99.消えたノア
ほんの一瞬だけ、表情が曇ったような――カルロスの横顔に、影が落ちたような気がした。
あれっと思い、もう一度見るが特に変わったところは無い。素晴らしく整った顔がそこにあるだけだ。
うーん……気のせいだったのかしら?
魔王像の上で、二人きりの時間を過ごしていた。
見晴らしの良い場所で、カルロスは色々なことを教えてくれる。普段は無口だが、今日はほんの少しだけ饒舌に。
こんな恋人みたいな普通の時間が、なんだか少しこそばゆい。
魔界の民が行き交う街並みや、聳え立つ山々に、森や林、どんなタイプの魔族がどういう風に暮らしているかとか。そんな話。
本当に、人間と変わらない生活をしている。
とは言え、人だって十人十色。魔族だって性格や習慣、考え方も違うだろう。
そういえば。
ノアが考えた、魔石の輸出についても把握しておかなければいけない。魔王の妻になるのなら、魔界の王妃教育を頑張らないと。それこそ必死にねっ。
そんな思いが伝わったのか、カルロスは繋いだ手を指を絡めて握り直し、「私が支えるから何も心配するな」と言った。
そして、二人でこれからの事を大まかに話し合うと、魔王城へ向かった。
◇◇◇◇◇
いつもは、直接目的の部屋へ転移するのだが、今は敢えて正門から入った。
迷子になりそうなほど広い敷地を、カルロスに抱えられ飛んでいるのだ。風を切り、珍しい花々が咲く庭園の景色はどんどんと流れていく。
あっという間に城の玄関が見えると、大きな扉が勝手に開き、メインエントランスのホールに到着した。
――えっ!?
大理石で出来た、白と黒のチェス盤模様の床にフワリと降りる。目の前の大階段の前にはロランとキーランが立ち、その左右には……ぞろりと使用人達が並んで頭を下げていた。
人間界は深夜で眠る時間帯だが、魔界はそうではないらしい。太陽の無いここでは、其々の生きやすいように時間を使う。
だから、魔王城も眠っていない。
それは理解しているつもりだったけど……。
こんな仰々しく迎えられ、気遅れしてしまう。その上、皆からの視線が温かい。
「お帰りさないっ! 魔王様にヒナ……じゃなくて、う〜ん、王妃様?」と疑問形でキーランは言う。
「ふぇっ!? ど、どうしてそれを?」
キーランの一言に声が裏返ってしまった。
ついさっきの話が、何故もうバレているのだろうか?
「だってねぇ〜、ロラン?」
キーランは意味深長な目をロランに向けて、楽しそうに言った。
「おいっ、ヒナをからかうんじゃない!」
ロランはキーランを嗜めるが……当のキーランは、テヘッと笑いニコニコするだけだ。
そして、ロランが私に教えてくれた。
「我々は、魔王様の眷属だから。何と言うか、その……感情が流れてくるんだ。特に、怒りや喜びなんかがな」
「えっと……、それってつまり」
チラッとカルロスに視線を移すと、プイッと横を向いてしまった。色白の首がほんのり色付いていることから、照れているのだと判った。
毎度からかわれて赤くなるのは私の方なのに……。
た、楽しいっ!
ほんわかした雰囲気の中、ふとノアがこの場に居ないことに気がついた。キョロキョロと探すが見当たらない。
「あれ? ノアは居ないのですか?」
私の言葉に、ロランとキーランは不自然に視線を交わし、カルロスを見た。何かがおかしい。
「ノアは明日から、学園へ行くのではなかったのですか?」
てっきり……オレリアとミレーヌの記憶を戻したのだから、そのつもりなのだと思っていた。
「その件については、話さなねばならないことがある」
首を傾げた私に向かい、カルロスは場所の移動を促した。
◇◇◇◇◇
サロンではなく、そこは魔王の執務室だった。
使用人は全員下がり、カルロスと私、ロランとキーランだけになる。
「それで、ノアに何かあったのですか?」
カルロスは、ノアがよく使っている机の方に目をやり、ゆっくりと口を開く。
「ノアは、天界へ帰った」
「……え?」
思わず聞き返す。ロランとキーランは何も言わない。
「天界って、なぜですかっ!? ノアは天族ではなく魔族なんですよね? カルロスの……魔王の眷属だって」
「ああ、確かに私の眷属だった」
――だった?
過去形の言葉に、ギュッと胸が苦しくなる。
緑頭の顔が脳裏に浮かび、あの時の嫌な予感が甦って来た。
「ノアは自分で、私との契約印を壊したのだ」
「そんなっ!」
だって、ノアは。
誰よりも、魔王であるカルロスを慕っていたのに。いつもカルロスの隣には、ノアが居るものだと思っていた。
「……でもさ。この契約印て、一方的に壊せないですよね?」
ここにきて、キーランが口を開くとロランも頷いた。どうやら二人も、納得している訳ではなさそうだ。
「その通りだ」とカルロスは答える。
「じゃあ、それって……」
信じられなかった。
「初めから、こうなる事も想定して結んだ契約だった。ノアは天族だ。いずれ天界へ戻らなければならない事情も出てくるだろうと。私の側を離れたくなったら、遠慮はいらないと伝えてあった」
裏切られるなら、最初から相手を縛らない。そんな風にカルロスは生きてきたのだ。
「ノアに限って、俺達を裏切るなんてあり得ないです!」
そう言ったのは、ロランだった。
「うん、俺もそう思う。もしも、ノアが天界へ行くとしたら……それって、自分の為じゃないんじゃないかな?」
キーランの言葉に、今度はカルロスが黙ってしまう。
それで私はピンと来た。カルロスは、ノアが裏切ったとは思っていない。理由を知っているのだ。
「……私のせい」
「いや。ベアトリーチェのせいではない。私があの時、緑髪の天族に会ってしまったからだ」
被せ気味に否定される。
けれど、魔王であるカルロスが緑頭に対面したところで、それが何だというのか。私はカルロスの腕の中で隠されていた。
それならーー。
「私が捕まった事が原因ですね?」
あの時に起こった出来事を思い出してみる。
緑頭は私の魔力を受けて『まさか』と言った。その後に続く言葉があったのではないだろうか?
「……ベアトリーチェの本来持つ、魔力に気づかれてしまったのだ」
私は息を呑む。
「気づかれた?」と、怪訝そうに口に出したのはキーランだった。
そして、カルロスは……仮初めの印をも壊してしまった、私の魔力について詳しく話し出した。




