第41話 二人の管理者
「ちょうどいいところとは、どういう意味ですか」
アイラ王女の厳しい声が、本殿に響いた。
黒木はしばらく彼女を見つめていたが、不意にニタリと気味の悪い笑みを浮かべた。
「黙って見ているがいイ」
黒木は再びキューブへ向き直ると、その表面に両手を押し当て、何かに集中するように首を垂れた。
ブゥゥゥン――。
キューブが発する低い音が、一段と大きくなった。
同時に、表面を覆っていた青白い光も急激に強くなっていく。
「な、何……?」
遥が不安げに悠真の体へ身を寄せた。
その時、ステージの横の空間に、突然青白い光の輪が現れたのだ。
(なんだ……あれ……?)
「あれは何だ!」
「気をつけろ!」
騎士たちがざわめき、魔道士たちも杖を構え直した。
最初はマンホールほどの大きさだったが、みるみるうちに広がり、五メートルを超えても拡大を続けた。
輪の内側には何もなく、向こう側の壁や床がそのまま見えていた。
空中に巨大な光の輪だけが浮かんでいるようだった。
だが、ダーハンは黙って見ていなかった。
「総員、奴を倒せ! あの術を完成させてはならぬ!」
魔道士たちが一斉に氷の魔法を放った。
何本もの氷槍が黒木に向かって飛ぶ。
しかし、ステージの手前で、何もない空間にぶつかり、粉々に砕け散った。
「なんだと……!」
どうやら、ステージの周囲にシールドが張られているらしい。
「小癪な……氷でなくとも構わぬ! もっと強力な魔道を使うのだ!」
今度は炎の玉や雷撃が次々と撃ち込まれた。
しかし、どれもステージの手前で弾かれるばかりで、黒木には傷一つつけられない。
剣を振りかざして突撃した騎士たちも、シールドに阻まれて近づくことすらできなかった。中には、勢いよく弾き飛ばされて床に転がる者までいる。
「はハハ、そんナ原始的な力で、シールドを破れはしなイ」
「おのれ、姑息な術を使いおって……」
ダーハンが忌々しげに吐き捨てた。
この間にも、光の輪は広がり続けていた。
そして直径十メートルほどになったところで、ようやく拡大が止まった。
青白い光の輪が、床に対して垂直に浮かんでいる。
「なんだ、あれ……」
輪の内側は相変わらず透明だったが、向こう側の壁や床が、わずかに揺らいで見えた。
やがて、輪の中心に小さな光の点が現れた。
それはゆっくりと広がり、薄い光の膜となって、輪の内側を満たし始めた。
「おお、素晴らしイ……」
黒木が恍惚とした声を漏らした。
「フフフ、このまま構築が完了すれバ、もうこの装置の稼働期間など気にする必要はなイ。いつデも、好きなだけ、我らの同胞を送り込むことがデきるのだ」
「何ですって……」
アイラが呆然となる。
(『恒久回廊』ってこれのことか……)
プーカが恐れていた事態が、現実になろうとしていた。
千体どころの話ではない。一万、十万――いや、その先にどれほどいるのかすら分からない。
プーカの言っていた「大侵攻」という言葉が脳裏をよぎった。
(まずい……。こんなのが完成したら、本当に終わる……)
とはいえ、止めようにも、攻撃はシールドに阻まれ、黒木に近づくこともできない。
「皆の者! あの光の輪に向かって魔道を打ち込むのだ!」
ダーハンの号令で、炎の玉や、雷撃、氷柱などさまざまな魔道が飛んでいく。
しかし、全く効果はなかった。
今度はシールドとは異なり、そこに何もないかのように全ての攻撃が光の層を素通りし、向こう側の壁や床を撃つだけだった。
「これは、一体……」
「ハハハ。愚か者どモよ。これは単なる空間の通路ダ。いくら攻撃しても、意味はナい」
黒木が嘲笑う。
「黒木さん!」
悠真は、知らず声を張り上げていた。
目の前にいるのが黒木本人ではないことは、分かっている。それでも、どこかに本人の意識が残っているかもしれない。
わずかな可能性に賭けて、もう一度呼びかけた。
「聞こえているなら、やめてください! 一緒に日本に帰りましょう! 僕たち、あなたを探してたんです!」
「悠真くん……」
遥も一歩前に出た。
「お願いです。こんなこと、もうやめて、私たちと一緒に帰ってください」
「……」
それまでキューブに向かっていた黒木が、ゆっくりと二人に向き直った。
赤い瞳が二人を捉える。
「何ダ、貴様らは……」
そこで黒木は、ほんの一瞬、何かを考え込むように動きを止めた。
「ほウ……」
口元が吊り上がる。
「お前たチは、こやつと同じ世界かラ来たのカ」
「っ……」
自らを三人称で呼んだことに、悠真は衝撃を受けた。
やはり、もう黒木ではないのだ。
「お前、黒木さんをどうしたんだ?」
「クロキ? この体の持ち主のことか? 我が吸収しタに決まってるだろウ」
「その体から出ていけ。黒木さんを返せよ」
「ククク」
黒木の顔をしたローカスが、バカにしたような笑い声を漏らす。
「分かっテいないようだガ、生命エネルギーを吸収しタ以上、我がその者なのダ。呼びたけれバ、我をクロキと呼ぶがいイ」
「ふざけたことを……」
「心配するナ、まもなく我の仲間たちガ、押し寄せてくル。お前たちもじきに同じようにしてやル」
「ゆ、悠真くん……」
遥が悠真にしがみついてくる。
その時だった。
「させません!」
鋭い声が本殿に響いた。
アイラ王女だった。
彼女は一歩前に出ると、キューブに向かって右手を伸ばした。
その顔には、先ほどまでの動揺は見えない。
「星渡りの聖櫃よ! 当代管理者に代わって、次代管理者たる王女アイラが命じます! 回廊を作るのをやめなさい。そして、私の指揮下に入るのです!」
ブゥン――。
キューブの音が変わった。
「ナンだトっ!?」
初めて、黒木の顔に狼狽の色が浮かんだ。
同時に、巨大な光の輪が急速に輝きを失い、縮み始めた。
(いいぞ!)
内側に広がりかけていた光の膜が消え、輪そのものもどんどん小さくなっていく。
そして最後には、何もなかったかのように消滅した。
「消えたぞ……」
「さすが、姫様だ」
騎士たちが安堵と称賛の声を上げる側で、悠真も一息つく。
プーカの言っていた通りだった。
現地側の管理者権限は、黒木の権限よりも優先される。
アイラ自身も驚いているようだったが、すぐに表情を引き締めた。
「な、なぜダ……」
黒木が信じられないとでもいうように、キューブを見つめている。
「なぜ、私の命令ヲ拒絶する!」
「私には、この世界の管理者としての権限があるからです」
アイラが毅然として答えた。
「この聖櫃は、代々我が一族が管理してきました。あなたがどのような権限を持っているかは知りません。ですが、この地においては、私たち王家の命令が優先されると知りなさい」
「……クソっ」
黒木の顔が醜く歪んだ。
(これなら、いけるんじゃ……)
キューブさえ取り戻せば、ローカスたちを追い返せるかもしれない。
そうすれば、遥と一緒に地球へ帰ることもできる。
明るい見通しに、心が弾んだ。
だが――。
「そういうことカ。なラば……上書きすればいいのダ」
「それはどういうことですか?」
アイラを無視して、黒木が再び両手をキューブに押し当てた。
「この程度ノ権限、すぐに解析できル」
目を閉じ、何かに集中する。
すると、キューブの青白い光が激しく明滅し始めた。
「させません!」
アイラが右手を伸ばす。
「全ての機能を停止しなさい!」
一瞬、キューブの光が弱くなった。
と思いきや、すぐに激しい唸りとともに強い光を放ち始める。
ブゥゥゥン!
「え……?」
ステージの横の空間に、また青白い光の輪が現れた。
光輪は急速に広がり、先ほどと同じ巨大な円形に戻った。
それだけではない。光の輪の一部が突然、黒紫色に変わったのだ。
「な、なんだ……?」
黒紫色の染みは輪を這うように広がり、青白い光を次々と塗り潰していく。
さらに、輪の内側に濃い紫色の膜が現れ、瞬く間に円を覆い尽くすと、ゆっくりとうねり始めた。
「なんだよ、あれ……」
神々しくさえあった光の輪が、おどろおどろしい色に変わった。
よりにもよって、ローカスと同じ色合いである。
「と、止まりなさい!」
アイラの声が響く。
しかし、今度は何も変わらなかった。
「止まりなさい! 私の命令を聞きなさい!」
「ハハハハハ!」
黒木が甲高い笑い声を上げた。
「どうシた、管理者とやラ」
「ど、どうして……」
「もう貴様ノ命令など聞きはしナい」
「うそ……そんな……」
アイラが力無く右手を落とした。
太古の昔から王家に伝わる聖櫃が、今、彼女の命令を受けつけなくなっているのだ。
「……もう、私では止められません」
「えっ……?」
その声にただならぬ決意を感じ、悠真はアイラを見た。
「ユウマ様、ハルカ様……」
彼女は居住まいを正すと、二人に向き直った。
「申し訳ありません。このままでは、我が国が滅びます。もはや、お二人を元の世界へお送りする余裕はありません」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
悠真の全身がこわばった。
「まさか、キューブを……」
アイラは、一瞬だけ目を伏せた。
そして、悠真をまっすぐ見つめて答えた。
「はい。このまま聖櫃を破壊します」




