愛しのルーシア様へ捧ぐ(前編)
「戦場から帰らぬ英雄に代わり、姫様に恋文を送ることになりました」
のタイトルを変更し、微修正を加えた内容です。大筋に変更はありません。
鐘の音が遠くで鳴っていた。
勝利を告げる鐘だ。
帝国軍の侵攻を押し返したと伝令が駆け、街では歓声が上がっている。
一方で、その報告を清書している僕の机の上には、泥にまみれ、血の染みが残る羊皮紙がいくつも積み上がっていた。
王城に勤める僕の仕事は、戦場で書かれた報告書を『国の記録』として整えることだ。滲んだ文字を補い、言葉を整え、戦果をより鮮やかに飾る。それらが翌朝の城下国報として街に貼り出され、人々は勝利の言葉を口にするのだ。
もっとも、下っ端の僕に回されるのはすでに上官が選別した報告だけ。封蝋を重ねた緊急報や、軍上層部宛ての書簡を開く権限は上官にしかなかった。
書庫の窓から射し込む光が、机上を金色に染める。季節の移ろいとともに空気は澄み、筆先からこぼれる細い擦過音までもいつもよりよく耳に届く。
それは、僕の一番好きな音だった。
夕暮れ時、上官であるグノーさんが書庫に戻ってきた。
ただでさえ幸が薄い顔だと揶揄されているのに、今日は一段と悲壮感が漂っている。
席に着くなり、これ見よがしに深いため息。どうしましたか、と一応の礼儀だけは尽くして尋ねると、彼はどこか気の毒そうな顔をこちらに向けた。
「……特命を受けたよ。君は姫様への手紙を拵えてくれないかな」
「手紙を、ですか? ……姫様へ?」
「ああ。バルシアの聖騎士ジェイミー・フォルン卿から、という体裁でね。……実際にはそんなもの、まったく届いていないけどさ」
聖騎士ジェイミー・フォルン——同盟国バルシアの第三騎士団副団長。
この国が落城寸前に追い込まれた折、颯爽と駆けつけて帝国軍を追い払った英雄であり、今も最前線で戦果を挙げ続けている。彼らの活躍を記した国報は王都でも群を抜いて人気だった。
ただ、僕個人としては正直あまり良い感情を抱いてはいない。くだらない理由だから口にするつもりもないけれど、嫌そうに顔を顰める僕のことなど気にも留めず、グノーさんは机の端を指先でとんとんと叩きながら言った。
「姫様は毎日、その英雄からの便りを待っておられるそうでね。陛下のご意向で、彼女の心を慰める"返事"を用意することになったんだ。内容は君に任せるよ。姫様に少しでも希望を与えてくれればいいから」
「希望を与えるって……つまり、僕に代筆しろってことですか?! フォルン様のことなんて僕はなんにも知らないのに!」
フォルン様との接点と言えば、祝勝のパレードを人混みから遠目に眺めた程度だ。白馬の上から観衆に手を振る姿は、書庫の隅で丸まって襲撃をやり過ごしていた僕とはまるで別世界の人間だった。
そんな英雄の代筆を僕が務めるなんて、どう考えても荷が重すぎる。しかも姫様はそのフォルン様に心を寄せているという噂まであるじゃないか。
「ほら、同盟締結の時に先方から届いた書類があっただろう? 筆跡を似せるのは君の特技みたいなものじゃないか。頼むよ。まあ姫様なら筆跡なんて気にする頭もないと思うけど、一応ね。ね? ね?」
……この必死さの裏に何があるのかは分かっている。どうせ姫様の教育係——スペンサー夫人の差し金だ。グノーさんはその実弟で、昔から頭が上がらないとしょっちゅう愚痴をこぼしていたのだから。
「姫様からの手紙はこれだから、話が合うように適当に頼んだよ。私もほら、仕事があるからさ……」
どこかぐったりとした様子を見るに、もしかすると僕とは別の特命でも授かったのかもしれない。
仕方ない。先ほど書き取り終えたばかりの紙束を脇へ押しやり、預かった姫様の手紙とフォルン卿の文書を机上に広げる。
フォルン様の文字は意外にも整っていた。堂々とした筆致なのに、どこか繊細で気品すら感じさせる。僕が普段相手にする連中の雑で解読困難な文字とはまるで別物だ。英雄ともなれば、こういうところまで違うのだろう。
恐れ多いことながら、姫様の手紙にも目を通す。
救われたことへのお礼、そしてフォルン様の安否を案じる言葉。恋心を滲ませた丸みのある文字は愛らしく、思わず頬が緩みそうになる。
……だが、ほっこりしてばかりもいられない。
この手紙に返事を書くのは、僕なのだ。
新しい紙を広げ、インク壺の蓋を開ける。
何度も何度もフォルン様の文字を倣い、筆の癖を掌に染み込ませていく。
掴んだ、と感じたところで、震える筆先で最初の一文を書き記す。
『ルーシア様へ——』
中身は極めて無難なものに留めた。
返事が遅れたことへの詫び、無事を知らせる言葉、そしてさりげない気遣い。
恋心には触れないように細心の注意を払いながら締めくくり、インクを乾かす。
「——グノー、グノーはおりますか!」
「はいはい、ここにおりますよ、姉上」
しばらく別の作業に没頭していたところへ、扉の開く音とともに甲高い声が響いた。
顔を上げるまでもない。スペンサー夫人だ。
「例の件はどうなっていますの? もう手配は済んだのかしら?」
「さっきお願いされたばかりじゃないですか。まあ、うちの優秀な部下が早速書き上げてくれましたけれどね」
話を振られ、渋々顔を上げる。
鋭い目つきのスペンサー夫人がずかずかと歩み寄り、乾いた手紙を取って目を細めた。
「……なるほど。貴方が推薦するだけあって、よく似せられていますね。これなら姫様も疑わないでしょう」
「ありがとうございま——」
「ただ、貴方は乙女心というものが分かっていないようですね。ここ、最初の一文に『愛しの』を付け加えてちょうだいな」
つまりは——『愛しのルーシア様へ』に書き換えろ、ということか?
いやいや、それはさすがにまずい気がする。
「ええと……本当にそんなことをしていいのでしょうか」
「もちろんですとも。ジェイミー様がこの城を発たれてからというもの、姫様は日に日に沈み込んで、食事もろくに喉を通らない状態なのですよ。陛下も心を痛めておられるのです。お元気になっていただくためには、多少のスパイスも必要でしょう?」
勢いよくまくし立てられると、どうにも否定しづらくなる。
だって姫様はこの国にとって人々に癒しを与える花のような存在で、僕ら下っ端の文官にだっていつも優しく笑みを向けてくださるのだ。城が襲われたあとの混乱の中でだって、姫様は負傷兵だけでなく、書庫で震えていた僕たちにまで「無事でよかった」と声をかけてくださった。
——だというのに、第三騎士団が出陣してからというものその笑顔が途絶えて久しかった。戦時下という空気もあってか王城の空気は日ごとに重く沈んでいる。便りを待つ姫様の姿を想像すると、胸の奥に小さな棘が刺さったような気がした。
「とにかく、よろしくお願いしますよ。明日にはお手元に届けたいのですから」
「は、はい。……分かりました」
優雅な身のこなしで立ち去っていくスペンサー夫人の背を見送り、僕は渋々筆に手を伸ばす。
「……まぁ、本人はしばらく帰ってこないだろうしね。嘘も方便って言うじゃない?」
グノーさんはどこか他人事めいた軽い口調だ。実際、他人事なんだろう。すでに興味を失った様子で彼は自分の仕事に没頭している。
仕方ない。これも仕事のうちだ。王命とまで言われてしまえば、一介の書記官に過ぎない僕に逆らえるはずもない。
そう自分に強く言い聞かせて、罪悪感を押しやりながら、文頭にそっと『愛しの』の一言を付け加えた。
——そう、僕はたった一言を添えただけだ。
少しでも姫様の気休めになれば、もうこれでお役御免だと思っていたのに——。
それからしばらくは穏やかな日々が続いた。
第三騎士団は帝国相手に快進撃を続けているらしく、王都は勝利を前提としたお祭り騒ぎだ。
そんな浮かれた空気を横目に、昼休憩を終えて書庫へ戻ると、机の上に一通の封筒が置かれていた。
裏には『ルーシア』の文字。
背筋に冷たいものが走る。
「うん。……よろしくね」
仕事を再開していたグノーさんは「何を」とは言わなかったが、言うまでもない。また返事を書け、ということだ。
恐る恐る封を切ると、そこには抑えきれない恋情が咲き乱れる、絵に描いたような恋文がしたためられていた。
——あのたった一言が、火をつけてしまったのだとしか思えない。
急な胃痛に苛まれる。僕は、とんでもないことをしてしまったんじゃないか?
「姉上が添削してくださるそうだから。まずは下書きでいいんじゃない?」
とはいえ、作業は難航を極めた。そりゃそうだ。僕はフォルン様のことを何ひとつ知らない。筆跡を真似てもその性格や思考まで模倣できるわけがない。こんなの早々にボロが出るに決まっている。
——もし姫様が、この手紙の相手がこんなボンクラ文官だと知ったら……。
涙ぐむお姿が浮かんで、思わず頭を振る。
仕方ない。僕はフォルン様になりきるために情報を集めることにした。
幸いにして、第三騎士団が滞在していた折に彼らの世話をしていたメイドとは同郷で顔なじみだ。食堂で休憩中の彼女を見つけ、僕はそっと隣に腰を下ろした。
「やあ、調子はどうだい」
「あら、あなたから声をかけてくるなんて珍しいわね。我が国の英雄様、いったい何の用かしら?」
「その呼び方はやめてくれってば。……ちょっと聞きたいことがあってさ」
彼女は愉快そうに笑い、椅子を少しずらして僕を受け入れる。周囲を一瞥してから、僕は声を潜めた。
「第三騎士団のフォルン様。彼について少し教えてほしいんだ」
「バルシアの英雄様? 素敵な方だったわよね。見た目は不愛想だけど、話しかけると丁寧に笑いかけてくださったのよ。団長様も恰好良かったけれど、私は圧倒的にフォルン様派かなぁ」
どうやらメイドたちの間では派閥ができていたらしい。が、今はそんなことどうでもいい。
「例えば好きな食べ物とか、姫様とはどんな話をしていたとか……」
「ふーん? ああ、分かった。姫様と聖騎士様の恋物語を書くつもりね? いま市井でも大人気だものね。乗っかるつもりなんでしょ」
もう何年も物語なんて書いてないのに、よく覚えてるもんだ。まあいいけど。姫様の恋文のためだなんて口が裂けても言えないし。
「ま、まあそんなところかな。僕はフォルン様のことを全然知らないからさ」
「そうねぇ……」
彼女はスープをかき混ぜながら、知りうる限りのことを教えてくれた。さすがはメイドの情報網、フォルン様が好む肌着の色まで知ってしまった。
「助かったよ。僕の立場じゃ姫様から直接聞くのは無理だから。……まさか姫様がそこまで入れ込んでいたなんてね」
「そりゃ惚れるでしょ。敵兵に連れ去られかけたところを助けられたんだから。滞在中もずっと姫様の話し相手になってくださっていたんだし。弱っている時にあんな風に優しくされたら、いくら相手が愛妻家でも惚れちゃう気持ちは抑えられないわよね~」
「ん……? 今、何て言った?」
聞き慣れない単語に、脳の処理が追いつかない。あいさいか? アイサイカ? ……愛菜家?
「えっ、知らなかったの? フォルン様はバルシアに奥様がいるのよ。姫様を差し置いて貴族の娘さんが何人も言い寄ったのに『俺は妻一筋なんですよ』ってすっぱりと。あれは見事だったわ」
奥様。妻。
その単語がようやく腑に落ちた瞬間——背筋がぞっと冷えた。
愛妻家。つまりは妻帯者。
……そんな人間が『愛しのルーシア様』なんて書くわけがないじゃないか!
「ひ、姫様はそのことをご存知なんだよね?」
「もちろん。でも姫様って昔から『わたくしは恋に落ちた人と結婚しますの』ってお花畑なこと言ってたじゃない? 末の娘だからって王様も好きにさせてたけれど、ついに運命の相手が見つかったんだもの。簡単には諦められないでしょ」
彼女は僕の動揺など意にも介さず、肩を竦めて続ける。
「それにスペンサー夫人が調べたらしいけど……フォルン様の奥様って小領主の娘さんで、しかも病で床に伏せているんですって。そんなの騎士の妻として相応しくないし、国同士の関係を考えればさっさと身を引いてもらって——」
「ちょ、ちょっと待って。いくらなんでも道義的にどうなんだろう、それは」
至極真っ当な抗議をしたつもりだったのに、彼女はきょとんとした顔を見せたあと、吹き出すように笑った。
「嫌だわ、このご時世に道義を説くなんて! 帝国なんて滅ぼした国の王女をそのまま貴族に下賜してるのよ? さすがにその奥様に金子くらいは積むだろうし、むしろ優しい話じゃない」
どうやら僕の考えのほうが古かったらしい。
でも、仮にフォルン夫人が身を引いたとして——肝心のフォルン様のお気持ちはどうなるんだ? 戦が終わる前に無理やりにでも別れさせるつもりなんだろうか?
そんな疑問を抱いた矢先、彼女は不意に瞳をきらりと光らせて、そっと耳元へ顔を寄せてきた。
「これは聞いた話なんだけどね。姫様のもとにフォルン様から手紙が届いたんですって。しかも『愛しのルーシア様へ』って添えてあったらしいのよ。ただの姫様の片想いじゃなかったってことよね」
どこか誇らしげに語る彼女に、心臓が一度、大きく跳ねた。
冷や汗がだらだらと流れ落ちる。もちろん、ここで言い訳なんてできるはずもない。
「姫様大好きなあなたには酷な話だったかしら? ……下書き、出来たら見せてよね?」
「え? ああ、うん……」
衝撃で魂が半分抜けかけていた僕は、もはや生返事を返すのが精一杯だった。
▼ ▼ ▼
【愛しいジェイミー様へ】
お手紙、確かに受け取りました。
貴方様の無事と、前線で奮闘しておられると知って、どれほど安堵したことでしょう。
わたくしはこの城壁の内側で、毎日、貴方様からの勝利の知らせを待ち続けております。
最近は、お庭の白薔薇がとても美しい盛りを迎えました。
その清らかな色を見ると、貴方様と共に蕾を眺めたあの日々を思い出すようで、胸が温かくなります。
お怪我などなさらないよう、どうかご無事で。
またお便りいたしますね。
Lucia
【愛しのルーシア様へ】
遅筆を、どうかお許しください。
姫様の温かいお言葉に、どれだけ力づけられていることか。この荒々しい戦場にあって、姫様はまさに夜空に輝く一等星のような存在です。
城内の白薔薇が見頃とのこと。目に浮かぶようです。
次に咲き誇る季節には、必ず姫様の元へ帰ります。
どうかその日まで、白薔薇のように優しく、気高くお過ごしください。
こちらの戦果は順調です。すべては姫様の笑顔を再び拝見するために。
敬愛を込めて。
Jamie Forn
スペンサー夫人の添削のもと、もとは淡々とした文面だった手紙に過剰な装飾が施されていく。
姫様はジェイミー様からの便りを今か今かと待ちわびているらしい。実際、手紙を胸に抱きながら無邪気に喜ばれる姿を遠目とはいえ何度か拝見したことがある。
もはや筆を止めるという選択肢は僕にはない。
——すべては姫様のために。
その一心で、僕は今日もジェイミー・フォルンとして筆を走らせ続けた。
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【愛しいジェイミー様へ】
貴方様からのお手紙を何度も読み返しています。そのたびに、貴方様がわたくしを想ってくださっているのだと感じられて、胸が高鳴ります。
貴方様は戦場を離れている時、どのように時間を過ごされるのでしょうか?
わたくしは城の図書館で古い童話を読み耽るのが一番の楽しみなのです。特に、遠い国を旅する魔法使いの物語がお気に入りです。
貴方様のような立派な騎士様なら、きっと戦場以外でも勇敢で、騎士らしい趣味をお持ちなのだと思います。
お忙しいでしょうが、ぜひ聞かせてくださいませ。
Lucia
【愛しのルーシア様へ】
姫様が私の手紙を愛しく思ってくださっていると知り、この上ない喜びで胸が満ちております。
姫様が「遠い国を旅する魔法使い」の物語をお好きだと伺い、少し驚きました。
あの物語は、私も読んだことがあります。心に残る、とても美しい物語ですよね。
遠い国を旅する魔法使いが最後には故郷へ還ったように——私もまた、必ず姫様のもとへ帰りたいと願っています。
そう思うと、姫様とのやり取りこそが今の私にとって一番の心の糧であり……もしかすると、趣味と呼べるものかもしれません。
愛しのルーシア様に捧ぐ。
Jamie Forn
本当ならフォルン様が読んだことのある本を調べるべきだったけれど、姫様と同じ物語を好きだったことが嬉しくて自分の思い出をそのまま書いてしまった。それが功を奏したのか、今回の手紙はさほど手を加えられることもなく済んだようだ。内容を確認したスペンサー夫人が、「貴方も乙女心というものが分かってきましたね」と満足げに微笑んでいる。明日には姫様の元へ届けられることだろう。
パタン、と書庫の扉が閉まり、静けさが戻る。僕は机に張りつくように作業しているグノーさんに意を決して声をかけた。
「こんなことを続けて、本当にどうするつもりなんですか? フォルン様が戻られたら修羅場しか待ってないじゃないですか!」
「そうだろうねぇ。でも仕方ないじゃないか。肝心のフォルン卿に何度手紙を送っても返ってこなかったんだから。……ま、返ってくるはずないよね。姉上も旦那が軍団長という立場にあるのに、戦場というものを全く理解していないようだ」
穏やかに聞こえる声色の奥に、「戦場で手紙なんて書いていられるか馬鹿女が」という刺々しさが混じっている気がする。
その気持ちも分からないでもないけれど……。でも国に残る女たちも必死なんだろう。安否を確かめる術が限られているからこそ、せっせと戦地の夫や恋人へ手紙を送り続けるしかないのだから。
「せめて無事を知らせるだけに留めれば良かったじゃないですか。勝手に恋人に仕立て上げるなんて……スペンサー夫人はいったい何を考えてるんですか」
「願いとあらば何だって叶えてやりたいんだろうさ。なにせ、病死した娘と入れ替わるように生まれたのが姫様なんだから。……それに、そうは言うけど君も楽しそうじゃないか。なかなか様になってるよ、ジェイミー様」
痛いところを突かれ、喉の奥がつまる。
だって、姫様と手紙を交わせること自体に嫌な気持ちがあるわけないんだから。
昔から姫様へ抱いてきた感情は、あくまでも敬愛に近いものだったはずなのに。
こうして"愛"という言葉を交わすうちに、いつの間にか僕自身が本物の恋人になったかのような錯覚に陥っている。返事を捻り出すために何度も何度も姫様の手紙を読み返すうち、最近ではもう、頭を抱えることも少なくなってきたくらいに、姫様を慕う言葉が自然と筆先からこぼれ落ちてしまう。
……とはいえ、姫様が手紙の相手はフォルン様だと信じているのが一番の問題なんだけど……。
「ま、姉上はあわよくばって気持ちもあったんじゃないかなぁ。ようやく姫様が心を開いた相手だったわけだし、なんとか結び付けようと必死なんでしょ」
「だからって奥様がいる相手を……。戦争が終わったら僕、訴えられたりしないですよね?」
「あはは。……その心配はないんじゃないかな? なにせ特命だし、その辺りは両国間でうまく調整するでしょ」
軽口を交わしながらも、グノーさんの手は止まらない。丸眼鏡の奥にある眼差しは冗談めかした声色とは裏腹に真剣そのものだ。僕も観念して、本来の業務である書き取りへと視線を戻す。
肝心の戦況はといえば、まさに一進一退。僕の手元へ届く報告書には、かろうじて拾ったような小さな勝利ばかりが散らばっている。
対して、グノーさんが清書して世に出す報告書には、まるで英雄譚のような華々しい戦歴が並んでいる。多少の脚色はあるにせよ、帝国を相手取っていることを思えば快挙と言えるだろう。この調子なら数年以内に終結する可能性だってあるかもしれない。
その時に、フォルン様が戻られたら。
すべてが白日の下に晒されて、これまでの手紙の送り主が僕だったと知られたら——。
「……貴方は余計な心配をしないでよろしい。きちんとこちらで話を通しておきますから」
不安を読み取ったのか、手紙を受け取りに来たスペンサー夫人が、まるで叱るような調子で言い放った。
「明後日にはまたエルマ様と姫様の茶会があるんですよ。控えていたメイドの話では、二人ともずっとジェイミー様のことばかり話しているんだとか。いわば恋敵のはずなのにどうしてあれほど平静でいられるのかしら。私にはまったく理解できないわ」
鼻を鳴らす夫人の表情は、どこか陰りを帯びていた。
聞けば、とある祝宴でフォルン夫人と姫様がついに相まみえたらしく、何がどうしてそうなったのか今では茶会を重ねる仲に落ち着いているそうだ。
修羅場になるよりは良いことだろうけれど……僕にもフォルン夫人の心境がどうしても理解できないでいる。
スペンサー夫人はひとつ深い溜息を吐き、気を取り直すように、報告書の山を睨みつけるグノーさんへ視線を向けた。
「ねえ。本当に第三騎士団は前線にいるのよね? ジェイミー様は……ご無事なのよね?」
「……しつこいですね。帝国軍の守備兵を破り、すでに帝国領の目と鼻の先まで進撃しているようですよ。私の仕事はその事実を清書するだけだと、何度も申し上げているでしょう」
「貴方がそう言うなら信じますけれど……田舎に住む両親と連絡が取れないと、侍女や使用人たちが不安を訴えているのですよ。しかもバルシアとの行き来以外は禁じられたとあっては、心配にもなるでしょう?」
「尖兵が確認されたのですから仕方ありません。何も大軍が門前に並ぶだけが戦争ではないんですよ。少数の手勢で王城への侵入を許したこと、お忘れですか?」
珍しくグノーさんがじろりと鋭い目を向けると、夫人はうっと言葉を詰まらせた。あの日の恐怖は彼女の中にも深く刻まれているのだろう。
姫様の部屋の前に立ちふさがり、震える身体で敵兵相手に啖呵を切っていた——。
そんな逸話を持つ人だとはいえ、怖くなかったはずがない。
「ご安心ください。戦況は変わらず良い方向に向かっていますよ」
「……分かりました。信じますよ、グノー」
念を押す彼女を煩わしそうに片手で払い除け、グノーさんは再び机に視線を落とした。
スペンサー夫人は、鋭い目つきをさらに細めつつも、手紙を胸に大事そうに抱え、ため息をひとつ残して退出していった。
▼ ▼ ▼
【愛しいジェイミー様へ】
最近、少しばかり風向きが変わったように感じます。城内の空気も、以前ほど明るくはありません。本当に戦況は順調なのでしょうか? わたくしの思い過ごしであれば良いのですが……。
そして、書こうか悩んだのですが——貴方様の奥様、エルマ様とお会いすることができました。
わたくしがこうして恋文を交わしていることも責め立てることなく、むしろ貴方様の知らなかった一面をたくさん教えてくださったのです。
……お会いしてみて、とても素敵な方だと分かりました。
でも、ごめんなさい。
もう少しだけ。もう少しだけでいいのです。
貴方様へのこの恋に浸らせてくださいませ。
Lucia
【愛しのルーシア様へ】
姫様の不安の影が、手紙を通して私の心に届きました。
戦況は順調です。街で囁かれる小さな風の噂に心を乱さないでください。この手紙に記すことが、何よりも真実だと信じていただければ幸いです。
それよりも、エルマと会われたのですね。
彼女は穏やかで、強い人です。けれど今の私には、姫様の言葉が何よりの灯なのです。
いつかこの戦が終わり、再び穏やかな季節が訪れたとき。
その時こそ、真実の言葉をお伝えしたいと思っています。
Jamie Forn
今回もいくつか添削されてしまったけれど。
『姫様の言葉が何よりの灯なのです。』
その一文だけは、スペンサー夫人に書き加えられたものではなかった。




