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 二条の雷が激突する。


 片方は、青白く輝く眩い雷光。

 片方は、闇に染まった狂気の黒雷。

 雷光が迸れば、腐敗した死の山の大地は焼け焦げ、しかし次の瞬間には正常な大地へと癒されていく。

 黒雷が唸れば、大地はさらに病んでいき、汚泥はさながら溶岩のようにグツグツと煮え滾る。


 死と狂気、生命と勇気。

 二つの相容れぬ稲妻がぶつかり合う。


「っらあぁぁッ!」


 猛き雷神トールが吼え、右手に掲げた雷霆(ミョルニール)を振り下ろす。


【 あ あ あ あ あ ! 】


 名も無き悪神が叫び、黒雷を纏って襲いかかる。

 二つの稲妻が絡み合い、反発し、世界を大きく揺るがす。

 ここに来て、両者の力は拮抗していた。

 悪神の放つ呪いの黒雷は、トールが振るうミョルニールによって打ち砕かれ。

 トールが放つ雷撃は、悪神の纏う闇の衣に防がれる。

 ぶつかり合って散った火花だけで魔物が吹き飛び、呪いと癒しが相反する螺旋を描く。

 互角。いや、僅かだが、互角ではない。


【 ! 】


 悪神が低い唸りを上げる。

 防いだはずの雷に、纏った闇がじわじわと焼かれつつある。

 それを見て、トールはにやりと笑みを見せた。


「やはりな」


 確信を言葉として呟き、更なる追撃をかける。

 一撃、二撃。メギンギョルズで増幅された力を間断なくミョルニールに与えながら、雷を連打する。

 それに対し、悪神は防戦一方。

 全身を隠す闇でそれを受けながら、黒雷を宿す爪で迎撃する。

 大半の威力は相殺できているが、重ねれば重ねるほどに差は目に見えて現れてくる。

 打ち合って弾けた火花が闇を焦がし、黒雷で守られたはずの爪にも小さな亀裂が刻まれていく。


 圧されている。

 一度は雷神を一蹴したはずの名も無き悪神が、確実に。


「この差が分かるかよ! 名も無き悪神よ!」


 叫びながら距離を詰めるトールに、悪神は空間を滑るような動きで離れようとする。

 一度は容易くトールの警戒を潜り抜け、その懐まで侵略した動き。

 それも、今の雷神には通用しない。

 ああも簡単に接近を許してしまったのは、単に相手が速かったからではない。

 緩急だ。緩やかな動きから、素早い動きへと変じる移り変わり。

 その落差によって、相手の感覚を惑わしていた。


「無駄だ、もう見えとるわィ!」


 分からなければ幻惑されるばかりだが、種が割れてしまえばどうということはない。

 あっさりと追いついてきた雷神に、悪神は総身を震わせる。

 そこに、大上段から叩き落とされるミョルニール。

 渾身の力を込めた雷霆は、纏う闇も宿る黒雷も無関係に砕きながら、死の山の大地へと悪神を打ち落とす。


【 ぎ いい い ぃ ! 】


 悪神の悲鳴が響く。

 相変わらず頭蓋を内側から掻き毟るような不快な声だが、どこか弱々しい。

 今までは不快感が強く、まともに耳を傾ける余裕もなかった。

 だがこうして弱った声を聴くと、悪神の声はどこか鳥の鳴き声にも似ていた。


「………ふん」


 トールは地に落ち、のたうつように蠢く闇を見下ろす。

 その本質がなんであるのか。

 神ではない。その邪悪な在り方は、恐らく生来の神のものではない。

 ならば獣であろうか。恐らく、その予想に間違いはない。

 この闇に隠された本質は、獣のそれだ。

 しかしただの獣が、弱ったとはいえ雷神と争うほどに強大となり得るのか。


 分からない。少なくとも、トールはそれの名すら知らない。

 狂った悪神の真実に、興味がないわけではない。


「だが、こっちもそうそう余裕はない」


 今はこうして逆転しているが、それもまた何をきっかけにひっくり返されるか分からない。

 このまま決着をつけるべく、トールは右手のミョルニールを掲げる。


「終わりだ。悪神。―――お前は、ワシの雷を恐れていた。それがお前の敗因だ」


 告げて、トールは稲妻を振り下ろす。

 一つでは終わらない。確実に悪神を葬り去るために、全力を傾ける。

 それはさながら、天地の狭間で荒れ狂う雷の嵐だ。

 文字通りの天変地異が、死の山の頂きで吹き荒れる。


【 あ ぁ あ あ ああ あ !? 】


 悪神は叫び声を上げる。

 その身を千々に引き裂くような雷に呑まれながら。


 いたい。いたい。くるしい。くるしい。

 

 その精神は狂気で濁り切ってしまい、正気である部分など一欠片もない。

 それでも、その狂気を上回るほどの苦痛に晒された時、蘇ってくるものはある。

 まだ、悪神がこの地に落ちてくる前。

 何処かの地に在った時の、鎖された記憶。


 呪いと狂気に染まり、悪神としての格を得るまでは、それは神などと呼ばれる代物ではなかった。

 単なる一頭の獣であり、とある都を震え上がらせただけの怪異。

 獣は、己が何者であったのかを知らない。

 この地に落ちる以前から、その獣は何者でもなかった。

 そして単なる獣であった時から、それは人々に苦痛と災いをもたらしていた。


 何者でもない。それに名はない。

 名を知る者もなく、ただ「得体のしれない怪物」の記号としての名で呼ばれるばかり。

 何者でもない獣は、ただの災厄として在った。


【 い ぎ ぃ ぃいいぃ !】


 苦痛。苦痛。苦痛。

 身体が粉々に砕け散り、魂さえも灰になってしまいそうな。

 雷神は手を抜かない。宿敵の命脈が完全に潰えるまで、己の力を振り絞る。


 くるしい。くるしい。しぬ。しぬ。


 何故、こんな苦しい思いをしているのか。

 何故、他人に同じ苦しみを与えているのか。

 分からない。

 狂気と呪いの冒された後なら尚更に、そうなる前から獣は己の理由を見失っていた。

 ただ、災いは災いとして。そうなることを宿命づけられたように。


 理由などないのかもしれない。

 理由など必要なかったのかもしれない。

 だから、獣にとってその記憶がどういう意味を持つのか、何も分からない。

 自身が死する瞬間。精神を染め上げる狂気が、雷によって切り開かれているが故に浮かび上がった走馬灯。


『母よ。母よ』


 誰かが嘆いている。

 苦しいから、嘆いているのか。

 悲しいから、嘆いているのか。

 その身を貫かれ、死の淵へと落ちていく獣に、誰かが泣いて縋っている。

 誰だろうか。神ではない、単なる獣でしかないそれには、もう何も分からない。


『何故。何故、貴女が』


 雷に焼かれ、意識が霞む。

 ただ追憶の内から響く声だけが、よく聞こえる。

 自分を討ち取ったはずの男は、死に逝く獲物に縋って涙を流す。


『私は、こんなことを望んだわけでは………』


 母よ。意味のわからない言葉で、男は嘆く。

 何故に泣く。悲しむ必要など何処にあるのか、英雄よ。

 お前はこの怪異を打ち払った。

 災厄をもたらす獣を討ち果たしたのだ。

 ならば嘆く必要などない。胸を張れ。お前は使命を全うしたのだ。


 この身は怪物。

 英雄に倒されるからこそ、存在する意味がある。

 そして我が身は望む通りの英雄に討たれた。

 呪いも災いも、その為にこそあった。


【 ぃ ぎ 】


 狂気と呪いが、闇の奥底で渦を巻く。

 故郷の地で死して、憎悪により変じた化生の身のままこの地に墜ちた。

 その在り方は、大地に眠っていた呪いとひどく相性が良かった。

 名も無き獣は闇を呑み込み、恐怖と絶望を啜る呼び名もない悪神へと変生した。

 薄い自我はすぐに塗り潰されて、記憶の欠片も失って。


【 あ ぁあ ぁ 】


 けれど今、雷神の一撃にその身を砕かれながら、悪神は思い出す。

 この禍いは、ただ一人の英雄に討たれることだけを望んでいたのだと。

 その為に、この身は生者を寄せつけぬ災厄となったはず。

 呪いも、狂気も、すべて呑み干して。


「む――――?」


 眼下で、闇が蠢いている。

 トールは一瞬たりとて、攻撃の手は休めていない。

 ミョルニールが形作る雷撃の檻は、悪神が滅びるまで決して離すことはない。

 逃れることなどできない、絶命が約束された死の領域。

 その中にあって、闇が未だに蠢いている。


【 ぎ ぎぎ 】


 認められない。名も無き悪神は、声もないまま吼える。

 あの時と同じ、死の淵に立たされて。

 最早正気も狂気もなく、悪神はただ己の内にある根源的な衝動に突き動かされる。

 この身は禍い、この身は死。恐怖。絶望。呪い。

 災厄そのものたる我が身を、討ち取るならばただ一人の英雄のみ。

 そうでなければならない。そうでなければ意味はない。

 英雄(あの子)に討ち取られなければ、呪いを呑んだ意味がない。


 だから、認められない。

 あの眩き神に討ち取られるなど、断じてあってはならない。


 執念が、情念が、闇の奥底から力を引き出す。

 恐れている?この身が、あの雷神を?

 そんなことは有り得ない。呪われた我が身が恐れるとするなら、ただ無為に死に落ちることだけ。

 それに比べれば、万象あらゆる事柄が恐怖するに値しない。


【 が ぁ ああああああぁぁあああああ ッ !!! 】


 故に、名も無き悪神は咆哮する。

 闇が弾け、全方位に放たれる黒雷が雷神の檻を内側から押し開く。


「なんと………!?」


 こちらの雷を恐れ、とうに屈したと思った悪神のまさかの反撃。

 流石のトールも驚きを隠せない。


【 る ぅぅぅ あぁ ああああぁ ! 】


 そして間髪入れずに、巻き上げられた噴煙を貫いて、悪神がトールに襲いかかる。

 その姿は、先ほどまでとは明らかに異なる。

 纏っていた不定形の闇の衣は、まるで刃を逆立てたかのような獣の持つ毛皮へと変じている。

 その四肢は太く、虎か獅子などの四足の猛獣を思わせる。

 顔は人に似ているが、はっきりはしない。

 そこにだけ、定まらぬ闇が仮面のように纏わりついていた。


 牙をむき、憎悪と憤怒に赤い瞳を燃やしながら、真っ直ぐに雷神を睨みつける。

 狂気もある。腐臭漂う呪いもまた、全身に染み付いている。

 だが悪神の様子は、トールの目から見ても先ほどまでとは明らかに異なった。


 何がどう違うかなどは、言葉にできない。

 死の寸前まで追い詰められたことで、狂ったはずの悪神の中で何かが蘇ったのかもしれない。


「………まぁ、何でもええわな」


 笑う。トールは悪神の爪を掴んで止めながら、赤い瞳を真っ向睨み返しながら凄絶に笑う。

 力関係が逆転し、かつ自分に対して恐怖を抱いたはずの敵が、再び拮抗状態にまで持ち直した。

 驚嘆すべき事態であり、戦士としては笑みの一つも浮かんでくる。

 主義も思想も、生まれ落ちた世界さえも異なる者同士。

 一方的な蹂躙などではなく、その存在意義を握り締めてぶつけ合う。

 まさに血湧き肉躍る。戦いとはこうあるべきだ。

 故にトールは、笑いながら猛々しき悪神を迎え撃つ。


「貴様が何を思い、狂ってしまったかは知らんが―――――」


 悪神は憎悪を、雷神は戦意を滾らせて。

 雷光と黒雷は、再び正面からぶつかり合う。

 異なる稲妻が反発しながら螺旋を描き、死と再生の火花を散らす。


「ワシは負けん。最強の雷神、トールの名に誓ってな………!」


【 ぎぃぃぃああぁあああああああ!!! 】


 戦いの場を、大地から暗雲に呑まれた夜空へと移し、雷神と悪神の激突は続く。

 魔物達は、最早その場にはない。

 雷光に清められ、あるいは黒雷に呑み込まれ、すべて果てた。

 だから、その争いを見届ける者は、ただ一人。


 ヨルサだ。少女は一歩も動かず、空を見上げている。

 この世界にはいないはずの、二柱の神。その戦いの結末を見届けようと。


 その頬を、こぼれ落ちた涙が濡らしている。

 戦う雷神の勇姿に、心を打たれたのか。

 悪神の記憶からこぼれ落ちた、母を呼んで嘆く声に涙しているのか。



 それはヨルサ自身にも、分からないことだった。




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