男の素性
ほのぼのとした日常はすぐに過ぎる。閉店間近に喫茶店に入ってきたのは不審者ではなく、記者である藤代浩二だ。手帳片手にやってくる姿は様になっている。カウンター席に座った藤代は菜緒にアイスコーヒーを頼むと、持っていた手帳を開く。千紘がコーヒーを用意し、藤代の前に置いた所で集めてくれた事情を伝えられた。
「素性が分かった」
藤代の言葉に千紘がピクリと眉を揺らす。
「氏名は松田哲史。お前の読み通りこの街に住んでいる」
氏名に続き住所も伝えていく藤代。樹のように鋭い目付きでメモを取っていく千紘。記者と探偵という職業故、2人を敵に回したらとんでもないことになりそうだ。そんな失礼なことを考えていると、藤代と目が合いニヤリと企んでいるような笑みを浮かべられた。
「菜緒ちゃんのことも調べたぜ。氏名住所は勿論のこと、初恋が小学校1年の頃だったかな。確か……」
手帳をペラペラと捲り情報を探す藤代の傍に行き腕を掴む。
「ちょっ、待って!待ってください!!」
別に隠す必要もないけど今いう必要もない。それに千紘に知られると何だか恥ずかしい。懇願するように必死に首を横に振ると、藤代がゲラゲラと笑い始めた。
「いやー、女の子をからかうのは面白いな」
「もう!藤代さん!」
むっ!と怒った顔をみせ掴んでいる腕を引っ張ろうとしたものの、いつの間にか近寄って来たのか千紘にやんわりと手を外されてしまう。
「こら。お客様の腕を掴まないの」
怒り方も樹を演じている時より優しい。言い方が優しすぎるせいと、千紘の距離がまた近くてドキリとしてしまう。でも千紘に言われた通り失礼だったとペコリと謝る。
「すみません……藤代さんもごめんなさい」
「いいや。久々に女の子と触れ合えて役得だよ」
「藤代さんもからかわないで下さい」
「はいはい。大事な看板娘に手は出さないさ」
手を出すつもりなんて無いのにイチイチ人をからかう言葉を告げてくる。それに反応するとまたからかわれるのが目に見えている。だから言わないし、何よりも手を離してくれない千紘が気になり過ぎて藤代のことなど考えられない。居心地が悪くなり、もぞもぞと動くと申し訳なさそうにパッと手を離された。
「ご、ごめんね……」
「いえ……あの!藤代さんのお話聞きましょう!」
手帳を確認している様子から見ても、先ほど伝えられたこと以外にも話せる情報がありそうだ。頷いた千紘と2人、話を聞いていく。
「お、漸くか。氏名住所はさっきの通り。そしてまたお前の読み通り左足が悪い。それは生まれつきではなく、数年前に怪我をしたようだな」
「数年前……具体的にはいつですか?」
「瀬浪樹が死んだ日。左足に深傷を負っていた状態で山近くの駐車場で発見された」
差し出された地方記事を読むと、事故事件両面から調べると記載されていた。
「事件だとしても誰かにやられた証拠も見つからない。そりゃ当然だよな。やった奴は山から滑落してんだから」
「警察は事故だと?」
「松田は自分の不注意でと言っていた。更に事件の証拠も見つからない中では、それが一番信憑性があったようだな」
そこをもっと調べてくれればと思うが、今言ってもしょうがない。ただ悔しい思いが胸一杯に広がっていく。樹本人に会ったことのない菜緒がそう思うのだから、身内の千紘と美樹の悔しさは計り知れない。千紘は手を強く握りしめ、憤りを隠すように深く息を吐いている。
「……他には」
「当時松田には彼女がいた。ソイツは樹と何度か遊んでいたようだな」
手帳を見ながら話す藤代の言葉に恐怖心を抱く。
「その彼女も樹の死後行方不明となっている」
「行方不明……」
「ああ、そっから松田の女性遍歴が怪しくなっていく」
付き合っていた女性が行方不明。当時松田は憔悴し悲しんでいたようで、周囲が他の女性を紹介してくれていたらしい。そこで1人の女性と知り合った。当時その彼女も彼と別れた直後らしく、自分達の話をしながら仲を深めていき遂に恋人同士となり、暫く経って別れてしまった。別れがあるのは悲しいだろうけど、それだけなら至って普通だ。何が怪しいのかと首を傾げる。
「松田はそこから必ず、恋人との関係に弱っていたり悩んでいる女に手を出すようになった。そして相手の男と別れさせて、自分が暫く付き合ってから別れを切り出す」
彼女がいなくなってから出来た恋人は4名。そのどれもが人から奪ったらしくなんだか不気味だ。
「恋人達には左足は人助けをして壊してしまったと言っていたみたいだな」
事故なら事故と言えば良い。なのにそう言っている理由は?と考えると1つしか出てこなかった。
「事故じゃないんですね……」
「だろうな。ただ、その怪我の原因にしろ、樹を殺した犯人にしろ証拠が何もない。ただ怪しいってだけで捕まえるのは不可能だからな」
「そうですね……」
藤代の言葉に同意の頷きを返したのは千紘だ。
「でも彼が僕……というか樹に出会い、焦っているのは分かっています」
樹と会い驚き、偶然を装い夜道で再会を果たした。更に不倫相手を使ってまで様子を探る。死んだと思っていた人間と出会ってしまったから焦っているのだろう。
「だとしたらまた何か仕掛けてくる可能性が高い。藤代さんそのまま情報収集をお願いします」
「了解」
「菜緒ちゃんは、沙世ちゃんと勇気くんに改めて伝えておいて」
「はい」
どんどんと危険が迫ってくる切迫感を感じ胸に手を当て頷く。その後も千紘と藤代がまだ話している間に閉店準備を進める。外の看板の電気を消す。ふと、何やら視線を感じ離れた場所にあるバス停辺りを見る。帽子を目深に被り、こちらの様子を気にする人がいた。背格好は男性だけど、殆んど暗がりでどんな人なのかまでは把握出来ない。目が合ったような気がして小さく悲鳴を漏らす。外の片付けをバタバタと済ませ扉を思い切り開けると、暖かな店内が菜緒の体を優しく包んでいく。
「菜緒ちゃん?」
心配そうに近寄ってくる千紘にすみません……と謝る。
「どうした。外になんかいたのか?」
「分かんないです……でも」
「菜緒ちゃん。勘違いで済んだなら良かっただよ」
「……バス停に男性が1人立ってて、こっち見てたような気がして」
「警戒しておくに越したことはないな」
「菜緒ちゃん。送るから帰ろう」
ソッと握ってくれる手の暖かさと力強さにホッと胸を撫で下ろし頷いた。
***
***
美樹は家で料理をしながら待ってくれているらしい。今日の料理は何かね?と笑顔で語ってくれる千紘は、恐怖を感じさせないようにしてくれているようで、その優しさに感謝ばかりだ。
道中話す話題で事件に触れないようにするとなると、出てくるのは菜緒の初恋についてだった。
「気になります?」
「まあ、藤代さんが面白がってたからね。どんな人だったの?」
言っても良いけど恥ずかしい。でも、千紘に隠すのも嫌だな……と呟く。
「人……」
「えっ?人じゃないの?」
「猫のキャラなんです」
初めて心を奪われたのは二足歩行の猫だった。その猫がテレビに出てくれば画面の前でジーッと集中し、出なくなると寂しくなった。それが初恋だと思っている。そう伝えた瞬間、千紘の笑い声が夜道に響く。
「ははっ、菜緒ちゃん可愛い」
肩を震わせ笑う姿を怒りたいものの、屈託なく笑う姿を初めて見れたせいで怒る気もなくしてしまった。少しでも心を許してくれていると思うと嬉しくなる。いつの間にか恐怖心は失くなり、千紘と帰る道はとても楽しかった。




