ボンブ・ドゥ・アムール
丘に続く道を、自転車に乗った兵が飛び跳ねながら近付いている。
──ひでえ夢だ。
冬を含んだ風に吹かれ、この大柄な男は柄になく道端に沈んでいた。
連隊の戦線が毒ガス攻撃を受けた後、霧に身を隠した仮面が陣地へ肉迫し、酷い白兵戦が半日続いた。
銃剣、棍棒、そしてスコップと、中世に逆戻りしたような乱闘では誰も我が身を守る事に精一杯で、死に行く戦友を助ける術もなかった。連隊は第一線を放棄し、その日の夜までには第二線さえ失った。
とても多くの兵士が満足な防護装備もない中で戦い、殺されていく間、友軍は戦線後背に防御線を再構築し、それ以上の侵出を抑えた。しかし生死に関わりなく、多くの戦友が戦線に置き去りにされてしまった。
「連隊は先かね」
男が顔を上げると、自転車の兵が片足を着いて停まっていた。口髭は濃いが、顔は随分くたびれて見える。首から下げたポーチや荷台の革袋からして、郵便を運んできたらしい。
「ああ、一本道だよ」
男が答えると、兵はただ微笑んで頷き、口髭を撫でた。
「随分やられたと聞いたが、君は傷一つないね」
褒めたつもりだろうか。男はどう答えたものかわからず、黙り込む。気まずくなったのか、腰を動かした兵に自転車が軋んだ。
「いや、すまんね。ただ、運が良いと言いたかったのさ」
そう言って苦笑いを浮かべる兵を見て、男には思い出すものがあった。実家の看板にも、同じような顔をした兵士が描かれていたものだ。趣味の悪い、嫌味な看板軍曹だったが、今はとても懐かしく思えた。
「俺宛のは何か来てるかい」
「どうだろう。名前は?」
男の名を聞いた兵がポーチから分厚い手帳を取り出し、ページを捲り始める。まるで道化師の様に良く動く表情がページと睨めっこし、やがてあるページで明るく緩んだ。
「ウィ。あるね、それも二つ」
二つ? 珍しい事もあるもんだと、男は兵が叩いて指し示すページを覗き込んだ。
「どっちも女性からだね。どちらかがマダムでマドモアゼル。もしかすると両方マドモアゼルかね?」
一人興奮する兵を差し置き、男は思わず叫びそうになる口を手で覆った。
荒く見えて何処か凛々しい文字。それが列を成すページにあって、並んだ二つの送り主の名は、二人の母親のものだ。一人は男にとって血を争えない相手であり、もう片方は、その姓からして親しい友のママンに違いなかった。
「今受け取るかい?」
その問い掛けに、男はやや迷い、頷いた。兵が革袋を探り、封筒と小振りな小包を取り出す。
「愛の爆弾だね、これは」
そう言って笑みを浮かべながら、兵は自転車を軋ませつつ去って行った。
──まったく、ひでえ話だ。
小包の宛名を何度確かめてみても、そこには間違いなく自分の名が記されていた。男はとりあえず内ポケットから折り畳みナイフを取り出してみるが、どうにも決心がいかない。だが放り出すわけにもいかないので、送り主の息子、つまり親しい友に断りを入れつつ、封を切った。
小包の中には木屑の緩衝材が詰まっていて、それを注意深く取り除くと、何かの瓶詰めと折り畳まれた便箋が現れた。瓶は果実だろうか、暗紫色のものでいっぱいになっている。男には、すぐにそれが何かわかった。
親しい友が語った失われてしまった朝。その中で彼は、誰も居ない暗い食堂で、ジャムを盗み食いしていた。
──ミュール。ミュールのジャムだ。
ボンブ・ドゥ・アムール―おわり




