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パトリックにも心当たりがないか尋ねてみたが、そもそもルグランという店自体を知らなかった。確かに大きな看板などもなく、中に入ったとしても注意深く観察しなければ、品の良い主人が営む少し高級な喫茶店にしか思えないだろう。
「不勉強で申し訳ございません」
「パトリック。ルグランはこの辺りの店じゃないし、貴族専用の店でもないから気にしないでほしい。でも、パトリックは侍従として働いて長いよね。元貴族だというと、どのような理由が多いかな?」
「そうですね……やはり爵位を継がない子息でしょうか。王都の管理官になられたり、近衛隊に入られることが一般的かと思います」
「そうね」
「それは僕たちもたまに聞くね」
よほど目を見張るような成果を上げない限りは新たに叙爵されることはないが、管理官や近衛兵ならば、貴族育ちの価値観だとしても通常は生活に困らない。
ルグランの店主が元貴族で二十年くらい前から働いていたというトニーの話を信じれば、宮殿内にある資料で見つかるかもしれない。仮に元貴族でなかったとしても、喫茶店を開業するには必要書類の提出が義務付けられている。王都の管理局で、その情報は得られるはずだ。
そう思い、今夜はもう遅いしそろそろ寝ようと言おうとしたところで、パトリックがゆっくりと口を開いた。
「あの、極めて異例ですが……貴族の籍から抜けられた理由を、他にも耳にしたことがございます」
「教えてもらえるかな?」
「私が存じ上げているのは、王都の貧民街で働くことを希望して親から縁を切られた方、また、家が取り潰しになった貴族もいると伺ったことがございます」
リュー地区は貧民街ではないし、志が高い人が賭博場を違法経営するとは考えにくい。エステルもそう感じたようだ。
「どのようなことが原因で、家がなくなったのかしら?」
「借金などで家が没落したり、爵位を剥奪されたりしたという話も聞いたことがございます」
前半は想定内だが、剥奪は滅多にない。それでもパトリックの言い方は過去の話ではなく、彼も直接知っているように感じた。
「ねえパトリック。さっきトニーが『二十年くらい前』って言った時、何か驚いていたみたいだったけど、それはどうして?」
パトリックは少し考えるように、沈黙した。思い出そうとしているのか、言おうか迷っているのか、冷静沈着な侍従である彼の表情からは読み取れない。
長年侯爵家に仕えている彼は、主人に対する守秘義務を忠実に守っている。だが、今から言おうとしていることは偶然耳にした話だ。さらに主人側が知りたいと要望したことなので、話すべきだと判断したようだ。
「あくまで風の噂と言いますか、使用人仲間を通して伝わってきた話なのですが……」
話の内容の真偽について、彼が気にする必要はない。僕たちが集めた情報の判断は全てロイに委ねられる。それをやんわりと伝えると、パトリックは意を決したのか、ゆっくりと口を開いて話し出した。
「昔、ヴァルリナ宮殿で重大な事件――反乱があったようです。前国王陛下がご存命だった、二十三年くらい前の話でございます」
「反乱?! 宮殿で?」
僕たちが生まれる前ではあるが、この国の歴史からすればごく最近と言っていいのに、初めて聞く話だ。当然、エステルも驚いている。
「はい」
「僕たちは全く聞いたこともなかったけど、なぜパトリックは知っているの?」
「それは……その当時、旦那様と一緒にヴァルリナ宮殿に滞在していた時のことです。突然大きな騒ぎと共に緊急の退避命令があり、理由も分からないまま急いでバクランド領まで戻った経験がございます」
僕たちは頷き、話の続きを促した。
「その後も何も情報はなく、宮殿は王族の方以外は立ち入り禁止ということのみ伝えられました。結局旦那様や他の貴族の方々がヴァルリナ宮殿へ入る許可が下りましたのは、それから数ヶ月以上経ってようやくでございました」
通常の場合ならば、許可されている貴族は自由に宮殿内へ入ることができる。もちろん建物内でも入室が許される区域は身分などによって厳しく決められているが、庭園内へ立ち入ることも長期間禁止されていたというのは、聞いたことがない。
「それが反乱だったというのは、どうして分かったの?」
パトリックは、噂話で根拠がないことを示すように、いつもより小さな声で言った。
「その後何年もしましてから、以前宮殿で反乱のような事件があったらしいとの話を、他の屋敷に務めていた使用人から偶然耳にしました。詳しい内容や年代などは分かりません。ですが、もしかしたらあの退避命令に関係しているのではないかと思い至りました」
話として不自然な点は感じない。
「でしたらルグランの主人が反乱に関わっていたということかしら? でも、もし貴族が反乱を起こしたのなら相当重い処罰になるでしょうけど……。処刑されていないなんて、不思議だわ」
エステルの疑問は、僕も同意だ。ルグランの店主が反乱者ならば、剥奪だけで処刑は免れているということになる。
それに彼は品の良い紳士で、反乱を起こすような人物には到底見えなかった。
「そもそも……反乱が本当にあったのかさえ、不確かでございます。万が一あったと仮定しましても、その反乱とルグランの主人に関係があるのかも分かりません」
共通点は二十年くらい前――それだけだ。
父は当時、理由を聞いていたのだろうか。直接尋ねれば早いのだが、反乱のことは僕たちが習ったこの国の歴史、貴族子弟が受ける学習で使う本には書かれていなかった。どこからその情報を手に入れたのか、なぜそのことについて知りたいのか、逆に質問されてしまう。ロイの助手の仕事内容が露見するわけにはいかない。
ロイは王族だから、教えられているのだろうか。
「宮殿内で反乱があったということなら、門番を強行突破でもしない限り、出入りを許可された高位貴族が起こしたってことよね?」
エステルが確認するように言った。
「その事件をきっかけに、出入り制限が厳しくなっていなければね」
パトリックは年長者なだけあり、知識も豊富だ。
「いいえ、おぼっちゃま。昔も今と同じで一部の貴族のみ、宮殿へ入ることができました。ですが王や王妃のご意向により、その貴族が変わることはございます」
それは今もだ。親しくしていても何か些細なことがきっかけで、あっという間に王族のお気に入りの地位を外され、宮殿へ近付くことすらできなくなる。
「その、反乱を起こしたのは誰か分かる?」
一番知りたいことだったが、パトリックは知らなかった。だが、代わりにもたらしてくれた情報は役に立ちそうだった。
「いえ、私たちには分かりようがございません」
「反乱を起こしたのが高位貴族だとしても、事件自体を隠したのはなぜかしら? 本当にあったのなら、処分を公表した方が抑止力になると思わない? それに歴史を見ても、通常は公開処刑が一般的よ」
公開処刑をしたなら、事件自体を隠すことは不可能になる。
「お嬢様。それが……こちらも不確かではありますが、誰かが身代わりになったという話も一緒に噂されておりました。私たち使用人の間では、身代わりで殺された――そのように解釈しておりましたが……」
「要するに秘密裏に処刑したか、ルグランの店主が元貴族というのが本当になら、誰かの身代わりで爵位剥奪された可能性もあるということね」
パトリックは頷かない……いや、頷けないのだろう。あくまで人から話を聞いたに過ぎず、断言できないのだから。
結局この日は結論の出ないままパトリックたちとの会話を終了し、僕たちはそれぞれの部屋に戻り、就寝した。




