エピローグ
遠く木が見える。幾つもの雲を突いて伸びているそれは、とても大きい。幹は空の高いところで霧に消え、無数の枝も、同じように霧の中へ消えていた。雨のように降っていた葉は、一つも見当たらない。
「こんなもんかな」
荷台の鉄網を閉じ、桑芥子が言う。朱落葉はそれに頷くと、大きな手箕を抱えオート三輪へ向かった。
落ち葉の原を、軽快なエンジン音を響かせオート三輪が走る。
朱落葉は前席の背中に掴まりながら、風に揺れる白い髪を見つめた。彼女の自慢だった長く輝く髪は、以前より短く、今は尻尾のように結われている。それを見ると、心が小さく萎む気がした。
「ごめんね」
「なにが?」
オート三輪が緩い曲がり道へ差し掛かる。桑芥子がその縁に沿うように走らせると、後輪が落ち葉を巻き上げた。
「その、髪」
朱落葉が伏せ目がちに答える。それに横顔を見せた桑芥子はゴーグルの中で目を細め、微笑んだ。
「ああ、これね──」
桑芥子が髪を触る。
「──似合うでしょ」
その笑顔に、朱落葉は心をいっぱいにして頷いた。
道を行くにつれ、葉を落とした裸木の林が幅を狭める。その境界が道端にまで迫った処を少し進めば、分かれ道だ。桑芥子がアクセルを緩め、響きを落としたオート三輪が静かに停まる。
「カエデ」
桑芥子がゴーグルを上げ、続ける。
「ここからは危ない処もないし。運転、してみない?」
いたずらっ気を露わにした笑みに、朱落葉は拗ねるように眉を寄せた。
「いいよ。また何処かに突っ込んだら悪いし」
彼女がそう言うのは、風見鶏の塔で垣根に突っ込んでしまったことを桑芥子にひどく怒られたからだった。それまで鏡のように磨き上げていた艶出し塗装の車体に、鋭い枝の爪痕が残っていることに、彼女は何より不機嫌になったものだ。
「そうじゃなくて──」
皮手袋の指が朱落葉の鼻をやさしく突く。
「──あなたはよくやったの。だから、気にしなくていいんだよ」
しっかりと、瞳を見つめながら言う桑芥子。それに、朱落葉は恥ずかしいような、嬉しいような気持ちになった。でも、運転したいと思わない理由はそれだけではなかったから、明るさを頬に首を振った。
「そう。じゃあ、行くよ」
アクセルが開かれ、エンジンが轟く。オート三輪は裸木の林の間を加速して行った。
道が広くなり、スピードも上がる。冬を含み始めた風が冷たく、朱落葉は前席の背中に頬を埋めた。それは何時だって暖かく、庇護を与えてくれる背中だ。
──なに?
風の中に微かに混じる声に、朱落葉はただ囁くように短く、しかし何処かいたずらっぽく笑った。
秋の話─おわり




