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神剣のセレスティア  作者: 玉響すばる


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第88話 聖遺物を売る者

 ヴァルグレイン事件から十日後。


 死者名簿保全官制度は、世界各地へ少しずつ広がり始めていた。


 記録官たちは、過去の資料を再確認する。


 古い碑文を写す。


 未判明者欄を守る。


 偽造や改竄の手口を学ぶ。


 生者の欲が死者の場所へ入り込まないよう、世界は少しずつ備え始めていた。


 その一方で、別の問題も起きていた。


 白樹の森の記録室。


 ルシェル・クラルテ・アルヴァレインは、机の上に置かれた小箱を見ていた。


 箱には、商人組合の封蝋が押されている。


 中には、白い布切れが入っていた。


 布は古びて見える。


 端は焼け、中央には薄い赤黒い染みがある。


 箱の中には、札も添えられていた。


 剣聖セレスティア様の聖布。


 邪神戦争にて身にまとわれた衣の一部。


 所持すれば剣神の加護あり。


 病を退け、邪気を祓う。


 限定三十片。


 ルシェルは、無言で札を置いた。


 ミレーヌは、箱の中の布を見て表情を強張らせた。


 セレスティアは、窓際に立っていた。


 背には黒星。


 左腰には閃白。


 背には解白。


 今日は、まだ剣を抜いていない。


 だが、空気は重かった。


「今度は、聖遺物ですか」


 セレスティアの声は静かだった。


 ルシェルは頷いた。


「人間王国東部の市場で発見されました」


「誰が」


「商人組合の監査役です」


「販売前ですか」


「一部は既に売却済みです」


 ミレーヌが顔を上げる。


「売られたのですか」


「はい」


「剣聖セレスティアの聖布として」


「はい」


 ミレーヌは唇を噛んだ。


 剣聖セレスティア。


 七十年前の邪神戦争で死んだ、人間の剣士。


 前世のセレスティア。


 死後、邪神格に肉体を利用され、最後に剣神セレスティアによって解放された者。


 名もなき森で、祀られず、聖遺物化されず、一人の死者として葬送された者。


 その名が、今度は布切れに貼り付けられていた。


 ルシェルが札を読み上げる。


「剣聖セレスティア様の聖布」


「邪神戦争にて身にまとわれた衣の一部」


「所持すれば剣神の加護あり」


「病を退け、邪気を祓う」


「限定三十片」


 セレスティアは目を閉じた。


 黒星が低く鳴る。


『またか』


 閃白が澄んだ声で言った。


『濁りが浅い。しかし広がりやすい』


 解白が淡く告げる。


『聖遺物詐称。剣聖セレスティアの葬送理念に反する』


 セレスティアは静かに頷いた。


「剣聖セレスティアは眠りました」


「はい」


「聖遺物にはしないと決めました」


「はい」


「それを売るのですね」


 ルシェルは、淡々と記録している。


 しかし、その筆圧はいつもより少し強かった。


「販売者は、東部市場の巡回商人です」


「本人は」


「拘束ではなく、商人組合監査下で事情聴取中です」


「逃亡の可能性は」


「低いですが、商品は一部流出しています」


 王が記録室へ入ってきた。


 王妃エルフィリアもいる。


 王は小箱を見た。


 そして、静かに言った。


「早かったな」


 王妃が頷く。


「祠、守り札、干し肉、死者名簿、そして聖遺物」


 セレスティアは目を開いた。


「人は、何でも意味を付けたがるのですね」


 王は答えた。


「意味を付けること自体は悪ではない」


「はい」


「だが、眠った者を売り物にするなら、止めねばならない」


「はい」


 王妃は、布切れを見た。


「これは本物ですか」


 ルシェルが答える。


「現時点では不明です。ただし、可能性は低いと思われます」


「なぜ」


「剣聖セレスティアは人間でした。七十年前の邪神戦争で、白樹の森の王女として戦ったわけではありません」


 ミレーヌが頷く。


「はい」


「ですので、真贋を見るべき基準は、白樹の森の布ではありません」


「では」


 ルシェルは、小箱の布を見た。


「剣聖セレスティアが戦場で身につけていたのは、ゴルド・ガルガンド親方が作った戦装束です」


 その場の空気が少し変わった。


 ゴルドの名が出たからだ。


 王が言う。


「ゴルドへ繋げ」


「はい」


 通信術式が開かれる。


 グランガルドの炉の赤い光が映った。


 ゴルド・ガルガンドが現れる。


 隣にはバルドもいた。


「バカ姫」


「はい」


「聖遺物だと?」


「はい」


「剣聖の嬢ちゃんの布か」


「そう称して売られています」


 ゴルドの目が細くなった。


「見せろ」


 ルシェルは、通信越しに布切れを見える位置へ置いた。


 ゴルドはしばらく黙って見た。


 バルドも横から目を凝らす。


 沈黙が長かった。


 やがて、ゴルドが低く言った。


「違う」


 セレスティアが問う。


「分かりますか」


「分かる」


 ゴルドの声は冷えていた。


「俺が作った戦装束じゃねぇ」


 ミレーヌが静かに聞く。


「親方が、剣聖セレスティアの戦装束を?」


「ああ」


 ゴルドは頷いた。


「黒星と閃白だけじゃねぇ。あいつが邪神戦争へ行く時に着るものも見た」


 その声は荒くない。


 むしろ低く、重かった。


「肩を殺さねぇようにした」


「腰を落とせるようにした」


「踏み込みを邪魔しねぇようにした」


「斬られても動けるように、急所だけは守った」


「布、革、金具、鎖、縫い糸、全部だ」


 ゴルドは、偽物の布切れを睨んだ。


「それを、こんな薄っぺらい布に名前を貼って売るだと」


 バルドが、通信越しに静かに言った。


「この布は、戦装束の補強織ではありません」


 ルシェルが記録する。


「続けてください」


 バルドは、布の端を見ながら説明する。


「糸が細すぎます」


「はい」


「戦闘用に使う布なら、繊維の撚りがもっと強く、補強層が入ります」


「はい」


「この布には、革や金具を留めた跡がありません」


「はい」


「焼け跡も、戦場で受ける熱の入り方ではありません。後から端だけ炙ったように見えます」


「はい」


「染みも、血ではない可能性が高い」


「はい」


 ゴルドが鼻を鳴らす。


「何より、俺の縫いじゃねぇ」


 ルシェルは、きちんと記録した。


「剣聖セレスティアの聖布と称する布切れ。ゴルド・ガルガンド作の戦装束とは素材、織り、補強構造、金具跡、縫製が一致せず。聖遺物詐称品の可能性が極めて高い」


 セレスティアは静かに頷いた。


「つまり、偽物ですね」


 ゴルドが答える。


「偽物だ」


 王妃は静かに言った。


「偽物だから軽い、という話ではありませんね」


「はい」


 セレスティアは小箱の札を見た。


「眠った者の名前を使っています」


 ルシェルが頷く。


「はい」


「それだけで十分に重い」


「はい」


 ゴルドの声が低く響く。


「売った奴を連れてこい」


「親方」


「斬れとは言ってねぇ」


「はい」


「だが、顔は見る」


 バルドも言った。


「父上、私も同行します」


「来い」


 セレスティアは、少し驚いた。


「バルドもですか」


「はい」


 バルドは真面目な顔で答えた。


「戦装束の真贋確認なら、工房の者がいた方がよいです」


 ゴルドが頷く。


「今回は工房案件でもある」


「工房案件」


「七十年前、前のバカ姫を戦場へ送った装束だ」


 セレスティアは、何も言えなかった。


 ゴルドの怒りは、セレスティアの怒りとは少し違う。


 前世セレスティアを戦場へ送り出し、帰って来いと言い、帰らなかった者を七十年待った鍛冶師の怒りだった。


 セレスティアは静かに頷いた。


「お願いします」


 王妃エルフィリアが言った。


「行く前に、食事を」


 セレスティアは母を見る。


「お母様」


「市場での確認は時間がかかります」


「はい」


「携行食も持ちなさい」


 ルシェルがすぐ記録した。


「セレスティア用保存食、携行」


 セレスティアは額に手を当てた。


「それを正式記録に」


「必要です」


 王妃は当然の顔で頷いた。


 東部市場へ向かったのは、セレスティア、ルシェル、ミレーヌ、白樹の森の記録官、人間王国商人組合の監査役、そしてゴルドとバルドだった。


 市場は広い。


 復興物資、保存食、薬草、布、工具、書物、記録写し。


 戦後の需要で、人の出入りが多い。


 その一角に、商人組合の臨時監査所が置かれていた。


 中には、痩せた商人が座っていた。


 目は泳いでいる。


 机の上には、同じような小箱がいくつも並んでいた。


 布切れ。


 骨片に見せかけた白い石。


 古びた紐。


 焦げた木片。


 それぞれに札が付いている。


 剣聖セレスティア様の聖布。


 三賢者の祈り紐。


 封印地の聖骨。


 剣神の涙石。


 ゴルドが札を見た瞬間、額に青筋が浮かんだ。


「おい」


 商人が震えた。


「はい」


「封印地の聖骨って何だ」


「そ、それは」


「骨か」


「いえ、石で」


「石か」


「はい」


「なら石と書け」


「はい」


 バルドが冷静に箱を確認する。


「これは白石です。骨ではありません」


 ルシェルが記録する。


「封印地の聖骨と称する白石。骨ではない」


 商人の顔が青くなる。


 セレスティアは、剣聖セレスティアの聖布とされた布を見た。


「これはどこで手に入れましたか」


 商人は震えながら答えた。


「古物商から」


「その古物商は」


「旅商人で、名は」


「記録は」


「ありません」


 ルシェルの筆が止まった。


「ありません?」


 商人は顔を伏せる。


「口約束で」


 バルドが呆れたように言った。


「出所不明品を聖遺物として売ったのですか」


「剣聖様の名を使えば、復興寄付にもなるかと」


 ゴルドが机を叩いた。


 箱が跳ねる。


「寄付だと?」


「ひっ」


「復興寄付なら、復興寄付と書け」


「はい」


「布なら布と書け」


「はい」


「石なら石と書け」


「はい」


「死んだ奴の名前を貼るな」


 商人は震えていた。


 セレスティアは、静かに言った。


「あなたは、剣聖セレスティアが誰か知っていますか」


 商人は口を開きかけ、閉じた。


「邪神戦争の英雄で」


「違います」


 セレスティアの声は静かだった。


「英雄でもあります」


「はい」


「ですが、その前に、一人の死者です」


「……」


「役目を終えて眠った者です」


「はい」


「わたくしは、その者を聖遺物にしないと決めました」


「はい」


「祀らない」


「はい」


「売らない」


「はい」


「神具化しない」


「はい」


「それは、剣聖セレスティアを眠らせるためです」


 商人は、何も言えなかった。


 セレスティアは布切れを持ち上げた。


「これは本物ではありません」


 ゴルドが低く言う。


「偽物だ」


 バルドも頷く。


「ゴルド工房製戦装束とは一致しません」


 セレスティアは続けた。


「ですが、偽物だから罪が軽いわけではありません」


 商人の肩が震える。


「あなたは眠った者の名前を使いました」


「はい」


「その名を使って、加護を売ろうとしました」


「はい」


「病を退けると書きました」


「はい」


「この布を買った者が病で死んだら、あなたは何をしますか」


 商人は答えられない。


「この石を聖骨と信じた者が、本当に遺骨だと思って祈ったら、あなたは何を返しますか」


「……」


「あなたは、死者の眠りだけでなく、生者の不安も売り物にしています」


 商人は、顔を伏せた。


 ミレーヌが、小さく言った。


「ひどいです」


 その声には、怒りより悲しみがあった。


「死者名簿を読み上げた時、名前が分からない方もたくさんいました」


「はい」


「剣聖セレスティアも、やっと眠れたのに」


「はい」


「それを、布にして売るなんて」


 商人は、床に頭をつけた。


「申し訳ございません」


 ゴルドが低く言う。


「謝る相手を間違えるな」


 商人が顔を上げる。


「え」


「俺たちじゃねぇ」


 ゴルドは、箱の中の布切れを指した。


「名前を貼られた死者だ」


 商人は震えながら、布へ向かって頭を下げた。


「申し訳ございません」


 セレスティアは、それを見届けた。


 だが、そこで終わらせない。


「売った分は回収してください」


「はい」


「返金してください」


「はい」


「返金できない分は、復興支援へ補填してください」


「はい」


「聖布、聖骨、涙石、祈り紐などの表示は全て禁止です」


「はい」


「出所不明の品は、出所不明と記録してください」


「はい」


「本物かどうか分からないものを、本物として売ってはいけません」


「はい」


 ルシェルが続ける。


「商人組合は、聖遺物詐称品に関する取締規定を作成してください」


 監査役が頷く。


「承知しました」


「剣神、剣聖、三賢者、封印地、死者名簿、邪神戦争記録所に関連する品については、歴史資料と商品を明確に分けること」


「はい」


「加護、御利益、病気平癒、邪気退散、戦勝祈願の表示は禁止」


「はい」


「寄付目的の場合も、寄付先、金額、用途を明記」


「はい」


「死者の名を商品の価値として用いることは禁止」


「承知しました」


 ゴルドが鼻を鳴らした。


「あと、剣神の涙石って何だ」


 商人は小声で言った。


「白い丸石です」


「石じゃねぇか」


「はい」


「石と書け」


「はい」


 バルドが淡々と確認する。


「この白石は川石です。封印地とは無関係です」


 ルシェルが記録する。


「剣神の涙石と称する川石。封印地及び剣神との関連なし」


 セレスティアは少しだけ疲れた顔をした。


「わたくしは涙石を残していません」


 ミレーヌが小さく頷く。


「お姉様が泣いたら、普通に泣きますものね」


「ミレーヌ」


「石にはなりません」


「なりません」


 ゴルドが笑いかけて、布切れを見てやめた。


 今日は笑う場ではなかった。


 押収品の確認が終わると、市場の掲示板に新しい通達が貼られた。


 剣聖セレスティア、三賢者、封印地、邪神戦争死者に関する聖遺物販売を禁ずる。


 剣神、剣聖、三賢者、死者名簿の名を用いて加護、御利益、病気平癒、邪気退散、戦勝祈願等を表示してはならない。


 死者を商品価値にしてはならない。


 歴史資料は歴史資料として扱い、出所、鑑定、保管記録を明確にすること。


 出所不明品を聖遺物と称して売ることを禁ずる。


 眠った者を売り物にするな。


 その最後の一文は、セレスティアの言葉だった。


 市場の者たちは、静かに読んでいた。


 祠騒動の時のような軽い笑いはない。


 干し肉騒動の時のような妙な納得もない。


 今回は、重かった。


 死者を売り物にした。


 それだけは、誰の目にも分かる罪だった。


 夕方。


 押収品はすべて白樹の森へ送られることになった。


 本物ではない。


 だが、詐称品として保存する。


 破棄しない。


 なかったことにしない。


 聖遺物詐欺の事例として、商人組合と記録官の教材にする。


 ルシェルは、偽造・改竄事例棚の隣に、新しい棚を作ると決めた。


 聖遺物詐称事例記録。


 セレスティアはその名を聞いて、少しだけ息を吐いた。


「また棚が増えますね」


 ルシェルは頷いた。


「必要です」


「はい」


 ゴルドは、布切れを見ながら言った。


「これ、どうする」


 ルシェルが答える。


「詐称品として保管します」


「燃やさねぇのか」


「燃やすと、無かったことになります」


「なるほどな」


 ゴルドは納得したように頷いた。


「じゃあ、残せ」


 バルドが言う。


「父上にしては記録的判断です」


「俺だって考える」


「はい」


 ゴルドはセレスティアを見た。


「バカ姫」


「はい」


「剣聖の嬢ちゃんは寝てるな」


「はい」


「起こしてねぇな」


「はい」


「売り物にもしてねぇな」


「はい」


「ならいい」


 セレスティアは、静かに頷いた。


「はい」


 白樹の森へ戻った時には、夜になっていた。


 王と王妃は、記録室で報告を待っていた。


 セレスティアたちは、押収品を一つずつ並べる。


 聖布と称された布切れ。


 聖骨と称された白石。


 涙石と称された川石。


 三賢者の祈り紐と称された古紐。


 封印地の焦げ木と称された炭化材。


 どれも、出所不明。


 どれも、加護などない。


 だが、どれも死者の名を貼られて売られかけたものだった。


 王は静かに言った。


「通達を出す」


 ルシェルが頷く。


「文案は既に」


「早いな」


「必要です」


 王妃はセレスティアを見た。


「食事です」


 セレスティアは、少し疲れた顔で頷いた。


「はい」


 その日の食堂は、いつもより静かだった。


 温かいスープ。


 パン。


 豆の煮込み。


 果実。


 そして、セレスティア用保存食。


 ゴルド工房製の干し肉だった。


 セレスティアは、一枚取って噛んだ。


 硬い。


 だが、食べやすい。


「硬いですが、美味しいです」


 王妃が満足そうに頷いた。


 ミレーヌが少しだけ笑った。


「お姉様、今日は硬いですわではないのですね」


「今日は、こちらが適切です」


 ルシェルは記録板に手を伸ばしかけた。


 王妃が見た。


 ルシェルは手を戻した。


 食堂に、小さな笑いが戻った。


 それだけで、セレスティアは少し救われた。


 死者を売り物にする者がいる。


 だが、生者は食事をする。


 笑う。


 記録する。


 止める。


 また進む。


 翌朝。


 グランガルドのゴルド工房前の看板が更新された。


 聖遺物など売るな。


 剣聖セレスティアは寝た。


 あいつの戦装束は俺が作った。


 土も布も石も勝手に名前を貼るな。


 死者を商品にするな。


 バカ姫は涙石を出さない。


 飯を食え。


 バルドは看板を見て、少しだけ黙った。


「父上」


「何だ」


「あいつの戦装束は俺が作った、は必要ですか」


「必要だ」


「なぜ」


「偽物を見分ける奴がいると分かる」


「なるほど」


「涙石の件も必要だ」


「なぜ」


「馬鹿がまた売る」


「確かに」


「飯を食えは」


「それも必要です」


「分かってきたじゃねぇか」


 バルドは、少しだけ苦笑した。


 その看板の写しは、当然のように白樹の森へ届いた。


 セレスティアは、それを読んで固まった。


「バカ姫は涙石を出さない」


 ミレーヌは笑いをこらえられなかった。


 ルシェルは、公式通達には絶対に入れないと明記した。


 王妃は、飯を食えの一文にだけ頷いた。


 セレスティアは額に手を当てた。


「親方の看板は、いつも最後に食事へ戻りますね」


 王妃が答えた。


「正しいです」


 セレスティアは、反論できなかった。


 その夜。


 白樹の森の記録室に、新しい棚札が掛けられた。


 聖遺物詐称事例記録。


 そこに、布切れも石も紐も、すべて収められた。


 聖遺物ではない。


 教材である。


 失敗の記録である。


 死者を売り物にしようとした、生者の過ちである。


 セレスティアは、その棚の前で静かに立っていた。


 ミレーヌが隣に来る。


「お姉様」


「はい」


「剣聖セレスティアは、眠っていますよね」


「はい」


「売り物にはなりませんよね」


「はい」


「よかったです」


 セレスティアは、ミレーヌの頭にそっと手を置いた。


「守ります」


「はい」


「眠った者は、眠ったままに」


「はい」


「名は記録へ」


「はい」


「物は物として」


「はい」


「偽りは偽りとして」


「はい」


「忘却せず」


 ミレーヌは頷いた。


 窓の外には、白樹の森の夜が広がっていた。


 邪神戦争は終わった。


 だが、死者を利用する者は、形を変えて現れる。


 名簿。


 祠。


 守り札。


 干し肉。


 聖遺物。


 そのたびに、正す。


 斬るべきものは斬る。


 記録すべきものは記録する。


 笑えるものは笑う。


 笑えないものは、静かに止める。


 セレスティアは、聖遺物詐称事例の棚を見て、静かに言った。


「眠った者を、売り物にしないでください」


 黒星が低く鳴った。


『忘れぬ』


 閃白が澄んで言った。


『濁りは記録されました』


 解白が淡く告げた。


『詐称事例、保全完了』


 セレスティアは頷いた。


 そして、食堂へ戻った。


 祠ではなく。


 聖遺物ではなく。


 現世の食卓へ。

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