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火星の雪  作者: 上泉護
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運命の変遷

冷たい風が街を覆う雲を優しくはらっている。

まだ正午になったばかりの時刻だったが、標高6000mにある街全体を上空の分厚い雲が薄暗くさせていた。

ここはオリンポス山のなだらかな裾野すそのの斜面を平らにならした巨大な滑走路と、それに寄り添う様に街が囲む火星唯一のスペースポートである。

巨大な滑走路には誘導灯が美しく輝き、それを見下ろす様にブルジョア階級の瀟洒(しょうしゃ)な家々がオリンポス山の斜面に並んでいる。

標高6000mの空気はうすく、初めて来た人には息苦しさを感じるであろう。

その為スペースポート内の建屋や、それら瀟洒な家々や通りにすら酸素が噴き出す装置がとりつけられていた。

整然と並ぶ街並みは、近代科学の(すい)を集めて作られ計算されつくした美しさがあった。

しかしスペースポートの下側の斜面には、滑走路を見上げる様に醜く汚れ雑然とならぶ黒々とした、いわゆる貧民窟(ひんみんくつ)があった。

夢と希望が紙屑の様に打ち捨てられる世界で、人々は生きるため仕事を求めてこの街に集まってくる。

それでもこのスペースポートの位置する標高6000mという高地が、他の街程の貧民窟を形成させる事は無かった。

入り組んだ路地と無秩序に建てられたバラック、通りまで張りだしたトタン屋根の下には屋台の様な物が並び、得体の知れない美味そうな食い物の臭いが、雑然とした無秩序な通りを行き交う人々の食欲を掻き立てていた。

そんな雑踏の中、ガタイのいい青年がどこかふらふらと歩いている。

身長は180cmを優に超え、彼を包む作業服の上からでも筋肉質の良いガタイだと知れた。

頬をなぶった冷たい風に、巨大な山を見上げた顔はブロディ・ベイルである。

その視線の先にはオリンポス山のなだらかな斜面を利用し造られた、火星の大空に向って斜面を駆けあがっているカタパルトが、瀟洒な街を突き抜ける様に伸びている。

リニアマスドライバーと呼ばれるそれは、宇宙ステーションへシャトル(往復船)を打ち出す為のリニアレールである。

火星の重力は地球の3分の1であり重力圏脱出は比較的容易ではあるが、それでも資源の乏しい火星では貴重な推進燃料であり、その節約の為のリニアマスドライバーである。

このオリンポス火山は何万年にもわたり活動の痕跡がないおかげで建設が可能になった。

ブロディは両親と妹と共に火星へやってきたが、すでに両親は他界している。

過酷な火星の環境に堪えられなかったのだ。

体を壊しあっという間に亡くなってしまった。

医者は、「設備さえ整っていれば・・薬さえあれば・・・」と悔しそうに言ったものだ。

自分と妹が生き抜いていく為に仕事を見つけ、細々とだがやっていたのも束の間、今日妹も死んでしまった。

この火星に来る事は家族に何の相談もなく、勝手に父親が決めたものだ。

妹も母も父に殺された様なものだ。

酒に酔い家族に暴力を振るう様な男を(さげす)んでいたが、幼い彼は従うしかなかった。

今の彼であれば親父を殴り倒してでも、地球に帰ろうと努力したであろう。

今更手遅れの事をいつまでも考える。

「くそっ!」それがブロディの口癖になっていた。

仲間や友達はいない、孤独な青年が心許せるのは妹だけだったが、仕事を抜けだし家に戻ると、寝込んでいた妹の体は冷たくなっていた。

看取ってやる事も出来ず、たった一人で死んでいった妹はどんな気持ちだったろう?

たまらない気持になってくる。

涙が溢れて止める事ができなかった。

なにも考える事が出来ない。

ただ・・ただ・・悲しいだけである。

頬を伝う涙はじきに涸れてしまった。

細い路地で男達にからまれ金を取られかけたが、気が付いたら男達は倒れていた。

ブロディはふらふらとなだらかな上り坂を歩いて行く。

とても仕事になど行く気にはなれなかったが、彼を包む虚無感が自然とスペースポートへと足を向けさせたのだ。

そんな彼の後方の上空を、マスバレットシャトルが白い航跡をひきながら近づいてくる。

このマスバレットシャトルは凍っている滑走路にも関わらず、安全に短い距離でタッチダウン出来る理由をブロディは知っている。

なぜならその滑走路の管理・清掃の仕事をしているからである。

リニアマスドライバーに対しリニアラインと呼ばれるこの滑走路は、マスバレットシャトルを磁力で減速させるシステムがあり、雪や氷の影響をまったくうけない。

このシステムのおかげでこの高地に発着場を建設できたのだ。

”ドピュッ”という音と共にシャトルがタッチダウンする。

おかしい・・・

悲しみの目をシャトルに向けていたブロディは思った。

減速されないのである。

着陸時のスピードを保ったまま、文字通り滑る様に走り抜けていく。

”まずい、大事故になる!”ブロディは駆け出した。

人の死はもう見たくなかった。

このままではスペースポートを囲んだ一段下の黒々とした貧民窟に突っ込んでしまう。

薄い空気を切り裂きながら流線形のシャトルが走り抜ける。

だが不自然な事が起こった。

オーバーランはしたものの、その寸前に大きく減速したのだ。

車輪軸を折り、シャトルの頭を貧民窟に突っ込ませ、金属のこすれる嫌な音をたてながら機体は止まった。

”瞬間的な故障から立ち直ったのか?”ブロディは不思議に思いながらも、前輪を折り不自然に傾き煙を上げているマスバレットシャトルの元へと走った。


機長からの緊急アナウンス後、シャトルは激しい衝撃のあと停止した。

機内を煙が充満していく。

マリアは衝撃に備え前のシートにうずめていた顔を上げた。

機長から落ち着いた声で

「もう大丈夫です。慌てずに緊急退避してください」とアナウンスがあった。

傾いた通路を人々が急ぎ乗降口へと向かっていく。

その流れに巻き込まれる様にマリアは機外へと押し出された。

緊急脱出用のエアースロープを滑り落ちると、押し潰されたバラックの残骸の上ではあったが、10年ぶりの火星の大地へと降り立った。

感慨も重力の軽さも感じる暇もなく、濃い煙の中、寒さに震えながら機体から離れた時、声をかけられた。

「マリア・ウィンフィールド?」

ダークスーツにコートを着込んだサングラスの様なゴーグルをかけた男が聞いてきた。

常の時であれば、いきなり名前を呼ばれれば(いぶかしんだかもしれないが、時が時である。

乗客名簿でも見たのだろうと瞬間的に思ってしまった。

「はい、そうです」答えてしまった。

「あちらへ」と男はなかば強引にマリアの腕をつかみ引っ張て行く。

その先にはバラック郡を縫う様に舗装された汚い通りに黒いローバーが停まっている。

その時始めて”怪しい”と思った。

腕を振り払おうとした時、どこからか現れたもう一人の男が逆の腕を掴んで、肩に毛布を掛けるふりをして彼女の口をふさいだ。

全身が総毛立つ!

しゃがみ込もうとするが強引に持ち上げられ、どんどんローバーに近づいていくと中に押し込められそうになった。

その時!

「何をしている?!」まだ若い男の声がした。


ブロディはその救助に不自然さを感じ、聞かずにはおれなかった。

「何をしている?!」男の一人が

「なんでもない!ちょっとパニックになっているだけだ!」と答えた。

そのちょっとした隙に顔を横に振り、口をおさえている手を外し彼女は叫んだ。

「助けて!」ブロディは彼等に向って駆け出す。

彼を包む巨大な虚無感と”怒り”がそうさせたのかもしれない。

男の一人がブロディに対し腰の物を抜こうとするが、慣れない防寒着の為すぐには抜けなかった。

マリアは抑えているのが一人になり、自由になった手でバッグを振り回すと、たまたま男の鼻づらに直撃した。

「こいつ!」男は痛みに顔を歪めながら叫ぶ。

ブロディは大きな体とこの過酷な火星を生き抜いてきた強靭な体力をもっている。

勢いに任せて男の一人にタックルをかますと、後ろの男を巻き込みバラックの残骸の中へ倒れ込んだ。

「逃げろ!」叫ぶ。マリアは人ごみに向って駆け出した。

倒れこんだブロディの目の前に、先ほど男が抜こうとしていた拳銃が残骸の中に落ちている。

すぐに拾い立ち上がると男達に向け聞いた。

「お前たち何者だ?スペースポートの人間じゃないな」

まただ・・彼の中の凶暴な獣が牙をむき口の端が吊り上っていく。

突き動かされるかの様に男達に襲いかかろうとした。その刹那。

「ブロディ?何をしている?」と後ろから声がかかった。

ブロディがそちらに気を取られた隙に、黒づくめの男達はローバーに飛び乗る。

そのままローバーはホイルスピンし、大きなタイヤがこすれる音をたてながら逃げ去って行った。

近づいて来たのは上司のケビン・エヴァンスという男だ。

「物騒な物を持ってるな、なんだそれは?」

銃を投げ捨てるとブロディは言った。

「今の男達が持っていたんだ。乗客の少女を連れ去ろうとしていた・・・」

「なんだと?その少女は?」

「逃げた・・・」

ブロディの様子がおかしいのに気が付いたケビンは

「どうした?怪我でもしたのか?」と聞いた。

バラックの残骸の中から煙が立ち昇る中、ブロディは静かに答えた。

「妹が死んだ・・・」ケビンはなにかとこの薄幸な青年を気にかけてやっていた。

己の境遇に似ていたからである。

「そうか・・・・今日は仕事休んでもいいぞ」それ以上かけてやる言葉を見つける事が出来なかった。

「あとは俺にまかせておけ、もう帰れ」そう言うと胸のマイクに向かって

「エヴァンスだ、救助に問題ないか?」

[全員脱出しました。軽傷の人が数人いる程度です。幸運でした]

返信がすぐにあった。

「了解、それと保安官を呼んでくれ、問題発生だ」

[わかりました]

ケビンがブロディのいた方に目をやると、彼はすでにいなかった。


シャトルから出ている煙が滑走路へとなびき、冷たい高地の空気に溶け込んでいった。


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