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ダミアン・バクランド 〜第二王子殿下の親友は今日も振り回される〜  作者: 島田すい


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 ロイから頼まれた書類を届けるため宮殿内の廊下を歩いていると、向かい側から足音が聞こえてきた。普段通り、立ち止まってお辞儀をする。

 このような場合、相手の反応は二つ、完全に無視されるか、すれ違いざまに嫌味を言われるかだ。東の国の見た目で使用人だと思われている僕と関わろうとする者は、ほぼいない。

 だが、今回は当てはまらなかった。数人が並んで歩けるほど広いこの廊下で壁側に寄っていたにもかかわらず、相手の手が僕の腕にぶつかったのだ。


 咄嗟に頭をより下げ、片言のファロンヌ語で謝ろうとしたが、相手の方が早かった。


「おい、何やってるんだよ!」


 使用人を叱責する言葉だが、なぜかその口調には威圧感がなかった。むしろ、どこかで聞き覚えがある声だった。


「痛いだろうが! 何か言えよ」

「…………」

「おい、おまえ、聞いてるのか?」


 周囲に人がいるようだ。このような光景は宮殿内でたまに見かけるので注目されていないとは思うが、誰が見ているか分からない。


「顔を上げろよ」


 ファロンヌ語が理解できない振りをしているため、そのままの姿勢を保つ。すると、それを見越したかのように相手は右手を伸ばし、僕の顎を持ち上げる。自然と、互いの目が合った。

 当然、驚きは声や表情には出さない。


「おまえ、ぶつかっておいてその態度はないだろう」

「…………」

「何も言わないってことは……その見た目だし、ファロンヌ語が話せないのか? はあ……責任を取ってもらうのは当然だが、俺は今急ぎの用があるんでな。運が良かったなおまえ、これで許してやるよ」


 そう言うと、彼は怒ったような仕草で僕の襟をつかんでぐっと引き寄せると、そっと耳元で囁いた。


「今夜ヴァルリナにあるワグネル家の屋敷に来て。場所は君の親友に訊けば分かるよ」


 ニコラ・ワグネルは手を離すと、「次はないからな、気をつけろよ!」と言い残して去っていった。




 用事を終えてロイの部屋に戻ると、都合のいいことにエステルもいた。書類作業中のようだが、茶に湯気が立っている。エステルは来たばかりなようだ。


「ダミアン君、ありがとうございます。ですが、いつもより時間がかかりましたね。やるべき事が蓄積しているのに——と小言を言いたいところですが、もしかして、ご令嬢からのお誘いでもございましたか。そうでしたら咎められませんね」

「あら、兄様にもそのような方ができたのね。少し寂しいけれど、嬉しいわ」


 怪人の勘の良さは、いつものことだ。


「私たちだけですと気が引けるので——という意味ですか? はい。ご希望通り、今夜のお誘いがありましたよ」


 二人が目を丸くした。


「自分たちで言っておいて、何を驚いているんですか」

「いえ、ダミアン君が魅力的なのは知っていますよ。ですが、話せないと思われている君を誘うとは、面白いご令嬢だと思いまして」

「あら、ロイ様。私は面白くございませんの? 妬いてしまいますわ」

「そう思われたくて、あえて言ったのですよ。エステル嬢が素晴らしすぎて、私はいつも不安に苛まれておりますので」

「ロイ様。私があなたに夢中なことは、あなたが一番よくお分かりでなくて?」

「ですが、私の方が何倍もエステル嬢に夢中なのは事実ですので」


 エステルが黄色い瞳を潤ませて、優しそうに微笑んだ。

 僕は二人のやり取りを聞きながら、いつ切り出そうか考えていたが、ロイの方が話を戻した。



「——それでダミアン君。君を誘った見る目のある御方は、どなたですか?」

「見ていたんですか!?」

「いえ。君が惹きつけるのは、何もご令嬢に限るとは思いませんで」

「例えば、どこかの第二王子とかですか」

「ええ。殿方がお好みでしたら是非、ご紹介させていただきますよ」

「とてもありがたいですが、またの機会にお願いします。今夜のお相手はもう決まっていますので」


 ロイは僕の返答を予想していたかのように頷いた。


「ワグネル伯爵家のニコラさんから今夜、屋敷に来るようにと誘われました」

「ああ、彼でしたか。私はシェール伯爵辺りかと思いましたが、外れましたね」

「兄様、ニコラさんは王都の管理局にお勤めよね。何か用事でもあったのかしら」


 エステルの質問に、ロイが答えた。


「商店に対する手続きの見直しがありましたから、その関係でしょう」

「それは偶然かしら?」

「ええ。彼が宮殿にいたのは、本当に仕事が理由だと思います。ただ、偶然ダミアン君を見かけなければ、おそらく別の方法で連絡を取ろうとしたのではないでしょうか」

「ジュリエット経由か、父経由でしょうか」


 僕が言うとロイは頷いた。


「おそらく。ですが……これは私の想像にはなりますが、ダミアン君に会えたことは、彼にとって運が良かったでしょうね」

「それは手間が省けるから——ではないですよね」

「ええ。誰を介したかによって、自分が誰の命を受けて動いているのか、推測される可能性がありますので」

「先ほど殿下が、『シェール伯爵かと思った』と言いましたよね」


 僕の言葉に、ロイは確信を得たかのように口角を上げた。


「それは殿下がニコラをシェール伯爵、つまりフィリップ殿下側の人間だと考えているということでは?」

「さすが、注意力がいいですね」

「なにか確証でもあったんですか?」

「確証ではございませんが、ダミアン君たちから聞いたニコラの話を踏まえますと、フィリップ叔父上のもとでシェール伯爵一家とニコラが動いているというのが一番あり得るかなと思いまして。シェール伯爵とワグネル伯爵も昔からの友人ですし」

「ロイ様、別の方の指示でという可能性はないのですか?」

「でもエステル、そうなると父様側になると思うけど、あの時ニコラはバクランド側とは違う人からの命令って言っていたから違うんじゃない?」


 エステルは考える時間を作るように、一度瞬きをした。


「お父様たちとも別の人——ということもあるかと思ったけれど、どうかしら」

「うん。でもそんなに多くの人が今回の件に気づいてはいないだろうし、そもそもワグネル伯爵に命令できる立場の人というと、限られるよね」

「確かにそうね」

「ええ。私もダミアン君に同意見です。まあ正確には、そう願いたいという感じでしょうか。バクランド家と親交があるワグネル家がまさか、黒幕側だとは考えたくありませんし」

「それは僕たちも同じです」

「ええ」


 一旦会話がまとまったところでミッシェルを呼んだ。優秀な彼はすでに準備を整えていたようで、すぐに僕の分も含めて三人分のお茶を淹れ直すと、部屋を出ていった。


「ロイ殿下、ニコラから『ヴァルリナにあるワグネル家の屋敷の場所は、僕の親友に訊けば分かる』と言われたんですが」

「嬉しいですね」

「何がですか」

「君の親友だと、周りに認められていることですよ」


 普通は逆——僕が喜ぶ方なのだろうけど。


「まあ、今後は親友というより、義兄弟と言われることが多くなるでしょうね」


 いや、これを言いたくて親友という言葉にわざわざ反応しましたよね。


「はい、どちらも光栄に思います」

「ありがとうございます。それで、ワグネル家の屋敷ですが、もちろん知っていますよ。林檎を持った女性の像が飾られているあの公園の、少し先にあります」


 有名な像なので、すぐに場所が分かった。


「そこでしたら、ここから歩いて二十分くらいですね」

「いえ、もちろん馬車を用意いたしますよ」

「いや、お忍びですよね。目立ってはいけないと思いますが」


 ロイとエステルが再び目を丸くした。

 顔を見合わせて微笑む二人の考えていることは、残念ながら簡単に予想できる。


「ええ。ですから、馬車を使うのですよ。噂の二人が一緒にいるところを見られてしまっては、大騒ぎになってしまいますので」

「兄様。私たち、考えてみたらヴァルリナに来てから初めて招待されたのよね。せっかくのお誘いですもの。楽しみましょうよ」

「いや、招待の意味が違う……というか、誘われたのは僕だけでは?」


 半ば諦めながらも言ってみた。


「いえ、ニコラが親友に訊いてと示唆したのでしたら、それは皆も一緒に——ということでしょう」


 室内だから風など吹いていないのに、ロイの髪がなびいた。

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