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 死の山には、無数の魔物達で溢れ返っていた。



 粗末な武器を手にした醜悪な小鬼(ゴブリン)

 引っこ抜いた木をそのまま棍棒として担ぐ岩妖(トロール)

 鋭い爪と牙をむき出しにして誇示する食人鬼(オーガ)


 トールがこの山の魔物を蹴散らしてから、まだそう時間は経っていないはずだ。

 あの時にいた数でも、多くて百を超えるかどうか。

 取り逃がした数も十には満たないはずだ。

 だというのに、夜闇の中には数え切れない程の魔物がひしめき合っている。

 恐らく百ではきかないだろう。数百か、あるいは千にも届くか。


 そのすべてが一斉に咆哮を上げて、たった一柱の雷神へと雪崩かかる。


「上等だ………!」


 傷はまだ癒えておらず、力も減じてしまったまま。

 悪神はおろか、この魔物の大群を退けることすら危うい。

 それを分かっているからか、闇はこれみよがしにヨルサの傍らで蠢き、トールを嘲笑っている。

 

 ―――お前はここまで届かない。

 ―――そのまま無惨に引き裂かれ、朽ち果てながら死ね。


 底のない悪意が、言葉もなしに直接伝わってくる。

 故にトールはそれを笑い飛ばし、向かってくる魔物達に自分の方から突っ込んでいく。


「雷霆よ!」


 真正面、群れの先頭付近を走るトロールの頭に雷を落とす。

 やはり威力が明らかに落ちているが、トロール一頭を仕留めるには十分。

 斜め上方から降ってきた雷撃に脳天を打ち抜かれて、トロールの動きはその場で停止する。

 当然、走っていた時の勢いまでは死んでおらず、その巨体がぐらりと傾いだ。

 後ろについていたゴブリン達もそれに気づくがもう遅い。


 倒れ込んだトロールの巻き添えを食らい、後続の魔物達も次々と転倒していく。

 巨大なトロールや、比較的に大柄なオーガなどはまだしも、小柄なゴブリンは溜まったものではない。

 転んで押し潰されて、それだけでかなりの数のゴブリンが戦闘不能に陥る。


 群れの突撃に生まれたその隙間に、トールは迷わず飛び込む。

 まだ息のあるオーガの頭を踏み砕き、最初に倒したトロールの手から落ちた棍棒を掴み取る。


「おぉぉぉぉぉぉぉっ!」


 メギンギョルズで膂力を倍加し、それを思い切り振り回す。

 襲いかかろうと寄ってきたゴブリンは木の葉のように吹き飛ばされ、這い出してきたオーガも頭をぶち砕かれる。

 さながら暴風。その細い身体から、今ある限界の力を引き出して暴れる。


「ッ!」


 その勢いが、唐突に塞き止められる。

 見れば二体のトロールが横並びになり、振り回されていた棍棒をがっちりと受け止めていた。

 三者のパワーに棍棒がギリギリと軋むが、それ以上の変化は起こらない。

 力も落ちている現状、一体ならまだしも二体同時に押し勝つのは難しいか。

 止められたことよりも、魔物が連携めいた動きを見せることにトールは驚いた。


 トロールが棍棒の動きを止めたことで、荒れ狂っていた暴風に間隙が生じる。

 ゴブリンもオーガも、彼らを突き動かす悪意のままに動く。

 再び向かってくる狂気の群れに対して、トールは笑みを崩さない。


「甘いわ」


 止められた棍棒を、いつまでも握っている必要はない。

 それをさっさと手放すと、即座に右手にミョルニールを構えて、それを振り上げる。

 狙うのは、魔物の群れではない。

 渾身の力を込めて、トールはそれを自身の足元に叩きつける。


 目を焼く雷光に、耳を潰す雷鳴。

 雷神であるトールはその影響を受けないが、魔物達はそうではない。

 主要な感覚を同時に二つも喪失し、群れの動きが再び止まる。

 足を止めた先頭に、勢いを殺しきれなかった後続が突っ込み、さらにその後続が折り重なる。

 その混乱の渦中へとトールは身を投じた。


 一度でも防戦に回ってしまったが最後、押し返すのは難しくなる。

 だからトールは攻め続ける。

 数の差は覆し難く、今の力では一瞬たりとて動きを止めぬことでしか戦線を保てない。


「邪魔だ………!」


 ミョルニールで、あるいは拳や蹴りで、時に魔物の武器も振り回して。

 雷神の奮戦は途切れることなく続く。

 多くの魔物が蹴散らされた。

 しかしそれ以上に多くの魔物が次々と襲いかかってくる。

 敵の虚を突き、混乱させ、多数の利を可能な限り打ち消しながら戦い続ける。


「くっ……!?」


 だが、それとて完璧ではない。

 現状を考えれば奇跡的な戦いぶりだが、劣勢であることに変わりはない。

 仕留めそこねたゴブリンに足を止められて、避けきれなかったオーガの爪に肉を裂かれる。

 トロールの振るう棍棒の一撃は、防いだとしても骨身を軋ませる。

 

 疲労と負傷が、確実に雷神の身体を蝕んでいく。

 倒した魔物の数は、恐らくまだその総数の半分にも満たないだろう。

 ミョルニールによる治癒も、その源がトール自身の力である以上、傷は癒せても疲労は増えるばかり。

 その速度も遅々としたものとあっては完全なジリ貧だ。


 駄目か。やはり届かないのか。

 ほんの一瞬、弱い心が雷神の胸の内から沸いて出る。

 だからだろうか。

 トールの視線はその瞬間に、魔物の群れや悪神ではなく、囚われたヨルサを見た。

 せめてあの少女だけでも救わねばと、無意識に顔を出した弱い気持ちのままに、雷神はそれを見た。


 強く自分を見つめる、真っ直ぐな瞳を。

 涙を溜めて、恐怖に今にも泣き出してしまいそうになりながらも、それを堪える少女の姿を。

 彼女は信じているのだ。トールの勝利を。

 信じているからこそ、抗う力も逃れる術もないままで、恐怖に耐えている。


 それに対して、己はどうだ。

 確かに身体は傷ついているだろう、力も大きく弱まっているかもしれない。

 だが自分は戦える。戦う力がこの手にあり、意思と覚悟を持ってこの戦場に赴いたはずだ。

 ロキは言った。いつものように突っ込めと。面倒くさいことは考えなくていいと。

 ならばその通りにすればいい。

 女の身になって、弱気の虫が腹に住み着いてしまったか。

 そのような体たらくでは、またあの悪友に馬鹿にされてしまう。


「ふ……ははっ」


 惑うな。己の弱い心を、トールは今一度笑い飛ばす。

 ヨルサは雷神の勝利を信じている。

 ウルルは姉が無事に戻るのを信じている。

 ロキもまた、最強の雷神が勝利することを信じている。

 ならば自分自身が、己の勝利を信じられなくてどうする。


「あぁ、やってやるわい………!」


 ミョルニールを振るい、雷霆の一撃を魔物の群れに叩き落とす。

 魔物達は怯まない。悪神に施された恐怖の支配と、自らの狂気と悪意に背中を押されて荒れ狂う。

 それを見下ろしながら、悪神は雷神の奮戦を嘲笑う。

 意味などない。結末は変わらない。

 信仰を失った雷神は、醜い魔物の群れに無力に引き裂かれるだけ。

 そしてそれを目にしたならば、この少女の輝きも闇の底へと落ちていくだろう。


 悪神は笑い、ヨルサはその闇の淵に晒されたまま、無心に祈り続ける。

 決して目を逸らさないよう、トールの戦いを見つめながら。


 その輝きが必ず勝利を掴み取ると、少女は信じて祈り続ける。





 ………トールが魔物の群れと戦い続けるその頃。

 村はただ、静かな諦念の中に沈んでいた。

 決定的な絶望ではないが、致命的な失望ではあった。


 魔物達を容易く蹴散らしたはずのトールの、まさかの敗北。

 あの人がいてくれれば大丈夫。必ずこの異常な事態を解決してくれるはずだ。

 そんな期待が強かったからこそ、その敗北はあまりに大きかった。

 傷つき倒れてしまったトールの姿を見て、誰からともなくその言葉を口にした。


「もう、この村は終わりだ」


 あの時、雷神が退けてくれたはずの恐怖。

 それが再び死となって、自分達に降り注ぐのではないかという未来予想図。

 殆どの村人が、その未来が現実になり得ることを理解していたからこそ、彼らは諦めてしまった。

 絶望という程には具体的ではない。

 どうしようもない現実に気づいてしまって、どうしようもないと諦めて膝をついてしまった。


 村長やそれに近い者達は、それでも義務感から今後のことを話し合っている。

 逆に多くの村人は、何をするでもなく停滞した時間を過ごす。

 どうしようもない。どうすることもできない。

 

 誰もがそう考えていた中で、一人の少年だけは違った。


「トール様が、姉ちゃんを助けに行った」


 それがウルルの第一声だった。

 真夜中に家の戸を叩いて、顔を出した村人へ向けて、まずそれを言った。

 誰もが驚く。あの人は、あんな傷だらけだったのに、まだ諦めていないのかと。

 その驚愕の内に、少年は次の言葉を投げかける。


「だから、みんな酒場に来てほしい。それがトール様の、助けになるから………!」


 理由は分からない。理屈も分からない。

 ウルルはただ酒場に人を集めるように言われただけで、村人がそれを問うても答える術がない。

 一体その行為に何の意味があるのか。

 分からないが、ウルルが自分達をからかっているわけでないのは分かる。

 少年は最愛の姉を攫われてしまったのだ。危機感で言えば、どの村人達よりも強く持っているはずだ。

 ウルルの強い訴えと、トールが未だ諦めていないという事実。

 その二つが、諦めていた村人達の心を少しだけ動かした。


 無気力に、けれど確かに自分の足で、多くの村人が村唯一の酒場へと集う。

 小さな店では椅子の数も足りず、立ったままでいる者も多い。

 彼らは一様に顔を見合わせていた。

 集まったはいいが、ここで何が起こるのか。

 自分達が助けになると言うが、具体的なことは何も分からない。


 彼らを呼び集めたウルル自身も同じで、酒場の隅で泣きそうな顔をして立っている。

 時間だけが過ぎる。

 意味はなく、ただ流れ出すように過ぎていく。


 やはり、こんなところに集まっても無駄でしかなかったんだと。

 諦めてしまった人達が、また己の諦めの淵に戻ろうとした。


 その時。


「イッエエエエエエエエエエエエイ! ようこそ愚図どもぉ、雁首揃えてご苦労様ァ!」


 鼓膜が破れてしまいそうな程の大音声が、村中に響き渡った。

 何事が起きたのか。あまりの音にふらつく頭を抑えながら、村人達はその源を探す。

 そして気づく。いつの間にそこに立っていたのか。

 多くの村人にとって見覚えのない、黒と白の衣装を身に纏った小柄な女性。

 酒場の中心辺りに置いてあったテーブルの上に仁王立ちして、馬鹿にしたような笑みと共に村人達を見下ろしている。


 道化の神ロキだ。

 胸の前で軽く腕を組み、ロキは集まった人々へと向けて悪罵を飛ばす。


「どいつもこいつもしけた面してんなァ! なっさけねェ、本当にどうしようもねェ連中だなぁオイ!」


 聞く者の神経を逆撫でし、感情を底の底から揺さぶるような声。

 道化の神は笑う。無力に打ち拉がれる人々を嘲笑う。

 身振り手振りも大仰に、勝手気ままに罵詈雑言を吐き散らす。


「お前らどんだけ甘ったれてンだよ! ちょいとヒーローの情けないところを見ちまったから、もう駄目だおしまいだってかぁ?

 キヒ、ヒハハハハハハハッ! あーあー、おっかしいおっかしい。面白すぎて腸が捩れるぜぇ」


 目元に浮かんだ涙まで拭って見せつつ、ロキはひたすら馬鹿笑いしている。

 言われている方も、最初は何事かと呆気に取られていたが、言葉が重なる程に苛立ちが顔を出す。

 なんだ、なんなんだコイツは。

 いきなり出てきたかと思ったら、好き勝手に言い出して。

 そんな感情すらも見抜いて、ロキは更に罵倒する。


「おいおいどうしたァ? 自分じゃ何にもできない愚図のくせに、怒るのだけはいっちょまえか? 笑っちゃうねェ!」

「っ……言わせておけば、なんなんだ一体!」


 比較的若い村の男が、椅子を蹴倒すように立ち上がって声を上げた。

 諦めで弛緩していたはずの心に、激情という熱が灯る。


「俺たちだってな、何かできるんならそうしてるよ!」

「そうだよ、けどどうしろってんだよ! 魔物と戦って死ねばいいってのか!?」

「大体、お前は誰なんだよ! 呼び集められたと思ったら、好き放題言いやがって!」


 一つ上がれば、また一つ。

 ロキの挑発に上手いこと乗せられた村人達が、次々と言い返し始める。

 あっという間に酒場の中は喧騒に満たされた。

 その様をロキは満足そうに見下ろす。

 悪神が撒き散らした恐怖と絶望、それに麻痺させられていた心と感情が、これで動き出した。

 荒療治ではあるが効果は覿面。

 まったく聞かされていなかったため、どうしたらいいか分からず狼狽えているウルルには、少しだけ悪いことをしてしまったが。

 

「だがまぁ見てろよ、こっからがロキ様の腕の見せどころだ」


 そんな少年にわざとらしいウィンクを送って、ロキは笑う。

 村人達からの罵声が飛び交う中、血の気の多い連中は言葉だけでは足りないと、ロキの方へと近づいてくる。

 引きずり下ろそうと手が伸びた瞬間、勢いよくテーブルを踏み鳴らした。

 厚い木靴の底とテーブルの表面が激突した音が、酒場にいる人々の耳を強く打ち据える。

 誰もが驚き、一瞬の間を作る。

 そこにするりと、ロキの弁舌が滑り込んだ。


「よーしよし、お前らの言いたいことは分かった。オレも少し言いすぎたな。

 で、テメェは誰だよと聞かれた以上、名乗らないのは失礼ってなもんで、お前ら耳かっぽじってありがたく拝聴しな」


 テーブルの上でくるりと一回転。特に意味のある仕草ではない。

 ただ自分に注目を集めて、集中させるためだけの動き。

 火を点けられ、感情が爆発するところでいきなり冷水をかけられた人々は、否が応にもロキの言葉に引き込まれてしまう。

 人々の心の流れが、今ロキ一人へと集まりつつある。


「オレの名はロキ、道化の神にして最強の雷神トールの無二の盟友! お前らは実に幸運だぜ、村人諸君」


 トールの盟友という言葉には、村人達も大きくざわつく。

 本当なのかとウルルに視線を向ける者もおり、それに対して少年は大きく首を縦に振る。

 驚きと困惑が、酒場に集った人々の間に広がる。

 この相手が真実トールの盟友だというなら、さっきの罵倒の意味は何なのか。


 言いたいことは分かる。

 何もできないことを恥じているのは、何もできていない当人達なのだから。

 だが現実として、無力な自分達に何ができる。

 彼らは分かっている。魔物と戦う力など持ち合わせていないことを。

 彼らは分かっている。このまま諦めたところで、何か変わるわけでもないことを。

 

 分かっていて、どうしようもないからこそ、彼らは諦めを選んでしまった。

 運命という賽子にすべてを委ねて、目を閉じて蹲ってしまった。

 そうすれば、嵐は無言で去っていくかもしれない。

 運が良ければ助かるかもしれないと、そう諦めて、望みを捨てた。


「けど、トールはまだ戦ってるぜ。アイツは諦めが悪いからな」


 先ほどまでとは打って変わった、穏やかに諭すような声。

 言葉を返せる者など、いるはずもない。

 諦めてしまった彼らに、何を言う資格があるのか。


「今も戦ってる。娘っ子一人助けるために、命懸けでな。…………ま、それが出来るのは、アイツが強いからってだけだ。

 お前らみたいな愚図の案山子にまで、アイツと同じことやれとは言わねーよ。ヒーローってのは特別で、なれる奴しかなれない仕組みになってる」


 諭す言葉にもほんのり毒を混ぜながら、不意にロキはその場にどかりと腰を下ろす。

 テーブルの端から足をぶらりと下げながら、村人達を見渡した。


「それは分かってるから、オレも贅沢は言わねぇよ。けど、けどな。何もできないことを嘆く心が、少しでもあるなら。

 アイツのために何かしてやりたいと、願う心がほんの少しでもあるなら――――とりあえず、そこに座ってけよ。退屈はさせねぇ」


 自分の髪を一本、指で摘んで引き抜く。

 それが手の中でくるりと回ったかと思えば、白い煙を上げて変化する。

 村人達が見たものは、木造りの楽器だった。

 木から直接くり抜いて作ったような、なだらかな曲線を描く本体に、長さの違う弦が五本張られている。

 ロキはそれを膝に乗せて、指で軽く弦を爪弾く。

 その音は奏者の印象とは裏腹に優しげで、聴く者の心に染み透る。



「まずは一曲、お近づきの印だ。気に入ったんならお代は一つ。心に響くような、そんな拍手を頂戴したい」



 そう言うと、道化の神はゆっくりと楽器を引き鳴らした。




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