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Lost Princess(後編)


付近で戦があったという話は聞いていない。エレインの情報源は、ロロしかないのだからそれも当てにならない。


遠くから落ち延びてきた脱走兵か、傭兵か、いずれにしろ助けて得があるとは思えない。それでも、エレインの体は考えるより前に動いていた。甲冑を脱がせ、必死で牢の中に運んだ。


男が目を覚ました時、背中を向けて椅子に座るエレインの姿が別人と重なった。感極まったように手を伸ばす。


「グニエーヴル……、会いたかった」


エレインは男のうわ言を聞きつけ、振り返る。


「ひどい怪我だったのよ。立てる?」


混濁していた意識がはっきりし、エレインが人違いだと知るや、男は肩を落とした。同時に槍で貫かれた腹の傷がなくなっていることに気づいた。


「ここは冥府か。貴女は審判の女神か」


「どちらでもありません。貴方はどこからいらしたのですか」


「フランスから王の元に馳せ参じる最中だ。俺が行かねば危うい」


男が立とうとした際、水差しを倒したので、エレインは彼を押しとどめた。前髪に隠れた彼の涼しい目とぶつかり、どぎまぎする。


「俺は子供の頃、湖の妖精に浚われたことがある。貴女はその妖精に似ている」


エレインは目をつり上げ、男をなじるように睨んだ。


「すまない。誉めたつもりだった」


「言葉は裏腹。気をつけないと、また怪我をしますよ」


目くじらを立てたことを内心恥じていたが、今の自分がどう見られるかはエレインにとって死活問題だ。その上、騎士の怪我を直すために、体の一部を使ってしまって存在が薄くなっている。


「何やら、貴女が透けて見える。やはりまだ怪我は治っていないようだ」


「ここは幽霊塔。何が現れても不思議はありません」


「因果な所に迷い込んでしまった。だが、介抱してもらった礼がしたい。ご婦人、貴女の名前は」


「エレインといいます」


男は油断のない目つきで剣を探している。壁に立てかけてあったのを、エレインは運んでやった。


「ありがたい、エレイン殿。やはりこれがないと落ち着かぬ」


剣を抱いたまま、男は床に寝ころんだ。疲れて眠っただけのようだ。エレインは彼の顔を拭いてやり、目を覚ますと水を飲ませてあげた。


「何から何までかたじけない。まるで我が家にいるようだ」


今度はエレインが怒り出さないか、間合いを計るように慎重だった。それを見るとおかしくてたまらなくなり、エレインは口元を覆った。


「ずっといてもらってもいいのですよ」


「えっ?」


「冗談です。ほら、また裏腹を間違えてる」


不躾とは知りながらも、エレインは他人と会話できる機会を楽しんでいた。これが最後かもしれないと思うと、言葉が止まらなくなるのだ。


男は主君の息子が指揮する反乱軍と戦っているという。ブリテンでは争いの火種が絶えない。特別不思議ではないが、主君に対して忠誠よりも負い目で戦っているという印象を受けた。


エレインは家族のこと、自分のこと、城での暮らしのありったけをぶつけた。目減りするだけで体積することのない思い出を語るのは惨めであったが、口は淀みなく動いた。ところが、男の反応は予想とは違った。


「それだけですか?」


思ってもみない横やりに、上気したエレインの顔が冷水を浴びたように一瞬で青ざめる。


「え、ええ……、でも仕方ないでしょう。全てを奪われたのだから」


「貴女のお話は父王の積み重ねた歴史で、貴女自身を語っていないように思える」


「歴史のしみだっていいじゃない」


エレインは男の胸ぐらを掴もうとしたが、無惨にもすり抜けてしまった。


「歴史のしみとして存在するだけで、今の私には精一杯なの」


エレインの目から真珠のような涙が伝う。男の手に落ちると、確かな温もりを感じさせた。


重苦しい沈黙の中、時間は過ぎたが、塔の真下が騒がしくなった。男が窓から見下ろすと、馬に乗った騎士の一団が到着した所だった。


「隣国の兵よ。この塔を壊しに来たのだわ。亡国の王女が生きているという噂が立つだけでも、都合が悪いのでしょう」


思い出を集積した幽霊塔がなくなれば、エレインをこの世に繋ぎ止めるものはなくなる。いずれこうなることはわかっていた。半ば諦めている。


「エレイン殿は、騎士の役目をご存じか」


「敵を殺すことでしょう」


「違います。騎士の勤めは誇りを守ること。介抱の礼に、それをご覧に入れる」


男は窓辺に立ち、勇ましく声を張り上げた。


「我が名は、ランスロット。アーサー王麾下の誇り高き円卓の騎士である。これ以上、王女の家名に泥を塗るおつもりなら、私がお相手いたす。命のいらぬ者は上がって来い」


清々した顔で口上を述べた男にエレインは食ってかかる。


「余計なことしないで!このまま消えさせてよ……」


騎士の手が王女の肩に乗せられた。寸前の言葉に違わぬ重みを感じる。


「それも裏腹ですか?」


何も言い返せず、エレインは事の趨勢を見守ることしかなかった。 


男の言葉は飾りでなかった。名剣アロンダイトで階段を上がってきた兵士を正に鎧袖一触、斬り捨てた。血の臭いが奥まで漂ってきてもエレインは、男の背中を見続けた。これが誇りを守る戦いなら、逃げるわけにはいかない。


「危ない所を助けて頂きありがとうございました。感謝申し上げます」


塔を壊そうとした兵が撤退すると、エレインは男にほほえみかける。それも一瞬のことで、やけに冷ややかな侮蔑の表情に変わった。


「なんて……、言うと思いましたか? 貴方が派手に煽ったおかげで、向こうも引っ込みがつかなくなる。それこそ貴方、戦争ですよ。どうしてくれるんですか」


エレインにネチネチと責められ、男はうつむいた。よかれと思ってしたことが、裏目に出るのはこれが初めてではない様子だ。


「その時は、また駆けつけます」


「貴方は旅の途中でしょう? 私に構っている場合ですか。もう行って下さい」


エレインは、男の背中を押すようにして牢から追い出してしまった。残りの力を振り絞ったせいで、息が切れる。


「俺は貴女を忘れない。貴女も俺を忘れないで」


「はいはい、わかりました。ほら、忘れ物はないですね?」


「では最後に一つだけ」


男のたくましい両腕が、エレインの背中に回された。甲冑越しでも、エレインには男の体温がわかる。一つになれたらと思わないでもない。だがそれは叶わぬ願いだ。別れを告げなければならない。


「御武運を。ランスロット卿」


明くる日、エレインは塔の外に出てみた。草野が荒れ放題の城跡を間近で見るのは久しぶりだ。崩れた城壁の石を拾おうとしたが、指の感覚がなく上手くいかない。もはや意識を集中しても手の密度は高まらなくなっていた。


あのまま騎士を引き留めておけばよかった。あの男は馬鹿だから、泣き落としなんて手に簡単に引っかかる。それでも、最良の騎士を惑わせた亡国の王女として歴史に名を刻みたくはいと思った。あの男は確かにエレインに誇りを取り戻させた。これ以上ない残酷なやり方で。


草を踏みならす足音が背後から聞こえた。あるはずのないエレインの心臓が、早鐘を打つ。万一、後ろに彼がいたら、今度こそ自分はその胸に飛び込んで甘い毒を吐くだろう。


振り返ってみて、落胆と安堵が襲ってきた。背後にいたのは年端の行かないロロだった。


ロロはエレインの取り乱し方を心配して、代わりに石を積み始めた。それを見たエレインは無性に悔しくなり、掴める小さな石を拾って城壁の土台に積み重ねる。雑草を抜き、領土を広げる。


往事よりも壮麗な城を立てて、あの男を見返してやる。エレインの建国記は、ここから始まった。

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