第12話 現実の世界
再び、話はアヴァロンに戻る。
「あれ、僕……」
転送された感慨にひとしきり耽った後、悠真は自分の服装が変わっていることに気がついた。
さっきまで着ていたカッターシャツに学生ズボンではなく、革のズボンと濃い茶色のチュニックを身に着け、ベルト代わりに腰ひもを巻いていた。
そして、旅人袋を肩から掛け、腰には古びた剣をぶら下げている。
ゲームで見た初期装備そのままである。
「服が変わってる……」
「そうよ。ちゃんと生活できるように、到着時に必要最低限の装備を持たせることになってるから。ゲームと同じものよ。あと、この世界の言葉も話せるようになってるはずよ」
「へえ、そうなんだ。僕の学生服はどうなったの?」
「あんたが着てる服がそうよ」
「え?」
戸惑った顔を見せた悠真に、プーカが長いため息をついた。
「そうだったわね……そこから説明してあげないとね。……あのね、転送するときは一旦肉体をエネルギー体に変換しないといけないんだけど、そのあと物質に再構成する際に、ある程度組成を変えることができるのよ。それで脳の記憶素子を修正して、この世界の言葉を使えるようにしたりね。あなたの学生服の量子パターンは保存してあるから、向こうに戻るときに服も戻してあげるわ」
「そうなの? って、あれ? 僕の時計とスマホもないんだけど」
左手につけていた時計は跡形もない。そして、ズボンのポケットに入れていたスマホも、学生服とともに消えていた。
「この世界にないテクノロジーは持ち込み禁止よ。心配しなくても、帰るときには元通りにしてあげるわ」
「そっか。よく分かんないけど、元に戻るならまあいいや」
「……おかしいわね」
「ん? どうかした?」
プーカが何やら難しい顔で考え事をしているのに気がついた。
だが彼女は自分の考えに沈んでいるのか反応しなかった。
「……」
「ねえ、プーカ?」
ようやく我に返ったように顔を上げる。
「あ、ごめん、あたしちょっと用事を思い出したからもう行くね。帰るときもまた感謝しながら呼べばいいわよ」
「え、もう行っちゃうの?」
「当たり前じゃない。あたし、アンタのお守りじゃなくて、連れてくるのが仕事なんだから。付き添うのも転送までよ。それに、余計な手伝いしちゃいけないって決まってるし。じゃね」
「あ、ちょ、ちょっと」
返事もせずに、彼女は何の前触れもなくいきなり消えてしまった。
「行っちゃった……」
出現したときもいきなりだったので、驚きはなかったが、ぽつんと一人残されたことに気がついた。
改めて辺りを見回す。
ゲームで何度も見たのと全く同じ光景だ。ただし、ここはゲームの世界ではない。
実在する異世界である。むしろ、今日までプレイしていたゲームが、この世界を写し取っていたものなのだ。
まさに、リアル版VRMMOとでも言おうか。
本当にアヴァロンが実在し、自分はここに来たのだ。笑みが自然とこぼれる。
現金なもので、高揚感でいっぱいである。
ついさっきまでは、ビビリ散らかしていたのに。
(まさか、夏休みを異世界で過ごすことになるとはね)
もし今朝の時点で誰かに
『今日の放課後、オスプレイがお前を迎えに来る。そしてお前は空中から潜水艦に乗り移って超古代の海底神殿に行き、異文明の機械を使って異世界に行くことになる』
などと言われても、一笑に付していただろう。
(人生ってどうなるか分からないものだな……)
「さてと、どうするかな……」
転送にあたって依頼されていたことを思い出す。
一つは、先にこの世界に来た二人の人物、黒木と遥の消息を探すこと。
そして、もう一つは、この世界にあるキューブを使って元の世界に帰ることだ。
もちろん、悠真にとっては遥を見つけることが最も大切である。
(でも、先にフェリスだな)
いくらゲームで見慣れた世界とはいえ、現地人の仲間がいた方がいいし、何より、一緒に遥を探したほうが効率がいいだろう。
(それにしても、てっきりNPCだと思っていたらホントに実在していたなんて……)
(本当にこの世界に来たと知ったら、驚いてくれるかな)
フェリスと会う瞬間を頭に描き、悠真は心が躍った。
きっと喜んでくれるに違いない。彼女だって、会いたがっていたのだから。
そんな呑気なことを考えていると、左手後方から、茂みをかき分ける音がした。
振り向くと、小柄な魔物が一体いた。森から出てきたらしい。
身長は120cm程度、やせっぽちで小柄な体は緑色で、ボロを纏い、骨で作ったネックレスのような装飾品を首に下げている。
コボルドだ。
そして、それは悠真の姿を見て剣を抜いた。どうやらやる気のようだ。
「そっか、そうだったな」
ゲームでは、スタートポイントに出現した後、チュートリアルが始まり、戦闘の練習としてコボルドが出てくるのだ。ゲーム内では最弱の雑魚である。
むろん、ここは現実の世界だ。チュートリアルなどない。
コボルドが出て来たのは、単なる偶然だろう。確か、この森には彼らの住処があったはずだ。
だが、気が大きくなっている悠真にはどうでもいいことだった。
「ようし、伝説の始まりだ」
「チャララッララーン」とゲームで使われている戦闘開始の音楽を口ずさみながら、自身も剣を抜き、格好良く構えた。
気分は勇者である。
いや、実際、ゲームでは高レベルの無敵魔法剣士だったのだ。
「来い! 一撃で仕留めてやる」
少し自分に酔いながら、悠真は声を張り上げた。
(そうだ! この姿を遥ちゃんが見てくれれば、少しは意識してもらえるかな)
魔物を切り倒し、彼女を助けに来たと分かったら、かっこいいのではないか。
もしかしたら、好きになってもらえるかもしれない。
学校とは違い、ここでは本当に勇者なのだから。
思わず顔がニヤける。
だが、浮かれた気分は、一瞬にして消えた。
キャヒーッ
「え?」
甲高いわめき声をあげて、いきなりコボルドが猛然と襲いかかってきたのだ。
「うわあっ」
予想もしていなかったスピードに反応が遅れ、悠真は慌てて剣を振り下ろすが、いとも簡単にかわされ、懐に飛び込まれる。
まずい――。
その瞬間、左の脇腹が剣で切り裂かれ、血しぶきが飛んだ。
「ぐあっ」
凄まじい痛みが脳天まで突き抜けた。
必死で剣を振り回すが、コボルドはとっくに間合いの外に下がっており、かすりもしない。
「う、うぅ……」
斬られたところに手をやると、血が吹き出してくるのが分かる。左手が一瞬で血だらけになった。
焼きごてを押し当てられたような猛烈な痛みに、呻き声が漏れた。
「クッ、な、なんで……こんな……」
ほとんど瞬殺で倒せるはずの魔物に重傷を負わされ、激しく戸惑う。
同時に、これがゲームでもアトラクションでもなく、本当の殺し合いだということにようやく気付かされた。
殺される。
その思いに身がすくみ上がり、膝がガクガクと震え出した。
「た、たす……け……」
助けを求めようとしても、声も出ない。いや、大声を出したところで、ここは見渡す限り大自然のど真ん中だ。助けなど来るはずがない。
一方のコボルドは、悠真を弱いと見てとったのだろう、今度は大きく振りかぶって大胆に切りかかって来た。
「うわあっ」
今度はなんとか自分の剣で受け止めた。
だが、手傷を負った体には力が入らず、しかも、恐怖で腰が引けていたため、力で押し切られ、体勢を崩した。
見計らったように、コボルドがバネじかけのようにジャンプし、悠真の脳天に剣を振り下ろす。
「ヒィッ」
剣で受け止めるのは間に合わない。
声にならない叫び声を上げ、必死で後ろに体を引いた。
目と鼻の先を剣先が通過し前髪を数本切り飛ばす。
避けられたのは、単に運が良かっただけだ。
コボルドは、さらに剣を振りかざして悠真に迫ってきた。
「く、く、来るなあああ!」
左手で傷を押さえ、右手一本で遮二無二剣を振り回しながら、ジリジリと後ずさる。
コボルドは、悠真の剣に当たらないように気をつけながら、もてあそぶように近づいてくる。
悠真は、生まれて初めて感じる死の恐怖に翻弄されていた。
学校で藤堂に突き飛ばされるというレベルではない。
コボルドから発せられる明確な殺意が、心を折ってしまっている。
手が震え、生まれたばかりの子鹿のように膝が笑っている。
殺るか殺られるかの戦いで、この精神状態は致命的だ。
悠真の心に絶望が広がった。
しかも、
「えっ、あっ」
下がっているうちに足がもつれ、後ろによろけた。
なんとか体をひねって踏みとどまろうとするが、傷の痛みで足に力が入らず、うつ伏せに倒れた。
キキキッ!
それをチャンスと見たのだろう、コボルドが剣を逆手に持ちかえ、悠真の背中に突き立てるべく、飛びかかって来た。
「うわあああ!」
悠真は、無我夢中で体を起こし、コボルドに向かって剣を突き出した。
その瞬間――
剣先がコボルドの胸を貫いた!
時が止まったかのように、コボルドが停止する。
何が起こったのか理解できず、悠真も一瞬硬直した。
だが、ようやく我に返り、剣を引き抜く。
コボルドは、一度ビクリと体を震わせ、「ゴフッ」と血を吐くと、悠真のすぐ脇に崩れ落ちた。
「え……あ……」
目の前で起こったことに呆然として、しばらくコボルドの体を見つめる。
そして、恐る恐る剣で突いてみるものの、全く反応は返ってこなかった。
どうやら本当に倒したらしい。
「やった……のか……」
大きく安堵の息をつき、力を抜く。
だが、勝利を喜ぶ余裕はなかった。
安心してアドレナリンが切れたのか、焼けるような痛みが一気に蘇ったのだ。
「グウウッ……」
激痛に耐え切れず、苦悶の呻きが口から洩れる。
しかも、出血が激しく、目がかすみ、意識が朦朧としてきた。
上体を起こしてなんとか立ち上がろうとしたが、もはや体が言うことを聞かなかった。
体を支えることができずに、仰向けに倒れ込んだ。
僕は、ここで死ぬのか……
突然訪れた理解に、涙がこみ上げてくる。
遠く離れた異世界で、一人きりで野垂れ死ぬ。
フェリスすら自分がここにいることを知らない。
猛烈な孤独感が体中を覆った。
(遥ちゃん……)
彼女の優しい微笑みが脳裏に浮かぶ。
(ごめんよ、僕は……)
どうやら、彼女を探し出して連れ帰るという使命は果たせそうにない。
青いはずの空も黒く霞んでよく見えなくなっていた。
もう目が何も映さなくなったのか、それとも目を閉じているのか分からないが、漆黒の闇が自分を包んだ。
(さよ……な……ら)
そのとき、どこか遠くで微かな音がした。




