表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神剣のセレスティア  作者: 玉響すばる


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

5/108

第5話 バカの剣のみゴルド対応

 翌朝。


 セレスティアは、宿の窓から差し込む朝日に目を細めた。


 白樹の森とは違う朝だった。


 森の朝は、静かに始まる。


 葉が揺れ。


 鳥が鳴き。


 精霊が光の粒となって舞い。


 清らかな水音が一日の始まりを告げる。


 だが、鍛冶町グランガルドの朝は違った。


 まだ陽が高くなる前から、町のあちこちで槌の音が鳴っている。


 鉄を運ぶ車輪の音。


 職人たちの怒鳴り声。


 炉に火を入れる音。


 石炭を積む音。


 まるで町全体が、巨大な生き物のように目覚めていく。


 セレスティアは、寝台から起き上がった。


 身体に残る疲労はある。


 昨日、剣炉へ魔力を流した影響だ。


 ただ魔力を消費しただけではない。


 前世の黒星と閃白を生んだ炉に、今生の自分の魔力を覚えさせた。


 火と繋がり。


 炉と繋がり。


 五十一年前の約束と繋がった。


 その余韻が、まだ身体の奥に残っている。


 だが、不快ではなかった。


 むしろ、胸の奥が落ち着いている。


 昨日、黒星の芯が生まれた。


 まだ剣身にもなっていない。


 ただの荒い黒銀の芯にすぎない。


 それでも、セレスティアには分かっていた。


 あれは、自分の剣になる。


 今生の自分にしか振れない黒星になる。


 そう思うだけで、自然と口元が緩んだ。


「……いけませんわね」


 セレスティアは鏡の前で、自分の顔を見た。


 完全に浮かれている。


 王女としては、あまりよろしくない。


 だが、剣士としては仕方がない。


 剣が生まれようとしているのだ。


 それも、ゴルド親方が打つ剣である。


 浮かれるなという方が無理だった。


 セレスティアは旅装を整えた。


 白銀の髪を一つに束ねる。


 外套を羽織る。


 腰に魔法具を下げる。


 背には巨大な木剣。


 宿の女将が朝食を運んできた。


 肉。


 卵。


 豆の煮込み。


 黒パン。


 山羊乳。


 昨日の夕方、ゴルドが宿へ使いを出していたらしい。


 女将は笑って言った。


「ゴルド親方から伝言だよ。姫さんには肉を食わせろ、だってさ」


 セレスティアは、少し困ったように笑った。


「本当に言いましたのね」


「親方がわざわざ食事の注文をつけるなんて珍しいよ」


「そうなのですか?」


「ああ。あの人は他人の飯に口を出すような人じゃない。よっぽど姫さんに剣を振らせる気なんだろうね」


「ありがたいことですわ」


 セレスティアは席につき、朝食を見た。


 白樹の森の朝食とは、かなり違う。


 森では果実、香草、木の実、白いパン、軽い魚料理が多い。


 だが、グランガルドの朝食は重い。


 職人が一日動くための食事だった。


 セレスティアは、ゴルドの言葉を思い出す。


 肉を食え。


 卵も食え。


 魚も食え。


 豆も食え。


 剣士の身体を作れ。


 王女としては少々乱暴な指導である。


 しかし、理屈は正しい。


 黒星を振るなら、身体が要る。


 魔力だけでは剣は振れない。


 ハイエルフの身体はしなやかで、魔力の通りも良い。


 だが、剣を支える筋肉と骨と腱が不要になるわけではない。


 セレスティアは小さく頷いた。


「いただきますわ」


 そして、きちんと食べた。


 宿を出ると、朝の鍛冶町はすでに騒がしかった。


 石畳の上を、鉄材を積んだ荷車が通る。


 若いドワーフが大声で道を空けるよう叫ぶ。


 鍛冶場の煙突からは、黒い煙と白い蒸気が上がっている。


 人間の商人。


 ドワーフの職人。


 獣人の運搬夫。


 エルフの旅人。


 様々な者が町を歩いていた。


 セレスティアは、その中を進む。


 周囲の視線を感じる。


 無理もない。


 ハイエルフの王女が、巨大な木剣を背負って鍛冶町を歩いているのだ。


 目立たない方がおかしい。


 だが、セレスティアは気にしなかった。


 前世でも、似たようなものだった。


 公爵令嬢が大剣を背負って歩けば、人は見る。


 そして笑う者もいた。


 だが、そのうち誰も笑わなくなった。


 黒星を一振りすれば、大抵の者は黙ったからだ。


 セレスティアは、ふと足を止めた。


 記憶の中に、同じような朝があった。


 前世の自分も、この町を歩いた。


 黒星を背負い。


 閃白を腰に差し。


 ゴルドの鍛冶場へ向かった。


 そのとき、鍛冶場の前に立看板があった。


 そこには、こう書かれていた。


 バカの剣は要相談。


 バカ。


 つまり、自分のことである。


 前世のセレスティアは、その看板を見て、当然のように鍛冶場へ入った。


 ゴルドに文句を言った気もする。


「バカとは誰のことですの?」


 そう言ったはずだ。


 ゴルドは答えた。


「お前以外にいるか」


 それに対して前世の自分は、たぶん怒った。


 いや。


 たぶんではない。


 確実に怒った。


 だが、注文内容を思い返すと、ゴルドがそう書きたくなる理由も分からなくはない。


 アダマンタイトの大剣をもっと重くしろ。


 閃白の魔力導線を限界まで通せ。


 柄を半寸伸ばせ。


 重心をわずかに前へ。


 だが、振り返しは遅くするな。


 竜鱗を斬れる強度で、対人にも使える繊細さを残せ。


 確かに、普通の鍛冶師なら逃げる。


 ゴルドだから受けた。


 ゴルドだから怒鳴った。


 そして、ゴルドだから打てた。


 セレスティアは懐かしさに微笑んだ。


 やがて、ゴルドの鍛冶場が見えてきた。


 古い石壁。


 黒い煙突。


 重い木の扉。


 昨日と同じ場所。


 だが、鍛冶場の前に、一つだけ昨日と違うものがあった。


 立看板である。


 セレスティアは足を止めた。


 看板には、大きな文字でこう書かれていた。


 バカの剣のみゴルド対応。


 セレスティアは、しばらく無言で立っていた。


 通りすがりの職人が看板を見て、次にセレスティアを見た。


 そして、慌てて目を逸らした。


 若いドワーフの弟子が、鍛冶場の入口付近で掃除をしている。


 彼はセレスティアに気づくと、露骨に視線を泳がせた。


 セレスティアは、静かに尋ねた。


「これは、どなたが書きましたの?」


 弟子は冷や汗を流した。


「お、親方です」


「そうですの」


「は、はい」


 セレスティアはもう一度、看板を見る。


 バカの剣のみゴルド対応。


 前世では、バカの剣は要相談。


 今世では、バカの剣のみゴルド対応。


 悪化しているのか。


 改善しているのか。


 判断に困る。


 セレスティアは、にこりと微笑んだ。


 弟子の顔が青ざめる。


「ゴルド親方はいらっしゃいますか?」


「な、中に」


「ありがとうございます」


 セレスティアは扉を開けた。


 鍛冶場の中は、すでに熱かった。


 剣炉には静かな火が残されている。


 昨日打たれた黒星の芯は、専用の台に置かれ、魔符で覆われていた。


 弟子たちは朝から忙しく動いている。


 炉の温度を確認する者。


 鉱石の在庫を調べる者。


 昨日の測定記録を写す者。


 水晶板を磨く者。


 その中心に、ゴルドがいた。


 いつものように不機嫌そうな顔で、羊皮紙に線を引いている。


 セレスティアは、静かに近づいた。


「ゴルド親方」


「あん?」


「鍛冶場の前の看板について、お尋ねしても?」


 ゴルドは顔を上げずに答えた。


「見たか」


「見ましたわ」


「なら説明はいらんな」


「いりますわ」


 ゴルドは鼻を鳴らした。


「前は、バカの剣は要相談だった」


「覚えておりますわ」


「今回は相談の余地がねぇ」


「どういう意味ですの?」


「お前の剣は、わし以外に触らせん」


 セレスティアは、一瞬言葉を失った。


 ゴルドは羊皮紙に線を引きながら続ける。


「弟子には手伝わせる。記録も取らせる。火も見させる。補助もさせる。だが、設計と最終判断は全部わしだ」


「それで、バカの剣のみゴルド対応、と」


「そうだ」


「バカという表記は必要ですの?」


「必要だ」


「なぜ」


「お前の注文がバカだからだ」


 セレスティアは眉を寄せた。


「今生のわたくしは、まだ注文を細かく出しておりませんわ」


「存在そのものが注文みたいなものだ」


「ひどいですわね」


「ハイエルフ王女で、前世は剣聖で、魔力で大剣を細かく制御し、黒星と閃白をもう一度造れと言ってくる。これをバカと言わず何と言う」


「努力家ですわ」


「物は言いようだな」


 鍛冶場の弟子たちが、必死に笑いを堪えていた。


 セレスティアは視線を向ける。


 弟子たちは慌てて作業に戻った。


 ゴルドは気にせず続ける。


「それに、看板を出しておかねぇと、面倒な客が来る」


「面倒な客?」


「昨日から噂になっている。ゴルドが剣炉に火を入れた。五十一年ぶりに剣を打つ。なら、うちの剣も打ってくれ。俺の剣も見てくれ。そういう馬鹿が来る」


「それは、親方がドワーフ一の鍛冶師だからでは?」


「だから面倒なんだ」


「看板で防げますの?」


「少なくとも、わしが対応する剣はバカの剣だけだと分かる」


「わたくしを防壁に使っておりませんか?」


「使っている」


「堂々と言いましたわね」


「隠す理由がねぇ」


 セレスティアは額に手を当てた。


 相変わらずである。


 前世でも、ゴルドはこうだった。


 無愛想。


 遠慮なし。


 口が悪い。


 だが、その言葉の奥にあるものは、いつも分かりにくい優しさだった。


 バカの剣のみゴルド対応。


 つまり、今のゴルドが自分で打つ剣は、セレスティアの黒星と閃白だけ。


 それ以外の依頼は受けない。


 五十一年ぶりに剣を打つ理由は、ただ一つ。


 セレスティアが戻ってきたから。


 看板は悪口のようでいて、宣言だった。


 セレスティアは、小さく息を吐いた。


「……仕方ありませんわね」


「何がだ」


「今回は許して差し上げます」


「許される筋合いもねぇ」


「少しは感謝してくださいませ」


「お前がまともな注文を出せば、看板もまともになる」


「今のところ、わたくしは黒星と閃白をお願いしただけですわ」


「それがまともじゃねぇ」


「失礼ですわ」


「事実だ」


 ゴルドは羊皮紙を丸め、作業台に置いた。


「飯は食ったか」


「はい」


「肉は」


「食べましたわ」


「卵は」


「食べました」


「豆は」


「食べました」


「よし」


「わたくしは子どもではありませんわ」


「五歳から大剣を振っていた奴は、食う量を見張らないと信用ならん」


「なぜですの?」


「剣のことを優先して飯を疎かにするからだ」


 セレスティアは、ほんの少し目を逸らした。


 前世の自分には、その傾向があった。


 遠征中、剣の調整に夢中になり、食事を後回しにしたこともある。


 ゴルドに怒鳴られた記憶もある。


「……覚えがありますわ」


「だろうな」


「今生では気をつけます」


「そうしろ」


 ゴルドは黒星の芯が置かれた台へ向かった。


 セレスティアも続く。


 昨日、荒く打たれた黒銀の芯。


 魔符の下で静かに休んでいる。


 表面はまだ粗い。


 形も整っていない。


 だが、近づくと分かる。


 そこには、セレスティアの魔力が薄く残っていた。


 剣炉を通して馴染ませた、今生の魔力。


 そして、アダマンタイトの奥にある重い気配。


 黒星の始まり。


 セレスティアは、自然と背筋を伸ばした。


 ゴルドが魔符を外す。


 黒星の芯が露わになる。


「昨日より落ち着いていますわね」


「分かるか」


「はい。魔力の揺れが少ないですわ」


「悪くない」


「最大級の褒め言葉ですの?」


「調子に乗るな」


 ゴルドは芯の表面に手をかざした。


 触れない。


 熱はもう落ちているが、素手で触るには早いらしい。


 セレスティアには、それが分かった。


 黒星の芯は、まだ眠っている。


 強引に起こすべきではない。


 ゴルドは言った。


「今日は芯を伸ばす前に、お前の受けを見せろ」


「受け?」


「昨日は斬る動きが中心だった。今日は受けて流す動きだ」


「黒星で、ですか」


「そうだ」


 ゴルドは木剣を指さした。


「黒星は攻める剣だ。だが、今のお前の黒星はそれだけじゃねぇ。守るためにも使う」


「昨日の三芯構造ですわね」


「ああ。中央は敵を砕く芯。左右は剣筋を支える芯。そして受けた力を逃がす芯でもある」


「分かりましたわ」


 セレスティアは木剣を手に取った。


 測定陣の中央に立つ。


 弟子たちが慌てて魔力測定具を用意する。


 昨日と同じ水晶板。


 銀線の腕輪。


 肩、肘、手首、腰、膝、足首へ装着される。


 若い弟子は、昨日より少し手際が良くなっていた。


 セレスティアは微笑んだ。


「慣れてきましたわね」


 弟子は顔を赤くした。


「あ、ありがとうございます」


「褒められている暇があるなら、位置を一寸上げろ」


 ゴルドが即座に言った。


「は、はい!」


 セレスティアは小さく笑った。


 ゴルドは相変わらずである。


 だが、弟子たちの顔は昨日より明るい。


 親方が剣を打つ。


 その事実が、鍛冶場全体に熱を与えている。


 ゴルドは、木製の訓練槌を持った。


 セレスティアは目を瞬かせる。


「親方が打ち込むのですか?」


「嫌か」


「まさか」


 セレスティアの口元が上がった。


「懐かしいですわ」


「前もやったな」


「はい。あの時は、親方が本気で打ち込んできました」


「お前が避けたからだ」


「避けてはいけませんでしたの?」


「受けを見せろと言っただろうが」


「反射で」


「だからバカなんだ」


「またバカと言いましたわね」


「看板にも書いた」


「そうでしたわね」


 弟子たちは、もう笑いを堪えきれずに肩を震わせていた。


 ゴルドは一瞥だけして、黙らせた。


「構えろ」


 空気が変わる。


 セレスティアは木剣を構えた。


 黒星を想定する。


 重い大剣。


 前へ出る剣。


 だが、今は受ける。


 ただ止めるのではない。


 受けて、流し、次へ繋げる。


 ゴルドが踏み込んだ。


 ドワーフの短い足からは想像できない鋭い踏み込みだった。


 訓練槌が横から飛んでくる。


 重い。


 速い。


 完全に鍛冶師の腕力で振られている。


 セレスティアは木剣を合わせた。


 受け止める瞬間、魔力を流す。


 刃筋をわずかに傾ける。


 衝撃を正面から受けず、木剣の面で滑らせる。


 足裏で大地を噛み、腰で逃がし、肩から手首へ力を戻す。


 木剣と訓練槌がぶつかった。


 鈍い音。


 だが、セレスティアの身体はほとんど揺れなかった。


 衝撃は横へ逃げた。


 次の瞬間、木剣の先が自然に返り、反撃の位置へ入っている。


 ゴルドの目が光った。


「もう一度」


 二撃目。


 今度は上から。


 セレスティアは受ける。


 重さを殺さず、軌道をずらす。


 三撃目。


 斜め下から。


 膝を緩め、足裏から力を逃がす。


 四撃目。


 急に間合いを詰める打ち込み。


 セレスティアは半歩だけ引き、木剣の腹で受け、魔力で軸を整える。


 水晶板に、細い光が複雑に走った。


 攻撃のときとは違う線。


 受けの魔力。


 流しの魔力。


 反撃へ繋げる魔力。


 ゴルドは低く唸った。


「やっぱり左右の芯が要るな」


「見えましたの?」


「見えた」


 ゴルドは訓練槌を下ろす。


「お前は受けた力を捨ててねぇ。半分は逃がし、半分は次の一撃へ回している」


「便利ですわ」


「便利で済ますなと昨日も言った」


「つい」


「だが、良い」


 ゴルドは水晶板を見た。


「前のお前なら、今の打ち込みは押し返していた」


「そうでしょうね」


「今のお前は流した」


「押し返すより、次が速いので」


「そうだ」


 ゴルドは羊皮紙に線を書き足す。


「黒星の左右の芯は、ただ支えるだけでは駄目だ。受けた魔力と衝撃を一度逃がし、返しで中央に戻す」


「できますの?」


「できるようにする」


「相変わらず頼もしいですわ」


「お前が面倒なだけだ」


「そこは否定しませんのね」


「しねぇ」


 ゴルドは弟子たちへ向かって言った。


「記録を取ったか」


「はい!」


「受けた瞬間の魔力の逃げ方を写せ。こいつの剣は、ただ硬くすればいいわけじゃねぇ。硬すぎれば衝撃が残る。柔らかすぎれば黒星じゃねぇ」


「はい!」


「硬く、重く、だが死んだ鉄にするな」


 弟子たちは真剣に頷いた。


 セレスティアは、その様子を見ていた。


 自分の剣が作られている。


 ゴルドだけではない。


 弟子たちも。


 古参の職人も。


 鍛冶場全体が黒星と閃白へ向かっている。


 五十一年眠っていた剣炉が、本当に動き出したのだ。


 そのとき、鍛冶場の外から声が聞こえた。


「ゴルド親方はいるか!」


 威勢の良い声だった。


 弟子の一人が顔をしかめる。


「また来た」


 ゴルドは不機嫌そうに眉を寄せた。


「誰だ」


「昨日の噂を聞いた剣士でしょう。朝から三人目です」


「追い返せ」


「看板を見ても入ってこようとします」


 セレスティアは、入口の方を見た。


 なるほど。


 看板の意味が分かった。


 ゴルドが剣を打つと聞けば、依頼人が来る。


 当然である。


 五十一年ぶりに、ドワーフ一の鍛冶師が剣炉に火を入れたのだ。


 剣士なら放っておけない。


 だが、ゴルドは一切受ける気がない。


 バカの剣のみゴルド対応。


 つまり、自分以外は対象外ということだ。


 外の声がさらに大きくなる。


「俺は王都で名の知れた剣士だ! 親方が剣を打つなら、ぜひ俺の剣も」


 ゴルドは、深いため息をついた。


 そして、セレスティアを見た。


「行け」


「わたくしがですか?」


「お前のせいでもある」


「理不尽ですわ」


「看板のバカ本人が説明した方が早い」


「その言い方はどうかと思いますわ」


「早くしろ」


 セレスティアは小さく息を吐いた。


「仕方ありませんわね」


 木剣を背負い直し、鍛冶場の外へ出る。


 入口前には、人間の剣士が立っていた。


 年は三十前後。


 立派な鎧。


 腰には華美な剣。


 腕に自信があるのだろう。


 背筋を伸ばし、胸を張っている。


 その隣には、困った顔の弟子がいた。


 剣士はセレスティアを見ると、目を見開いた。


「ハイエルフ?」


「はい」


「君は?」


「この看板のバカ本人ですわ」


 剣士は固まった。


 弟子が噴き出しかけて、必死に口を押さえた。


 セレスティアは、看板を指さした。


 バカの剣のみゴルド対応。


「ゴルド親方は、現在わたくしの剣を作っております」


「君の剣?」


「はい。黒星と閃白を」


 剣士の顔色が変わった。


 その名を知っていたのだろう。


「黒星と閃白だと? 剣聖セレスティアの?」


「はい」


「なぜ君がその名を」


「わたくしがセレスティアだからですわ」


 剣士は一瞬、理解できない顔をした。


 それから、困惑と疑念と警戒が入り混じった表情になる。


「何を言っている。剣聖セレスティアは五十年前に死んだはずだ」


「正確には、ゴルド親方と最後に会ったのが五十一年前ですわ」


「そういう話ではない」


「そういう話ですわ」


 セレスティアは微笑んだ。


「わたくしは、前世で剣聖セレスティアでした。今生では、ハイエルフ王家第1王女セレスティアです」


 剣士は黙った。


 おそらく、信じていない。


 当然である。


 いきなり転生した剣聖だと言われて、信じる方がおかしい。


 だが、セレスティアには説明に時間をかける気はなかった。


「ですので、ゴルド親方は今、わたくしの剣のみ対応しております」


「そんな馬鹿な話があるか」


「看板にも書いてありますわ」


「いや、その看板がおかしい」


「それは同感ですわ」


 剣士は苛立ったように言った。


「俺は本気で頼みに来た。金ならある。素材も用意できる。親方が剣を打つなら、俺にも」


「無理ですわ」


「なぜ君が決める」


 セレスティアは微笑みを消した。


 ほんの少しだけ、空気が変わった。


 剣士の肩が揺れる。


 セレスティアは静かに言った。


「ゴルド親方は、五十一年間剣を打ちませんでした」


「それは聞いた」


「それでも昨日、剣炉に火を入れました」


「ああ。だから俺は」


「理由は、前世のわたくしとの約束を果たすためです」


 剣士は言葉を止めた。


「これは名工の気まぐれではありません。営業再開でもありません。伝説の剣の量産でもありません」


 セレスティアは、看板へ視線を向けた。


「この看板は、ふざけているようでいて、ゴルド親方の宣言です」


「宣言?」


「ゴルド親方が自ら対応する剣は、今はわたくしの黒星と閃白のみ。それ以外の剣は、弟子の方々に相談してくださいませ」


 剣士は唇を噛んだ。


 納得はしていない。


 だが、セレスティアの声に含まれるものを感じ取ったのだろう。


 その場で怒鳴り続けるほど愚かではなかった。


「……君が、本当に剣聖セレスティアだという証は?」


 セレスティアは少し考えた。


 そして、背中の木剣を下ろした。


 剣士が警戒する。


 セレスティアは言った。


「証になるかは分かりませんが」


 木剣を構える。


 黒星ではない。


 ただの木剣。


 だが、構えた瞬間、剣士の顔つきが変わった。


 セレスティアは踏み込まない。


 斬らない。


 ただ、構えただけ。


 それでも、空気が重くなる。


 剣士の視線が、セレスティアの足から手へ、手から肩へ、肩から目へ移る。


 そして、青ざめた。


「……何だ、その構えは」


「大剣の構えですわ」


「隙がない」


「隙はありますわ。あなたが入れないだけです」


 剣士の喉が鳴った。


 セレスティアは、軽く木剣を動かした。


 ほんの少し。


 剣先が下がる。


 だが、その瞬間、剣士は半歩下がった。


 自分でも気づかないうちに。


 セレスティアは木剣を下ろした。


「今は、ここまででよろしいですか?」


 剣士は黙っていた。


 しばらくして、深く息を吐く。


「……分かった。今日は引く」


「ありがとうございます」


「だが、いつかその剣が完成したら、見せてもらいたい」


「機会があれば」


「君が本当に剣聖なら」


 剣士は真剣な顔で言った。


「その剣を見れば分かるはずだ」


 セレスティアは微笑んだ。


「ええ。剣は嘘をつきませんもの」


 剣士は一礼し、去っていった。


 入口の弟子が、ほっと息を吐く。


「ありがとうございます、姫様」


「構いませんわ」


「でも、すごかったです。構えただけで、あの剣士が下がりました」


「無理に退かせたわけではありませんわ」


「何をしたんですか?」


「少しだけ、斬れる線を置いただけです」


 弟子は意味が分からない顔をした。


 セレスティアは微笑んだ。


「そのうち分かりますわ」


 鍛冶場へ戻ると、ゴルドが腕を組んで待っていた。


「遅い」


「追い返して参りましたわ」


「斬ってねぇだろうな」


「斬っておりません」


「ならいい」


「わたくしを何だと思っていますの?」


「バカ」


「看板から離れてくださいませ」


 弟子たちが今度こそ笑った。


 ゴルドは怒鳴らなかった。


 ただ、黒星の芯へ向き直る。


「始めるぞ」


 鍛冶場の空気が再び引き締まった。


 セレスティアは測定陣へ戻る。


 ゴルドは黒星の芯を見下ろした。


「今日は受けの魔力を芯に入れる」


「わたくしも炉に魔力を?」


「ああ。昨日より細かく流せ」


「承知しましたわ」


「それと」


 ゴルドはちらりと入口の看板の方を見た。


「外の看板を倒すなよ」


「倒しませんわ」


「文句も言うな」


「言いますわ」


「言うのか」


「バカと書かれておりますので」


「事実だ」


「訂正を求めます」


「なら、注文をまともにしろ」


「黒星と閃白は必要ですわ」


「だからバカなんだ」


 セレスティアは、静かに微笑んだ。


「では、バカで結構ですわ」


 ゴルドの眉が動く。


 セレスティアは続けた。


「前世でも、今生でも、わたくしはあなたの剣を求めております。普通の剣では足りません。普通の鍛冶師でも足りません」


 そして、黒星の芯を見る。


「なら、バカの剣で構いませんわ」


 鍛冶場が静かになる。


 ゴルドは、ふん、と鼻を鳴らした。


「開き直りやがった」


「剣士ですもの」


「関係ねぇ」


 だが、ゴルドの口元はわずかに笑っていた。


「いいだろう。バカの剣を打ってやる」


「お願いしますわ」


「ただし、半端な剣にはしねぇ」


「当然ですわ」


「世界一面倒な大剣にしてやる」


「楽しみです」


「世界一面倒な両手剣もだ」


「もっと楽しみですわ」


「やっぱりバカだな」


「今さらですわ」


 剣炉の火が強められる。


 黒星の芯が、再び火に入る。


 赤い炎の奥に、白銀の魔力が揺れた。


 鍛冶場の外には、相変わらず看板が立っている。


 バカの剣のみゴルド対応。


 それは悪口で。


 宣言で。


 約束で。


 そして、五十一年ぶりに剣を打つ老鍛冶師が、ただ一人の剣士へ向けた不器用な信頼の証でもあった。


 セレスティアは炉の前に立つ。


 手をかざす。


 今生の魔力を、細く、深く、黒星の芯へ向けて流し込む。


 炉が唸った。


 ゴルドが大槌を握る。


「行くぞ、バカ姫」


「はい、頑固親方」


 火花が散った。


 今生の黒星は、昨日よりも深く、セレスティアの剣へ近づいていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ