嫌な男の謝罪
少し肌寒さを感じて、赤銅色の髪の少女は起き上がった。
冬だからか、窓の外はまだ暗いが、朝だろう。
「おはよ。今日は早いじゃない」
長い艶やかな黒髪を持ち、シネラリアの女神と称される少女が、朝から完璧な美しさをもって、下から声をかけてくる。
しかも彼女の美しさは化粧ではなく天然だ。
「昨日のことにまだむかついてるのよ」
「ああ……あの自意識過剰な男のこと?」
がくんと冷えた声に、マリエは少し慌てる。
美少女は怒った顔も美しいが、迫力が他の人の数倍あるからだ。
「さて、と」
空気を換える意味でも、動いた方がいいと判断し、二段ベッドの上から、梯子で下に降り、黒髪の少女の隣に立つ。
「今日もきれいね。シェリアは」
毎朝言っていることなのだが、正直、毎朝そう思わずにはいられないほどの美しさだ。
「わーい。ありがとう。今日もマリエはかわいいわ」
シネラリア養成学校一の美女は、あっさりと言い放つ。下手をすれば嫌味にとられかねないが、マリエはこの一年間のつきあいで、彼女が本音しか言わないことを承知していた。
「ありがとう。着替えるわ」
寮の部屋は、二人ともきれい好きなことが幸いして、いつでも清潔感あふれる部屋だった。
クローゼットを開け、制服を身に着ける。
この学校、シネラリア養成学校は、シュトレリッツ王国に二つしかない、軍人養成のための学校のうちの一つだ。
そして全寮制のこの学校では、基本的に二人部屋となっており、机とベッドとクローゼットだけは最初から備え付けられている。
そして、ここは軍人養成の学校であることから、服装はすべて動きやすいもの、つまり制服も、女であろうがズボンが基本スタイルだ。
女性の場合、スカートで実技を行う特殊授業も存在するのだが、その前に、基本ができなければそんな芸当はできない。
「顔を洗ったら、朝食を食べに行こう」
シェリアの言葉に素直にうなずき、洗顔も含め、身だしなみをすべて整えて、朝食を取りに、食堂へ向かう。
夜明けとともに行動を開始する、マリエとシェリアは、いつも食堂の席を選べる。この時間に起きて朝食をとる生徒は案外少ないからだ。
シネラリアの校風として、自主性を重んずる気風がある。軍人として早起きが望ましいことは授業でも言うが、何故か学校側はそれを強制はしない。
優秀な軍人は、いずれ皆そうなる、というのが、学校長の考え、指導方針らしい。
そういうわけがあって、九時に始まる授業に間にあえば、その前の時間はすべて自由だということになっている。
だから、夜明けとともに行動を開始する二人は、当然少数派であるため、食堂もすいているのだ。
「おはよう。シェリアちゃんとマリエちゃん。今日のおすすめは、コーン入りのスープとクリームたっぷりのパンのセットだよ」
朝早く来るため印象に残るのか、食堂のおばさん方にこの一年ですっかり顔と名前を覚えてもらった二人は、毎朝おすすめを教えてもらい、それを頼むのが習慣となっていた。
「じゃあそれもらうわ」
「私も。あ、でも私はついでにサラダも欲しいかな」
シェリアが追加で頼み、二人は食事が出てくるのを待つ。
「はい、じゃあこれ」
湯気の立っているスープと、パンの乗ったトレーを受け取り、もはや定位置となっている、食堂のいちばん端の、ガラス張りの窓と面しているところに座る。
四人掛けのテーブルだが、いつも二人で使っている。
そうしても差し支えないほど、人の数はまばらなのだ。
あとに二十分もすれば、もう少し人が増えるのだが、とくにこの寒い冬にこの時間にここにくる生徒は少ない。
他の生徒に言わせれば、この時間に起きたとしても、朝食はもっと後でないと昼食まで持たないらしい。
「おいしい。スープって体があったまるよね」
おなかがすいていても、音を立てないぐらいの分別はある。静かに口元に運んでから、ほっと一息を着いた。
「そうね」
シェリアもうんうんとうなずいて、その黒く長い髪を後ろに手で払ってから、食事を口に運ぶ。
しばらく美味しそうに、そして行儀よく食事を口元に運んでいたシェリアは、ふと手を止めて、マリエを通り越した向こう側を凝視した。
その表情がずいぶんと険しいものになって、それでも美しいのだが、怖い。
「どうしたの?」
心配になって尋ねると、その答えはシェリアではない声が答えてくれた。
「朝からそんな顔でにらまれる覚えはないぞ。シェリア・リエーソン」
肩越しに聞こえてきた声に、はっとして振り返ると、そこにいたのは赤みがかった茶色の髪の少年と、黒髪に黒い瞳の少年だった。
そしてその赤みがかった茶髪の少年こそ、昨日マリエを激怒させた張本人。
「私の親友を侮辱しておいて、覚えはないですって? なんとか・オブスキィトさん?」
絶対にその名を知っているはずなのに、相手があえて嫌がりそうなセリフを選んで、シェリアはにこやかだけれど氷点下の冷たい笑みを浮かべて答えた。
「アベルだ。同じ班になるやつの名前ぐらい覚えろ」
普通の男なら秒殺されそうな美しい笑みにも、まったく動じることなく、鼻で笑って少年は答えた。
「何したんだよ……。シネラリアの女神と噂される人に、凄まじい殺気を放たれてるぞ」
その隣にいた黒髪に黒い瞳の、とても顔立ちの整った少年が呆れたようにつぶやいた。
有名人の隣には有名人らしい。アベルのみならず、黒髪の少年の名も、マリエは知っていた。
「呼び止めただけで、告白と勘違いしてののしってくる、自意識過剰などこぞの少年を、シェリアに教えてあげただけよ」
それでも、それに答えるようにして、マリエも可能な限りの笑みで最大の皮肉を言ってのける。
シェリアの氷点下の美しい笑みには全く動じなかった少年も、そちらの方は流石に後ろめたさがあったらしい、気まずそうな顔をして、こちらを見てくる。
「名前は忘れたけど、オブスキィト公爵家の長男様? あなたほどの家ならば、シネラリア養成学校長にでも話をつけて、班替え要請をなさったら? 嫌でしょう? お家目当ての女と同じ班なんだなんて」
たたみかけるようにマリエは攻撃する。
こちらに非はないし、幸い、マリエの家は野心があまりないため、シュトレリッツ王国二大公爵家のオブスキィトにもルミエハにも属していない中間地点の家だ。
オブスキィト公爵家にたてついたところで、家に迷惑はかからないだろう。
「そのことで、話がある」
何故かアベルは手に持っていたトレーをマリエのトレーの隣に置き、マリエの隣の席に腰掛ける。
「同席なんて許してないけど?」
シェリアが即座に鋭い声で言う。
「……まあ、話ぐらい聞いてやって」
続いて、黒髪の青年までもが、なだめるようにシェリアに声をかけた後、シェリアのトレーの隣に自分のトレーを置いて、席につく。
驚いたが、とりあえず、話があると言ったアベルの方を向く。
学園の女の子に絶大な人気を誇る彼は、どこかあどけないかわいらしい顔立ちをした少年で、まっすぐこちらを見つめられると、自然と脈が速くなってしまう。
「昨日のことは悪かった。振り返ると同時に相手の顔も見ずに、あの台詞を言ったのは、失礼だったと思ってる」
そう言って、少年は頭を下げる。
予想外にも素直に謝られてしまい、さきほどまでの憤りが、急速にしぼんでいくのを感じた。
「へえ……。謝れるんだ? 知らなかったなあ。思っていたのよりはほんのちょっとだけまともだったんだね」
ちょっと興味深げに、それでも冷たい笑みを崩すことなく、シェリアは言う。
「俺はマリエ・モンブランに謝ったつもりだったんだが?」
「そうね? だからなあに?」
答えは分かっているだろうに、あえて明るく、そして笑みだけは相変わらず冷たい笑みを張り付けて、答える。
「お前に口出される覚えはない」
「あら、公爵家の長男様にとったら、私は名前を呼んでもらう価値もない小娘なのかしら?」
「っ! シェリアは口を挟むな」
怒りからは顔を赤くした少年は、それでもしっかりと名前を呼び、シェリアに対抗する。
どうやら家名を出されて何かと言われるのは、本当に嫌らしい。だからこそ、昨日の不用意な言動にもつながるのだろうが。
「初めまして。マリエ・モンブランさん。俺はレン・ヴェントス。こいつとは寮の部屋が一緒で、ちょうどマリエさんとシェリアみたいな関係だ。それで、少しアベルがかわいそうだから、一応謝ったし、このぐらいで許してやってくれない?」
黒髪の美少年のレンは、まるで保護者のような言い方で、アベルについて話した。
それがなんだかおかしくて、思わず口元が緩んでしまう。
「あーあ。マリエが折れちゃった……」
心底つまらなそうな表情を浮かべたシェリアに、ごめんと言いながら、レンの方を向く。
「いいわ。謝ってもらえたし、一年間同じ班なのに、喧嘩し続けるのもバカらしいし」
「ありがとう」
にっこりとほほ笑んだその顔は、どこかシェリアが自然とほほ笑んだ時の表情と同じで、人を魅了する何かがある。
思わずぼうっとしてしまってから、じっと見つめていたことに気づいて、慌てて言葉を継ぎ足す。
「あと、マリエでいいわ。敬称をつけられるなんて慣れないし」
「俺もレンでいい」
マリエの言葉にうなずいて、レンは言う。
「俺もアベルで構わない」
「言われなくても、敬称なんてつけないわ」
アベルの言葉には、即座にシェリアが言い返した。
今ではもはや、マリエより、シェリアの方がアベルに恨みがあるかのようだ。
決してそれはシェリア本人の恨みではなかったのに。
「さて、とにかく話は終わりよね?」
場の空気を戻そうと、マリエはあえて話を振る。
「そうね。そういうわけだから、もう離れてくれる? まさか一緒にご飯を食べる気じゃないでしょう」
「食べる気だけどね」
先ほどよりかはずいぶんと口調を緩めながらも、それでもアベルとレンをにらみつけなが、その美しい顔に笑みを浮かべてシェリアが噛みつき、さらりとレンが受け流す。
その様子に、マリエは思わずこめかみを抑え、ため息をつく。
どうやら去年までの一年の、平穏さは戻ってこないようだ。




