01. 運命が変わった日
「——アナスタシア第一王女の身代わりになれ。」
孤児院でひっそりと暮らしていたシエラに、突如として降りかかったあまりにも大きな使命。
断れば孤児院を潰す——そう脅されてしまえば、シエラに選択の余地などなかった。
しかし、その衝撃よりもシエラは目の前の男に意識を奪われていた。
国一番の騎士にして、第一王女アナスタシアの護衛・レンダオ。
凛々しくも端正な顔立ちに、鍛え抜かれた無駄のない体躯。白銀の礼装に金糸の刺繍を施し、胸元には幾つもの勲章が輝いている。
誰もが一目でただ者ではないと悟る華やかな男。
シエラは、レンダオの顔を見つめたまま固まっていた。
彼が美しいから見惚れていたわけではない。レンダオがあまりにも痛々しい表情をしていて言葉を失ったのだ。
この場にいる誰より、ましてや脅迫されているはずの自分よりも、彼の瞳には深い絶望が刻まれていた。
***
オーレリア王国郊外。
緑豊かな自然の中に、ひっそりと佇む孤児院があった。人々が暮らす街からは少し隔離され、道を知る者しか辿り着けない、まるでお伽話の秘密のお屋敷。
そこで、シエラは暮らしていた。
サファイアブルーの澄んだ瞳に煌めく金髪、透き通る肌をもつ、太陽のように眩しい少女。はつらつとした表情がさらに彼女の明るさを引き立てている。
「今日も平和だなぁ~」
庭で元気に走り回る子どもたちを眺めながら、年長のシエラはひとり幸せをかみしめる。
小さくも管理の行き届いた孤児院での暮らし。みんなで一緒に過ごすおだやかな時間はシエラにとって何にも変えがたいものだった。
親もなく、野望もなく、なんでもない日々に幸せを感じられるシエラにとってはそれで十分。多くを望まないゆえに、少し幸せを抱きしめて生きていく。
——そんな日々が、ずっと続くと思っていた。
よく晴れたなんでもない昼下がりに、その瞬間はやってきた。
「シエラ、院長先生がお呼びよ。今すぐ応接室へ向かいなさい」
職員に呼ばれ、シエラは首を傾げた。
少々おてんばゆえに院長先生から呼ばれることはよくあるのだが、心当たりがない。それに、なんだか職員の様子がおかしい。妙に強張っている。
「……何かあったの?」
「……いいから急いで」
いつもなら気さくに話す職員が何も教えてくれず、表情に緊張が滲んでいる。何か良くないことが起きていると察しながらシエラは応接室へと急いだ。
「院長先生、シエラです」
返答を待たずにシエラは勢いよく扉を開ける。
——そこに、第一王女の護衛騎士・レンダオはいた。
燃えるような暁の瞳に長い睫毛。艶やかな黒髪は無造作に整えられ、前髪が目元へと落ちている。瞳にかかるわずかな黒が妙な色気を纏い、それでいて、太めの眉とわずかに垂れた目尻は、人懐っこさを感じさせる。
麗しくてどこか甘さのある、人を魅了する色男だった。
美しい男を見るのが初めてだったシエラは圧倒されていた。
しかし、目の前の男のわずかな、しかし強烈な表情の変化に意識は引き戻される。
「……アナ……スタシア……様……」
レンダオの唇はほとんど動いておらず、シエラには彼が何と言ったかは聞き取れなかった。
しかし、自分と目が合った男の顔から、血の気が引いていくのだけはわかった。
(……? 何を……驚いているんだろう?)
ほんの一瞬だが、そんな動揺と陰りをみせたレンダオ。
だが、次の瞬間には何事もなかったかのように彼は表情を消す。
「シエラ。お前は今日からアナスタシア第一王女として生きてもらう」
――そして、無慈悲にシエラを大きな運命に巻き込むのだった。
「…………は?」
あまりにも唐突な言葉に、シエラは間の抜けた声を漏らした。
「公表されていないが、アナスタシア様は亡くなった」
「だが、王女の死を公にするわけにはいかない。だから――」
レンダオは、シエラを見つめて改めて告げる。
「瓜二つのお前に、アナスタシア様の身代わりをしてもらう」
固まって何も返せないシエラをよそに、レンダオは淡々と続ける。
「断れば、この孤児院への支援をすべて打ち切る」
(この男は何を言っている……?)
理解できなかった。孤児院育ちの女が王女に成り代われるはずがない。それに、受け入れたくもない。突然来て、理由もろくに話さずアナスタシア王女になれと言い出して、断れば孤児院を潰す脅し文句までつけて。
レンダオの突拍子もない提案に、たちの悪い冗談だろうと思いはじめたシエラ。
しかし、レンダオの一歩後ろにたたずむ院長がその逃避を許さなかった。
院長は諦めたように、そして、諭すように首を振りながらシエラを見つめる。
——拒否権なんて最初からない。
それを悟った瞬間、胸が重くなる。
自分を育ててくれた孤児院には恩がある。子どもたちに情もある。ならば私は、この男と行かなければならないようだった。
「……私は、王族が嫌いです」
気づけば、言葉が口からこぼれていた。せめてこの一方的なやりとりに反抗したかったのだろうか。
院長も目を伏せて私を止めようとはしなかった。
「税を上げて、自分たちは贅沢三昧。気に入らないことがあれば、権力を振りかざす。そんな人たちに協力するなんて——」
「アナスタシア様だけは違う。彼女は王族の在り方を変えようとしている」
それまで淡々としていたレンダオの声に、初めて強い感情が滲む。声を荒げているわけではない。しかし、その一言には確信と意思が込められていた。
「彼女だけは、民のためにだけ動いていた」
「……どうやって信じろと?」
問いかけに、レンダオは答えなかった。
代わりにその場で片膝をつき、胸に手を当てる。
その一連の所作は、思わず見惚れてしまうほど流麗で、淀みがない。そのまま静かに顔を伏せ視線を落とした。
「……!」
第一王女直属。
国で最も高い地位を持つ騎士の一人である男が、いち平民の少女へと頭を垂れている。
あまりにも場違いな光景に、シエラは息を呑んだ。
「……ここまで……するんですね……」
レンダオは顔を上げずにそのまま続ける。
「アナスタシア様のためなら俺は何だってする。これで、信じられたか?」
「……そうですね」
シエラは、ぎゅっと拳を握った。抵抗の時間は終わった。覚悟を決めなければならない。
レンダオはおもむろに立ち上がり、シエラに手を差し出す。
「では行くぞ。このまま王宮へ向かう」
荷造りも別れの時間もなく、怒涛に物事が進む。
(王宮に私のものは何も持ち込めないだろうから当然か……)
それに、惜しむ暇があればきっと悲しくなる。
ならば身を任せてすぐに行動したほうがいい。どうせ未来は変わらないのだから。
「わかりました」
そう告げるシエラにはもう迷いはなかった。
——こうしてシエラは亡き第一王女に忠誠を捧げ続ける騎士・レンダオと出会い、王女の身代わりとなる道を歩み出すのだった。
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