5-4 正悟の敗北
「ゴール!」
祥子が出口に出た。念のため周囲を見渡すが正悟の姿はない。
タイムは8分56秒。平均20分弱であるから約半分、驚異的な早さだろう。
「さて、後は」
正悟を待つだけだ。30秒間隔で出ているはずだから、あともう少しで顔を出さないと自動的に祥子の勝ちとなる。時計を見つめる。のこり5秒。3――2――1――
勝った。
事前に準備していた祥子にとって付け焼き刃で挑む正悟は取るに足らない相手だった。ゴールするまであと5分程はかかるだろう。その間にジュースでも買ってこようかと出口に背を向けた。その時だった。
「あー! 負けたー!」
聞き覚えのある声。祥子が振り向くとそこには息を切らした正悟がいた。
「え、ウソ! 早くない?」
「9分31秒。お姉ちゃんはどれくらい?」
「8分56秒だけど」
「30秒かー。残念だったなー」
とても悔しがる正悟の姿を見てジュースを買うなんて気持ちは消え去った。結果は結果で祥子の勝ちなのだが、この時間差は一体どのようなトリックを使ったのだろうか。
「正ちゃんはどうやってこんな時間でクリアしたの? 普通なら20分くらいかかるみたいだけど」
「そりゃこっちの台詞だよ。僕よりも早いなんて。……これだよ」
正悟がポケットから取り出したのはスマートホンだった。
「正ちゃんスマホ持ってたの!?」
「うん。普段使わないし、誰からもかかってこないから出すことはなかったんだけどね。ほら、これ」
正悟が見せたのは地図アプリの衛星写真だった。その衛星写真からこの場所を拡大していき、巨大迷路を上から捉えていた。完全に鮮明とはいかないが何とか壁などが確認できるほどの解像度だった。
「半分賭けだったんだけど、ここの住所入れて拡大していったら何とか見れてね。それを見ながら解いたんだ。だけどどちらにせよ迷路を解かないといけないからその時間だけはなくてちょっと時間がかかっちゃった」
それでも30秒違い。となるともう少し時間があれば結果はどうなっていたのだろうか。改めて正悟の凄さを認識させられた祥子は言葉を失っていた。
「え、また乗るの?」
「そ」
茜色から濃青色に染まり始めた上空。再び観覧車の列に並んだ祥子たち。すでに午前中に乗っているのだが、パスで乗り放題とはいえ同じアトラクションに乗るとはどういった意味か。
「これが私のお願いだから」
「え……?」
順番が回ってきて、ゴンドラに乗り込むと係員が扉を閉めた。
「その、お願いって、これに乗ることが?」
「ううん。乗ってから……ね」
祥子は少し横にずれて隣に座るよう手招きをした。糸で操られるかのように正悟がすっとそこへ収まる。
「何だか怖いな」
祥子がボソリと漏らした。
「何が?」
「正ちゃんと一緒にここにいられることに。遊園地に行くところから始まって最終的にここまでなんて出来すぎかなって」
「あ、そういえばまだ聞いてなかった。お姉ちゃんはどうやって迷路を攻略したの?」
「え? ……うーん、もう過ぎた話だからいいか。ほら、今は暗いけどここから迷路が見えるでしょ。だからデジカメで写真を撮って、それを元に解いたの」
「でも、午前中の時に撮っているように感じなかったけど」
「当然でしょ、撮ってないんだから」
「え?」
「今日撮ってもそれを解く時間が必要だから間に合わないでしょ。だから先週ここに来たのよ」
「……えっ!?」
驚きながらもひどく納得する話だった。しかし中学生である正悟にとって2倍の料金がかかる選択肢は思い浮かばなかった。大人の財力、恐るべし。そして事前に下見を行い、それから正悟を強引に誘い込んで計画通りに事をこなす安城祥子の底力を目のあたりにした正悟だった。
目が点になっている正悟に祥子が柔らかく包み込むように抱きついた。
「!」
「……しばらくこのままでいて」
「ん、うん……」
過去に何度か抱きつかれたことはあったが、それとはまったく違うものだった。場所がひとつの要因になっているとはいえ、感じるものが違った。
快感とは異なるがそれに近い心地よさ。
幸福と似て異なる安らぎ。
人肌の温もりだけではない空気の柔らかさ。
それに反して皮膚に触れる定期的な振動。
この抱擁は一個人のためではない。目に見える文字や言葉では万揃えても伝えられない。抱く側の祥子が抱かれる側の正悟に対して五感を超えて伝えるメッセージだった。
5・メイズ 完




