英雄の恋
「おいジェイミー、まただぞ。今度はラニス家のご令嬢からだ」
まだ俺が第三騎士団の副団長で、ジェイミーが一隊を預かる若造ながらも英雄と持て囃され出した頃の話だ。
俺が放り投げた薄紫色の封筒を、ジェイミーは訓練剣を拭きながらひょいと首を傾けて避けた。濃い香水の匂いを漂わせるそれは、男臭い兵舎にはおよそ不釣り合いなものだ。
「……そこに置いておいてください」
「置くも何も、床に落ちてるだろうが。ラニス家は本気でお前を婿に欲しがってるらしいぞ」
「興味ありません」
ルーカスが鼻を鳴らしながら炊爨の準備を始める。隣でナイフを研いでいたガードナーも、呆れたように笑った。
「副団長、無駄ですよ。ジェイミーにとって令嬢なんてのは弱くてふわふわした何かでしかないんですから。女心なんて気にも留めないんですよ」
王国最強の若手としてその名を馳せ、今や王国の盾とまで称賛されるジェイミー・フォルン。その実態は、食い物と訓練と睡眠以外に興味がない、色恋とは無縁の男だった。それでもラニス家は娘とジェイミーの縁談を望んでいるらしい。本人が一度も返事をしないせいで、周囲だけが勝手に話を膨らませているだけなのが実情なのだが。
だが、それもつい最近までのこと。
奴に変化が起きたのは、あの小領地での救出戦が終わってからだった。
単独で飛び出した奴が炎の中から救い出したのは、最後の子どもを避難用の荷車へ押し上げて自分だけ逃げ遅れていた領主の娘だった。救出した娘を後詰めの兵へ預けたあとも、ジェイミーは何度も振り返っていたか。あいつが戦場で敵以外のものに気を取られる姿など、少なくとも俺は初めて見た。
それからというものジェイミーは明らかにどこか気が抜けていた。
「……おいジェイミー。今の打ち込み、腰が入ってないぞ。どうした、飯が足りないのか?」
「……? ああ、すみません。少し、考えごとを」
模擬戦の最中だというのに、あろうことかジェイミーが空を仰いでぼんやりと立ち尽くす。
俺とガードナー、ルーカスは顔を見合わせて声を潜めた。
「おい、見たか。あの戦闘馬鹿が考えごとだぞ。明日は槍じゃなくて空から牛でも降ってくるんじゃないか?」
「例の娘さんのことだろ。あの日からずっとあの調子だ」
まさかあのジェイミーがこんな状態になってしまうとは……。俺は溜息をつき、ジェイミーの肩を力任せに叩いた。
「そんなに気になるならさっさと手紙でも書け。礼状くらい届いてるんだろ? どうせ向こうさんもその気があるんだろうから、とっととプロポーズして嫁にすればいい」
「お前が身を固めれば他の令嬢たちも諦めることだろうよ。お偉いさんの子息のためにも、早く彼女たちを自由にしてやんな」
あのジェイミーの恋の話とあって、他の団員たちも集まり出してやんやと囃し立てる。だが当のジェイミーは目に見えて狼狽していた。
「……返事を、出すべきだとは分かっています。ですが……」
「なんだ、気の利いた愛の文句が思いつかないか? ルーカス、なんか適当な詩でも教えてやれよ」
「はぁ? そんなのたった一言、『俺の嫁になってくれ』でいいだろーが」
机に座るようにジェイミーを促して、ガードナーが甲斐甲斐しく紙とペンを用意してやっている。
だが俺は、覚悟を決めたような顔でジェイミーが握りしめたペン先を見て、とあることを思い出してしまった。
「……待て。やっぱやめとけ」
「なんでですか。やっとやる気になったんだから書かせてやりましょうよ」
「お前らは知らんのか。ジェイミーの字の汚さを」
一瞬、その場にいた全員の動きが止まった。
ジェイミーの悪筆は知っている連中の間ではもはや伝説なのだが……こいつが書く報告書はまるで酔ったゴロツキが暴れた後のような解読不能な呪文。俺が清書してやらなければ、敵軍の新手の暗号か、と騒ぎになるような代物なのだ。
「あー……。あれを貴族のお嬢さんなんかに送ったら、悪戯か嫌がらせだと思われるかもしれないですね……」
ガードナーが気の毒そうな顔を見せる。ジェイミーはガックリと肩を落とし、小さな声を零した。
「……だろうな。あの人にだけは、幻滅されたくないんだ」
幻滅、なんて言葉をこいつの口から聞く日が来るとはな。それだけ本気なのだろう。その小領主の娘とやらに。
恐らくは本国の連中はこいつにもっと身分の高い家の娘をあてがって箔をつけたいところだろうが……。せっかくジェイミーが自分で春を見つけたのだ。そんな面倒なことになる前に、本人同士でさっさと話をまとめさせたい。
「文字がダメなら別のものを送ればいいんじゃないか? 貴族の娘ってのは光り物とか花とか、そういう食えもしないものが好きなんだろ?」
田舎育ちのルーカスの雑なアドバイスに、手先の器用なガードナーが助け舟を出した。
「俺が押し花の作り方を教えてやるよ。その辺に野花くらい生えてるだろ。言葉で飾れないなら、実物で勝負するしかないさ」
二人の助言に従ったジェイミーは後日、どこからか拾ってきた野花をこれまでに見たこともない慎重な手つきで分厚い戦術書に挟み込んだ。
「……これでいいだろうか」
「ずいぶん地味な花を選んだな」
「焼けた土地でも咲いていた。あの人なら、こういう花を愛おしんでくれる気がする」
「それなら完璧だ。これなら言葉にできないほどの愛を表現しているように見える。……かもしれない」
どうなることかと思ったが、やがて届いた返礼には、短い礼状と、丁寧な刺繍の施されたハンカチが添えられていた。ジェイミーは休憩のたびに手紙を広げては頬を緩め、ハンカチの刺繍を指先で確かめている。
それから間もなく、俺たちは沿岸部へと移った。
今度こそ覚悟を決めて手紙を書くのかと思いきや、ジェイミーは海岸で拾った真珠色の貝殻を木箱へ詰め始めた。
「おいジェイミー。それはただの貝殻だぞ? 中身が入ってるわけでも細工してあるわけでもないんだろ?」
「彼女はこういうものも慈しめる人だ。……たぶん」
「たぶんかよ……。まあいい、明日、本国へ戻される負傷兵に託してやるよ」
満足げに木箱を見送る英雄様。
調子を取り戻したようで何よりだったが、その数週間後に届いた返信を読んだジェイミーは、戦場で致命傷でも負ったかのような顔で固まっていた。
「どうした。……ついに振られたか?」
「……彼女から、これで最後にします、と……」
「どれ、見せてみろ」
ジェイミーの手から紙を取り上げると、そこにはラニス家との良縁を祝う言葉と、今後は気遣い無用だという文が並んでいた。
「……お前、これを振られたと思ったのか?」
「違うのか?」
「ラニス家との縁談だと書かれてるぞ。お前が黙ってる間に、向こうが勝手に話を膨らませやがったんだ!」
どうやらジェイミーは額面通り、これ以上関わりたくないという意味だと受け取ったらしい。こんなもの、相手が気を遣って身を引いただけに決まっているのに。
俺は盛大に溜息をつき、ジェイミーの鎧が派手な音を立てるほどの勢いで、その背中を蹴り飛ばした。
「この馬鹿野郎! 尻込みしてねえでとっとと馬を引け! 休暇届は俺が後からどうにでもしてやるから!」
「副団長……!」
「早く行け! 自分の口で言ってこい! 字が汚いせいで回りくどい真似をしてごめんなさいってな!」
ジェイミーは弾かれたように走り出し、馬を飛ばしていった。……なんなら戦場よりも早駆けしてんじゃないか、あいつ?
土煙を見送りながら、ガードナーがおもむろにポケットから銀貨を取り出す。
「さて、副団長。賭けましょう。あの朴念仁が字の綺麗なお嬢さんを口説き落とせるかどうか」
「俺は失敗に銀貨一枚。女はあいつに夢見すぎなんだよ。字が汚いから学が無いなんて言って失望するに決まってらぁ」
ルーカスがニヤニヤしながら賭けに加わる。
他の連中も面白がって硬貨を空き皿へ放り投げていく。
俺は空を仰ぎ、鼻で笑った。
「俺は成功に金貨一枚だ。あいつが剣以外の何かに執着したのは初めてだからな。何が何でも妻にして帰ってくるさ」
男臭い兵舎に、恋の行方を巡る笑い声が響いた。




