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 綿毛のような白い雲が、青い空を流れていく。

 注ぐ日差しも暖かで、肌を撫でて吹く風が実に心地いい。


「あー………」


 村の休耕地にて、白い毛をゆさゆさ揺らしながら草を食む羊達を眺める。

 定位置になった岩の上に座りながら、トールは小さく声を漏らした。

 悪神との戦いから、早一ヶ月。

 死の山を丸ごと浄化してからは、魔物の影はまったくと言っていいほど見られなくなった。

 ヨルサを助けて戻ったばかりの頃は一応の警戒を続けていたが、やはりあの山が魔物の発生源であったらしい。

 何故、あの場所にあれだけの魔物がいたのか。

 何故、悪神はあんな呪いに染まっていたのか。

 疑問は多い。だが大半は、自分で考えたところで答えの出ないものばかりだ。


「つまり、今考えても仕方がないってわけだな」


 あっさりと頭を悩ませることを放棄して、軽く肩を回す。

 悪神を退治してからこれまで、何だかんだと色々忙しかった。

 魔物による被害が思ったより広範に渡っており、あれから何人かの難民が村へと流れてきたのだ。

 殆どが着の身着のまま。手に何かを持つ余裕すらなく、命からがら逃げ延びてきた人達。

 本来ならば、村で受け入れるのは難しかっただろう。

 一時的に食料を分けることなどは出来ても、彼らは帰る場所自体を失ってしまったのだから。


 その無理を何とかしたのが、他ならぬトールだった。

 まず食料は、食べても減らない山羊の肉を使うことでどうにかした。

 怪我人や病人はミョルニールの魔力で癒し、死に落ちていくはずだった命も救い上げた。

 働ける男を連れて森に入り、木々を切ってそれを魔力で加工し、雨風をしのぐための家を用意する。

 彼らの手で地面を耕させ、他の畑から分けて貰った恵みをそこに与えることで、生きていくための糧とする。

 可能な限り手を貸しながらも、ただ助けるだけではなく、彼ら自身の足で立って歩けるように。


 そんな感じで面倒を見ていたら、あっという間に時間は過ぎていった。


「…………うむ」


 悪神との戦いとはまた別の意味で疲れはしたが、それは充実した疲労だった。

 困った人々に手を貸して、その上で感謝を受ける。

 一柱の神として、これ以上に喜ばしいことはないだろう。

 またヨルサに叱られてはいけないと、悪い癖が出ないよう自制する日々だ。


「………トール様ー!」


 噂をすれば影か。

 慣れ親しんだ少女の声に、トールは視線をそちらへと向ける。

 ヨルサだ。いつものように片手に小さなバスケットを下げて、小さく手を振っている。

 慣れた様子でトールの傍まで来ると、定位置であるその隣に腰を下ろした。


「どうぞ、お昼ですよ」

「おう、いつもすまんなぁ」


 差し出されたバスケットを受け取って、いつものようにサンドイッチを広げる。

 もうすっかり慣れてしまった、日常の風景。

 余程空腹だったのか、すぐにサンドイッチを美味そうに齧るトールを、ヨルサは微笑ましそうに見ている。

 

「そういえば、ウルルはどうした?」

「ロキ様と一緒ですよ。この一ヶ月で、すっかり仲良くなったみたいで」

「あー………まぁ、一応釘は刺しておいたし、変なことは教えたりしとらんとは思うが………」


 悪友の笑顔を思い浮かべて、思わず眉間に皺が寄る。

 あの決戦の夜にロキが出鱈目に歌った、雷神トールを讃える詩。

 ウルルを含めた村人の多くがすっかりそれに惚れ込んでしまったようで、ロキは度々村の中で歌うようになった。

 稲妻の乙女だのなんだの言われると、トールとしては小っ恥ずかしくて堪らないが、それに助けられたのも事実なので強くは言えない。

 

「あの詩、ウルルは本当に気に入ってしまいましたね。私も好きですけど」

「お前まで止してくれ、ワシにも羞恥心ってもんがある」


 少女にまで言われると顔が熱くなってしまう。

 誤魔化すようにガリガリと頭を掻いていると、風と共に聞き覚えのあるメロディが流れてきた。

 村の中ではすっかりお馴染みになった、ロキの奏でる音色だ。


「よぉ、稲妻の乙女よ! ご機嫌麗しく?」

「うるせぇミョルニールぶつけるぞ」


 楽器をかき鳴らしながら軽い足取りでやってきた悪友に、右手に大鎚を呼び出して威嚇する。


「ちょーちょーストップストップ! 冗談だろ冗談ー、ムキにならないでくださぁーい!」


 割と本気で火花を散らすと、ロキは慌てて楽器を消す。

 そして一緒に歩いていた少年の後ろに回ると、わざとらしい動きで身体を屈めてみせた。


「いいのかーいいのかー、今投げるとウルルに当たっちゃうぜー?」

「なぁ、ホントにブン殴って良いかお前?」

「と、トール様もロキ様も、喧嘩はダメだよ」


 盾扱いされてるのも構わずに、ウルルは健気に仲裁の役をこなそうとする。

 その後ろで勝ち誇った面をしている悪友(バカ)に真面目にブチ切れそうになるが、どうにか堪えた。

 実際がどうあれ、ウルルにとってロキは憧れの歌い手だ。

 それをあまり目の前でボコボコにするのは、少年の精神衛生上宜しくないだろうと我慢する。

 わかっててあえてドヤ顔をかましているロキは、それはそれとして後で懲らしめておく必要はあるが。


「本当、仲が良いですよね。お二人とも」

「勘弁してくれヨルサ。こんなもんはただの腐れ縁だ」

「切っても切れない赤い糸ってヤツよねー」


 くねくねと気持ちの悪い動きをするロキの首をねじ切りたかったが、トールは寛大な心でその衝動を抑えた。

 ウルルも何か勘違いしているのか、ヨルサの言葉に笑顔で頷いている。


「………なぁ、ウルルよ。仲良くするなとは言わんが、コイツは無条件に信じて良い相手じゃないから、その辺気をつけろ。な?」

「大丈夫だよ、トール様」


 トールの大真面目な忠告にも、ヨルサは微笑みながらロキの方を見て。


「ロキ様は、ちゃんとトール様の助けになってくれたんだから。僕は、ロキ様のこと、信じてるよ」


 本当に、これ以上ないぐらいの信頼を込めてウルルは言った。

 そのあまりの眩しさに、トールも思わず目を眇めてしまうほどだ。

 言われたロキの方はというと、ますます身体をくねくねと蠢かしており、割と真面目に気持ちが悪い。

 ふざけているのか本気で照れているのか、それは長年の付き合いがあるトールにも分からないが。


「………ホントお前、ワシは兎も角ウルルを裏切るような真似をしたら、今度こそ許さんからな?」

「わーってるってよー過保護な神様だなぁオイ」


 真剣に睨みつけながら唸るトールに、ロキは苦笑いと共に答える。

 そのまま軽い足取りで草を踏み、トールの足元に胡座をかいてどかりと座った。


「曲のリクエストはあるかい? お嬢さん」

「え? あぁ、その、ごめんなさい。あまり詳しくなくって」

「大丈夫、オレも詳しくないから」


 突然振られて驚くヨルサは、そんなロキの返答に思わず吹き出してしまう。

 その様子を見て満足そうに頷くと、道化の神は慣れた手つきで楽器の弦を爪弾き始めた。

 風に乗って流れるような、穏やかな曲だ。

 羊達までもが草を食むのをやめて、そのメロディに聞き惚れている。

 恐らくは即興の演奏だろうが、そんなことは微塵も感じさせない素晴らしい腕前だ。

 慣れてるはずのトールさえも引き込まれてしまいそうだが、何か悔しいのでその辺りは極力表に出さない。


 曲が始まると、ウルルは嬉しそうにその場で身体を揺する。

 リズムに合わせて足踏みをして、自然と踊るように動いてしまう。

 それを見ていたヨルサも、釣られるように立ち上がって弟の隣へと並ぶ。

 そうして音に合わせて手拍子を叩きながら、彼女もまた楽しそうにステップを踏み始めた。


 弾き手のロキも興が乗ったか、穏やかだった曲のテンポを徐々に早めていく。

 姉と弟は顔を見合わせて軽く笑い、両手を繋いでくるりと回る。

 道化の神が出鱈目に引き散らす曲に、ヨルサもウルルも身体が自然と動くに任せてステップを踏む。

 その音に聞き惚れ、姉弟のダンスを微笑ましそうに眺めながら、トールも軽く手を叩く。


 心穏やかな時間は続く。

 自らの手で守ったものの価値を噛み締めながら、トールはその時間に浸っていた。


「………なぁ、友よ」

「ン?」


 演奏の手は止めぬままに、不意にロキが声を掛ける。


「お前、これからどうするつもりだ?」


 口調も何も相変わらず軽薄なままで、道化の神は雷神に問いを投げた。

 どうするつもりなのか、と。

 意味するところは、考えるまでもないだろう。


「特に目的があるわけでもなし。当分はこの村におるつもりだが」

「お前がそれで良いなら、良いんだけどなぁ」


 楽器を爪弾きながら、ロキはどこか含みのある言い方をする。

 それもまた、脳筋なトールでも考えるまでもなく察することができる。

 悪神のことや、あの魔物のこと。

 神がいないというこの世界に隠された秘密。

 それらに関して、何もしないままで良いのか?と。

 ロキは言外にそう問いかけているのだ。


「………気にならんと言えば嘘になるが、暫くは保留だな」

「その心は?」

「焦らんでも、いずれブチ当たることだ。ワシの勘がそう言っとる」

「お前の勘かよ、そりゃ当たりそうだわ」

 

 勘など、根拠も何もあったものではないが、それを否定することなくロキは笑う。

 トールは視線だけを、笑うロキの方へと向ける。

 ロキは本当にどうしようもない程バカな奴だが、それはそれとして頭の回転は非常に早い。

 この世界についても、トールは気づいていないことも既に察しているかもしれない。

 勿論、何も知らない可能性も同じぐらいに高いが、問い詰めたところでロキが素直に吐くとも思えない。

 すべては道化の神の胸三寸で、舌先三寸だ。

 何が真実かを推し量れない以上、聞くだけ無駄というものだ。


「何かオレ、また酷い評価されてね?」

「自業自得じゃわい」


 わざとらしく不満を言うロキを、トールは一言でばっさり切り捨てる。


「お前も、頼むから余計なことをしてくれるなよ。ワシは今の生活が、それなりに気に入っとるんだ」

「そりゃオレもだから、安心しろよ。………とはいえ、お前自身も言ってる通り、きっと今回みたいなことはまた起こるぜ」


 賭けてもいいと、ロキは笑う。

 この世界に自分達が落ちてきたのが偶然でないのなら、必ず因果はまた巡ってくる。

 あの悪神がそうであったように。また別の、何処かの神が。

 それがトールも知る北欧の神々であるのか、それともまったく知らない世界の神であるのかは、まだわからない。

 運命を綴る予言は、今のトール達には無いのだから。


「そうなったらそうなったで、ワシはまた戦うだけさ。お前もここにおるつもりなら、少しは手伝えよ」

「あんだけ手伝ってやったのに、酷い言われようだぜ」


 わざとらしく嘆いて見せるが、一体何処までが本音なのやら。

 ただ少なくとも、ここまでのロキの行動に偽りはない。


「まぁ安心しろって。オレは今、お前の新しい英雄譚を歌うことに結構な楽しみを見出してるんだ。

 それを自分で台無しにしようなんてーバカはしないつもりだ。色々演出加えたりとか、自作自演してみたりとかはするかもしれんけど」

「それが信用ならんっちゅーんじゃアホめ」


 ある意味ではこれ以上ないぐらいに信頼してはいるが。

 しかもこの道化の神と来たら、あの小っ恥ずかしい詩をこの先も歌うつもりらしい。

 抗議の意を込めて軽く頭を踏んでみるが、ゲラゲラと笑うばかりで楽器を弾く手も止めやしない。


「トール様!」


 グリグリと踏んでいたら、ヨルサが声をかけてきた。

 視線を向ければ、弟のウルルも一緒に手招きをしていて。


「どうですか?ご一緒に」

「………あんま上手くはないぞ?」

「良いんですよ、楽しめればいいんですから」


 違いないと、トールは微笑みながら頷く。

 ロキから足をどけ、岩の上から軽く飛びながら姉弟の傍に降り立つ。

 少女の手と、少年の手。

 差し出された手をそっと握り返しながら、トールもまた流れる音色に合わせてステップを踏む。

 笑って、踊って。ロキもまた、自分の奏でる曲に合わせて踊る三人を、愉快そうに眺めて。


「なぁ、トールよ!」

「なんじゃい!」

「今、楽しんでるか?」


 道化の神は、笑いながらそう問いかける。

 問われた雷神もまた、笑みと共にそれに答えた。


「楽しんどるさ。今、この生をな!」


 黄昏を越えた先。新たなる黎明となった、この生を。

 トールは偽りなく答えながら、ヨルサとウルルの手を握る。

 音色が響く。笑う。誰もが楽しそうに笑っている。

 ヨルサも、ウルルも、ロキも。そして自分も。

 誰もが笑って、この黎明を生きている。


 ただそれだけのことが、トールにはたまらなく嬉しかった。





 ――――巨人がもたらした豊穣の大地、“既知の領域(アニマ・ムンス)”。

 その南の端に、奇跡の村があるという。

 どんな屈強な戦士よりも優れた力を持ち、天から落ちる雷さえも操る。


 何処より来りしか、稲妻の乙女。東の最果て大熱砂か、北の極限たる永久氷壁の彼方か。

 誰も知らぬ。誰も知らぬが、彼女がもたらす奇跡は知る。

 優しき乙女よ、彼女は救いを求める者には必ず手を差し伸べる。

 手を取り、助けを与えて、その者が再び歩き出せるようにその背を押す。


 名も無き村に降り立った、稲妻の乙女。

 何処より来りしかは、誰も知らぬ。その名も無き村の名は、今や多くの者が知る。

 誰が呼んだか。優しき稲妻の乙女が住む、奇跡の村。



 人は彼の村を、“雷神の村(サンダーヴィレッジ)”と呼んだ。





 《第一章:雷神の黎明》 ―完―




第一章は以上となります。

プロットのまとめと書き溜めがある程度終わり次第、二章も開始する予定です。


ここまで読んで頂き、本当にありがとう御座います。

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