第十四話 帰り道
「聞いたよ。バイトを掛け持ちしてるって」
静かな夜道を、自転車を押しながら歩く彼女に歩調を合わせ声をかける。
正直、一口にバイトと言っても色々あるだろう。彼女ほど魅力的な女性なら、危険な誘いもあるかもしれない。
彼女は、小柄とはいえ端正な顔立ちに、屈託のない笑顔。勇者の資質のせいか、その瞳には人を惹きつける不思議な力がある。
それらを全部合わせれば、十分に魅力的な女性だ。
だからこそ、変な輩に目をつけられないか心配になる。なんだか、言いようのない不安に駆られ、俺は尋ねてしまったのだ。
「大丈夫かい? いくつ掛け持ちしてるの?」
彼女は一瞬、目を伏せたように見えたが、すぐにいつもの笑顔に戻り、にっこりと微笑んだ。
「三つですね! 牛丼屋さんと、それとこの後に行くコンビニ! それに……」
「それに?」
「スーパー『はやかわ丸』のレジ打ちです!」
……うん。ごく普通の、健全なバイトでよかった。
心の底からホッとしている自分が、なんだか典型的な心配性の親みたいで、少し嫌になる。
「でも、もっと割りのいいバイトも探してはいるんです。例えば、夜の……」
「ダメだ! そういうのは絶対にダメ!」
俺が食い気味に叫ぶと、彼女は「あはは」と楽しそうに笑った。
「しませんよ。自分でも、色気がないのは分かってますから」
──いやいや、時々見せるその憂いを帯びた瞳は、マジでヤバいからな!
「あのさ……もし君が良ければ、俺がいくらか用意できると思う」
俺の言葉に、隣を歩いていた彼女が、不意にぴたりと足を止めた。
振り返ると、彼女は街灯の光が届かない場所に、じっと立ち尽くしている。
「そんなにたくさんは無理かもしれないけど……。こう見えてもサラリーマン歴は十年だし、一人暮らしだからさ。ある程度は、力になれると思うんだ」
少なくとも、この一か月程度なら、なんとかなるはずだ。
彼女は、俯いたままぽつりと言った。
「……それって、お金をくれるって、ことですか?」
その問いに、どう答えるのが正解なのか分からない。俺は戸惑いながらも、なるべく自然に、気軽な雰囲気を装って言った。
「援助、かな。もちろん、それで君に何かを要求するつもりもない。今回のことが終わるまで、俺が君をサポートするよ」
つくづく、自分の不器用さが恨めしい。
うまく言葉が出てこない。
俯いたままの彼女の肩が、小さく、小刻みに震えているのが見えた。
──あ、まずい。完全に誤解させてしまった?
そして、か細い声で、彼女は言った。
「やっぱり私じゃ駄目ですか?」
──なに!? なんて?
「私みたいなダメな奴じゃ、やっぱり勇者なんて無理なんですか?」
顔を上げた彼女の目は、涙があふれ真っ赤だった。
「いやいや、そんなつもりじゃないよ。君が頑張ってるから、力になれればと思ってさ」
「……でも、それって……私が、一人じゃダメだってこと、ですよね」
俯いた彼女が、鼻をすする。やがて、その肩がヒクヒクと震え、嗚咽が漏れ始めた。
──泣いてる!?
俺は、狼狽して思わず周囲を見回した。
幸い、暗い夜道に人通りはない。
……とはいえ、このシチュエーション。
いたいけな少女を泣かせている、怪しげな中年男。
どう考えても、通報されかねない「事案」が発生している。
彼女は、今にも泣き崩れそうに自転車に身を寄せ、か細い肩を揺らしている。このままでは、地面にうずくまってしまいそうだ。
俺は視線の先に近くの公園を見つけ、そっと彼女の自転車に手を添えながら、公園の中のベンチへと誘導した。
彼女をベンチに座らせ、自転車を傍らに停める。
もう、人目も憚らずに泣いている彼女に、せめてハンカチでも渡そうとポケットを探った。
……と、指先に触れたのは、なぜか湿った布の感触。取り出してみると、それは居酒屋のロゴが入った「おしぼり」だった。
一体どこで入れ替わってしまったのか。とにかく、俺はそのおしぼりを彼女に手渡す。どうしていいか分からず、ただ隣で固まっていることしかできなかった。
その時だった。
目に突き刺さるような強い光が、暗闇を切り裂いた。
「ちょっと、いいですか?」
懐中電灯をこちらに向け、二人の警察官が立っていた。
「……どうかしましたか?」
警察官は、俺と泣いている彼女を交互に見比べ、あからさまに怪訝な目で俺を値踏みする。
「すみません、ちょっと身分証、見せてもらえますか?」
険しい顔で詰め寄られ、俺は震える手でポケットから定期入れを取り出し、中から免許証を差し出した。
「山川新次郎さん……。失礼ですが、こちらの女の子とは、どういったご関係で?」
俺は恐怖で声も出せず、ただただ頷くことしかできない。
すると、顔を上げたルーリが、小さなバッグをひっかき回して何かを探し始めた。やがて、もう一人の警察官に、一枚のカードを差し出した。
「……山川、るーりさん?」
警察官の問いに、ルーリはこくんと頷く。
「あー……と、お身内の方でしたか。失礼しました」
一瞬、迷った。迷ったが、ここはもう、確率の高い方で押し通すしかない!
「……父です」
ルーリが、驚いたようにパチクリと俺を見る。
頼む、話を合わせてくれ! そう思い、必死に目配せする。
彼女は、一瞬の間の後、こくりと頷き、「はい」と小さな声で答えた。
「そうですか。いやはや、大変失礼いたしました。とはいえ、最近は不審者も多いですから、夜も遅いですし。ご家族のお話は、ご自宅でゆっくりどうぞ」
そう言うと、警察官たちは敬礼をして去っていった。
「……パパ?」
ルーリがじっと俺を見る。
──その呼び方は色んな意味でマズイから、今すぐやめて!
俺は慌てて首をブンブン振って否定の意思を示したが、彼女は小首をかしげるだけだった。