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第十三話 山川さん


 その後、ぐでんぐでんに酔い潰れたアンジュを、ソニアが呼んだタクシーに乗せた。

 名残惜しそうに何度も頭を下げるソニアに手を振り、二人が乗ったタクシーを見送る。

 

 女神が泥酔するとは、なんとも不思議な話だ。彼女たちこそ、あらゆる「状態異常耐性」スキルを持っているはずなのに。


 ——あいつ、わざとスキルを切っていたに違いない。きっとそうだ。


 俺は、終電間際の電車に滑り込み、三つ先の駅で降りた。


  国道沿いのその駅は、大学が近いこともあり、深夜とはいえ、ちらほらと騒ぐ若者たちの姿がある。


 場違いな自分を感じながら、俺は大通りから一本外れた商店街へと足を向けた。目的は、深夜でも煌々と明かりが灯る、あの店舗だ。


 自動ドアには、にっこりと笑う牛が丼を掲げるイラストが描かれている。

 考えてみると、少しシュールで笑えない。ガラスの隙間から店内を覗くと、今は客がおらず、がらんとして寂しげだった。


 その奥で、小さな人影が動くのが見えた。俺は、意を決して店内に入った。


 入口の券売機で「牛丼(並)」のチケットを買い、カウンター席に進む。


 厨房の奥から、小柄な女性が「こんばんはー、いらっしゃいませー!」と元気な声で出てきた。


 女性は一瞬、俺の顔を見て、何かを思い出すように怪訝な表情を浮かべる。そしてすぐに、誰だか気づいたのだろう、大きく目を見開いた。


「シ、シン様!?」


「こんばんは」


 俺は、厨房に一番近い席に腰を下ろし、「バイト、頑張ってるって聞いたから。つい、来ちゃったよ」と照れ隠しに頭をかいた。


 女性──いや、この世界の勇者ルーリは、固まったまま俺を見つめている。


「突然ごめん。迷惑だったかな?」


「ぜ、全然! 全然そんなことありません!」


 ルーリは、首が取れるんじゃないかという勢いで、ぶんぶんと横に振った。


「じゃ、とりあえず、これお願いします」


 俺がチケットを差し出すと、彼女はハッと我に返り、それを受け取って「しょ、少々お待ちください!」と奥に消えた。


 再び出てきた彼女は、「お待たせしました」と、牛丼の乗ったトレーを俺の前に置く。

 俺は「いただきます」と手を合わせ、丼を口に運んだ。


 居酒屋でビールを飲みすぎてもはや食欲はなかったが、彼女が作ってくれたかと思うと、不思議と美味しく感じられ、夢中でかきこんでしまう。


 しばらく俺の前に立っていた彼女も、店内の監視カメラを気にしたのか、いったん厨房に下がっていった。


 そして今度は、おしんこの小鉢を持ってきて、「これ、サービスです」と俺の前に置いた。


「え、いいよ。そんな、気を遣わないで」


 俺が断ると、彼女は「あ!」と小さく叫び、慌ててカウンターを出て、券売機で「おしんこ」のチケットを買ってきた。


「これで、大丈夫です!」と、にっこり笑うルーリ。


 ——この子、本当に生真面目なんだな……。


 俺は「じゃあ、お言葉に甘えて。ありがとう」と礼を言い、おしんこをポリポリと食べた。


 さすがに、ここで長々と話し込むわけにもいかない。それに、つい勢いで来てしまったが、何を話せばいいのか分からない。


 生真面目な彼女は、相変わらず店内の監視カメラをチラチラと気にしているようだし。


 また今度出直そうと、俺が席を立った、その時だった。


 厨房の奥から、若い男性店員が現れ、大声で呼びかけた。


「山川さーん!」


「「はい」」


 思わず、名前を呼ばれて返事をしてしまう俺。


 そして、なぜだか隣で、一緒に綺麗な声がハモった。


 青年店員は、俺とルーリを見比べ、何かを察したのか、「あー、はいはい」と妙に納得したような顔をした。


 そして俺に向かって、「お迎えですか、お疲れさまでした」と軽く会釈してくる。


 ——え、何この雰囲気? なんか誤解されてない?


「早番で俺が入るから、山川さんはもう上がっていいよ」と彼はルーリに言った。


 一瞬、状況が飲み込めず混乱する。隣を見ると、なぜだか顔を真っ赤にして俯く彼女がいた。



 ▽▽▽


「すぐに着替えてきますから、ちょっとだけ待っててください!」


 彼女にそう言われ、しばらく店内で待っていたが、青年店員の突き刺すような視線に耐えきれず、俺は外に出た。


 深夜二時。


 こんな真夜中でも、大通りはひっきりなしに車が走っている。


 つい先日まで、まさか自分が深夜に女の子のバイト終わりを待つなんてことが、人生に起こるとは想像もしていなかった。


 気を落ち着かせるため、非常用にカバンへ忍ばせていた煙草と携帯灰皿を取り出し、火をつける。


 路上喫煙は、立派な犯罪だ。だが、深夜のこの時間くらい、大目に見てもらおう。


 俺が一本を吸い終える頃、店の裏手から「お先に失礼しまーす!」と元気な声が聞こえた。

 振り返ると、ルーリが細い路地から自転車を引きながら出てくるところだった。


 今どきの女の子と何も変わらない、カジュアルなTシャツに、少しダボっとしたズボン。


 ──おっと、「ズボン」なんて、またアンジュに「高齢者」と笑われる。


 ふと、あの騒がしい女神を思い出してにやりとすると、ルーリは不思議そうに俺を見つめ、「お待たせしました」と駆け寄ってきた。


「私の家、ここから歩いて十五分くらいなんです」


 そう言って、彼女は自転車を押しながら先導しようとする。


 俺は慌てて、「いやいや、ちょっと挨拶するつもりで来ただけだよ。そんな、ご自宅に上がるなんて、考えてないから!」と弁解した。


 自分でも、ひどく不器用な言い方だと思う。だが、誤解だけは解いておきたかった。


「それに、こんな真夜中に、女の子が一人で帰るのは危なくないか?」


 俺がそう言うと、彼女は「あはは」と明るく笑った。


「自転車でビューンと一気に帰るので、大丈夫です。それに、これでも一応、勇者なので」


 ——そりゃ、勇者を襲って無事で済む奴はいないわな。


「そういえば、君も『山川』っていうんだね。すごい偶然だ」


 何気なくそう尋ねると、彼女は思い出したかのようにピタリと足を止め、みるみるうちに顔を真っ赤にした。


「どうしたの?」


 びっくりして尋ねると、「ごめんなさい!」と、ルーリは急に深く頭を下げた。


「こっちの世界に来た時、ソニアから『日本では姓と名前がいる』って言われて……。私、平民だから名前しかなくて、それで……その、シン様の姓を、お借りしちゃったんです」


 顔を真っ赤にして俯く彼女。


 なるほど、合点がいった。

 異世界では、平民は名前しかない。それで、いざ姓を名乗るという段になって、「山川」を使った、ということか……。


「……山川、ルーリさん?」


 俺が呟くと、ルーリはこくんと小さく頷いた。


「なーんだ、そんなことか。全然問題ないよ。でも、本当に『山川』でよかったのか? ほら、もっと壮大なさ、『天竜』とか、綺麗な『白鳥』とか……」


「山川がいいんです! 山川が、良かったんです!」


  急に身を乗り出して力説する彼女に、俺は「お、おう……」と頷くことしかできなかった。


「ごめんなさい……。なんだか、押しかけ女房みたいで……」


 ルーリが、消え入りそうな声で呟く。


 ——いや、どう見ても、これはお父さんと娘でしょ。


 でも……なんだか悪くない気分だった。



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