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距離 「それぞれの、気持ち」

きょ−り 「シズルとの(へだ)たり。近付いたり、踏みとどまったり」



 気まずい雰囲気のまま終わった王城での出来事のあと、シルベスタは何故か、シズルと顔を合わすことが減ってしまった。

 今までだったら、公務の忙しいジークハルトの手伝いで、頻繁に執務室に出入りしていたシズルが、殆ど顔を見せなくなってしまったのだ。


 元々、事務仕事は側近でもあるシルベスタの仕事の範疇だったが、シズルが伯爵邸(ここ)に来て仕事が分散して幾分余裕もできていた。

 だが、今までシズルに頼んでいたことが、この数日で元通り自分の仕事に戻った。そのせいで以前のように忙しくなってしまった。それでシズルと顔を合わすことが減り、彼女が執務室から遠のいたことでますます顔を見なくなる、という悪循環に陥っていた。


 シズルが顔を見せなくなったことに、ジークハルトは何も言わなかった。恐らく何か思うところがあるのだろう。


 とは言っても、いつも目の前をうろうろして、隙をみてはシルベスタを図書館に引っ張りこんで、散々質問責めにしていたものが、ぱったりなくなってしまうとどうしても気になってしまう。

 シルベスタは書類を運びながら、あちらこちらシズルが行きそうな所をついでに探してみた。



「シズルなら、厩舎に行きましたよ」



 シルベスタがシズルを探しているのを知った、警備兵達が声をかけてきた。



「皆と馬の話をしていたら、シズルが乗ったことがないとか言い出して」



「そうそう。それを団長に説教されて、とりあえず馬を見に行ったみたいです」



「あいつ、いっつも何かで団長に説教されてるな」



「でもこの間、茶菓子貰ってたぞ」



「あ、おれも見たよそれ。あいつ団長に餌付けされてんのな」



 その後も、団長が頭を撫でてただの、シズルが兵糧の味見(つまみぐい)をしてて叱られてただの、色々聞こえてくる。皆、呆れたように可笑しそうに話をしている。シズルはいつの間にか、兵士たちと親しくなっているようだった。シルベスタは兵士たちに礼を言って、厩舎に向かうことにした。

 それにしても。

 シズルとアディス団長は何やってんだ、とシルベスタは呟いた。





 厩舎に近づくと、誰かが話している声が聞こえてきた。



「・・・だからね、女子高生相手に少し大人気ないとは思ったよ? でも一番近くにいるのがアレでしょ? あのチャラ王子は恋愛脳で機能不全で全く役に立たないし、瑠花ちゃんはぽわぽわだし。ちょっとイラっとしちゃって。可愛いけど。あの場にいるとこっちまで感染しそうで、あ、それはいいから。人間は毛繕いしないの。禿げるからヤメテ。しかしキミはいつ見ても大きいね。餌が特別なのかな? ジーク乗せるの重くない? でかいもんねー。キミ、名前なんて言うのかな? 私の知ってる、某世紀末の人の馬は黒王って言うんだよ。黒いから。そのまんまだよ。ネーミングセンス、ゼロだよね」



 そう言うと、可笑しそうにくすくす笑っている。



 ・・・これは誰だ?



 楽しそうに馬と話している、いや馬は話さないので一方的に話している声は確かにシズルのものだった。

 いつもと違う声色と口調とその行動の突飛さに、シルベスタは唖然として厩舎の入り口に立ち尽くした。


 馬がシルベスタに気づき嘶いた。シズルがこちらを振り向いた。

 シルベスタと視線が合うと、さっきまでの笑顔を引っ込めていつもの無表情に戻った。



「・・・聞いてました?」



 シルベスタは何も言えずこくりと頷いた。

 シズルはおもむろに、立て掛けてあった飼い葉用のフォークを掴んで、ゆらりとシルベスタに近づいてくる。



「可及的速やかに記憶から抹消して下さい。いや、私が直接この手で消します直ちに」



「おい。あーうん消えた、というか、何て言ってたか殆ど理解出来てないから! ばっ本当だって! 分かんなかったって! やめろ‼︎」



 シルベスタは慌てて、後退りながら必死で証言した。

 フォークを投擲しようとしたのを寸前で止めたシズルは、確認するようにシルベスタを睨めあげた。



「・・・本当に?」



「・・・シズルは馬と話せるんだな」



 フォークは免れたが、シルベスタに向けて飼い葉桶が飛んできた。


 憮然としているシズルを宥めて、シルベスタは厩舎の中に入るとシズルの話し相手になっていた、ジークハルトの愛馬の青鹿毛に近づいた。



「こいつはブロンデというんだ」



 首を撫でると、ブロンデは鼻先を押しつけるようにシルベスタに挨拶した。その様子を見ているうちに、シズルの機嫌が少し直ったようだった。



「ブロンデは大きいのに、意外と人懐っこいですね。シルの馬はどれですか?」



「オレのはあっちのあの黒鹿毛だ。ニパスって名だ。シズルは馬が好きなのか?」



「好きというより、乗りたいんです。向こうでは馬は移動手段に使わないから乗れないので。アディス団長が、乗れるようになりなさいって」



「あの人はもうお前の父親みたいだな」



 シルベスタが苦笑すると、シズルが咎めるように言った。



「団長さんはこんな大きな子供がいるような年齢じゃないでしょう、失礼ですよ」



「・・・因みにシズルは幾つだ?」



「女性に年齢を聞くとか万死に値しますが、まあいいです。二十四歳ですよ」



「え?! オレと三つしか違わないのか。それは立派な行き遅」



「余計なお世話です。やっぱりフォークでちょっと刺しても良いですか?」



「やめろ」



 てっきり二十歳になるかならないか、だと思っていたシルベスタは驚いた。


 それにしても口調がすっかり元に戻っている。シルベスタはその事に安心し、同時に落胆した。

 表面上は打ち解けているように見えるが、まだ完全にこちらを信用していないと思い知らされたような気がしたからだった。



「・・・シズルは」



 シルベスタは以前から気になっていた事を聞いてみた。



「元の世界に戻りたいか?」



 シズルはシルベスタの問いに、なんの感情も覗かせることなく端的に、事実だけを述べた。



「無意味な質問ですね。戻りたい、と言えば戻してくれますか?」



 確かに無意味だった。

 どれだけ望んでも、泣き叫んでも帰せないのだから。それでもシルベスタは聞かずにいられなかったのだ。



「すまない」



 そう言ったシルベスタにシズルは苦笑を浮かべた。



「意地悪な言い方でしたね、すみませんでした。シルのせいではないのに、完全なやつあたりです」



「それは・・・」



「大丈夫ですよ。私の国には『住めば都』という諺がありますから。でもそうですね、そう尋ねてくれたのはシルが初めてでした」



 そうなのだ。

 誰も。

 居場所は作って便宜は図っているが、ジークハルトでさえ直接シズルに尋ねた事はない。



 帰りたいか、と。



「気にしてくれてありがとう、シル」



 シズルが静かに言った。

 いつもの馬鹿丁寧な言い方ではなく、自然に。



「さあ、私の乗る馬を見繕って下さい、シル。どのコがお薦めですか? 牝馬(おんなのこ)は居ますか? 可愛いコが良いです」



「ここにいるのは牡馬(オス)だけだぞ」



「うわ、ここも野郎ばかりだったとは。仕方ないです、じゃあ男前ハンサムな馬でお願いします」



 そう言ってシルベスタの腕を引っ張った。

 今までもこうして度々図書館に、シズルのつむじを見ながら引っ張られて行った。その時はまたか、と煩わしいだけだったが今はどうだろう。


 案外悪くないな、とシルベスタは思った。







 ジークハルトはシズルが意識的に、自分たちを避けているのは分かっていた。


 シズルは凡庸の仮面を被っているが中身はとても複雑な人間だ。

 真面目で努力家、思慮深いが大胆不敵、大雑把なのに繊細、面倒くさがりだが決して怠惰という訳ではない。皮肉屋で厭世的なのに何故か人を惹きつける。


 そして常に冷静でとても苛烈だった。


 ルカに完全に訣別を告げたあの時、シズルは静かに苛立ち怒っていた。ジークハルトはあんなシズルを見たのは初めてだった。今までも、その毒舌ぶりは何度も見聞きしていたが、それでもその言葉には熱があった。だがあの時は違った。

 まだほんの少女に対して、現実を見ろと冷たく突き放したのだ。


 あの、他人を徹底的に拒否する冷徹さは、シズルの本質なのかもしれないとジークハルトは思った。

 しかしシズルは同時に、その事を後悔もしているようだった。


 シズルは普段は殆ど見せない、自分のそんな感情の揺れを知られたくなくて逃げ回っているのだとジークハルトは思っていた。だがあのシズルなら、そのうち自分自身で折り合いをつけることができるだろうとも考えていた。

 それまで待てば良いと、ジークハルトは静観することに決めていた。



 だがシルベスタは、ジークハルトほど達観出来なかったようで、姿が見えなくなったシズルの事を常に気にかけていた。そして先日、とうとうシズルを捕まえ話をしたという。その時シルベスタはシズルに帰りたいか、と聞いたそうだ。


 詮無い事だが、シルベスタらしいとも思った。


 あの優しい乳兄弟は、ジークハルト以上に今回の出来事に憤り、混乱し憐憫の情を抱いていた。何かにつけシズルの世話を焼き、仕事を教え文字を教え、今度は乗馬を教えるらしい。

 歳が近いせいもあるが、戯れているふたりはまるで兄妹のようだった。

 ジークハルトはあんな風にはなれないし、できない。



 何故なら、シズルが未だジークハルトを信用していないように、ジークハルトもまたシズルを信用してないからだ。



 シズルはまだ何か隠しているのではないか。

 今までの色々な出来事を精査すればするほど、ジークハルトはその気持ちが強くなるばかりだった。

 あの、妙な自信。

 シズルは、何もかも放り出して今の全てを捨て去っても、最終的には自分でどうにかできると考えている節がある。

 魔力はないはずだ。それなのに、シズルからは何か得体の知れない力を感じる時があった。

 もしそれが自分たちを、この国をこの世界を害するものならば排除しなければならない、とジークハルトは考えていた。



 しかしシズルに一目置いているのも本当だった。



 常に冷静で判断力も行動力もある。

 頭の回転が速く、毒舌だが機智に富んだ話術。

 飄々(ひょうひょう)としていてほぼ無表情だが、行動は突飛で見ていて飽きなくて面白い。

 しかも、強い。


 ジークハルトは本心ではシズルをかなり気に入っていた。

 女にしておくのが勿体無いと思うし、時々女である事を忘れてしまう程には。



 そうした相反する気持ちがジークハルトの中にあった。


 だからこそ常に状況を俯瞰(ふかん)し、感情だけで判断しないように自分を律する必要があるのだった。










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