赤い砂塵
埃の様な細かく赤い砂が舞っている・・・
激しく叩きつける様に吹きつけてくるそれは、地平線の彼方より足元まで全ての物を赤くし、見渡す限りの荒涼とした平坦な大地を、夕日が更に紅蓮へと染めあげている。
その砂の風は冷たく吹き荒び、砂嵐が暮れなずむ世界を霞ませる。
遠くの山々は幻のように朧で、そこにいる人を牢獄に閉じ込めたかの様に錯覚させた。
口の中にも細かい砂が入り込み、噛めば”ジャリッ”と不快な気分にさせる。
ゴーグル無しでは目も開ける事が出来ず、気を抜くと体ごと吹き飛ばされそうになった。
マスクごしの鼻の奥が冷たく、風切り音が耳元で鳴りつづけなにも聞こえない。
乾燥している・・・・
肌がひび割れそうだ・・・
この乾燥し、冷たく猛烈な砂嵐が吹き荒ぶ大地には、もうじき長い冬がくる。
しかし、ここは地球ではない。
西暦2062年、太陽系第四惑星火星には地球の様な大気が存在していた。
荒涼とした火星の冷たい大地に、唯一の人工物である大きな車輌が一台停まっている。
大きく分厚い6本のタイヤが大地を噛み、吹き荒ぶ砂嵐をものともせず静かに佇んでいた。
その大きさは横で作業する人の姿から推し量る事ができる。
車輌の全長は20m程であろうか。
どうやら男女二人のようだ。
暴風で会話が困難な為、どなりあう様に話している。
女性が声を張り上げた。
「どう!?直りそう!?」
男が答える。
「あぁ!油圧シャフトのホースが破損した様だ!陽が暮れるまでには応急処置を終わらせるよ!今夜はここでやり過ごすしかないな!明日の朝一番でちゃんとこいつを直して、それから出発しよう!」
「わかったわ!無理しないでね!」
そう言うと女性は風に吹き飛ばされそうになりながらも、こいつと呼ばれた”ランドローバー”と言う名の車両の荷台に向い梯子を昇る。
荷台は車輌の半分を占める大きさで軽く運動できる程の広さがあるが、収穫されたトウモロコシや小麦などを詰めた袋や、セパレート式で取り付ける事の出来る農機具、足を畳んでも高さ2mはあるであろう人型のワークローバーが鎮座し、足の踏み場もない程だった。
それらの頭上には分厚い頑丈な天井があり、この下にいれば少々の落石など物ともしないだろう。
しかしその荷台の壁は布で出来ており、その隙間から砂嵐が吹き込み外気と変わらない寒さだった。
手をこすり合わせながら、それらの荷物を縫う様に奥に進むと扉があり、急いでその中に入る。
ここは外気が室内に直接入り込まない様にする緩衝室にあたり、シャワー室も兼ねている。
左側の扉がトイレで正面の扉が室内となっていた。
風の入り込まないこの場ににホッとしながら、女性は正面の扉を開ける。
すると更に暖かく快適な室内には、テーブルがあり、その右側に小さいながらもシンクやコンロが並ぶキッチンがある。
張り出した大きな出窓の様なフロントガラスの中央に、このローバーの運転から様々な操作が出来る操縦席が、パネルやモニターに囲まれる様にあった。
室内は白を基調に木目柄が使われ、木目の吊り下げ戸棚が窓の上に並んでいる。
室内は落ち着いた居心地の良い空間になっていた。
女性がテーブルの方に向いたその視線の先に、二人の少女が遊んでいる。
狭い空間で生き生きと、そしてはしゃいでいる。
年長の少女はほっそりとした体ではしゃいでいながら、どこか年に似合わず落ち着いて見える。
そんな娘だった。
もう一人の少女は更に幼く見え、底抜けに明るく、若木が芽吹く様な生命力を感じさせる自然児を思わせた。
年長の方の少女が振り向き
「かぁさん、今夜はここで休むの?」と聞いた。
「えぇ、この中にいれば何の心配もないわ。大丈夫よ」
かぁさんと呼ばれた女性は、細身の体にスラッと伸びた手足で手際よく家事を始めながら答えた。
「そろそろ夕食の支度をはじめましょう」
下の娘が窓の外の砂嵐に煙った夕日を眺めながら聞く。
「かぁさん、人が住む前は火星の夕日が青だったっていう話は本当?」
「そうよ、人間が火星の大気を変えてしまったから、夕日の色が変わってしまったの」
「なぜ色が変わってしまったの?」と好奇心は人一倍だ。
「かぁさんにも解らないわ、ベティが大きくなって勉強したら、かぁさんにも教えてちょうだい」
「私、科学者にはならないわ!お医者さんになるの!」
ベティと呼ばれた娘は、気の強そうな眼差しを母に向けて言った。
「ふふふ・・・そうだったわね、じゃあ、とぉさんに聞いてちょうだい。
さぁ!とぉさんがお腹を空かせて戻ってくるわ、夕食の支度を手伝って」
父もランドローバーの荷台側にある扉から震えながら入ってきた。
父も母も直接室内に入り、家族に寒い思いをさせない為の配慮だった。
父の身長は180cm程度、がっちりした体は農耕で鍛えたもので、やさしい眼差しに芯の強さ精神力の強さを感じさせる。
「なにか温かいスープはあるかい?」
妻が温めていたスープをよそいですぐに渡した。
「あ~生き返るよ、うまい!命のスープだね」
「大袈裟ね、ただのオニオンスープよ」
次女のベティが待ちきれない様に聞いた。
「とぉさん!どうして夕日の色が変わっちゃったの?」
「ん?何の話しだい?」
「人間はどうして夕日の色を変えちゃったの?」
「あぁ・・・それはね、もともと火星には空気がなかったんで人間が住む事が出来なかったんだ。ベティだって今息をしているだろ?」
「うん!」
「だから火星の大気を人間が住める様に改造してしまったんだよ」父は少し考え、出来るだけ解りやすいように話始めた。
「難しいかもしれないけどね、太陽から光が火星に差し込む時に夕日の時間は角度がつくんだよ、するとね光の屈折といって光の波長ごとに曲がって、赤い光りが地表の我々に届いて赤い夕日になるんだ」
妻のアリソンに振り返ると
「水の中に光りが射し込む実験はまだかな?」
アリソンは首を振る。
「色が変わってしまったのはね、大気が濃密になり成分が変わったんで光りの屈折度合が変わったんだ。解るかな?」
「わかった!」本当に解ったのだろうか?と父は訝しんだが、ベティは窓に向い爪先立ちをしながら砂嵐を見ている。
その姿がとても愛らしく、父は目を細めた。
皮をむいたジャガイモを潰していた長女のペグが聞いてきた。
「とぉさん、明日はバザーに行くの?」
父のアルフレッド・ビーンは収穫した作物を売り、物資の補給をする為、明日バザーに行く事を考えていた。
バザーは定期的に開催され、物資や穀物・家畜など多岐におよぶ売買がなされる。
開拓者にはなくてはならないものだ。
「南に80km下って、ロックビルのバザーに行く予定だったんだけど、まずはローバーを直さないとな」
「直ったら行くの?」
「あぁ直ったらね」
それを横で聞いていたベティは、狭いながらも快適なローバー”家”の中を駆け回りだした。
「バザーァ!バザーァ!」
多くの人と珍しい物が溢れる、このバザーをベティは心待ちにしていた。
「ベティ、行儀が悪いぞ」やさしく父のアルフレッドがたしなめる。
「さぁご飯にしましょう」
そう言うと母のアリソンがテーブルにポークビーンズの入った鍋を持ってきた。
ささやかながら温かい一家の食事の団欒が、アルフレッドにはなによりも大切な時間である。
ローバーの外は気温がどんどん下がっていき、今は氷点下10度まで下がっている事がコントロールパネルから解る。
室内は家財道具がコンパクトに収められ、暖かく快適で心地良い空間になっていた。
家族が窓際にあるテーブルで囲むように座り、家長であるアルフレッドはドライバーズシートをくるりと回してテーブルに向う。
食事はマッシュドポテトと少々硬いパン、ポークビーンズにつきあわせの野菜、オニオンスープのみである。
それでもまだ贅沢な方である。
なぜなら火星で食糧を調達するのは困難を伴うからで、農作物ひとつとっても火星の痩せた大地での耕作は、土壌改良から始めなくてはならないからだ。
地球でいう黄塵地帯(干ばつと砂嵐に見舞われる乾燥地帯)である火星の土壌改良は、まず強い塩水の地下水を汲み上げフィルターで濾し真水にする。
その水を耕作予定地に散布し土壌に水分を加えたら、数十種類のバクテリアが入った培養土を耕作地に混ぜ耕す。
バクテリアが火星の土にいきわたるまでに一週間ほどかかるので、その間は別の作業をするという段取りだ。
一週間後、小麦やトウモロコシなどの種を植え、土壌の水分を絶やさない様に適時水を散布し収穫を待つのである。
火星で穀物は高値で売買される為、一家の重要な収入源でもある。
冬の前に最後の収穫をした一家は、来年まで身を寄せ合いながら清貧の生活を享受するのである。
彼等が住み、暮らし、移動する足でもある大切なランドローバーは、火星入植後すぐに借金し購入したものだ。
そのローン返済と彼等の生活費を稼ぐ為、旅を続けながら農作業に従事し、次の旅への軍資金を稼ぐのである。
ローバーの荷台には収穫した小麦と、トウモロコシ、えんどう豆、地下水を濾して出来た塩などが積まれていた。
食事を終えた家族は食後の団欒を楽しんでいた。
アルフレッドは酒をこよなく愛すが、正体をなくす程の飲み方はしない。
少々陽気になるいい酒である。
父はウィスキーをロックでグラスを傾けていて、ウィスキーの豊潤な香りは、子供達も好きだった。
その父に向い勉強していた手を止めてペグが聞いた。
「とぉさん、ワイオミングのお婆ちゃん大丈夫かな?」
ペグが心配するのも無理からぬ事で、地球のアメリカ・ワイオミング州は南アメリカに属しているユタ州を一部の州境で接しているからであり、この時代のアメリカは南北に割れていたからである。
少々長くなってしまうが、その経緯を説明しておきたい。
西暦2058年、この時より4年前、太陽系火星外苑にある小惑星帯の鉱物利権をめぐり争っていたアメリカと中国は、それぞれの本国が戦闘回避を命令したにも関わらず、太陽から地球までのほぼ2倍離れた宙域で武力衝突に及び、戦端が切られてしまった。
その背景には地球から小惑星帯まで通信するのに最短でも1時間かかり、軍事的緊張状態に人の心が耐えられなかった事があげられる。
現場の指揮系統が混乱し、一部将校の独断専行に及んだ事が原因と数年後判明する。
それぞれの国が極地で発生した戦争をそれ以上大きくしない為の話し合いが国連の場で行われた。
しかしそれは着地する事なく平行線をたどり、自国の利権を守る事に固執した両国は、共通の主義や利権で様々な国を巻き込み同盟を強要し、自国の正当性のみを主張しあった結果、両国の利権とエゴにより宇宙を舞台にした世界を真っ二つに分けた第三次世界大戦が勃発してしまったのである。
後世の歴史家はこれを太陽系戦争と呼んだ。
国連が推し進めていた火星植民地計画は一時頓挫し、すでに移住を果たしていた人々は否応なくその戦禍に巻き込まれていった。
唯一の救いだったのは、宇宙に進出した人類が地球の尊さを痛感し、地表での戦闘が極力避けられた事である。
主な戦場となったのはもともとの原因となった火星外苑にある小惑星帯となった。
両陣営が小惑星帯の中の鉱物採取の拠点を軍事基地に造り替え、双方がその奪取、破壊が主なものになった。
戦線は拡がり、宇宙を舞台にした戦争は拡大の一途をたどった。
そんな折り、インド・ポンペイ沖56km、マリアナ海峡を震源とするマグニチュード9.2の巨大地震が発生した。
それにともなう巨大津波は周辺沿岸国を襲い、死者15万人、行方不明者80万人の未曾有の被害を出した。
天災は立て続けに人類を襲う。
アイルランド・エンヤフィアトラ火山が大噴火し、立ち上がった噴煙は成層圏に達した。
粉塵は何年にもわたり成層圏にとどまり太陽の光を遮り、寒冷が地球を襲ったのだ。
穀物は枯れ果て、家畜は大損害をうけ、食糧不足が人類を襲った。
厭戦気分が当事国の民衆に蔓延し、しばらくし休戦条約が結ばれた。
戦争当事国が戦争どころではなくなってしまったからである。
一時的とはいえ戦争がなくなり、火星植民地計画は再開した。
しかし度重なる天災に人心は疲弊・荒廃し犯罪が多発。
世界の各主要都市ではデモが発生し政権を揺るがした。
アメリカ国内は中国側と一触即発の緊張をはらんだ休戦条約により、人々の意識はかろうじて国外に向けられていたものの、世界規模の食糧不足に有効な対策を取れない政府に対し、厳しい世論が湧きあがった。
時のアメリカ大統領ジョセフ・ジェファーソンは政権を維持する為、テロの温床となっている独裁政権国家に国民の怒りの矛先を向けさせ様とした。
それら国家への経済制裁を行う為、各国に国際協調を強く求めたのである。
独裁政権国家は自国で頻発する民主化を求めるデモを鎮圧する軍事行動に追われた。
その影にはアメリカやイギリスの暗躍があった事は言うを俟たない。
民主化の波が避けきれなくなった時、独裁政権国家群は恐るべき行動にでた。
45ケ国の独裁政権国家が連合を組み、国連の対抗勢力となったのである。
共通の敵を持った国家群の連携は強固で、軍事技術の供与にまでおよび、その技術力は飛躍的に進歩した。
ジョセフ・ジェファーソン米大統領は世界各地に広がる独裁政権国家連合を潰す為、強権的とも取れる政策を打ち出した。
作物の大打撃を受けた南部アメリカでは餓死者が2万人にも及び、街頭はデモが頻発、シュプレヒコールがあがった。
それでも世界的危機に立ち向かうべきと、政策を変更しなかった大統領に、農家が多い南部の州群がこれに反発、南部合衆国を設立。アメリカからの独立を宣言しマイケル・ニーソン大統領を選出した。
しかし軍部の右傾化に拍車がかかり、大統領のシビリアンコントロールが機能しなくなりつつあった。
北と南に別れたアメリカは、戦端が切られるまでには至っていないが一触即発の状態が今も続いている。
強国アメリカはその思いとは裏腹にその力を二分し、大きく力を落としてしまったのである。
そして4年が経過し・・・
各国の食糧事情も落ち着いてきたが、アメリカは分裂したままだった。
酔いが冷める質問に、傾けていたグラスを静かにテーブルに置いたアルフレッドは優しく言った。
「いくらアメリカが他民族国家といえど、いわば身内同士、民間レベルではまだまだ交流が続いているんだ。大丈夫さ・・・それにどうしてもって時には、火星によんで一緒に暮らしたらいい」
ペグの表情がぱっと明るくなった。
「そうよ!そうしたらいいんだわ!」
話を横で聞いていたベティが
「お婆ちゃん火星に来るの?!」と勢いよく立ち上がった。
「おいおい、気が早いなぁ、もしかしたらっていう話だよ」
「でもどうして大統領は独裁政権国家連合にこだわるの?アメリカに攻め込まれている訳でもないのに・・」とペグ。
「その国の人達が弾圧や抑圧により犠牲になっているからさ・・それに大統領は歴史学者の家系だからなぁ・・独裁国家のいくつかは歴史的建造物を破壊してまわってるんだ、人類の至宝とも言える物が破壊され続けているのが我慢ならないんだよ」
「どうしてそんな大切な物を壊してしまうの?」
「彼等の宗教では偶像崇拝を禁じているからな・・・」
「偶像崇拝?」
「崇拝の対象に聖人像や神仏像を使う事さ、木や石や建築物などもそれに入るんだよ」
「なんでそれを禁じるの?」
「まぁ自分以外の神様を信じるなって事だろうけど、狂信者達の曲解って事が多いね」
「曲解ってなに」
「真実や情報を自分達に都合よく曲げて解釈する事さ・・・同じ宗教の人でも、正しく考えている人達だっている。その宗教を信じている人達が全てそうだという訳じゃないんだよ」
「ふ~ん・・・」
母のアリソンが
「そろそろ眠る時間ですよ、ペグもベティもベッドに入りなさい」と横から言った。
「はい、かぁさん」二人はテーブルのすぐ後ろにあるロフトの様な、座っても頭がぎりぎりぐらいしかない自分達のベッドに上って行った。
アルフレッドはシートをくるりと回して、コクピットに向うとシャッターを閉じた際、周囲を監視できるカメラ映像のスイッチを入れモニターを確認した。
外の砂嵐はおさまり静かになっている。
おや?アルフレッドは目を細めた。
目敏くそれに気が付いた二人がロフトから顔を出した。
ロフトと言ってもアルフレッドの肩くらまでの高さしかない。
本来は収納庫だからだ。
「なにか見えた?」とベティ。
振り返ったアルフレッドは微笑み、窓のシャッターのスイッチを操作した。
シャッターが少しづつ上がっていくと、二人の娘は喜びの声を上げた。
「あっ!雪だ!」
赤い大地を白い雪がしんしんと降っている。
「砂嵐の後に雪が降るなんて・・・」とアリソン
「砂嵐が雪雲を連れてきたのよ!」とペグ。
「火星の大気はまだまだ不安定な状態にあるって事だな・・・」とアルフレッド。
「明日雪遊び出来るかなぁ?」と言うベティに
「どうだろうな・・・」と言うアルフレッドが窓越しに見える。
彼等の快適な家であるローバーを、雪が少しづつ静かに覆っていった。
全てイラストにしたかったのですが、己の画力が許さず、半分以上ラフ設定となってしまいました。すいません。
出来上がり次第、差し替えて行く予定ですので、よかったら見てやって下さい。