」
しばし見つめ合う。向こうもこちらを見ていた。
凛々しくあろうとしている。
たぶん。
でも隠しきれていない。
なんかこう、柴犬特有の“愛嬌”が。
目がちょっと丸い。口元がちょっとむにっとしてる。あと耳がピンとしてるせいで、一生懸命カッコつけてる感が凄い。
「ぶっ……」
耐えきれず俺は思わず吹き出した。
神獣っぽい。確かに神獣っぽい。
だが同時に、圧倒的に柴犬だった。
威厳を出そうとしているのに、どうしても隠しきれない。
柴犬である。
その事実が。
巨体の神狼みたいなフォルムなのに、どこか「待て」と言ったらちゃんと待ちそうな雰囲気がある。
「くっ、ははっ……!」
俺は腹を抱えた。
すると、その巨大柴犬は少し困ったように耳を伏せる。
あぁあ!可愛いっ。駄目だ。可愛すぎる。
「いや、スマンスマン! 困らせるつもりはなかったんだ。それにしてもお前、そのサイズでその反応すんの反則だろ……!」
俺が笑いながら近付き、そのサイズ感に圧倒する。
「いや、撫でたいんだけどさ」
俺は見上げる。
「デカくね?」
犬は首を傾げた。
可愛い。圧倒的に可愛いのだがそれよりもデカい。
俺が両手を上げてみせると、犬は察したのか静かに頭を下げてきた。
「天才か?」
優雅だった。礼節を弁えた騎士のように、その動きは実に優雅だった。だが、その直後、柴犬としての特徴的な巻しっぽが振られる。優美な白銀の長毛、威厳あるその体格で、巻しっぽ。それこそグルグル回るんじゃないかと思うほど尾を振っている。
威厳とは。
「お前、自分の事カッコいい狼だと思ってるだろ」
巨大柴犬は、ふす、と鼻を鳴らした。否定はしないらしい。
俺はもう駄目だった。笑いが止まらない。けれど。笑いながらも、不思議と胸の奥が温かかった。
巨大柴犬はいつまでも触れない俺に焦れたのか、長い鼻先をそっと俺の肩へ押し付けてきた。
重い、思うよりかなり重い。だが嫌じゃない。むしろ、安心する。
「あー……もう、お前最高だなっ」
俺は苦笑しながら、その首元へ腕を回した。毛並みは驚くほど柔らかかった。ふかふかだ。神々しいくせに、ちゃんとモフモフである。最高だった。
この世界で初めてだった。自分へ反応を返してくれる存在。言葉はない。それでも、ちゃんと“いる”。俺が触れれば反応して、俺を見て、俺へ近付いてくる。それだけで、静かだった世界が急に色付いた気がした。
巨大柴犬は満足そうに目を細める。どうやら気に入られたらしい。
「よしよし……お前、名前どうするかなぁ」
呟きながら頭を撫でる。すると巨大柴犬は、威厳たっぷりに胸を張った。そのくせ尻尾だけは全力で振られている。
胸を張って姿勢良く座る姿を、俺は改めて見上げた。名前は大事だ。名前があると、急に“誰か”になる。
今まで俺しかいなかったこの世界で、初めて出来た相棒みたいなものなのだから、適当には付けたくない。
「んー……」
俺は腕を組んで考える。神話っぽい名前か、荘厳な名前か、神獣感あるやつか。
色々考える。
だが、目の前の巨大柴犬は、そんな俺を見ながら「へっへっへ」みたいな顔をしていた。
駄目だ。威厳が続かない。
「お前、見た目だけならフェンリル系なんだけどなぁ……」
すると巨大柴犬は、期待を込めたかのように瞳を輝かせ、更に胸を張った。
分かるのか? いや絶対分かってないだろ。
「でもお前、フェンリルって感じじゃないんだよな……もっとこう……」
俺は悩みながら、その鼻先を軽く押した。すると巨大柴犬は、ぐいっと顔を押し返してくる。
重い。
力が強い。
なのに加減はちゃんとしていた。
「……ハク」
ぽつりと口から零れた。白いから。たぶん、それだけだ。だが、不思議としっくり来た。
「ハク」
もう一度呼ぶ。
すると巨大柴犬――ハクは、耳をぴんと立てた。尻尾が揺れる。これは明らかに気に入った様子だ。
「よし、今日からお前ハクな」
俺が笑うと、ハクは満足そうに鼻を鳴らした。そしてそのまま、当然のように俺へ身体を寄せてくる。
でかい。
温かい。
毛がふかふかだ。
「うわっ、近い近い」
押されてたたらを踏むが嫌じゃない。むしろ妙に安心する。
俺はそのままハクの首元へ腕を回し、しばらくモフモフを堪能した。最高の触り心地だ。このままずっとモフモフに埋もれていたいが、ふと思う。
「……そうだハク。お前の居場所作らないとな」
こんな広い神殿だ。ハク専用の部屋を用意してもなんの問題もない。俺は大広間を見回した。神殿の奥には部屋がいくつもある。
その中でも陽当たりが良く、広く、外の景色も見える場所を探し、長い回廊を歩いていく。
ハクは当然のようについて来た。というか、ほぼ横にいる。俺の隣へぴたりとくっつき離れる様子がない。
俺が歩けばついて来るし、立ち止まれば当然のように隣へ座る。
少し離れて様子を見ようとすれば、「何してんの?」みたいな顔でこちらを見る。
そのくせ、神獣っぽい威厳だけは全力で出そうとしているから面白い。
長い白銀の毛並みは光を受けて煌めき、伏せているだけでも神秘的な空気を纏っているというのに、目が合うと尻尾が忙しなく揺れるので全部台無しだ。
「お前ほんと俺から離れないな」
好きがだだ漏れてる感に、俺は少し照れてハクの大きな頭を撫でる。
ハクは何も言わない。ただ、こちらを見て尾を揺らした。
やがて、神殿の角に近い広い部屋へ辿り着く。高い窓からは滝が見え、その窓から白い床へと柔らかな光が落ち、風も通る。静かで、落ち着く場所だった。
「ここいいんじゃね?」
俺は室内を見回した。
そして、イメージする。
巨大なクッション。
柔らかな敷物。
ふかふかの寝床。
神獣用なので、ちゃんと大きい。
すると、部屋の中へ次々と調度品が現れた。白と銀を基調にした、美しくも落ち着いた空間。中央には、ハクが丸まっても余裕のある巨大な寝床が置かれている。
「おぉ……いい感じじゃん」
我ながらかなり上出来だった。絶対快適だ。俺は満足しながら振り返る。
「ほら、ここお前の――」
言いかけて止まる。ハクが俺の真後ろにいた。めちゃくちゃ近い。
「……入れよ」
ハクは寝床を見る。見るだけ。全く入る様子を見せず、首を傾げて俺を見た。
「いや、お前の部屋なんだけど」
ハクは俺を見る。尻尾を振る。
「……まさか俺もいる前提?」
ハクは当然みたいな顔をしていた。いや顔は柴犬なので、実際はちょっと期待してる犬みたいな顔だった。俺はしばらく見つめ返し、それから耐えきれず吹き出した。
「ははっ、お前マジかよ」
神獣。威厳。神の使い。
そんな肩書きを全部吹き飛ばす勢いで、ハクは俺へ身体を寄せてくる。どうやら一人は嫌らしい。……いや。一人が嫌なのは、たぶん俺も同じか。
「しゃーねぇなぁ」
俺は笑いながらハクの首を叩いた。
「じゃ、一緒にいるか」
その言葉に満足したのか、ハクは嬉しそうに尾を振る。巨大な巻きしっぽが揺れるたび、柔らかな風が生まれた。
「せっかく部屋まで作ったのにな」
苦笑しながらそう言うと、ハクは何も気にしていない顔で鼻先を擦り寄せてくる。まあ、いいか。俺自身、一人でいる事に拘りがあるわけじゃない。むしろ、この世界で初めて出来た同居人だ。そう思うと悪い気はしなかった。
そう結論付けたところで、ふと思う。そういえば、まだ外をゆっくりとまともに見ていない。神殿だの部屋だのを作る事に夢中で、景色を眺める余裕がなかったのだ。
「せっかくだし、散歩でもするか」
俺は立ち上がった。ハクも当然のように立ち上がる。
「お前も来るのか」
問い掛けると、当たり前だと言わんばかりに尾が揺れた。
俺は思わず笑い、そのまま神殿の外へ足を向けた。
そのまま神殿の外へ出る。
すると待っていたかのように鳥が降りてきた。最初は一羽だった。白い石畳へ降り立ち、小さく首を傾げる。
続いてもう一羽。
さらにもう一羽。
気付けば周囲を鳥に囲まれていた。
「え」
次は蝶が寄ってくる。
花畑から離れ、ひらひらと俺の周囲を舞い始める。
「なに??」
草むらが揺れる。うさぎだ。ぴょこぴょこ跳ねながら集まってくる。
「いやちょっ、お前ら距離感どうなってんの」
川の方では魚が水面を跳ねていた。まるで気付いて欲しいみたいに、きらきら光を散らしながら飛び跳ねている。
俺は呆然と周囲を見回した。
鳥がいる。
蝶がいる。
うさぎがいる。
魚までいる。
しかも全員、当然みたいにこちらへ寄ってくる。
ハクはそんな光景を見ながら、どこか誇らしげにかつ牽制するかのように、胸を張り俺の横に張り付いた。だが、動物たちは負けじと俺の元へ来ようとする。
その姿に不意に気付くことがあった。
そうか、ハクがそばにいるんだったら、自分たちもそばにいてもいいって思ったのか。
俺は動物たちを作るとき、背景の配置要員としてしか考えていなかったのかもしれない。
魚は川に。
蝶は花に。
うさぎは野に。
鳥は空に。
ただ、それだけだった。
撫でようとは思わなかった。
抱き上げようとも思わなかった。
一緒に遊ぼうとも思わなかった。
気付けば俺は、綺麗に出来上がった景色を眺めて満足していたのだ。
「何が一緒に幸せになろうだよな、、」
言った本人が、一番分かっていなかった。幸せにするつもりだった。けれど、一緒に生きるつもりではなかったのかもしれない。
足元に寄ってきたうさぎを抱き上げ、背に顔を埋める。ふわふわで、もこもこで、一瞬思考が飛びそうになるけど、不意に気づいた。
獣臭さがない。
本来ならば獣臭がするはずなのに、全くしない。それはまるでぬいぐるみのようだった。
でも、生きている。
抱き上げた体は温かいし、こちらを見上げる赤い瞳は生気に満ちている。
「贔屓はだめだよな」
ハクは答えない。ただ尻尾だけは揺れていた。俺はしばらくうさぎを抱きしめ立ち尽くす。
風が吹く。森が揺れる。滝の音が響く。周囲では鳥が鳴き、蝶が舞い、川では魚が跳ねている。小さな命たちが自分の周囲を当たり前みたいに動き回る。俺が作った世界には、ちゃんと命がいて、動いていて、こっちを見てくれていた。それは不思議なくらい自然な事実だった。
その光景を眺めながら、ようやく少しだけ理解した。
「……なんだ」
思わず笑う。肩の力が抜けた。
「ちゃんといたんじゃん」
俺は何を作っても結局、ずっと一人なのだと思っていた。でも、そうじゃなかったんだな。




