表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神剣のセレスティア  作者: 玉響すばる


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/108

第1話 白樹の森の大剣姫

 セレスティア・リュミエール・アルヴァレインは、白樹の森に生まれたハイエルフ王家の第1王女である。


 銀糸のような髪。


 白磁の肌。


 翠玉の瞳。


 精霊に愛され、花に祝福され、白樹の民すべてから慈しまれる王女。


 本来ならば、彼女は森の奥深くで詩を学び、魔法を学び、礼法を学び、やがて王家の姫として気高く穏やかに生きるはずだった。


 だが、五歳の春。


 セレスティアは思い出した。


 自分がかつて、人間であったことを。


 人間の公爵令嬢であったことを。


 そして、王国最強の剣聖と呼ばれた女であったことを。


 名は、セレスティア。


 奇しくも、今生と同じ名だった。


 前世のセレスティアは、大剣を背負っていた。


 左腰には、両手剣を差していた。


 背の大剣の名は、黒星。


 アダマンタイトで打たれた、重く、黒く、星を落とすような大剣。


 左腰の両手剣の名は、閃白。


 オリハルコンで打たれた、白い閃光のような両手剣。


 その二振りを打ったのは、ドワーフ一の鍛冶師、ゴルド・ガルガンド。


 頑固で。


 口が悪く。


 愛想がなく。


 そして、誰よりもセレスティアの剣を理解した鍛冶師だった。


 前世のセレスティアは、公爵令嬢として舞踏会にも出た。


 王宮にも上がった。


 礼法も、政治も、貴族の駆け引きも知っていた。


 けれど、彼女が最も長く共に過ごしたのは、絹の扇でも、宝石の首飾りでもない。


 黒星。


 そして、閃白。


 その二振りだった。


 五歳のセレスティアは、寝台の上で目を覚ました。


 白樹の枝で作られた天蓋。


 薄絹の帳。


 窓辺に舞う淡い光の精霊。


 それらを見つめながら、彼女はしばらく動けなかった。


 頭の中に、知らないはずの記憶があった。


 石造りの城。


 人間の王都。


 血の匂い。


 鋼の重み。


 槌の音。


 竜の咆哮。


 邪神の影。


 そして、炉の前で怒鳴る老いたドワーフの顔。


 セレスティアは、小さな手を見つめた。


 白く、細く、柔らかい手。


 剣を握るには、あまりにも幼い手。


 前世の手ではない。


 だが、魂の奥に残っていた。


 柄を握る感覚。


 剣を振る感覚。


 踏み込む感覚。


 斬る瞬間の呼吸。


 セレスティアは、ぽつりと呟いた。


「……わたくし、剣聖でしたのね」


 侍女は、最初それを子どもの夢だと思った。


 だが、セレスティアはその日から変わった。


 詩を学ぶ。


 礼法も学ぶ。


 精霊魔法も学ぶ。


 王族として必要な教育は、何一つ怠らなかった。


 むしろ、完璧にこなした。


 だが、それ以上に剣を求めた。


 木の枝を拾い。


 細い訓練剣を握り。


 庭の隅で、何度も素振りをした。


 最初は、ただの遊びに見えた。


 王女が兵士の真似をしている。


 周囲の者は、そう思った。


 だが、違った。


 セレスティアの動きには、子どもの遊びにはないものがあった。


 踏み込み。


 間合い。


 重心。


 呼吸。


 剣を振る前に、すでに相手を斬る位置へ身体を置こうとする感覚。


 五歳児の身体では、前世の技は再現できない。


 筋力が足りない。


 骨格も違う。


 腕の長さも、脚の使い方も、魔力の流れも違う。


 けれど、セレスティアは諦めなかった。


 思い出した技を、そのままなぞろうとはしなかった。


 今の身体で、どう振ればいいか。


 今の魔力で、どう支えればいいか。


 今の自分が、どうすれば前世の自分へ届くのか。


 幼いながらに考え続けた。


 ハイエルフにとって、前世の記憶は忌むべきものではない。


 エルフは輪廻の輪に生きている。


 長き命を終え、魂はまた巡る。


 人に生まれることもある。


 獣に生まれることもある。


 再びエルフとして生まれることもある。


 だから、セレスティアが前世を思い出したこと自体は、不吉ではなかった。


 王宮の賢者たちも、巫女たちも、静かに頷いた。


「姫様の魂は、かつて人の世を歩まれたのでしょう」


「それもまた、輪廻の一つです」


「記憶は不完全なもの。焦らず、今生をお生きください」


 問題は、前世のセレスティアがあまりにも武人すぎたことだった。


 王女は、花を愛でる。


 王女は、詩を読む。


 王女は、精霊と語らう。


 それらは、たしかにセレスティアも好んだ。


 だが、彼女はその後に剣を振った。


 朝に振り。


 昼に振り。


 夜に振った。


 木剣を握り、足を運び、呼吸を整え、前世の感覚を一つずつ今生の身体に落とし込んでいく。


 侍女たちは困惑した。


 近衛兵たちは青ざめた。


 王と王妃は、何度も頭を抱えた。


 白樹の森の者たちは噂した。


「王女殿下は、前世で人間だったらしい」


「しかも、剣聖だったそうだ」


「剣聖とは、詩人の称号か」


「いや、剣で竜を斬る者らしい」


「なぜ王女殿下が竜を斬る必要があるのだ」


「分からぬ」


 分からぬまま、年月は過ぎた。


 セレスティアは成長した。


 エルフは十六歳になると、成人と同じ容姿になる。


 そして、その姿のまま老化が止まる。


 十六歳を迎えたセレスティアは、白樹の森の誰もが息を呑むほど美しい姫となった。


 銀糸の髪は腰まで流れ。


 翠玉の瞳は深く澄み。


 立ち姿は、森の白樹そのもののように気高かった。


 だが、その手には剣があった。


 細剣ではない。


 儀礼剣でもない。


 庭の奥で、王女専用として作らせた巨大な木剣である。


 普通の兵士なら、持ち上げるだけで息を切らすような代物だった。


 セレスティアは、それを背に負った。


 そして、涼しい顔で振った。


 前世の剣聖セレスティアは、力と技と勘で剣を極めた。


 人間の身体で。


 人間の魔力で。


 人間の限界の中で、無理やり頂点へ届かせた。


 だが、今生のセレスティアはハイエルフだった。


 身体はしなやかで、魔力の通りが異常なほど良い。


 精霊との親和性も高い。


 筋力だけで剣を振る必要はなかった。


 魔力で重心を読む。


 魔力で刃筋を支える。


 踏み込みの瞬間、身体の軸を整える。


 振り終わりの反動を殺し、次の動作へ繋げる。


 最初は、前世の技を取り戻すためだった。


 だが、いつしか違っていた。


 セレスティアは、前世の自分をなぞっているだけではなかった。


 ハイエルフの身体と魔法を使い、前世の剣をさらに緻密に作り替えていた。


 大剣は、力で振るものではない。


 重さと共に動くもの。


 両手剣は、速さだけで斬るものではない。


 魔力と刃筋を重ね、斬るべき線へ置くもの。


 その理解は、年を追うごとに深まっていった。


 十八歳の春。


 セレスティアは、白樹の王宮にある訓練庭で木剣を振っていた。


 近衛兵たちが遠巻きに見守っている。


 誰も近づかない。


 近づけない。


 セレスティアの木剣は、空気を裂いていた。


 重いはずの木剣が、しなやかに動く。


 振り下ろす。


 止める。


 返す。


 踏み込む。


 身を引く。


 魔力が細い糸のように剣へ絡み、軌道を整えている。


 荒々しいのに、精密。


 重いのに、速い。


 優雅なのに、剣としてはあまりにも実戦的。


 訓練を見ていた王宮剣士長が、思わず呟いた。


「……あれは、もはや剣舞ではない」


 隣の兵が尋ねた。


「では、何です」


「戦場の剣だ」


 セレスティアは木剣を止めた。


 額に薄く汗が浮かんでいる。


 呼吸は乱れていない。


 だが、胸の奥には、どうしようもない渇きがあった。


 木剣では足りない。


 王家の訓練剣では足りない。


 白樹の森にある細剣では足りない。


 今の自分に合う剣が必要だった。


 ただの剣ではない。


 自分の魔力制御に応えられる剣。


 大剣でありながら、緻密な制御に耐える剣。


 両手剣でありながら、魔力導線の微細な流れに応じる剣。


 そんな剣を打てる者を、セレスティアは一人しか知らない。


 ゴルド・ガルガンド。


 前世の自分に、黒星と閃白を打ったドワーフ。


 前世の最期は、まだ完全には思い出せない。


 邪神へ挑んだことは覚えている。


 黒星を背負い、閃白を腰に差し、ゴルドの鍛冶場を出たことも覚えている。


 そのとき、ゴルドに言われた。


 死ぬな、と。


 自分は笑って答えた。


「あなたの作った剣がある限り、死ぬつもりはないわ」


 そして、続けた。


「ただ、もし死んでしまったら」


 ゴルドは怒った。


 縁起でもないことを言うな、と。


 それでも、前世のセレスティアは言った。


 エルフ神話には、輪廻転生というものがあるのでしょう、と。


 もし魂が巡るのなら、必ず生まれ変わって、ゴルド親方のところへ行く。


 そして、もう一度頼む。


 黒星と閃白を造ってください、と。


 そこまでは、覚えている。


 その後は、霞んでいる。


 邪神との戦い。


 黒い空。


 砕ける大地。


 血の味。


 折れた何か。


 叫び声。


 自分がどう死んだのかは、まだ思い出せない。


 けれど、約束は覚えている。


 ならば、行かなければならない。


 セレスティアは木剣を背負った。


 その夜。


 王宮の自室で、旅装を整えた。


 白銀の髪を一つに束ねる。


 王女の衣ではなく、動きやすい外套を羽織る。


 魔法具を腰に下げる。


 金貨を袋に詰める。


 地図を畳む。


 そして、長年使い込んだ巨大な木剣を背負った。


 侍女が青ざめた。


「姫様。まさか、本当にお出になられるのですか」


 セレスティアは微笑んだ。


 森の花が開くような、優雅な笑みだった。


「ええ」


「どちらへ」


「ドワーフの鍛冶町グランガルドへ」


「なぜでございますか」


「ゴルド親方に、剣を造っていただくためです」


 侍女は絶句した。


 セレスティアは窓の外を見た。


 白樹の森の先。


 そのさらに向こう。


 前世で歩いたはずの道がある。


 前世で笑った者たちがいた。


 前世で剣を振った戦場があった。


 そして、前世の自分に剣を打ってくれた頑固なドワーフがいた。


 生きているかは分からない。


 ドワーフは長命だが、ハイエルフほどではない。


 それでも、確かめずにはいられなかった。


 セレスティアは、胸に手を当てる。


 そこには今も、前世の重みが残っている。


 背に黒星を負っていた感覚。


 左腰に閃白があった安心感。


 あの二振りがなければ、自分はまだ完成していない。


 そんな気がしてならなかった。


「わたくしには、剣が必要です」


 侍女が震える声で言った。


「王女殿下には、王家の細剣がございます」


 セレスティアは、壁に掛けられた美しい儀礼剣を見た。


 細く、軽く、宝石で飾られた王族の剣。


 美術品としては見事だった。


 だが、武器として見れば、あまりにも軽い。


 そして、今の自分の魔力制御には耐えられない。


 セレスティアは困ったように笑った。


「軽すぎますわ」


 その一言で、侍女はすべてを察した。


 この王女は止まらない。


 白樹の森が育てた姫でありながら、その魂は剣の道に焦がれている。


 侍女は泣きそうな顔で尋ねた。


「陛下と王妃様には、何と」


「置き手紙を書いておきました」


「それは家出でございます」


「旅ですわ」


「同じでございます」


「では、王女としての視察も兼ねますわ」


「詭弁でございます」


「剣士は多少の詭弁を使うものです」


「王女殿下でございます」


「剣士でもありますわ」


 侍女は額に手を当てた。


 止められない。


 幼い頃から仕えてきたから分かる。


 セレスティアは、こうと決めたら止まらない。


 王族としての責務を捨てる姫ではない。


 民を軽んじる姫でもない。


 だが、剣に関してだけは、どうしようもなく頑固だった。


 侍女は小さく息を吐いた。


「せめて護衛を」


「目立ちますわ」


「姫様お一人の方が目立ちます」


「それもそうですわね」


「では」


「ですが、今回は一人で行きます」


「なぜですか」


 セレスティアは少しだけ目を伏せた。


「前世の約束を果たしに行くのです。これは、わたくし自身で行かなければなりません」


 侍女は黙った。


 その言葉には、王女の我が儘ではない重みがあった。


 前世。


 約束。


 輪廻。


 侍女には、すべてを理解することはできない。


 だが、セレスティアの目が本気であることだけは分かった。


 セレスティアは窓を開けた。


 夜風が銀髪を揺らす。


 森の精霊たちがざわめいた。


 王女が森を出る。


 それは、白樹の森にとって小さな事件だった。


 だが、世界にとっては違う。


 一万年を生きるハイエルフの王女。


 前世は人間の剣聖。


 その少女が、再び大剣を求めて旅に出る。


 それは後に、諸国の王を巻き込み、竜を斬り、神剣を生み、世界の歴史に名を刻む旅の始まりだった。


 セレスティアは、最後に白樹の森を振り返った。


 月光に照らされた森は美しかった。


 静かで、清らかで、優しい。


 けれど、セレスティアの胸には、炉の火の記憶があった。


 鉄を焼く匂い。


 槌の音。


 怒鳴るドワーフの声。


 そして、黒星と閃白の重み。


 セレスティアは小さく呟いた。


「待っていてくださいませ、ゴルド親方。今度も、わたくしの剣を造っていただきますわ」


 そうして、ハイエルフ王家第1王女セレスティアは、白樹の森を出た。


 背にあるのは木剣。


 胸にあるのは前世の記憶。


 目指すは、ドワーフの鍛冶町グランガルド。


 そして、五十一年前に交わした約束。


 黒星。


 閃白。


 剣聖セレスティアの二振りを、今生のセレスティアの剣として、もう一度造ってもらうために。


 セレスティアの旅は、ここから始まった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ