兄妹
カランカランとドアベルが音を鳴らす。カウンターから千紘が顔を出し、菜緒がいらっしゃいませと声をかけた。
中に入ってきたのはロングワンピースにカーディガンを羽織った、菜緒と同い年くらいの女の人が1人。大きいボストンバッグ片手に店内の様子を見て不安そうな顔をしている。初対面の筈なのにどこかで見たような顔だ。
「空いてる席にどうぞ」
「は、はい……」
声をかけるとハンドバッグの持ち手をギュッと握りしめている。緊張した面持ちに千紘は何かに気がついたのか菜緒を呼び寄せた。
あれから数日。テスト週間を理由にバイトに来なかったけれど、そのテストももう終わり、今日から通常出勤になった。だからその間に千紘と話すこともなかったし、美樹からはテスト頑張ってと言われるくらいで、特別深い話はしなかった。だから近寄るのはほんの少しだけ緊張してしまう。胸をトントンっと叩き平常心を保ちながら近寄る。
「えっと……」
何となく気まずいのはお互い様なようで、千紘も菜緒の様子を窺っている。一瞬迷った素振りを見せながらも、菜緒の袖を引っ張り距離を詰めてきた。千紘の行動にドキリと胸を高鳴らせる。なんたって端整な顔立ちが至近距離に来たから当然だ。へ?と間抜けな声を出すと、緊張がほぐれたのか表情を和らげている。
「あの子多分、畑山さんの妹さんだと思うんだけど……」
畑山と言えばケーキ屋で助けてくれて、依頼をしてからお店の常連客となったあの人だ。妹となれば、その依頼内容の対象であった妹しかいない。確かに報告書と一緒に送られてきたデータの女性に似ている。
でもあの依頼はもう完了しているはずだ。妹が無事に生活をしているかだけを気にしていた畑山は、良いお兄さんなんだなという印象を抱かせたし、勇気が出たら会うと言っていた。もしや勇気が出て、会う場所をこの喫茶店に指定したのだろうか。
「……注文聞いてきます」
「うん。お願い」
奥のテーブル席に座った女の子の元に向かう。
「お決まりになりましたか?」
「あ、はい……探偵をお願いしたいです」
か細そうなのに、勇気を振り絞ったような強い声で告げられ目を瞬かせる。
「兄を……兄を捜したいんです」
しかも捜しているのは兄。恐らく畑山のことだ。これは偶然かはたまた奇跡か。一緒の探偵に依頼に来るなんて珍しいことこの上ない。でも、妹は確か他県にいたような気がする。
「お兄さんをですか?電話番号とか……」
「連絡先を知らなくて……ずっとこの近辺に住んでいるという情報しかないんです」
「離れて暮らしてるんですか?」
「はい。少し離れた所に住んでいました」
「住んでいました……?」
「今度から東京の高校に転校するんです」
微笑む妹の瞳には熱い決意の色が宿っており、情報通り本気で一人立ちしようとしているのだと分かる。畏まりました。と告げ千紘の元に行くと、もう畑山に電話をしていた。やっぱり仕事が早い。ならこっちは契約書類の説明だけでもしておいた方が良いかと、千紘が持っていた書類をスルリと取る。一瞬呆気に取られていた千紘も、菜緒の考えを呼んだのか頬を緩めて頷いた。そしてテーブルの前に立ち自己紹介をする。
「私、若月菜緒と申します。あっちにいるのが……」
何て言って良いのか分からず電話をしている千紘を見つめる。
「探偵の橋渡し役の瀬浪千紘です。探偵は今はいないですが、情報は共有させていただきますので、こちらでお話を伺いますね」
「は、はい……よろしくお願いします」
手を握りしめながらいう様子は酷く緊張していて、思わず手を差し伸べたくなる可愛らしさがある。
「えっと、私は畑山陽菜と申します」
書類に名前を記入し、探偵を頼む際の注意事項を話し……としていても、千紘の電話は一向に終わる気配を見せない。最終的な判断や話は千紘にしてもらっているから、このまま待つしかなさそうだ。紅茶やお薦めのケーキなど、お店の情報も話していたものの、既に話題は尽き話すこともなくなってしまった。
困った表情を見せてしまっていたのか、今度は陽菜から質問してきた。
「あの、お二人は恋人同士なんですか?」
期待の眼差しで見てくる陽菜の質問に、頬を赤らめながら勢い良く否定をする。
「そうなんですね。アイコンタクトで会話してたから、仲が良くて信頼しあってるのかなって。すみません」
「いいえ!確かにあの人は1番頼りになって、1番……信頼している人です。まあ、隠し事されてるのは嫌でしたけどね」
たとえ隠し事をされていたとしても信頼しているし、この先もその評価に変わりはない。
「私も、兄に隠し事されたことがありましたね」
「そうなんですか?」
コクリと頷く陽菜の話を聞いていく。
陽菜が4歳の頃はまだ一緒に暮らしていたらしい。お兄ちゃん子で傍をついて回る、今考えれば煩わしい存在だった。ケンカもするけど、それでも遊びに連れて行ってくれる優しい兄が大好きだった。そんな兄が陽菜を助けてくれたことがある。
ある夏の日、プールで遊んでいた陽菜が足が滑らせプール内に落ちてしまった。浅い場所だったのにも関わらず、溺れてもがいて余計に苦しくなった。一緒に遊んでいた友達はどうすることも出来ず、ただ泣くだけだった。そんな時、誰よりも早く助けてくれたのはまだ10歳の兄だった。
「陽菜って呼びながら抱えてくれて。私にとってお兄ちゃんはスーパーヒーローでした」
朗らかに笑う姿が畑山に似ている。
「……お兄ちゃんって実は泳げなかったらしいんです」
「えっ!?」
「随分と後から分かったんですけどね。助けてもらった後、お兄ちゃんは泳ぎが得意なんだねって言ったんです。そしたら頷いて、だから俺の傍にいれば怖くないからって言ってたんですよ」
畑山の照れ笑いが思い浮かびクスクスと肩を震わせる。
「私がプールが怖くならないように、不安にさせないようにした隠し事でした。しかもその後猛練習して泳げるようにしたらしくて……それが凄く印象に残ってるんです」
「そうなんですね……優しいお兄さんですね」
「はい。……でも、それだけしか残ってない。他にも思い出はある筈なのに忘れちゃってて、ちょっと寂しい気持ちになるんですよね」
懐かしい記憶を呼び起こしたからか、陽菜の頬に涙が伝う。
「私が一人立ちして生活出来たら、兄に会いたいなって思ったんです。もっと話したいって」
兄である畑山とは陽菜が6歳になる前に離れ離れになったらしい。プールでの記憶も朧気で、これが本当の記憶かも分からない。だから会って話して、新たな思い出を作りたい。そう願ってここに来たらしい。
陽菜の気持ちが良く分かる。私も……と思いながら菜緒は1度席を離れた。
未だに説得を続けている千紘から電話を取り話し出す。
「畑山さん」
『えっ?……菜緒ちゃん?』
「小さい頃、畑山さんって泳げなかったって本当ですか?」
『うぇ!?なんで知って……』
「陽菜さんのスーパーヒーローは今でも畑山さんです」
『………』
「でも、思い出や記憶がそれしかないって泣いてます」
『………っ!』
「畑山さんの思い出を話してあげてください。それと、これから一緒に思い出を作ってみませんか?」
会いにくい理由は家庭内のゴタゴタと言っていた。それがどれだけ根深いのかは知らない。でも、自ら進みだした陽菜のために会ってほしい。会って話して、新たな思い出を作ってほしい。その一心で話していると、電話口から10分……と聞こえてきた。
『ううん。5分で行く』
「はい。お待ちしております」
ブツッと切れた通話。ハッと気がつき千紘を見ると、驚いた表情の千紘がいる。
「か、勝手に電話奪ってすみません!!」
「ううん……説得してくれてありがとう」
千紘の手が菜緒の目尻に触れる。どうやら泣いてしまっていたらしい。見られて恥ずかしいなと思いつつ照れ笑いを浮かべる。
「菜緒ちゃん。……えーっと」
オドオドした態度再びと言うべきか、千紘が手を弄り悩みつつ言葉を紡ごうとする。そのまま千紘の言葉を待っていると、いつもならカランカランとなるドアベルが、勢い良く動き鈍い音で来店を知らせた。ドアが壊れる勢いで開けたのは、今さっき電話をしていた畑山だった。5分ジャストと言った所だろうか。スーツがよれよれで、頭のボサボサ度は千紘と良い勝負だ。
「い、いらっしゃいませ……」
入り口で膝に手を置き荒い息を整えている。息を整えるのもままならないのか、片手をあげ挨拶を返してくれた。
見知らぬ相手が大きな音を立てて現れたものだから、当然のごとく陽菜は目を丸くさせ驚いている。
「……陽菜」
しかも名前を呼ばれ呆然としてしまっている。
え?と辺りを見回しながら千紘と菜緒に視線を向けた。
「依頼は迅速に解決がモットーです。ね、千紘さん」
「はい。探偵の助手は優秀でしょう?」
2人でニッコリと微笑むと、陽菜の目から大量の涙が溢れ出る。近づいた畑山が持っていたハンカチを差し出し慰めている。その慰めている瞳にも涙が滲み、きっとハンカチ1枚では足りなそうだ。
「お兄ちゃん……」
「うん。陽菜。探してくれてありがとう」
たとえ離れ離れでも、互いを思うこの兄妹の絆は誰にも離せないだろう。
テーブルに着きぎこちなく、でも楽し気に話す姿を見れて良かった。2人から千紘に視線を移すと、千紘はじっと菜緒を見つめていた。
「菜緒ちゃん。黙っていて、騙すようなことをしていてごめん」
怒られるの覚悟で頭を下げる光景に、初めから怒ってはいないんだけどな……と考える。
「うーん。……あ、じゃあ罰としてこれからも私とお話しして下さい」
「え?それが罰なの?」
「そうです。千紘さんと美樹さんと皆と……沢山お話しして、思い出を作る罰です」
「……うん」
困ったように微笑んだ千紘は1度頷く。
「樹さんのことも話さないとダメですし、今まで通り樹さんでもいてくださいね」
「え?うん。なんだか恥ずかしいな……」
バレバレなのに2役演じる恥ずかしさ。それは千紘しか分からない恥ずかしさだろう。こちらとしても、樹とどう接すれば良いのか分からないからおあいこだ。
「ここで思い出を作る罰か……」
誰にも聞こえないほど小さく呟いた言葉は、言った本人である千紘にしか聞こえていない。2人を見て嬉しそうに笑う菜緒がとても眩しく見えた。




