おとといは何の日だったか胸に手を当てて考えてみろ
バレンタインモノ小咄です。
「有紀、お前俺になにか渡すものがないか?」
「へ、あ? はい……?」
私は居間のソファーでテレビを見ながら、せんべいをバリボリかじっていた……ら突然の訪問者。
いつものことながら偉そうにラグは不機嫌で、私がそんな彼を機嫌取りをせずに、放置するのもいつもの事。
だったけど、今日は何だか一味違っていた。
(私をガン見してる! じっとりと)
「そんなにせんべいが食べたかったのなら別に遠慮しないで食べればいいじゃん」
「…………」
「違う、茶色くて、黒くて、硬くて、基本的には四角いものだ」
「え、あー。もしかして、これ?」
そういわれて、私は海苔せんべいを探し、ラグに渡す。
向こうのオシャレ洋風な世界にはせんべいなんて和風テイストなものないだろうから、なんて言っていいかわからないんだろうな。有紀はそう思った。
ぱちくりとした金色のまつ毛に彩られた蒼い瞳。それがすぐに不満げに曇る。
「…………」
「え、これじゃなかった? あ、もしかして海苔の面積が少ないのが不満……」
「お前……いや、いい」
「ちょっと、何か言いかけてやめる癖やめなさいよね! すっごく感じ悪いんですけどー」
「感じ悪いのは、お前だ」
「はぁ? 何言ってんのせんべいを分けてあげる優しい私に向かって! それに物を貰って有難うの一つも無いアンタのほうが酷いじゃない」
「……わかった、これでいい」
「分かればいいのよ、うちにはほかにお菓子はありません!」
「そうか」
ラグはバリボリとせんべいを食べ始めると、室内に二人のせんべいを齧る音がひたすら響き渡った。
「えーっと、有紀さん本当に気づいてなくてスルーなんですかね」
「た、多分?」
この雰囲気にいたたまれなくなって、居間からキッチンに逃げ込んだアエジスは、対面型キッチンで皿洗いをしていた優美にこそっと耳打ちする。
色々あって、優美とアエジスと北斗は、交換日記をしていた。
ティルーズが試験的に作った翻訳付魔法のノートで、三世界を股に掛けた……見ようによってはかなり壮大な交換日記。
初めは有紀の近況を、アエジスに知らせるのが目的だったのだが。
今ではティルーズの「お願い」で、三世界の文化の違いを書き綴るのが主になってしまっている。
それで優美はバレンタインデーに二人にチョコレートを添えたのだが。
その時に。
【私の国では2月14日には女の人から男の人にチョコレートをあげる習慣があるんです。お友達にあげるのは『友チョコ』お世話になった人にあげるそれは『義理チョコ』っていうんですけど、好きな男の子にあげるのは『本命チョコ』っていうんですよ、二人が甘いもの好きだったらいいんですけど】
なんて軽い気持ちで書いたことが、まさかこんなことになるとは。
王子は、思いっきり有紀からどのような形であれ、チョコレートをもらえることを期待しているのだ。
しかし、本人にそのことを言っても、全力で否定するだろう素直になれなさで。
優美は有紀と違って、ラグと昔会ったことを覚えてる。
だから、夢見がちにファンタジー小説なんて読んでしまうのが、趣味になってしまったのだけれど。
「お姉ちゃん、何で気が付かないかなぁ……」
「当事者だから気が付かないんじゃないんでしょうか、近くでは捌くことが難しい剣筋も少し下がると簡単にいなすことができますけれどね、はは」
と、アエジスは答えながら思い返すのは。
北斗様が豪胆かつ繊細な毛筆で。
【私の世界では、このような食べ物も風習も存在しないが、これは義と受け取ってもよろしいか】
と、交換日記に一言書いていた文脈の隠された意味……特に義に半端ない何か……を読み取っていたので、優美にも言い聞かせているつもりだった。
因みに優美は気づくはずもなく。
【おこがましいと思うんですが、二人とはお友達になれたと思っているので『友チョコ』のつもりです。迷惑でしょうか?】
素でスルーだった。
北斗様の返信はまだ見ていないが……二人とも無意識だから、アエジスは困る。
が、こちらはアエジスに関係ないからか、ほほえましい。
そう、ほほえましくなくては困る。
私は、恋愛に関しては蚊帳の外、傍観者でいなければ、いけない。
これ以上胃を痛めることのないように、悩み事は王子だけでいい。
のだが。
「やぁ、こんにちは有紀。おやライノーグ王子も来ていたのかい?」
嵐がやって来た。
どうしてこうも次々と。厄介ごとはやってくるんでしょうか。
アエジスは頭を抱えそうになった。
ストロベリーブロンドの髪を優雅になびかせて、やって来たのは王子の恋敵……かどうか、微妙に判断が付きかねる柳龍国の南斗皇子。
「あ、南斗さん……何か用ですか、あ、煎餅食べます?」
「いや、遠慮しておくよ。一昨日頂いたチョコとやらのお礼に来たんだけどね、ありがとう有紀美味しかったよ」
「え、わざわざですかっ。お忙しそうなのに」
「君の為ならいくらでも時間ぐらい開けるさ」
「あはは……アリガウゴザイマス。相変わらず口上手いですネー」
有紀は口説き文句に、かなり引いている。
それは王子には安心できる要素だが、その前の皇子の台詞は大問題だった。
有紀がチョコを、南斗皇子にはあげていた!?
ちょっと、うちの王子にも義だろうが友だろうがあげてやってください。
アエジスは心の中でそう叫ぶと、王子の方を恐る恐る見る。ご機嫌はかなり悪い。
部屋の中が変な緊張感に包まれていた。
「本当はすぐにでもお返しを渡したいけれど。ホワイトデーとやらがあるらしいね」
「うわー流石の情報収集能力ですね」
「莎花に渡してもらう時にお礼の事をいったらね、教えてもらったんだ」
そう言ってから、夢かうつつかわからない霞がかった、ゆったりとした雰囲気をもつ男が、急に優美に振り返った。
「あ、そうそう優美。北斗が礼を伝えてくれと言っていたよ、こちらもお返しを準備すると」
「え、あ、はい!! あ、ありがとうございますっ……」
急にフェロモン全開の笑顔で話しかけられて、優美はアエジスの後ろにびくりと隠れる。
添えられた手が、じんわりとアエジスに何かを感じ取らせたのは……。優美がごめんなさいとあわてて謝ったので気が付いた。洗い物をしていた優美の手は濡れていたので、アエジスのシャツが濡れただけだった。
「もしかして北斗さんに仕事押し付けてきたとかですか……」
「ああ、私が行くと言ったら。いつもなら説教されるんだけれどね。今日は何か他に考えることがあったようで、簡単に抜け出せたよ」
「なんだ、私は口実で、ただのさぼりですか」
「君に逢いたかったのは本当だよ」
王子が、王子がどう見ても全力で不機嫌に存在を主張してるのに、存在が空気になってます。
南斗皇子はそれが分かっていても大人の余裕で躱しているのか、それともどうでもいいのか。そんな微妙な空気が……帰るまでも続き、やっと帰ってくれた頃には。
この世界の胃薬はよく効く。それを大量に買い込んでいこうかと、アエジスは考えていた。
「……なぜ、俺にはない」
「へ?」
有紀は南斗皇子が帰ってから、見たいテレビを気にせず見ていたら、ぽつりとラグにつぶやかれた。
機嫌が悪いのは知っていた。ラグは南斗が苦手らしく、いつも不機嫌だから、いつもの事だと放置していた。
有紀も南斗の事は出会いが出会いなだけに苦手だったのだが、外見はフェロモンムンムンの歩く公然猥褻罪っぽいけれど、中身はラグよりいい人なんで慣れた。あの挨拶のような口説き文句は、生粋の日本人として育った有紀にはときめくよりも、笑いがこみあげてくるんでやめてほしいぐらいの認識。
「ないって、何がよ?」
「何が、ではない」
「いや、ホント訳わかんないから!」
「分からないのはお前の方だ、有紀」
(あれ、本当に怒って、る?)
怒らせるようなことをした覚えは全くなく、それどころか有紀が怒ってもいいぐらいなのに。
「どうしたのよ、ラグ」
「…………なかった癖に」
「は?」
「俺には……くれなかった癖に」
「? せんべいだったらあげたでしょ?」
「違う!」
「だからはっきり言いなさいよ、男のくせにグジグジと」
「チョコだ!」
「え? あげたでしょ。お父さんが向こうの世界に行くって言ったんで渡しといたんだけど」
「!!」
ラグは変な顔をした……後に、カッと頬を赤らめる。珍しい、年相応の顔。
「あれ、もしかして受け取ってない? おかしいなぁ」
この時期、お菓子売り場はすごく可愛くて見てるだけでも楽しい気分になる。
そしてテンションが上がって……父親へのチョコと友チョコを買いに来ただけなのに、有紀はいっぱい買い込んでしまった。そのついでのラグへのチョコを選んだ時が一番時間がかかったことなんてちょっと人には言えない。
父親には、ラグとアエジスに。母親には南斗と北斗それぞれに渡してもらうように頼んだ。だから、今日はラグが来た時に、何か言ってくれるのかなぁと期待していたのだけど。全くスルーだったのでちょっといらついていたのだけれど。
確かに、他の人は貰ってて自分だけもらえないっていうのは寂しいっていうか、イラってきても仕方ない。
有紀は少しだけ妥協する。
「じゃ、今から買ってこようか?」
「……いい、俺はもう帰る」
「え、いいの?」
(うわーどうしよう、すねちゃったよ)
無言であわただしく帰っていくラグを見送りながら……珍しくちょっと悪い気持ちになって。
そしてチョコどうしたんだろう、お父さんめ!! って父親が帰ってきたら詰め寄ろうとこぶしを握り締める有紀だった。
王宮に帰ったラグが、沢山の王子宛の贈り物であふれかえっている、贈答品置き場の片隅に、有紀からのチョコがあったのを見つけたのはすでに真夜中を過ぎた頃。
王子への贈り物は、正規のルートで渡すならば何重ものチェックを通り、送り主の身分と緊急性を鑑みられて、順次に届く。
ヴェールゼンは悪くはない……とはいえ。
「直接渡してくれ、ヴェールゼン」
と、やり場のない怒りを呟きながら……顔は不適な笑みを浮かべていたことは、アエジスだけが知っていた。