第162話 心に咲く青い花
灰羽病に侵されたダニエルを救うため、治療法を探し続けるメリーたち。
しかし、病状は刻一刻と悪化していきます。
大切な家族を救うため、メリーが起こす奇跡とは……。
パナストシア大聖堂に、重苦しい空気が漂っていた。
ダニエルの唇に現れた灰色の羽根模様。それは、メリーが古い医学書で読んだ灰羽病の特徴と一致していた。
数十年に一度、特殊な渡り鳥によって運ばれてくるという恐ろしい病気。しかも、人から人へ感染する可能性がある。
メリーはダニエルの容体を確認すると、すぐに仲間たちへ向き直った。
「皆さん、お願いがあります。灰羽病について、少しでも情報を集めたいんです」
「もちろんだ。手分けして調べよう」
悠真が答えると、レオンも頷いた。
「俺はダニエルのそばに残ろう。何かあれば、すぐに知らせる」
「私も手伝うわ。イニーシャたちだけでは大変でしょうから」
リズがそう言って、イニーシャの肩にそっと手を添えた。
「ありがとうございます……」
イニーシャは不安そうな表情のまま頭を下げた。
クランは大聖堂の神官たちに協力を求め、町で似た症状の患者が出ていないか調べることになった。
ドゴルドは神官たちの了承を得て、ダニエルのいる部屋への出入りを必要最小限に制限する。
「無用な接触は避けた方がいい。必要な物があれば俺が運ぼう」
普段は寡黙なドゴルドも、今回は真剣な表情だった。
一方、ラパンはメリーとともに大聖堂の書庫へ向かった。
「よし、メリー。片っ端から調べるぞ」
「ありがとう、ラパン」
「水くさいこと言うなよ。昔から何度もお前に助けられてきたんだ。今度は俺たちの番だろ?」
その言葉に、メリーは少しだけ微笑んだ。
「……そうですね。お願いします」
大聖堂の書庫には、古い医学書や魔法に関する文献が数多く保管されていた。
メリーとラパンは机に本を積み上げ、灰羽病に関する記述を探し始めた。
悠真も二人に加わり、読めそうな資料を次々と確認していく。
「灰羽病……あった!」
しばらくして、ラパンが声を上げた。
メリーが急いで駆け寄る。
「何か分かりましたか?」
「見つけたぞ。二十数年前にも、別の地域で流行した記録がある」
ラパンは古びたページを指さした。
そこには、高熱や咳、呼吸困難といった症状のほか、唇に灰色の羽根模様が現れることが記されていた。
「やっぱり……」
メリーは唇を噛んだ。
「治療法は?」
悠真が尋ねる。
ラパンはページをめくったが、やがて表情を曇らせた。
「回復魔法による症状の緩和……安静……。それくらいしか書かれてないな」
「完治した人の記録は?」
「少なくとも、ここには載ってない」
メリーは黙り込んだ。
別の医学書にも目を通したが、書かれている内容は似たようなものだった。
灰羽病は身体の奥に異常を残し、通常の回復魔法では根本的な治療が難しい。
病気が進行すると呼吸が弱まり、やがて命を落とす。
どの記録にも、決定的な治療法は記されていなかった。
「……ほかの本も調べましょう」
メリーは再び本を手に取った。
しかし、時間だけが過ぎていった。
夕方になる頃には、机の上に何十冊もの本が積み上がっていた。
それでも、突破口は見つからなかった。
「くそっ……何かないのかよ」
ラパンが悔しそうに呟く。
悠真も最後の一冊を閉じた。
「メリー、少し休んだ方がいいんじゃないか?」
「いえ、まだ大丈夫です」
そう答えるメリーの顔には、疲労の色が濃く浮かんでいた。
そのとき、書庫の扉が勢いよく開いた。
「メリー!」
駆け込んできたのはリズだった。
「ダニエルの様子がおかしいの! 突然激しく咳き込んで、息もまともにできていないみたい!」
「すぐに行きます!」
メリーは椅子から立ち上がり、部屋を飛び出した。
悠真とラパンも後を追う。
ダニエルの部屋に到着すると、イニーシャが寝台のそばで必死に声をかけていた。
「ダニエル! しっかりして!」
寝台に横たわるダニエルは、苦しそうに浅い呼吸を繰り返していた。
額には大量の汗が浮かび、顔色もひどく悪い。
何より、唇の端にあった灰色の模様が大きく広がっていた。
「……そんな」
メリーは一瞬だけ立ち尽くした。
しかし、すぐに寝台へ駆け寄る。
「ダニエル、聞こえますか?」
返事はなかった。
かすかに瞼が動くだけで、意識もはっきりしていないようだった。
メリーは両手を胸元にかざし、回復魔法を発動した。
柔らかな光がダニエルの身体を包み込む。
「お願い……!」
魔力を注ぎ続けると、乱れていた呼吸がわずかに落ち着いた。
しかし、メリーが手を離そうとした途端、再び苦しそうな息遣いが聞こえ始めた。
「どうして……」
もう一度、回復魔法を使う。
それでも結果は変わらない。
身体の奥に残る異常は消えず、病気は少しずつ進行していた。
「メリー、無理をするな!」
ラパンが声をかける。
「でも、このままじゃ……!」
メリーは必死に魔力を流し続けた。
やがてダニエルが薄く目を開いた。
「……メリー……」
「ダニエル! もう少しです。頑張ってください!」
「……うっ……くっ……」
ダニエルは何かを伝えようと口を動かした。しかし、言葉にはならず、喉の奥から苦しげな声が漏れるだけだった。
次の瞬間、激しく咳き込み、身体が大きく震えた。
「ダニエル!」
イニーシャの悲痛な声が響く。
マリーも寝台のそばで涙を浮かべていた。
メリーは懸命に回復魔法を使い続け、どうにか呼吸を安定させた。
しかし、それは一時的なものだった。
魔力を使い続けなければ、再び容体が悪化する。
このままでは、いずれ限界が来る。
メリー自身が、そのことを誰よりも理解していた。
「……少しだけ、落ち着きました」
メリーは震える声で告げた。
ダニエルは浅い呼吸を繰り返しながら、眠るように目を閉じている。
イニーシャがその手を握りしめた。
「ありがとう、メリー……」
しかし、メリーは何も答えられなかった。
自分の魔法では、病気そのものを治せない。
どれだけ調べても、治療法は見つからない。
幼い頃に両親を失ったことが、頭をよぎった。
当時のことは、ほとんど覚えていない。
父と母がどれほど苦しんでいたのかも、姉のマリーから聞いた話でしか知らなかった。
それでも、二人が帰ってこなかったことだけは覚えている。
そして今、もう一人の父親ともいえるダニエルが、同じ病気で命を落とそうとしていた。
メリーは俯いた。
「……少し、外の空気を吸ってきます」
そう告げると、静かに部屋を出ていった。
悠真はその後ろ姿を見つめた。
「俺、メリーのところへ行ってくる」
レオンが頷く。
「こっちは任せろ。何かあれば、すぐに呼ぶ」
悠真は礼拝堂へ向かった。
夜の大聖堂は、昼間とはまったく違う静けさに包まれていた。
高い窓から月明かりが差し込み、床に淡い光を落としている。
その奥で、メリーが二柱の石像の前に膝をついていた。
「エレーナ様……オルニード様……」
小さな祈りの声が響く。
「お願いです……どうか、力を貸してください」
メリーは両手を胸の前で組み、深く頭を下げた。
「私には……もう、どうすればいいのか分からないんです」
声が震えていた。
「ダニエルは、私たちを育ててくれた大切な人なんです。あの人まで失いたくありません……」
悠真はしばらく黙って見守っていた。
そして、静かに近づいた。
「メリー」
「……悠真さん」
メリーが振り返る。
目元には涙が浮かんでいた。
「すみません。情けないところを見せてしまって……」
「情けなくなんかないさ」
悠真は隣に膝をついた。
「今日一日、ずっと頑張ってたじゃないか。俺たちだって調べたけど、何も見つけられなかったんだ」
「でも、私には回復魔法があります。それなのに……」
「メリーがいなかったら、ダニエルはもっと危険な状態になってたはずだ」
悠真は穏やかな声で続けた。
「一人で全部背負わなくていい。俺たちもいるんだから」
メリーは俯いたまま、しばらく黙っていた。
「……ありがとうございます」
やがて小さく答え、再び石像へ目を向けた。
悠真も隣で静かに手を合わせた。
そのときだった。
礼拝堂の奥に、小さな光が現れた。
「……ん?」
悠真が顔を上げる。
青白い光がふわふわと宙を漂っている。
よく見ると、その中心には小さな人影のようなものがあった。
「……妖精?」
メリーも驚いたように呟いた。
「子供の頃に見たのと……同じ……」
妖精は二人の周囲をゆっくりと飛び回った。
そして、メリーの前で一度だけ大きく輝いた。
しかし、幼い頃のように眠気が訪れることはなかった。
代わりに、悠真の頭の中へ突然、女性の声が響いた。
『お困りのようね、悠真くん。あの時、ゼラモード様に会わせてくれたお礼よ』
「……エレーナ?」
悠真は思わず声を漏らした。
「悠真さん?」
メリーが不思議そうに見つめる。
『ふふっ。久しぶりね』
その声は間違いなく、神々の国で出会った女神エレーナのものだった。
(エレーナ、聞こえるのか?)
『ええ。今はあなたにだけ話しかけているわ』
(だったら頼む! ダニエルを助ける方法を教えてくれ!)
『ずいぶん必死なのね。でも、安心して。助ける力は、もうそこにあるわ』
(どういうことだ?)
『隣にいるメリーは、私が認めた最高の僧侶よ』
悠真は驚いてメリーを見た。
『あの子には、生まれながらに素晴らしい治癒の才能があるの。でも、まだその力を十分に使えていないのよ』
(それを目覚めさせれば、灰羽病も治せるのか?)
『ええ。できるわ』
悠真の胸に希望が広がった。
『メリーの心の奥には、青い花が眠っているの。その花を咲かせるように伝えてあげて』
(青い花……?)
『今こそ、花開く時よ』
エレーナは優しく続けた。
『エヴェル・トンドール。眠れる力よ、目覚めよ』
悠真は息をのんだ。
それは、昼間メリーが話していた不思議な言葉だった。
『大切なのは、心で感じること。目に見える傷だけではなく、身体の奥にある異常を感じ取るのよ』
(分かった。伝えてみる)
『お願いね、悠真くん』
その声を最後に、エレーナの気配が消えた。
妖精は小さく光を放つと、石像の周囲を一度だけ飛び、静かに姿を消した。
「……悠真さん?」
メリーが心配そうに声をかけた。
「今、誰かと話していたんですか?」
「そうなんだ。エレーナと話してた」
「……え?」
メリーは目を丸くした。
「エレーナ様と……ですか?」
「信じられないかもしれないけど、本当だ。神々の国で会ったことがあるんだ」
悠真はメリーに向き直った。
「エレーナが言ってた。メリーは、自分が認めた最高の僧侶だって」
「私が……?」
「そうなんだ。それに、まだ眠っている力があるらしい」
メリーは戸惑ったように首を振った。
「そんな……私には、ダニエルを治すことすらできないのに……」
「だからこそ、その力を目覚めさせるんだ」
悠真は静かに続けた。
「メリー、目を閉じてみてくれ」
「……はい」
「心の奥に、青い花があるのを想像するんだ。今はまだ、固く閉じた蕾のまま眠っている」
メリーはゆっくりと呼吸を整えた。
「青い花……」
「その花を咲かせるんだ。焦らなくていい。心で感じてみてくれ」
メリーの意識が、静かに内側へ向かっていく。
暗闇の中に、小さな青い光が見えた。
それは、一輪の花の蕾だった。
深い青色の花びらが、固く閉じている。
「……見えます」
メリーが小さく呟いた。
「青い……蕾が……」
悠真は頷いた。
「エレーナから、もう一つ伝言がある」
そして、ゆっくりと告げた。
「エヴェル・トンドール。眠れる力よ、目覚めよ」
その瞬間、メリーの身体が小さく震えた。
「……その言葉……!」
幼い頃、雲の上で聞いた声。
意味も分からず、ずっと心の片隅に残っていた不思議な言葉。
今、その意味が初めて分かった。
メリーは再び目を閉じた。
心の奥に浮かぶ青い蕾へ、そっと意識を向ける。
すると、固く閉じていた花びらが、ゆっくりと開き始めた。
一枚、また一枚。
やがて、青い花が静かに咲いた。
その瞬間、温かな感覚が全身へ広がっていく。
今まで感じたことのない、深く澄んだ魔力。
それは外から与えられたものではなかった。
ずっと自分の中にあった力だった。
「……分かります」
メリーがゆっくりと目を開いた。
「今までとは……何かが違います」
「メリー?」
「身体の奥まで、魔力が届くような……そんな感覚があるんです」
悠真は立ち上がった。
「だったら、すぐに試そう」
「はい!」
二人は急いでダニエルの部屋へ戻った。
部屋ではレオンたちが見守る中、ダニエルが苦しそうに呼吸を続けていた。
「メリー!」
マリーが顔を上げる。
メリーはまっすぐ寝台へ向かった。
「もう一度、治療させてください」
ダニエルの胸元に両手をかざす。
今度は、ただ魔力を流すのではない。
身体の奥に意識を向ける。
すると、これまでぼんやりとしか感じられなかった異常が、はっきりと浮かび上がった。
健康な部分とは異なる、灰羽病によって侵された領域。
(……これだったんですね)
メリーは静かに目を閉じた。
心の奥に咲いた青い花を思い浮かべる。
そこから広がる魔力が、ダニエルの身体の隅々へと届いていく。
淡い青色の光が、寝台を包み込んだ。
「……すごい」
リズが思わず呟いた。
ラパンも目を見開く。
「メリー……お前、そんな魔法が……」
メリーは答えなかった。
すべての意識を治療に集中させていた。
やがて、ダニエルの呼吸が少しずつ深くなっていく。
苦しそうに歪んでいた表情が和らぎ、額の汗も引き始めた。
そして、唇の端に広がっていた灰色の羽根模様が、ゆっくりと薄くなっていった。
「見て……!」
イニーシャが声を上げる。
灰色の模様は、まるで水に溶けるように消えていった。
やがて、その痕跡さえ残らなくなった。
メリーは慎重に魔力を巡らせ、身体の奥に異常が残っていないことを確かめた。
「……治りました」
小さな声だった。
「本当に……治りました!」
その瞬間、ダニエルがゆっくりと目を開いた。
「……メリー?」
「ダニエル!」
メリーが顔を近づける。
「苦しくありませんか? 息はできますか?」
ダニエルはゆっくりと深呼吸した。
「……不思議なくらい、身体が軽いよ」
イニーシャがその手を握りしめた。
「ダニエル……よかった……!」
マリーも涙を流しながら、寝台のそばへ駆け寄った。
ダニエルはメリーを見つめ、穏やかに微笑んだ。
「ありがとう、メリー。今度は私がお前に助けられたな」
その言葉を聞いた瞬間、メリーの目から大粒の涙がこぼれ落ちた。
「……よかった……本当によかった……!」
ダニエルは、幼い頃と同じように優しく彼女の頭を撫でた。
悠真たちは少し離れた場所で、その光景を見守っていた。
「やったな、メリー」
ラパンが嬉しそうに笑う。
「はい……皆さんのおかげです」
メリーは涙を拭いながら答えた。
その夜、大聖堂には久しぶりに安堵の空気が戻った。
翌朝、メリーはイニーシャとマリーの身体も詳しく調べた。
さらに、フェルプスとアイシャにも大聖堂へ来てもらい、診察を行った。
その結果、マリーとアイシャの身体から、灰羽病と同じ異常が見つかった。
まだ発熱や咳は出ていなかったが、感染している可能性が高かった。
「そんな……アイシャまで……」
マリーが娘を抱き寄せる。
「大丈夫ですよ、お姉ちゃん」
メリーは優しく微笑んだ。
「今なら、治せますから」
メリーは二人に回復魔法を施した。
青い光が身体を包み、内部にあった異常が消えていく。
治療を終えたメリーは、安心したように息をついた。
「もう大丈夫です」
「ありがとう、メリー……」
マリーは妹の手を強く握りしめた。
その後もクランが神官たちと協力して町の状況を調べたが、今のところ、ほかに同じ症状を訴える者は確認されなかった。
ただし、感染していても症状が出ていない可能性があるため、神官たちは引き続き注意を呼びかけることになった。
昼過ぎ。
大聖堂の中庭で、悠真たちが今後の予定を話していると、悠真の持つ双界カードが淡く光り始めた。
「ん? ララからだ」
カードを取り出して通信をつなぐと、目の前にララの姿が映し出された。
『ちょっと、悠真! 遅いわね! もうこっちは準備できてるわよ!』
「いきなりそれかよ」
悠真は苦笑した。
『《アストラスカル号》の改造が終わったの。マイナス百度の環境にも耐えられるようになったわ』
「本当か! そりゃ助かる」
『アークもずいぶん頑張ってくれたんだから。戻ってきたら、ちゃんとお礼を言いなさいよ』
「分かってるよ」
悠真は仲間たちを見渡した。
レオンが頷き、ラパンも満足そうに笑う。
「いよいよアルファ山脈の再調査か」
「そうだな。今度こそ、スノードラゴンが移動した原因を突き止めたいな」
悠真は再びカードへ視線を戻した。
「ララ、こっちも用事は済んだ。戻る準備をするよ」
『分かったわ。待ってるからね!』
通信が切れ、カードの光が消えた。
メリーは大聖堂を振り返った。
その白い壁の向こうには、幼い頃から自分を見守ってくれた家族がいる。
今回の帰郷で、メリーは大切な人を救うことができた。
そして、自分の中に眠っていた力にも気づくことができた。
「メリー、行けそうか?」
悠真が尋ねる。
「はい!」
メリーは晴れやかな笑顔で答えた。
「もう大丈夫です。皆さんと一緒に、また冒険を続けたいです」
その表情には、昨日までとは違う確かな自信が宿っていた。
悠真は満足そうに頷いた。
「よし。それじゃ、戻ろうか」
こうして、パナストシアでの二日間が終わろうとしていた。
悠真たちは再び、アルファ山脈に隠された謎へと向かうのだった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
幼い頃にエレーナから認められていたメリー。今回、ついに眠っていた力が目覚めました。
心に咲いた青い花は、これからの冒険でも大きな力となるはずです。
そして次回は、改造を終えた《アストラスカル号》とともに、アルファ山脈西部の再調査へ向けて動き出します。
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