表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神剣のセレスティア  作者: 玉響すばる


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

108/108

第97話 逆斬攻

 翌朝。


 邪神戦争記録所の中庭には、まだ夜明けの冷気が残っていた。


 石畳には、侵軍神バルガノスの軍勢が残した傷がある。


 第一防壁は仮補修されたばかりで、鉄杭には新しい鍛接跡が走っている。


 だが、記録所の扉は閉じていない。


 神殿ではない。


 祠でもない。


 祈りの場でもない。


 それでも、ここはこの世界の記憶を守る場所だった。


 セレスティアは、中庭の中央に立っていた。


 黒星。


 閃白。


 解白。


 三振りの神剣を携えている。


 腰には革袋。


 中には、ゴルド工房製セレスティア用保存食。


 王妃エルフィリアの食事包み。


 ミレーヌの声を封じた記録水晶。


 ルシェルが作った死者名簿短縮写し。


 そして、ゴルドから渡された看板片。


 バカ姫、帰ってこい。


 神具ではない。


 供物でもない。


 祈りでもない。


 だが、セレスティアにとっては、現世への錨だった。


 アウレリウス王は、記録所の石碑の前に立っていた。


 王妃エルフィリアは、最後の食事包みを確認している。


 ミレーヌは、死者名簿を抱えている。


 ルシェルは、逆斬攻記録と書かれた記録板を持っている。


 ゴルドとバルドは、簡易転移陣の縁を補強した鉄枠を点検していた。


 精霊術師たちは、封印地外縁の地脈と転移陣を接続する。


 海の民の水術師は、流れを安定させる。


 竜の谷の使いは、上空の歪みを見張っている。


 草原諸族の騎兵は、記録所外縁の警戒に出ている。


 誰も、セレスティアのために祈っていない。


 誰も、供物を置いていない。


 ただ、準備をしている。


 それでよかった。


 ルシェルが前に出た。


「姉上」


「はい」


「逆斬攻の目的を確認します」


「お願いします」


 ルシェルは記録板を読み上げた。


「目的一」


「この世界へ伸びた侵略経路の根を確認すること」


「はい」


「目的二」


「界盾神ガルディオンの盾のうち、この世界への侵略根を守る結び目を切断すること」


「はい」


「目的三」


「可能であれば、侵界神ヴァルゼオンの世界を拘束する上位存在の鎖について、観測すること」


「はい」


「ただし、目的三は観測に留める」


「はい」


「上位存在との交戦は行わない」


「はい」


「ヴァルゼオンの世界そのものを攻撃しない」


「はい」


「異界の民を裁かない」


「はい」


「滞在時間を最小限とし、現世との接続が薄れた場合は即時帰還」


「はい」


 ルシェルは、少しだけ声を低くした。


「姉上」


「はい」


「帰還条件を確認します」


「はい」


「一、食事の味が分からなくなる」


「はい」


「二、保存食の硬さが分からなくなる」


「はい」


「三、自分の名、家族、白樹の森、ゴルド工房、邪神戦争記録所のいずれかが遠く感じられる」


「はい」


「四、黒星、閃白、解白の声が遅れて聞こえる」


「はい」


「五、看板片の文字が読めなくなる」


「はい」


「以上のいずれかを感じた場合、任務を中止し帰還」


「承知しました」


 ゴルドが低く言った。


「追加だ」


 ルシェルが見る。


「何でしょう」


「調子に乗りそうになったら帰れ」


 セレスティアはゴルドを見た。


「親方」


「お前は、斬れると思うと斬りに行く」


「必要なら」


「それだ」


 ゴルドは腕を組んだ。


「必要かどうか分からねぇ時は帰れ」


 セレスティアは少し黙った。


 王妃エルフィリアも静かに言う。


「それも入れなさい」


 ルシェルは記録した。


「六、必要性の判断が曖昧になった場合、帰還」


 セレスティアは苦笑した。


「厳しいですね」


 王が答えた。


「必要だ」


「はい」


 ミレーヌが一歩前に出た。


「お姉様」


「はい」


「これを」


 ミレーヌは、小さな記録水晶を渡した。


 透明な水晶の中に、淡い光が揺れている。


「私の声を入れました」


「はい」


「死者名簿の言葉と、それから」


 ミレーヌは、少しだけ顔を赤くした。


「帰ってきてください、という言葉です」


 セレスティアは、水晶を受け取った。


「ありがとうございます」


「異界と異界の狭間で、もし声が遠くなったら」


「はい」


「聞いてください」


「必ず」


 ルシェルも、薄い金属板を渡した。


「死者名簿短縮写しです」


「はい」


「すべてではありません。ですが、未判明者欄と、忘却せずの誓いは入っています」


「ありがとうございます」


「姉上が持つべきものです」


 セレスティアは、それも革袋へ入れた。


 王妃エルフィリアは、最後に食事包みを差し出した。


「セレスティア」


「はい」


「食べること」


「はい」


「戻ること」


「はい」


「救えそうに見えるものを、全部救おうとしないこと」


 セレスティアは、母を見た。


「はい」


「あなたは剣神です」


「はい」


「ですが、万能の救済神ではありません」


「はい」


「あなたが帰ってこなければ、守れるものも守れなくなります」


 セレスティアは、深く頷いた。


「必ず帰ります」


 ゴルドは、看板片を指した。


「読め」


 セレスティアは懐から木片を出した。


 太い字が見える。


 バカ姫、帰ってこい。


 セレスティアは静かに読んだ。


「バカ姫、帰ってこい」


 ゴルドが頷いた。


「よし」


「親方」


「何だ」


「行ってきます」


「行くだけじゃねぇ」


「はい」


「帰ってこい」


「はい」


 転移陣が起動した。


 白樹の森の精霊術。


 人間王国の空間術。


 海の民の流転術。


 グランガルドの鉄枠。


 竜の谷の上空固定。


 草原諸族の方位結び。


 すべてが重なり、灰色の裂け目へ向かう道が開かれる。


 祈りではない。


 神事でもない。


 現世の技術と記録と経験が組み合わされた、逆斬攻のための道だった。


 解白が淡く告げる。


『経路安定。滞在可能時間、不明。帰還路、現時点では維持』


 黒星が低く鳴った。


『行くぞ』


 閃白が澄んだ。


『濁りと境界の乱れ、確認します』


 セレスティアは、最後に全員を見た。


 王。


 王妃。


 ミレーヌ。


 ルシェル。


 ゴルド。


 バルド。


 記録官たち。


 保全官たち。


 剣士たち。


 工匠兵たち。


 水術師。


 精霊術師。


 竜の使い。


 この世界の者たち。


 セレスティアは、静かに頭を下げた。


 祈らない。


 祀られない。


 ただ、行って帰る。


「行ってまいります」


 光が包んだ。


 次の瞬間、セレスティアは世界の外へ出た。


 そこは、空ではなかった。


 地でもなかった。


 海でもなかった。


 風はある。


 だが、風ではない。


 足元はある。


 だが、大地ではない。


 上下の感覚が曖昧で、遠くに見えるものが近く、近くにあるものが遠い。


 色は、灰と白と黒の間を揺れていた。


 異界と異界の狭間。


 世界泡と世界泡の間。


 そこには、無数の残骸が漂っていた。


 割れた塔。


 海の断片。


 空に浮く森。


 逆さになった都市。


 文字の消えた石碑。


 巨大な魚の骨。


 どこかの世界の太陽だったもの。


 星の殻。


 それらが、静かに漂っている。


 セレスティアは息を吸った。


 空気ではないものが、肺に入る感覚がある。


 すぐに違和感を覚えた。


 この場所に長くいてはいけない。


 現世の感覚が薄くなる。


 黒星が低く鳴った。


『気を張れ』


「はい」


 閃白が澄む。


『この場所そのものが濁りではありません。しかし、理が混ざっています』


「はい」


 解白が淡く光った。


『前方、界盾神ガルディオン』


 セレスティアは顔を上げた。


 そこに、盾があった。


 巨大。


 あまりにも巨大。


 山を超え、海を覆い、世界泡の一面を塞ぐような盾。


 盾の表面には、無数の世界片が重なっている。


 割れた大地。


 凍った海。


 赤い森。


 黒い砂漠。


 金属の雲。


 白い石碑。


 青い炎の都市壁。


 そして、百年前の邪神座跡と同じ異界紋。


 それらが、盾の一部として縫い込まれていた。


 盾の中心には、神の顔があった。


 目は閉じている。


 口も閉じている。


 ただ、守っている。


 界盾神ガルディオン。


 攻める神ではない。


 侵界神ヴァルゼオンの世界を守る盾の神。


 その声が、狭間に響いた。


『剣神セレスティア』


 セレスティアは静かに答えた。


「界盾神ガルディオン」


『戻れ』


「戻るために来ました」


『ならば、今戻れ』


「それはできません」


『我が盾の奥へは行かせぬ』


「あなたの盾のすべてを壊すつもりはありません」


『同じことだ』


「違います」


 ガルディオンの巨大な目が、ゆっくり開いた。


 その瞳には、複数の世界の色が混じっていた。


 守る神。


 だが、守っているものが歪んでいる。


『我は守る』


「はい」


『我が主の世界を』


「はい」


『徴収より』


「はい」


『崩壊より』


「はい」


『異界より』


 セレスティアは、静かに言った。


「そして、侵略経路も守っている」


 ガルディオンは沈黙した。


「あなたの盾は、ヴァルゼオンの世界だけを守っていません」


「この世界へ伸びた侵略の根も守っています」


「上位存在への献上路も守っています」


「他の世界から奪った世界片も、盾に組み込んでいる」


 ガルディオンの盾が低く震えた。


『守らねば、主の世界は死ぬ』


「だから、他の世界を盾にしますか」


『盾とは、何かを守るために何かを受けるもの』


「奪った世界片を盾にすることは、守護ではありません」


『小さき現世神よ』


「はい」


『お前に分かるか』


「分からないことは多いです」


『我が主は、世界を守ろうとした』


「はい」


『上位の徴収者に抗った』


「はい」


『敗れた』


「はい」


『それでも、世界を死なせぬため、他世界を融合した』


「はい」


『我は、その決断を守る盾』


 セレスティアは、盾に組み込まれた無数の世界片を見た。


 そこに刻まれていたかもしれない名。


 そこにあったかもしれない食卓。


 そこで眠っていたかもしれない死者。


 それらが、今は盾の表面になっている。


 セレスティアは、声を低くした。


「その決断は、他世界にとって侵略です」


『生き残るためだ』


「それでもです」


『では、主の世界に死ねと言うか』


「いいえ」


『ならば道を開け』


「開けません」


『矛盾だ』


「違います」


 セレスティアは黒星に手を置いた。


「わたくしは、ヴァルゼオンの世界を滅ぼしに来たのではありません」


『ならば』


「この世界へ伸びた侵略の根を斬りに来ました」


『それを斬れば、主の延命は削れる』


「この世界を献上物にしないためです」


『それで主の世界が死に近づけば』


「それでも、この世界を差し出す理由にはなりません」


 ガルディオンの目がさらに開く。


『剣神』


「はい」


『お前は冷たい』


「そうかもしれません」


『救えるかもしれぬ世界を、見捨てるのか』


 セレスティアは、少しだけ目を伏せた。


 その言葉は刺さる。


 だが、王妃の言葉を思い出す。


 あなたは万能の救済神ではありません。


 できることと、すべきことを混同してはなりません。


 ゴルドの言葉も思い出す。


 他の世界まで背負うなよ。


 セレスティアは、懐の看板片に触れた。


 バカ姫、帰ってこい。


 それは、背負いすぎるなという命令でもあった。


 セレスティアは、顔を上げた。


「わたくしは、すべての世界を救う神ではありません」


『では』


「この世界を守る現世神です」


『狭い神だ』


「はい」


「ですが、その狭さを失えば、わたくしはこの世界へ帰れなくなります」


 黒星が低く鳴った。


『それでいい』


 閃白が澄む。


『守る範囲を見失わないことは、濁りではありません』


 解白が淡く告げる。


『斬るべき結び目、確認』


 セレスティアは、解白を見る。


「言いなさい」


『ガルディオン盾の三層構造』


「はい」


『一、ヴァルゼオン世界本体防護。斬らない』


「はい」


『二、上位存在への献上路防護。観測のみ』


「はい」


『三、この世界へ伸びた侵略根防護。切断対象』


「そこだけを斬ります」


『はい』


 ガルディオンの盾が震える。


『そこを斬れば、主の計画は崩れる』


「この世界を融合素材にする計画なら、崩します」


『主はまた徴収される』


「その鎖の一筋が見えれば、斬れるかもしれません」


『傲慢だ』


「そうかもしれません」


『上位存在に届くと思うか』


「届かないかもしれません」


『ならば』


「ですが、この世界を差し出すことは認めません」


 セレスティアは黒星を抜いた。


 異界と異界の狭間に、黒い刃が現れる。


 空気ではないものが沈む。


 ガルディオンの盾が、その刃を警戒して低く鳴った。


 次に、閃白を抜く。


 白い刃が、盾に絡みつく異界の濁りを照らす。


 最後に、解白が背から浮かび、無数の結び目を明らかにした。


 盾は巨大だ。


 全てを斬る必要はない。


 むしろ、斬ってはならない。


 ヴァルゼオンの世界そのものを防護する層。


 上位存在への献上路を覆う層。


 侵略根を守る層。


 そのうち、狙うべき一点は細い。


 だが、ある。


 この世界へ向かって伸びる、灰色の根。


 その根を覆う盾の留め金。


 そこだけを斬る。


 ガルディオンが動いた。


 盾が広がる。


 狭間全体が壁になる。


 前も後ろも、右も左も、盾。


 セレスティアの視界から、この世界への帰路が一瞬薄くなった。


 その瞬間、革袋の中の記録水晶が光った。


 ミレーヌの声が聞こえた。


『氏名未判明』


『探索継続対象』


『忘却せず』


『お姉様、帰ってきてください』


 セレスティアは息を吸った。


 現世の声だった。


 帰路が戻る。


 黒星が低く鳴る。


『見失うな』


「はい」


 ガルディオンの盾が迫る。


 圧力ではない。


 防御そのものが押し寄せてくる。


 斬る場所を間違えれば、盾全体を傷つける。


 盾全体を傷つければ、ヴァルゼオンの世界本体に影響する。


 それは避けなければならない。


 セレスティアは、解白の示す一点だけを見た。


 黒星で盾の圧を押さえる。


 重い。


 邪神のような濁りではない。


 守るための重さ。


 だが、その守りが侵略を守っている。


 閃白が、留め金に絡む濁りを祓う。


 解白が、一瞬だけ細い線を示す。


『今』


 セレスティアは、踏み込んだ。


「界盾神ガルディオン」


 刃を振る。


「あなたの守護すべてを否定しません」


 黒星が圧を受ける。


「ヴァルゼオンの世界を守ろうとすることも」


 閃白が濁りを祓う。


「その民を守ろうとすることも」


 解白が結び目を照らす。


「ですが」


 セレスティアの剣筋が、一点を通った。


「この世界へ伸びた侵略の根を守る盾の役目だけは」


 刃が、留め金を斬った。


「終わりなさい」


 音はなかった。


 だが、盾の一部が外れた。


 巨大な盾全体が壊れたわけではない。


 ヴァルゼオンの世界本体を守る層は残っている。


 上位存在への献上路も、まだ完全には見えない。


 だが、この世界へ伸びていた灰色の侵略根を覆う盾だけが剥がれた。


 その奥に、根が見えた。


 太い。


 黒灰色。


 世界泡の境界を貫き、この世界へ伸びていた侵略経路。


 白界神レギオンが開いた道。


 侵軍神バルガノスが通った道。


 それを守っていたガルディオンの盾が、今、外れた。


 ガルディオンが、初めて呻いた。


『斬ったか』


「はい」


『我が盾を』


「すべてではありません」


『なぜ』


 その声には、怒りよりも困惑があった。


『なぜ、我が主の世界を斬らぬ』


「斬る理由がないからです」


『侵略神の世界だ』


「そこに民がいるかもしれません」


『……』


「死者がいるかもしれません」


『……』


「食卓があるかもしれません」


『食卓』


「はい」


「わたくしは、あなた方の世界を滅ぼしに来たのではありません」


 ガルディオンは沈黙した。


 盾の表面に組み込まれた世界片が、わずかに揺れる。


 その一つ。


 百年前の邪神の世界の紋が、かすかに光った。


 セレスティアはそれを見た。


「邪神の世界も、あなた方の盾にありますね」


『敗れた世界だ』


「奪われた世界です」


『我が主が融合した』


「そして、その神は追放され、この世界へ流れ着いた」


『そうだ』


「その神は、この世界を侵した」


『弱い神だった』


「いいえ」


 セレスティアの声は静かだった。


「奪われた神でした」


『同じことだ』


「違います」


「奪われたことは、別の誰かから奪ってよい理由にはなりません」


『ならば、ヴァルゼオンも同じか』


「はい」


 ガルディオンの目が、わずかに揺れた。


「ヴァルゼオンが上位存在に削られているとしても」


「その世界を守ろうとしているとしても」


「この世界を素材にしてよい理由にはなりません」


『……』


「ですが」


 セレスティアは、盾の奥に伸びる黒い鎖を見た。


「もし、その鎖の一筋に届くなら」


『やめろ』


 ガルディオンの声が鋭くなった。


『そこへは触れるな』


「上位存在への徴収鎖ですね」


『それは我が主の世界を繋ぐものでもある』


「削るものでもある」


『斬れば、均衡が崩れる』


「分かっています」


『分かっていない』


 ガルディオンの盾が再び震えた。


『お前は、この世界の神だ』


「はい」


『我が主の世界の痛みを知らぬ』


「知りません」


『ならば触れるな』


「はい」


 セレスティアは、黒い鎖から目を離した。


「今日は触れません」


 ガルディオンは、少しだけ沈黙した。


「ですが、見ました」


『……』


「あなた方が何に縛られているのか」


『見るな』


「見ました」


『記録するな』


「記録します」


 ガルディオンの盾が大きく震えた。


 だが、セレスティアは退かない。


「記録することは、攻撃ではありません」


『我が主にとっては、弱点を晒すことだ』


「弱点ではなく、事実です」


『同じだ』


「違います」


 セレスティアは、懐の死者名簿短縮写しに触れた。


「この世界は、記録します」


「罪も」


「痛みも」


「奪われたことも」


「奪ったことも」


「あなた方が上位存在に縛られていることも」


「そして、この世界を侵略したことも」


 ガルディオンは、長く沈黙した。


 その沈黙の間に、解白が淡く告げる。


『侵略根、切断可能』


 セレスティアは頷いた。


「では、斬ります」


『はい』


 ガルディオンが再び盾を動かそうとする。


 だが、セレスティアは言った。


「ガルディオン」


『何だ』


「あなたの盾は、ヴァルゼオンの世界本体を守っていてください」


『……』


「この根は、あなたが守るべきものではありません」


『主の延命に必要だ』


「他世界を奪う延命なら、終わらせます」


 セレスティアは、黒星を構えた。


 侵略根は太い。


 だが、解白が結び目を示している。


 この世界へ伸びる根の付け根。


 ヴァルゼオンの世界本体ではない。


 上位存在への鎖でもない。


 この世界を融合素材として掴むための根。


 そこだけを斬る。


 セレスティアは踏み込んだ。


 狭間が揺れる。


 黒星が根の圧を押さえる。


 閃白が根に絡む異界の理を祓う。


 解白が付け根を示す。


 根の奥から、声がした。


 まだ姿は見えない。


 だが、その声は深く、遠く、疲れていた。


『斬るのか』


 セレスティアは、動きを止めない。


「あなたが、侵界神ヴァルゼオンですね」


『この根を斬れば、我が世界の延命は削れる』


「この世界を素材にはさせません」


『我が世界は、徴収され続けている』


「はい」


『上位のものに抗えぬ』


「はい」


『他世界を融合せねば、我が民は死ぬ』


「それでも」


 セレスティアは、刃を振り上げた。


「この世界を差し出す理由にはなりません」


『冷たい神だ』


「この世界の神です」


 ヴァルゼオンの声は、沈黙した。


 そして、低く言った。


『ならば来い』


「はい」


『根を斬り、我が盾を越えたなら』


「はい」


『我と対峙せよ』


「そのために来ました」


 セレスティアの刃が下りる。


「この世界へ伸びた侵略の根よ」


 黒星が重さを断つ。


「終わりなさい」


 閃白が濁りを祓う。


「この世界は、あなたの献上物ではありません」


 解白が結び目を開く。


「この世界は、この世界として在ります」


 刃が、根の付け根を通った。


 今度は音があった。


 世界泡の膜が、低く鳴った。


 遠い鐘のような音。


 侵略根が切れた。


 灰色の根が、崩れていく。


 この世界へ伸びていた経路が、狭間の中でほどけていく。


 同時に、セレスティアの背後に、現世への帰路が開いた。


 だが、その向こうではなく、前方に別の道も開いた。


 盾の奥。


 ヴァルゼオンの世界へ向かう道。


 ガルディオンは、盾を下ろさなかった。


 だが、今はセレスティアを阻まなかった。


『行くのか』


「はい」


『我が主を斬るのか』


「分かりません」


『何』


「斬るべきものを見ます」


『……』


「ヴァルゼオンの世界を滅ぼす気はありません」


『信じられぬ』


「それでも、そう言います」


 ガルディオンは、長く沈黙した。


 やがて、盾の一部がわずかに開いた。


 通れるほどではない。


 だが、解白が淡く光る。


『通路形成。短時間のみ』


 セレスティアは、ガルディオンを見た。


「ありがとうございます」


『礼ではない』


「はい」


『見届けるだけだ』


「それでも」


『行け』


 セレスティアは、一歩踏み出した。


 その瞬間、革袋の中の保存食がわずかに音を立てた。


 現世の匂いが、ほんの少しだけした。


 セレスティアは立ち止まり、保存食を一枚取り出した。


 噛む。


 硬い。


 まだ分かる。


「硬いですが、美味しいです」


 黒星が低く笑ったように鳴った。


『帰れるな』


「はい」


 閃白が澄む。


『現世との繋がり、維持』


 解白が淡く告げる。


『滞在継続可能。ただし短時間推奨』


 セレスティアは、保存食を飲み込んだ。


 そして、盾の奥へ進む。


 異界と異界の狭間の先。


 侵界神ヴァルゼオンの世界へ。


 その背後で、界盾神ガルディオンの盾は、静かに閉じ始めた。


 ただし、完全には閉じなかった。


 帰り道を、ほんの少しだけ残すように。


 ガルディオンの声が、最後に響いた。


『剣神セレスティア』


「はい」


『我が主の世界を、見るがよい』


「はい」


『そして、それでも斬ると言うなら』


「はい」


『我は、それを記録しよう』


 セレスティアは振り返らなかった。


「記録してください」


 そして、進んだ。


 ヴァルゼオンの世界へ。


 この世界を献上物にしないために。


 奪われた者が奪う者になる連鎖を、断つために。


 そして、必ず帰るために。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ