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前編

クーラーで身体が冷えるので書きました。

 その日は朝から雪がちらちらと降っていたが、ナンナがギルドの玄関に着く頃には本降りになっていた。

 石畳の道に膝の高さまで積もった雪は、一度掃除されていたようだが、また足首ほどの高さまで積もっている。

 ナンナは、凍った雪に滑らないよう慎重に数段の階段を登り、玄関扉を開けた。

 受付カウンターを通って事務所に入ると、職員は誰もいなかった。


「おはよう。今日は皆雪で来れないみたいだよ」


 ギルド長が積み重なっている書類の山の陰から顔を出した。


「おはようございます。閉めるなら帰りますけど、営業するんですか?」

「一応はね。それほど人も来ないだろうから帰ってくれてもかまわないけれど、もう結構降ってるみたいだね」

「ギルド長はどうやってここまで?」

「僕は昨夜ここに泊まっていたからね」


 その割に、書類の山の高さは昨日見た時とあまり変わっていない。

 ナンナは耳当てつきの帽子と手袋を外しながら、ため息をついた。

 家に帰ってもここにいても、寒いのは同じだ。この近くにあるナンナの部屋は、ここと同じく石造りでとても冷えるのだ。

 それに、部屋にいても布団にくるまって暖を取りながらうだうだするだけだ。

 それなら、日給が出るだけ仕事をしていた方がましだ。


「せっかく来たんだから、働いていきます」


 外套を脱いで雪を払ってからロッカーにしまうと、机の下に押し込んでいた部屋履きを取り出した。

 ホーンラビットの顔がついた部屋履きは、そのもこもこが石造りの床から上がって来る冷気を和らげてくれる気がする。

 ブーツの中で凍るように冷えていたつま先を部屋履きに入れると、履いて来たブーツを机の下に押し込んだ。


 椅子に掛けていた毛織の肩掛けを広げて羽織り、給湯室に向かう。

 強火で沸かした湯を少しマグカップに注ぎ、一度湯を捨てる。マグカップの飲み口が冷たいのはナンナにとってはご法度なのだ。

 そのわりに、飲むのがただの白湯であるのは、こだわりがあってのことではない。

 頻繁に温かいものを飲むので茶葉を使うのが惜しくなり、使う茶葉の量を減らしているうちにただの湯を飲むようになったのだ。どうせすぐに冷めるのは同じなのだから、温かければ風味がついてなかろうが彼女にはどうでもよかった。

 マグカップに改めて湯を注ぎ、その場で立ったままふうふうと表面を少し冷まして、ひと口すする。


「はあ〜白湯がしみわたる……」


 身体の中を通って、腹に落ちていく熱にうっとりした。


 熱を補充して少し気分が上向いたナンナは、席に着くとひざ掛けを膝の上にセットし、机の上に置かれていた書類を手に取り仕事を始めた。


 回覧書類の束を一枚ずつ読んでサインしていると、ギルド長ががたがたと物音をさせながらやって来た。


「今日は冷えるから特別にね」


 そう言って、いつもは遠くにあるストーブを、ナンナの席の近くに置いてくれた。


「ありがとうございます」


 ナンナはにっこりした。ストーブの近くで仕事ができるのはありがたい。

 ギルド長の気づかいを遠慮なく受け取り、給湯室から取って来たやかんをストーブにかけた。

 これでいつでもすぐに白湯を飲んで身体を温められる。


 受付に人がいないので、誰かが訪ねて来たらナンナが出なければならない。だが、近隣の人が様子を見に来るぐらいで、訪問者はまばらだった。




    ◇◆◇◆◇◆◇




 雪が横なぐりに降り始めた昼過ぎ、一人の男がギルドへやって来た。

 眉間にしわを寄せて昨日の討伐報告書を読みふけっていたナンナは、受付のカウンターごしに声を掛けられたのに驚き、書類から顔を上げた。

 ずれた肩掛けを羽織り直しながら、慌ててカウンターへ向かう。


「ごめんなさい。人が来ると思っていなかったから」


 男はこんな大雪の日だというのに、汗をびっしょりかいていた。

 しかも、袖のないシャツを着たしなやかな身体からは、汗が蒸発し湯気が上がっている。


(ほかほか……?)


「ハヤブサだ。届け物だよ」


 目を見開いて湯気とむき出しの二の腕を交互に見つめていたナンナは、男の声ではたと気がついた。


 男の顔に視線を移すと、口の端を上げてにこりと微笑んだ。

 男は日に焼けた黒い肌に、焦げ茶色の髪をしていた。黒い瞳は大きくてきらきらと輝いていて、その姿と相まって獰猛な猛禽類のような印象を受けた。


「ごめんなさい。こんな日に暑そうだったから驚いてしまって」

「いや。よく言われるけど、いつものことだから」


 いつも汗だくなのか。


 ナンナは内心さらに驚きながらも、ギルド長を呼んでくるのでと応接スペースへ案内しようとした。

 しかし、男は顔を洗いたいからと洗面所の場所を尋ねたので、そちらへ案内することになった。


 カウンターから出たところで、ナンナは固まった。

 男はひざ丈の下衣を履き、あろうことか素足に革の編み上げサンダルを履いていたのだ。


(えええ! この雪の中をサンダルで!?)


 膝の高さまで積もっている雪の中を、サンダルで踏破してきたというのか。


「隣国の首都から走って来たんだ」


 ナンナの視線の位置から驚きを察した男は、近づいてきてそう言った。


「走るのが得意なんだよ。雪の中でも問題なく走れる」


 その脚には足首からふくらはぎにかけて、繊細な翼の入れ墨が入っていた。




    ◇◆◇◆◇◆◇




 ギルド長は男を上階のギルド長室へ迎え、しばらく話し込んでいた。


 「ハヤブサ」という一族がいる。彼らはどの国にも所属していない運び屋である。

 冒険者ではなく配達業を営む集団であり、山奥や戦場、はたまた人が住まないような秘境のさらに奥地でも、その身ひとつでどこへでも届けてくれるのだ。

 彼らは疾風のような速さで走り、広大な大国を三日、大陸を二週間で横断すると言う。

 もちろん、依頼できるのは彼らが運べる大きさのものに限られるし、どんな危険な場所へでも届けてくれるからには報酬は高額だと聞く。

 本来であれば、こんな僻地のギルド長がやり取りするのも稀なことなのである。

 だが、男は届け物と言っていたので、ギルド長は隣国の誰かから依頼された配達物を受け取るだけなのだろう。

 ひとつの場所に留まらず、常にどこかへ向かって移動している彼らは、その脚に彫った翼の模様が仲間を見分ける印であるという。


 伝聞にしか聞いたことがなく、彼らを見たという人にすらお目にかかったことのないナンナは、先ほどの男の入れ墨を思い出していた。


「一生に一度会えるかどうかの、珍しい種族に会ったのかもしれない……」



 ナンナは仕事に戻ろうと、先ほど慌てて床に落としたままになっていたひざ掛けを拾い上げると、席に着いた。

 誰もいないのをいいことに、座ったまま椅子をくるりと回して部屋履きに包まれた両足を上げ、真っ赤に燃えるストーブの側面にかざす。

 誰かに見られたら怒られるだろうが、今だけは。

 石の床を歩いて冷えた足の裏に、ストーブの熱がじわじわと伝わってくる。

 少し熱いくらいがいいのだ。でないと温めてもすぐ冷えてしまう。


「兎の炙り焼き……」


 背もたれに身体を預け、ホーンラビットの顔がストーブに赤く照らされているのを、ナンナはぼんやりと眺めていた。


「焦がさないようにな」


 後ろから声をかけられ身体を起こすと、先ほどの男が立っていた。

 微笑んでいる顔を見た瞬間、ナンナの身体はかっと熱くなった。

 いつもは青白い顔が熱を持ち、赤くなっているのが自分でもわかる。


「雪がひどいから、今日はここに泊めてもらうことになった。すまないが、よろしく頼むよ」

「わかりました」


 ということはナンナもギルドに泊まることになるだろう。

 ナンナは初めて感じた熱に戸惑いながら、ペレグリンと名乗った男に茶を勧めた。


「冷たいものの方がありがたいんだが」

「では果実水にしますね」


 給湯室に向かい、冷蔵庫から取り出した果実水をグラスに注ぐ。グラスを乗せた盆を持って席に戻ると、ペレグリンは空いている席に座ってストーブにあたっていた。


「ここでいいんですか? 応接スペースに運びますよ」

「いや、ここでいいよ。あなたはストーブの近くがいいんだろう?」


 からかうように言うペレグリンの笑顔に、ナンナはまた体温が上がるのを感じた。

 彼は精悍な顔立ちをしているが、笑うとそれが崩れる。目尻が下がり、口角がやわらかく上がって優しく見える。温もりを感じさせる表情なのだ。


 ナンナは、その笑顔に一瞬で落ちてしまったのだった。


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