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「で、ワシと同じで気づいたらこの世界に来とった、と」
「うん、大体そんな感じ」
とりあえず馬になってる大馬鹿野郎を、ヨルサに教わった形で地べたに座らせつつ。
自分以外の黄昏に落ちた神の顛末を聞いて、トールは暫し考え込む。
胸の下で軽く腕を組み、黙考すること数秒。
「………ワシのこの身体の状況とか、本当にお前がやったわけじゃないんだ? 本当に、絶対に?」
「ひっどーい! トールちゃんひっどーい!」
「ちゃん言うな石臼にかけてすり潰すぞ」
上半身……前半身?を器用にくねくね動かす馬に、軽く蹴りを入れる。
あーれーとかわざとらしい声を上げながら転がったので、その横っ腹に片足を乗せた。
そしてちょっとずつ、馬の腹に力と体重を加えていく。
骨とか内臓とかがあっさり軋み出して、馬がジタバタもがき始める。
「ちょ、待ってストップ! 出る、出ちゃうから! オレの大事なものがゲロっと出ちゃうぅ!」
「いっぺん全部ひねり出した方が世のためな気がするぞワシ」
「いや待ってホント待って! オレは再会したマブダチにこんな目に合わされるような酷いことしたっけ!?」
「黄昏引き起こしといて何言っとるんだお前」
ホントに心当たりがない、みたいに言うロキに、トールは呆れてため息をこぼす。
まぁ、分かっていた。
この道化の神がこういう奴だということは、トールも長い付き合いから嫌というほど知っていた。
あの黄昏を起こした理由も、大した理由などない。
精々が「折角、ご大層に予言なんてされてるんだし、やっちまった方が面白くない?」とか、その程度だろう。
ある意味、というか誰もが断言するレベルで最悪な奴ではある。
他者の言われたくないことを、あえて過激な言葉を選んだ上で喋り倒す。
相手の嫌がることを思いついたら、躊躇なくそれを実行する。
長い付き合いのトールでも、正直美点をあげるのが難しすぎて頭痛を覚えるレベルだ。
「………まぁいい、起こったもんは起こったもんで仕方ない。
お前に反省促すとか、海に真水を一滴垂らして薄めようとするもんだからな。だからそれは脇に置いておく」
「やらかしたオレが言うこっちゃないけど、アレをそれで済ませるトールちゃんは心広すぎだと思うわ」
ちゃん言うなと爪先で馬の腹を踏みにじれば、面白いようにびたんびたんと跳ね出す。
「話を進めるぞ。とりあえず、お前もワシと同じで、あの黄昏の最中に起こった戦いで命を落としたわけだ」
「相打ちに終わったヘイムダルのくっそ悔しそうな顔がメシウマでしたわ」
「次アホなこと言ったらミョルニール一発な」
キャーコワーイと踏まれた状態でまたくねくねしだしたので、とりあえず一発感電させておいた。
ぶすぶすと煙を上げつつ、軽く焦げて大人しくなった。
それを見て満足そうに一つ頷き、トールは話を進めることにする。
「肝心なのはそれからだ、ロキ。黄昏の中で死に落ちて、目覚めてからどうなったか。聞かせろ」
「いやぶっちゃけ、そんな役に立つような話でもないと思うけどねぇ。多分そっちとそんな変わらんぜ?」
「いいから話せ。なんでこんな場所にいるのかも含めてな」
そう言うならと、ロキは存外素直にこの世界に来てからの経緯を語り始めた。
ヘイムダルと相打ちとなって死んだ後、気がついたら見知らぬ土地に放り出されていたこと。
ロキが落ちたのは、この山の北側に広がっている平野で、事態を理解できぬままにその辺を彷徨っていたこと。
変身能力以外の大半の力を失っていたこと。
とりあえず人里を見つけたので、寄ってみるかと近づいたら、魔物の襲撃の真っ最中であったこと。
あれよあれよと巻き込まれて、そのまま連中の拠点らしいこの山に連行されたこと。
「で、大親友のトールちゃんと再会して現在に至ると」
「大事なことをはしょんなっつーに。そもそもなんで馬になってんだお前」
「いやぁ今言った通り、オレ変身能力以外は全然な状態だし。とりあえず面白さアピールで戦利品の立場を得たというか」
「……………」
神々の王オーディンの義兄弟たる神が、自発的に馬に変身した上での命乞い。
その光景がありありと想像できてしまって、トールは眉間を揉む。
「お、どうかしたトールちゃん? オレが馬に変身してるのがそんなに気になる?
なんだ、それならそうと言ってくれればいいのに。いいぜ、今トールちゃん超美女だし、上に乗っかってくれちゃっても!
これが本当の騎乗位」
やかましいのでミョルニールを一発叩き込んでおいた。
今度は微妙に本気の力加減で。
割と真っ黒に焦げた上でびくんびくんと痙攣しだしたが、この程度で死ぬような奴なら誰も苦労などしない。
「馬に変身して、そのまま戦利品として持ち帰られた。で、それ以外には? 魔物どもの拠点に連れ込まれたんなら、他に何か見とるじゃないのか?」
「あーあー、うん。そうね。見たよ、見た見た」
「何を見た?ワシはここの魔物どもをどうにかせんといかんのだ、詳しく聞かせろ」
「相変わらずお人好しねートールちゃん」
変わっていない友人の生き様に、ロキは少しだけ苦笑する。
世界が変わっても、見た目が変わっても、その中身は何も変わるところがない。
それが少しだけ嬉しかったから、そこからははぐらかすことなく話を続けることにした。
「ここにいたのは、殆どがお前に吹っ飛ばされた魔物だったんだが、一匹だけ毛色の違う奴が混ざってた。多分、アレがボスだろ」
「どんな奴だ?それは」
「ぶっちゃけオレにもよく分からんかった。ふざけてるんじゃなくて、マジでな」
闇。そう、アレは闇としか表現のしようがないものだった。
黒い暗雲のようなものを身に纏った、不定形の闇。
この山に住む魔物のすべてが、アレを恐れて従っていたのは間違いないだろう。
ロキ自身、ここに持ち帰られてからは、何度かその姿を目にしていた。
「何か耳障りな声が、頭ん中に直接響くような気持ちの悪い喋り方する真っ黒い奴だった。
その気持ちの悪い砦の中にいることもあったけど、大体は空飛んでどっか行ってるっぽかったなぁ」
「ふむ……なるほど」
「あとまー、これは完全にオレの勘ではあるんだけどよ」
ふざけた口調は変わらないまま、ロキは重要な事実を口にする。
「アレ、多分だけど、オレらの同類だと思う」
「………アース神族の誰か、ということか?」
「ちゃうちゃう。他所の世界から落ちてきた奴だろう、って意味でのご同類。アース神族やヴァン神族の奴なら、オレが見て分からんわけもないし」
この世界とは異なり、トールやロキのいた世界ともまた異なる、異世界からの来訪者。
一見してその有り様は邪悪そのもので、仮に神だったとしてもまともな神格ではないだろう。
従える魔物達を絶望と恐怖で支配しながら、彼らに絶望と恐怖をばら蒔かせる。
「ホント、絵に書いたような悪神だよな。そんなタチの悪い奴は、一発きっちりしばいてやらないとな………!」
「あぁ、まったくじゃな」
本人も希望しているようなので、ミョルニールで一発しばいておいた。
軽く火花を散らしながら身体が跳ねているが、まぁロキなので問題ないだろう。
実際、足をどけてしばらく眺めていたら、割とあっさり起き上がってくる。
「親しき仲にも礼儀あり、って言葉は本当に大事なことだと思うんだよなぁ、オレは! ミョルニールでボッコボッコ叩くのは酷くね!?」
「鏡見て言えその台詞は。本気でぶち込まんだけ慈悲深いと思って欲しいわい」
後ろ足で直立し、前足をブンブン振り回して抗議する馬。
それをさらっと受け流しつつ、トールは小さく唸る。
逃げ散った僅かな魔物以外は大体退治できたが、ロキが言うような黒い相手はこの場にはいなかった。
その異界の悪神が今回の騒動の元凶ならば、そいつを叩かなければ何も終わらない。
「………しかし、そやつは魔物なんざ暴れさせて、一体何がしたいんだ?」
「お、なんだよトール。もしかして気づいてなかったのか?」
独り言のつもりで口に出した疑問に、ロキが意外そうに応じる。
「そりゃどういう意味だ、ロキ?」
「あの黒いのが何者なのかは知らないが、魔物を暴れさせてる目的なんざ明白だろ。ビビらせるためさ」
「もうちょっと、ワシにもわかりやすく言え」
「だからさー、オレら神様の力の源は何よ。
恐れとか、祈りとか、そういう神様に向けられる諸々の人間の感情。つまり“信仰”ってやつだろう?」
信仰。人々が神へと捧げる、あらゆる感情。
ロキの言葉に、今まで我が身に起こったことを振り返る。
この世界に落ちてきたばかりの頃と、現在を比較して明らかに能力が上昇していること。
魔物達が向ける自分への恐怖に、我が身の内から起こる黒い昂ぶり。
信仰だ。すべては信仰だ。
助けた村人達から受ける感謝も、蹴散らした魔物達から受ける恐怖も。
すべて等しく信仰となって、神であるトールの力となっていたのだ。
ならば魔物達の首魁である正体不明の悪神、その目的は明白だ。
「恐怖による支配を自身への信仰に転じて、より大きな力をつけるためか……!」
「だろうなぁ。オレもビビって遠巻きに見てただけだが、ありゃ相当ヤバいぜ。狂気というか、呪いというか、そんなもんに溢れてたわ」
信仰というものは、神に力を与えると同時に、神の在り方にも強く影響する。
人々がその神を、どんなものとして祈っているのか。
時代や土地によっても、それは大きく異なる。
向けられる祈りが幸いなものばかりであれば、その神は人々を救済する善神となるだろう。
逆に恐怖や畏怖ばかりであれば、その神は人々を責め苛む悪神になり得る。
ならば、件の悪神はどうだろう。
あの歪んだ魔物達から注がれる恐怖に、その魔物達が人々に与える恐怖。
それらをすべて己の信仰として取り込んでいるとしたら。
「………正気の沙汰じゃないな」
「実際、元からまともな神格じゃないんだろうさ。あるいは、そもそも神様ですらないのかも。
自分への恐怖広めるのが、パワーアップ手段としちゃお手軽かつ即効性があるったって、それ最初からやるなんて相当キレてっからなぁ」
「そんな危ない奴、尚更野放しにしておくわけにはいかんな」
可能な限り素早く、討伐する必要がある。
恐怖と死で自分の強大化を狙っている以上、時間が経てば経つほど手に負えなくなる可能性が高い。
だが、拠点であるはずのこの山に、悪神の姿はなかった。
ならば悪神は今、何処にいる?
「…………まさか」
嫌な想像が脳裏をよぎる。
相手が恐怖を広めているならば、拠点に不在な理由など明白だろう。
またどこかの村なりを襲って、誰かに恐怖を与えている。
そしてその標的が、トールの救ったあの村でない保証など、何処にもないのだ。
「っ、まずい………!」
「お、どうしたよ」
「そいつは、もしかしたらワシのいた村を襲っとるかもしれん! 急いで戻らんと………!」
ヨルサやウルルの笑顔が、村人達の信頼が。
すべて、得体の知れない闇に穢されてしまうことを想像する。
ダメだ、そんなことは決して許すわけにはいかない。
穏やかに暮らす人々の幸福を、ただ力を得たいという理由だけで踏み躙ろうなど、絶対に許さない。
「あー、確かにそりゃヤバそうだな………だったら」
今まで二足歩行していた馬が、馬らしく四つん這いになる。
そしてさっとトールの前に立つと、鼻先で自分の背中を示した。
「ここまで歩いてきたってことは、戦車はまだ呼べないんだろ? だったら乗れよ。お前が足で走るよりかは速いはずだぜ」
「………すまん、恩に着る!」
ロキの行動に驚きながらも、トールは躊躇うことなくその背に跨る。
「なに、良いってことよ。オレとお前の仲だろ、親友?」
ロキは笑う。
笑って、本心からの言葉を口にする。
あの黄昏で失われたはずのものが、今確かにこの場にある。
たったそれだけのことが、道化の神には嬉しくてたまらなかった。
「だから遠慮せず、オレの首に抱きついて良いんだぜ! さぁ、その豊満な胸でぎゅーっと!」
「はよ走れェ!」
「あひぃ!」
ミョルニールで尻を引っぱたかれて、カエルの潰れたみたいな声を上げながら馬が走り出す。
風もかくやという素早さで、死の山を駆け抜ける。
ロキは友を乗せて走る瞬間を楽しみ、トールは村に残した者達の無事を強く願った。
だから、どちらもそれに気付かなかった。
空を覆う暗雲から、終始彼らを見つめ続けていた闇の存在に。
気づかず走り去る二柱の神の行方を追って、闇は密やかに行動を開始した。