第二百十四話 再生(バース)①
「ここは……バス停のベンチ?」
町田の呟きに、俺は我に返った。
振り返ると、木びきのベンチに座る町田。その膝の上で、人型のやっくんがすやすやと寝息を立てている。
俺は道路からその光景を見下ろしていた。
戻ってきたのは、間違いなく『あの場所』だった。鏡が車を降ろしてくれた場所。神楽が迎えに来た、あの麓のバス停だ。
あの夜はひどく不気味な場所に見えたが、今こうして見ると新緑にあふれ、素朴で穏やかな風景にすぎない。
「なんでこんな場所に……」
慌てて胸ポケットのスマホを取り出すが、バッテリー切れか、電源ボタンを押しても何の反応もない。
「ねぇ、これ」
町田がポケットから手を出し、俺の目の前でそっと開いた。そこには紙でねじられた三つの飴玉がある。
「やっぱし、幻じゃなかったんだ」
何かを確かめるように、飴玉を指先でころころと転がす町田。
遠くからエンジンの重低音が響き、路線バスが近づいてくる。
俺はやっくんを抱え上げ、町田はリュックをひっつかんでバスに乗り込んだ。ガラガラの車内、一番奥のシートに三人並んで腰を下ろす。
バスは田舎道をゆっくりと走り、やがて最寄りの駅へたどり着いた。
その間、俺と町田はただの一言も言葉を交わさなかった。
駅に降り立った俺たちは、駅前のカフェで一息つく。
コンセントに充電器を突き刺し、数分待つと、画面にぼんやりと明かりが灯った。
『……システム、再起動。おはようございます、山川さん』
「おお、生きてたかポンコツ」
ムッシュの電子音を聞いた直後だった。
ブルルルルルルッ!!
スマホが狂ったように震える。不在着信の通知が画面を埋め尽くしていた。発信元はすべて『鏡』だ。
「なになに!? ストーカー?」
ストローを咥えた町田が顔をしかめる。
俺は慌てて通話ボタンをタップした。
「あ、鏡さん? 悪い、バッテリーが切れてて――」
『山川さん! 無事ですか!?』
鼓膜を劈くような大声。いつも冷静な男の、余裕のない響きだった。
『手配した宿から連絡があったんです。待ち合わせのバス停に向かったが、誰もいなかったと。一体どこをほっつき歩いていたんですか!』
「は? 待ち合わせ?」
眉間に皺が寄る。
「何言ってんです。ちゃんと宿屋の人が迎えに来てくれましたよ。『神楽』さんでしたっけ。ただ、そこで治特隊が来たって言われて、奥にある『彼方』って部屋に逃げ込んで……いろいろありましてね」
『……神楽?』
鏡の声が、ピタリと止まった。
『誰ですか、それは。私はそんな人間を手配していません』
嫌な汗が、背中へ滲む。
「いや、宿屋には主人がいて……俺たちはそこで、本当に治特隊に襲撃されて……」
『ちょっと待ってください』
鏡の声が、一段低く冷たいものに変わった。
『治特隊? あり得ません。私が手配した宿は、ブラックリストにも載っていない完全にクリーンな場所です。周りには民家もあり、衆目のある場所でそんな騒ぎが起きるはずがない。そういう場所を選んだんですから』
電話越しの沈黙。カフェの軽快なBGMが、ひどく遠く感じられた。
『山川さん。確認します』
鏡が、一つ一つの言葉を確かめるように問う。
『本当に治特隊が襲ってきたんですか? あなたは、そいつらの姿を、その目で見たんですか?』
「…………」
息が止まる。脳裏に、あの夜の映像がフラッシュバックする。
慌てふためく宿屋の主人。『彼方』という名の客室。扉の先で待ち受けていた、不可侵領域の光景。
俺は、ただの一度も『追手』の姿を見ていない。足音も、怒号も聞いていない。
「……見て、ない」
喉がひどく掠れる。
「奴らが来たって……あの宿主に言われただけだ」
『……なるほど。そういうことですか』
鏡の深い溜め息が漏れる。背筋にぞわりと悪寒が走る。
神楽という案内人。宿屋の主人。すべては最初から仕組まれていた。俺たちを見えない恐怖で煽り、巧妙にあの『彼方』という名のゲートへ押し込むために。
自分自身の足で、罠の扉を開けていたのか。
一体何のために?
──『世界を、在るべき形に戻す』
彼方の言葉を思い出す。
──『もし迷ったのなら、もう一度最初に戻ってみる』
あの道祖神の言葉もだ。
見えない敵の意図は分からない。だが、この得体の知れない盤面をひっくり返すための『手札』なら、心当たりがあった。
──俺の曖昧な記憶。
あの男‥‥‥荒魂が言っていた、欠けた記憶。
そして、それを知っているはずの人間。
俺は向かいの席でケーキを食べる町田とやっくんを見つめ、静かに口を開いた。
「頼む。……俺と一緒に、両親と会ってくれないか?」
俺の言葉に、町田がバグった。
「ふぇ!?」




