動き出す日
まだ明るさが残る夕方。仕事の休憩中にスマホが着信を知らせた。誰だろうと思いながらスマホを見る。非通知からの電話にゾクリと背中が震え、スマホをテーブルに置いたまま遠ざかる。休憩室を抜けグラスを拭いている千紘に近付き、何をする訳でもなく近くの椅子に座って千紘を見る。
「どうしたの?」
「非通知からかかってきて……出なかったんですけど、大丈夫ですかね」
「必要ならまたかけてくるよ。それとも次にかかってきたら僕が出ようか?」
「お願いしたいですけど、迷惑じゃないですか?」
「ううん。だから大丈夫」
安心してねと言われると、心が落ち着いていく。 まるで清涼剤だ。暫く千紘と話してから戻りスマホを見ると異様な数の着信を知らせていて、ひっ!と悲鳴をあげた。見ない振りをしてカバンの奥にしまいこむ。そろそろスマホを買い換えた方が良いのだろうか。皆にも相談してみようと考えながら、閉店まで仕事を続けていった。
帰りはまた千紘が送ってくれるようで、他愛ない話をしながら帰る。特に視線も感じず美樹のマンションまで辿り着いた。エントランスに行き話をしながら集合ポストを開く。いつもはチラシばかりなのに、今日は分厚い手紙が入っている。差出人が分からないが、宛名が若槻菜緒様となっていて、思わず地面に落としてしまう。
「菜緒ちゃん?……僕が拾うよ」
警戒心を強めた声に頷くしか出来ない。だって、美樹のマンションで暮らしているのを知っているのは信用出来る人のみだ。そんな人達が差出人不明の手紙を寄越す訳がない。
封を開け中を確認した千紘は眉間に皺を寄せていく。千紘と一緒に確認しようとしたけれど制されてしまう。
「菜緒ちゃんは見なくて良い」
樹を彷彿とさせるような鋭い声。思わずびくりと肩を震わせると、困ったような顔で謝られてしまった。
「驚かせてごめんね。姉さんと僕の家においで」
「え?」
「片付けないとミナミちゃんは呼べないから2日ほどペットホテルに預けて貰っても良い?その後は家にミナミちゃんも来れるから」
「……はい。ありがとうございます」
ミナミと離れるのは不安ではあるけれど、千紘の家に居候させてもらうのならそうは言っていられない。それに、千紘はミナミのことも考えてくれている。
「ん。じゃあ宿泊用の荷物だけ用意しよう。その後どうするかは僕の家で考えれば良いから」
安心させるように優しく言葉を紡いでくれる千紘に頷く。美樹にもすぐに連絡が繋がり、美樹の同意も得た所で、2人分の荷造りをして部屋を出た。
タクシーに荷物を乗せ、先に動物病院に向かう。待ってくれている運転手と千紘に一度別れを告げ病院内に入る。タクシー内でペットホテルの空きはあるか聞いていたから、スムーズにことが進んでいく。
受付票を書き、住所は悩んだ挙げ句契約している住所を記載する。その後もミナミについての質問などに丸を付け看護師と話す。
「ミナミちゃんは春野先生が好きなんですねぇ。でも今日はお休みだからなぁ」
「そうなんですね」
「えぇ、奥様の誕生日だそうで。だから更木先生が忙しい!って嘆いてました」
看護師の話にクスクスと笑っていると、疲れた顔をした更木がやって来た。菜緒の姿に気がつき、間の抜けた姿を見せたと思ったのか、ビクッと肩を震わせ驚いている。その様子に看護師と2人で笑っていると、少し照れた笑いを見せた。
「恥ずかしいな……こんにちは。どうされました?」
「今日と明日ミナミちゃんがお泊まりなんですよ。旅行でしたっけ?」
「そうです」
「良いなぁ。旅行って行く時って車ですか?私いつも電車移動だから疲れちゃいます」
「そ、そうですね。今日は車で……」
旅行ではないと正直に話しても良いかもしれないが、千紘に口止めされている今上手いことが言えない。
「ほら、若槻さんが困ってるよ。今日から行くなら、早くしないともっと暗くなるんじゃない?」
「あ、そうですよね!ごめんなさい!」
なんと答えて良いか分からず言葉を濁していると、更木が助け船を出してくれた。その更木の優しさに感謝しつつ、ペコリとお辞儀をする。
「ミナミをよろしくお願いします」
「はい。責任持って預かりますので、安心して旅行を楽しんでください」
手を振って見送ってくれる2人に手を振り返し動物病院を後にする。小走りにタクシーに駆け寄り中に入る。ミナミが気になり動物病院の方を見ると、病院外の自販機で飲み物を買っている更木がいた。
視線を感じたのか、ふと更木と目が合う。
今さっき見送ってくれたように、再びヒラヒラと手を振ってくれる手に小さく振り返し、動物病院を後にした。




