109話 懺悔への糾弾
サフィレーヌにできすぎた“喜劇”を語るフィンナの表情には、大きな変化はなかった。
それは気を張っているわけではなく、単純に客観視したことを語っているからだ。
ただの過去話だ。ただの人の気を引くだけの悲恋談だ。
「……それが、王家を残した理由ですか?」
自分で言っていてサフィレーヌは酷な詰め方をしていると思った。
フィンナこそ諸悪の根源であるはずなのに、恋人と親友の人生を滅茶苦茶にしているはずなのに、なぜかこちらが無理矢理詰めているような感覚になったのだ。
「そうだとも。女王がいなくなった後、国王が力を取り戻すのは自然な流れだった。だが、その王はオスリクスでなければならない。彼の父親でなくてはならない」
未だにフィンナは初恋の男に囚われたままだ。
擁立する王など御しやすければ誰でもいいはずなのに、彼の父だという理由でフィンナは最も優秀な王を残したままにした。
「ですが、いずれ国王様は亡くなる。そのときに次の王が必要になる」
「ああ。ミゼリアを作成したのはそれが大きな理由だ」
「作成……?」
「なるほど、そこまで情報は得ていなかったわけだ。それでよく辿り着いたものだね」
ゆっくりとワイングラスを傾けながら、フィンナはミゼリアの誕生について語る。
「王都の教会の地下には女神の残した胚があった。それは人間を産み出す装置さ。私たちがとても苦労しているのに、あんな簡単に作ってしまうものなんだね。はははは」
数多くの出産を経験している母たる女は呆れたように笑った。
「それを移設し、解析し、幾度も失敗を重ねミゼリアは作られた。あの子は“作品”なのだよ」
「…………」
サフィレーヌはただ真剣にその事実を受け入れた。
そして、考えた。もう頭がおかしくなりそうだった。
その苦痛に歪む顔を見つめながら、フィンナはさらに言葉を続けた。
「あの日、暗殺は失敗した。あの女は消えていた。きっとリュークから城の脱走ルートを山程聞かされていたんだろう。まったく、本当に思い通りにならない男だよ」
愛しいものを語るようにフィンナは笑った。それは儚い。崩れる一歩手前の諦観の微笑みだった。
「あの時の私は思った。もし──もしも、彼の子供がこの世界に生まれ落ちてしまったとしたら、どんな過酷な運命を歩むことになるのだろうと」
それは見当違いの心配だ。フィンナはハットリュークの妻ではないし、その子供はフィンナの子供ではない。
それでも、フィンナはその子のことを考えずにはいられなかった。
半分だ。半分だけが彼で作られた子が生まれてくる。
そして、もう半分は憎い憎い女でできている。
愛しくて、憎たらしい子供がきっと生きている。
「絶対にこの場所に戻したくなかった。関係のない場所で、何も知らずに、生きて死んでいて欲しかった。もうあんなことはたくさんだった。
だから、ミゼリアを作った。もう居場所も何もかも無くして、路頭に迷って野垂れ死んでいればいいと思った」
なんて傲慢で自分勝手な行為なのだろうか。
全てが自分基準の言い訳に過ぎない。
「だが……やはり、彼の子なのだろうね。戻ってきた。何もしなかった親友を気取る男が連れ戻してきてしまった」
急遽、フィンナは幼いミゼリアを擁立することになった。
そして、ダルンからその子供を奪うつもりだった。
自分の腕の中で溶かしつくして、甘やかして、鳥籠の中で愛で続けるつもりだった。
だがしかし、彼の子供がそんな器であるわけがない。
すぐにその金の鳥は飛び立っていった。
どこまでいってもフィンナには手に入らない輝きを放ちながら。
「……きっと、あの子も苦労しているのだろう? 一人で全部を背負い込んで、他人の感情を読み取って、自分の感情は隠してしまうのだろう?」
サフィレーヌが仕組んだルクスとの食事会は、とても楽しかった。
懐かしいやり取り。皮肉を皮肉で返す痛快さ。
想いが溢れて、どうしようもなかった。
だが、同時に胸を締め付けられるような痛みがずっとあった。
目の前にいる愛しい子を抱きかかえることもできない。
そんな資格がないことを理解していた。
フィンナを見るあの警戒した目が彼女をどれだけ痛めつけていたことか。
全てを話したところで、あの子が止まるとも思えなかった。
もうすでに王の目をしていたからだ。
彼と同じ世界だけを見る横顔を眺めながら、フィンナは勝手に傷ついていた。
本当に浅ましい。
「ええ、その通りです。しかも、全部一人でできてしまう力を持っています」
サフィレーヌはそっけなく答えた。
「ふははは、それはさぞかし孤独なのだろうな。しっかりと見てやることだな。妻なのだから」
────“私とは違って”。
そんな言葉をフィンナは飲み込んだ。
本当に執着の激しい無様な女だった。
「…………」
机の向こうの母を無言で見ながら、サフィレーヌは何も考えられなかった。
だから、──席を立った。
フィンナ・カルクルールは間違いなく悪である。
自分を優先するのは構わない。しかし、その過程で人の人生を壊し、それを受け入れてしまう人間が善であるはずがない。
その理由も激しい自己愛と自己陶酔だ。これを許してしまっては世界は終わる。
──ゆっくりと歩く。
しかしだからといって、罵ることも、無視することもできない。
間違いなくフィンナは痛みを抱える一人の女なのだから。
その苦しみと悲しみを理解することも共感することもできる。
ただ、巡り合わせが少しだけ悪かっただけの話だ。
──歩み寄る。
“面倒な男を好きになったね”。そんな軽い慰めをしてやればいいのだ。
それをできる者がこの場にはいた。
一般的な価値観が、客観的な事実が、当の本人が許さなくとも──。
「────?」
──その『娘』はその悪を共感し、その罪を笑うことができるのだ。
「お母さま……」
「サフィレーヌ……?」
サフィレーヌはフィンナに抱きついた。その温もりを一身に感じた。
フィンナが見せたのは、戸惑いだった。
サフィレーヌに反応して、向き合ってはいたものの、その予想外の行動に面食らっていた。
だってそうだろう。
一番放置していた子供だった。
サフィレーヌが生まれた理由はそれこそただの発散だ。
彼が汚らしい女と交わった事実を知って、当てつけのようにフィンナは彼とまったく似ていない粗雑な好みの男と交わった。
自分は求められているという感覚がフィンナの心を安定させたのだ。
カルクルールはその特性故に、早く増えることに特化している。
フィンナは、同じ時期に身籠りながらもゆったりと腹を膨らませるあの女に対して優越感を得ていた。
女としての機能で勝手に勝った気になっていた。
そんなどうでもいいことでしか対抗できなかった。
そして、産んだあとは放置した。
生まれ持った特性がどれだけつらいものなのかフィンナは知っていたはずなのに。
でも、仕方がなかったのだ。
恋い焦がれた男が死に、女王が死に、大戦争が終わった。
皮肉にも彼が死んだことで、フィンナは世界を見渡せるようになった。
国王には何も言わずに彼らを傀儡とした。
だが、幼い頃のフィンナと息子のことを知っているオスリクスはきっと何かを察していたのだろう。
黙ってフィンナを受け入れたのだ。
そして、厄介な連中はまとめて自分の派閥に入れた。
自分がその先頭に立ち、幸福を享受し続けた。
ひどい女だと言われ続けた。
大丈夫だ。今更の話だ。
その中で彼の好きだったものをなんとか再現したかった。
だから、学園を作った。
きっと、彼のしたかったことの半分も叶えてあげられなかったけれど、フィンナは少しだけ満足だった。
でも、もう終わりだ。
彼の言っていたことを理解したときには、世界はどうしようもなくなっていた。
この世界には魔族がいる。
そして、魔王がいる。
情報でしか知らないフィンナも感服する完璧な支配者がいる。
ならば、どうにか少しだけでも彼のいた痕跡を残したい。
この国の名前。この国の王族。この宮殿。
だから、フィンナは魔の者に頭を垂れたのだ。
「────」
そんな、心の焦りを癒やすようにフィンナの頭が撫でられた。
小さな手だ。まだ何も知らぬ小娘の手だ。
知らぬ感覚に硬直するフィンナに抱きつき、勝手に膝の上に座る無礼な少女の行動は、フィンナの何かを温めた。
「お母さまのこと、嫌いです。でも、好きです」
とても端的な言葉だった。
教えずとも、その少女はフィンナの好む言葉を選んだ。
その言葉の真意は、他の人間には理解できない。
彼女たち──『親子』だからこそ通じ合う、不思議な儀式のようなやり取り。
母の胸に顔をうずめるのは、これまでもっとも愛を注がれる時間の少なかった娘だった。
「…………」
フィンナには言葉すらなかった。
震える手で娘を抱き返した。
それはとてもぎこちなかった。
なぜならば、彼女は子供の抱き方など知らなかったからだ。
自分が子供の頃も母などいなかったし、父に構われることもなかった。
自分が母となっても、産むだけで育てているのは乳母や侍女だった。
今抱える娘に至っては、連想させる思い出から目を合わせることすらしていなかった。
「そんな……そんな、悲しい目をなさらないでください」
「私は……」
「わたしはあなたの娘です、お母さま。やっとわかってくださいましたか?」
娘。
その音は知っている。
その意味はわかっている。
その姿は見ている。
しかし──初めて理解した。
「ああ……サフィレーヌ。そうだったね……。私はどこまで……本当に自分のことだけの……」
娘を抱く腕が自然と様になっていく。
本能でわかった。
それは母としての習性だ。
甘えてくる子供に喜ばない母がいようか。
強く抱き寄せると、くすぐったそうにサフィレーヌは笑った。
広がっていく熱が心地よかった。
体を巡り、心まで癒やしていくようだった。
「ふふふ……安心して下さい。お母さまにはできなかったこと、わたしはできてますから」
生意気な娘の頭を少しだけ強く手で叩いた。
それでも娘と母は笑った。
「そちらこそ安心し給え。キミに魅力がないとあの子が離れても、私がこの体で取り戻すからね」
「……わたしだっていずれは……」
豊満な胸を憎々しげに見つめる娘を見てフィンナは笑った。
「はははははっ!」
「くす……ふふふ。……話して下さり、ありがとうございました」
「おや、文句があるのではなかったのかな」
恥ずかしげもなく母の腕に抱かれ甘える少女を、優しく撫でながらフィンナは微笑んだ。
「わかっていて話したくせに、何をいうのですか……」
「ふふ……そちらこそわかっていて抱きついてきたのだから、お互い様だろう」
母は失恋話を語れば、娘には何も言えなくなると思っていた。
娘は甘えてしまえば、母は元気になると思っていた。
打算的で、感情的な似たもの同士の母娘だった。
自分の幸福を優先する自分勝手な女たちだった。
「わたしはルクスを愛しています。そして、ミゼリアちゃんもお姉様も好きです」
「そうか」
「お母さまのことは反面教師にさせていただきます」
その容赦のない言葉は本当にフィンナの大好きなものだった。
勿論、情けなく傷ついた。切なくなった。小生意気な娘に説教してやりたくなった。
それでも、何かが報われたような気がした。
「ああ──是非、そうしてくれ給え。……本当に羨ましい娘だよ。サフィレーヌ?」
本当に図太く成長した娘の前髪をすくと、フィンナはその額に口付けを落とした。
そうして彼女たちの間に言葉は消えた。
相手の温もりで、心音で伝わるからだ。
どれだけお互いのことを思っているのかを。
その愛は無償だった。何も求めず、ただ与えるだけの一方的なものだ。
足掻いて、惑って、立ち止まって。
それでも這いずり続けた女がやっと手に入れた真実の愛だった。
その光景はきっと美しいのだろう。
悲しみを共有し、抱き合う美しい母娘。
“美談”と呼ぶべきものなのかもしれない。
全ての悪事を棚に上げ、何故か満足している女たち。
勝手に盛り上がる外道ども。自らの感情で虚飾した物語に酔う奇人ども。
ただの悪女のくせに。
“人の男を愛していただけの無様な女が何をしているのか”────。
「…………っ!」
宮殿が、いや、王都全体が揺れた。
「何が……っ!?」
フィンナは慌てて議事堂を見た。
しかし、そこに変化はなく、現在は出来上がった不死騎士が焼かれ続けているだけだった。
「お母さま! 街が……っ!」
「!?」
ゆっくりとサフィレーヌを膝から下ろし、フィンナはテラスから一望できる王都の街並みを見た。
そこには──大きな穴ができていた。
遠くからでもわかる大きなものだった。
深さはわからない。
地面が突然無くなったかのように見える。
穴の境界線に立つ住居がどんどんその穴に落ちていったからだ。
その穴ができた原因は、議事堂を襲った爆発によるものではない。
「…………」
──とてもとても大きな腕が穴から出てきた。
それは崖となった部分を掴み、さらに下から大きな何かが登ってくる。
上半身が見えてきた。
それは巨人だ。──土でできた巨人だ。
「……ゴーレム?」
それにしては大きすぎる。しかし、事実としてそれはゴーレムだ。
ただ大きすぎるだけだ。
威圧的なシルエット。大人が三十人縦に並んでも届くかどうかの身長。
街に穴ができた理由。それは──素材に使われたからだ。
穴から這い上がり終わった『不吉な鎧』が宮殿を見た。
そして、まっすぐに歩みを進めた。
その足元では破壊と殺戮が起こった。それを楽しむようにその鎧はゆっくりと全てを踏み潰した。
また、街が素材となり崩れていく。
ゴーレムの腕に何かが追加されていく。
素材収集だけで、街の人々がゴミのように死んでいった。
人々の営みが破壊されていった。
フィンナの愛する宮殿からの景色が穢された。
「……サフィレーヌ、下がり給え」
娘を下がらせ、宮殿と繋がっている自分の感覚に集中する。
王都の街並みを破壊して作られたのは、巨砲だった。
それが巨人の右腕に装着される。
その砲門はまっすぐに宮殿に向けられている。
そして、放たれた。
「…………ッ!!」
巨砲から弾丸が射出され、その衝撃でまた街が壊れた。
質量の暴力が宮殿を破壊しようと向かってくる。
フィンナの溢れ出る魔力を吸って宮殿に光が満ちる。
それは膨大な術式を作り出し、魔力の壁を展開する。
巨大な弾丸は宮殿に展開された防御魔法に防がれた。
それに驚くことはなく、巨人は次の弾丸の生成にかかる。
勿論、素材は“現地調達”だ。
その間に、また一歩足を進め、また誰かの思い出を壊した。
宮殿の高みからフィンナはそれを見る。
何故か、あの巨人は彼女を見ているような気がした。
壊れた街並みと人々の悲鳴を背景にしながら、その巨大な歩く鎧は宮殿だけを狙っている。
「……何者かな?」
届くはずのない疑問をフィンナは口にした。
しかし、まるでその声が聞こえたかのように巨人は笑ったような気がした。




