第七十五話 おいた
俺は神威を纏ったアンジュの横に並ぶ。
「アンジュ、女神はよその世界の討伐には加われなかったんじゃないのか?」
すると、アンジュはすっとぼけるように言う。
「討伐? なんのことかな。私は自分の子供たちの“おいた”を諫めるだけだけど?」
なるほど、そういう解釈ね。
──インチキ女神め! でも……グッジョブだ!!
シュシュが、黒い仮面の細身の男──自分の夫、キリを見つめながら言った。
「シン、あいつは私がやるから手出すんじゃないよ」
「でも、キリは剣士で……」
俺が言いかけると、シュシュが睨んでくる。
「だまらっしゃい! 剣士だろうと誰だろうと、この高位魔法士様が負けるとでも思ってんの?」
言い放つと同時に、シュシュは俺の手から金属バットを奪い取った。
ブンッと振り下ろすその姿は──
──いや、魔法じゃなくて物理で殴る気なのかよ。
そんなシュシュの後ろで、リラが俺を見る。
「大丈夫です、シン。私がバックアップします」
彼女は障壁を展開し、シュシュを光の膜で包んだ。
その手際の良さに、思わず見とれてしまう。
──やっぱりリラは頼りになる。
一方、アンジュはガースらしき大男に向けて神威を放っていた。
だが相手もさすがは聖騎士。そんな威圧など意に介さず、前へ進んでくる。
「シン、あいつ盾持ってないからって甘く見ると死ぬよ。素手でも魔獣殴り倒すからね」
そう言うとアンジュは腰を落とし、まさかのガチ格闘スタイルを取る。
──ステゴロで戦うの!? 女神が!?
ガースが間近まで迫ると、静かに大剣を振り上げた。
俺もアンジュも、その軌道から身を逸らし、左右に飛んで避ける。
だが──次の瞬間。
大剣が急角度で曲がり、まっすぐ俺に向かって薙ぎ払われてきた。
「うおっ……!」
地面に転がり込んで辛うじて回避する。
だが再び大剣が軌道を変え、今度は上から振り下ろされる。
──速い! 重い! どこに避けても追ってくる!
鼻先に刃が迫った、その瞬間。
ガキィンッ!
大剣が空中で跳ね返された。
見えない壁にぶつかったかのように、ガースの体が後方へ弾かれる。
横を見ると──リラが両手を広げ、俺とシュシュの両方へ同時に障壁を張っていた。
──命の恩人だ。本気で。
再び大男──ガースに視線を向ける。
ガースはたたらを踏みつつ後退する。
そこにアンジュが滑り込む。
膝カックンの要領で足をかける。
ガースは膝をガクッと折り、地面に尻餅をついた。
──汚ねぇ……いや、グッジョブ!!
「シン! 剣を!」
アンジュの声に反応し、俺は飛び上がる。
重力に任せて落下しながら、心の中で謝った。
──ゴメン、ガース。目が覚めたら美味い飯奢るから。
剣を握るガースの手首へ、踵を思い切り踏み抜いた。
バキリ。
嫌な音が響き、ガースは剣を手放す。
俺はそれを拾おうとしたが……重すぎてピクリとも動かない。
仕方なく、なるべく遠くへと蹴り飛ばす。
その隙にアンジュは仰向けに倒れたガースの上にまたがり、仮面を剥ぐ。
そこには、どこかぼんやりとしたガースの顔があった。
「まったくこの子は! 何度言ったら分かるのよ!」
アンジュの瞳がわずかに揺れる。怒りだけではない。
そこには、心底の心配と、悔しさと、哀しさが混じっていた。
「お仕置きじゃ!」
アンジュの拳が振り下ろされる。
ドゴッ!
ガースの顔面にクリーンヒット。
だが、まだ終わらない。
「魔王の手下の幻術なんかに引っかかりやがって、お仕置きパンチ!」
左の拳が頬を抉るように襲う。
「だから、魔力耐性を上げろっていつも言ってんだろうが!」
右拳が続く。
さらに左、右──。
「女神様に! 何回! 心配! かけてんのよ!!」
一発ごとに言葉を叩き込むような暴力的な愛。
神威を纏った拳は、もはや凶器だ。
殴るたびにドスッ、バキッと鈍い音が響く。
──これ、ただのリンチじゃね?
いや、違う。愛のムチだ。たぶん。きっと。だよね……。
ガースはすでに白目を剥いていた。
「アンジュ! もうOKOK! やめて! 死んじゃう!」
声をかけると、「あぁ〜ん?」と顔を歪めて俺を見る。
頬には返り血。完全に正気じゃない。
だがその目は真剣で、どこか寂しげだった。
「……分かったわよ」
アンジュはゆっくりとガースから離れ、そっと頬を撫でる。
「もう、バカ……」
小さく呟く声が耳に届いた。
こうしてガースはアンジュの愛ある暴力に撃ち負け、沈黙した。
続いて、隣の攻防に目を向ける。
キリは素早い動きで縦横無尽に駆け、剣戟を放つ。
だが、その大半をリラの障壁が防ぐ。
そこへシュシュが火球を放つが、キリが速すぎて当たらない。
「くっ、やっぱり速い!」
焦りの色を見せるシュシュ。
キリの動きは風のようで予測不能だ。
「でも……!」
シュシュは深く息を吸う。
「羽根虫みたいにちょろちょろと! でもね、あなたの癖、私が一番知ってるんだから!」
──旦那を虫呼ばわり。
バットを構えたシュシュは、キリが次に動く地点へ振り抜いた。
しかしバットは手からすっぽ抜ける。
「あっ!」
だが奇跡的に──いや、必然的に。
すっぽ抜けたバットは、キリの飛び込んだ地点のみぞおちに突き刺さった。
グッ。
キリは膝をついて崩れる。
その首をシュシュががっちり掴んだ。
「……やっと捕まえた」
彼女は顔を寄せ、長いキスを落とす。
後ろではリラが「キャッ!」と顔を隠し、隙間からしっかり見ている。
俺とアンジュも見守る。
一瞬、キリの瞳に光が戻る。
「……シュシュ」
かすれた声に、シュシュの目に涙が光る。
「おかえり、バカ」
額にキスすると、キリは力を失い、そのまま崩れた。
シュシュは手をパンパンと払い、「はい、おしまい」と宣言する。
その目は少し赤かった。
俺とアンジュはそれを並んで見ていた。
「……いい夫婦だな」
呟くと、アンジュが笑う。
「でしょ? 私が育てたんだから」
──嘘つけ!
「アンジュ」
「なーに」
「勇者パーティ。ちょろすぎじゃね?」
「……こんなもんよ」
「そっか」
「ウン。こんなもんよ。バカで、抜けてて、でも……最高に愛しい子たちなのよ」
アンジュの横顔は、本物の母親のようだった。
俺はエスカレーターの上を見上げる。
「さあ、三階に行きますか。和泉さんとサキコちゃんも回収しないとな」
「そうね。あの子たちも、たっぷりお説教してあげないと」
アンジュはにこりと笑った。
俺たちは歩き出す。
仲間を取り戻すために。




