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第13話 『悲鳴』の値段

帝都の東側に広がる移民街(バッドランド)

 その一角で異彩を放つリュウノス商会の応接室は、帝国のどんよりとした空気とは完全に切り離された『もう一つの国』だった。

 部屋には異国の香木が微かに香り、壁には気韻生動とした絹の掛け軸が飾られている。


上座の重厚な椅子に腰を下ろす男――ウメガイ=リュウノス。

 豊かな黒髪には白いものが混じり始めていたが、顔を覆う威厳のある髭。

 東方風の簡素な礼装。

 それでいて、ライオンのような圧倒的な存在感を放っていた。


「事情は分かった。娘さんは学業に打ち込めば、必ずや同胞たちの希望となるだろう。学費については、我々リュウノス商会がすべて面倒を見る」


低く、抑えのきいた声。

 それを聞いた東方移民の母と娘は、手を取り合ってボロボロと涙をこぼした。


「おお、ウメガイ様……!」


「心から、心から感謝いたします……!」


ウメガイは表情を崩さず、しかし、移民たちの『慈父』として、威厳を込めて言った。


「持っている者が、持っていない者を助ける。我らのルーツにおいて、それは呼吸することと同じく当たり前のことだ」


――そうでなければ、我らのような移民が、この帝都で生きていくことはできない。


立ち上がったウメガイは、涙を流す母親と娘の肩に。

 岩のように分厚く大きな、しかし温かい手をドスンと置いた。


「お母さんを助けられるよう、立派に学問を修めなさい。大学を出たら、うちの商会で席を用意してやろう。何も案ずることはない」


何度も深く頭を下げる母娘を、部屋の外へ案内する者がいた。

 透き通るような白い肌と、結い上げた明るい髪。

 東方の山岳民族が愛用する藍色の衣装を纏う麗人――リザイアだ。


帝国人であるリザイアが、東方の移民たちに恭しく礼を示す姿は、この商会の特異性を象徴していた。

 母娘と入れ替わるように、移民街に似つかわしくない豪奢な身なりの帝国貴族が、ずかずかと部屋に踏み込んでくる。

 ドヒューモ侯爵だ。

 彼はすれ違いざま、わざと東方の娘の肩に強くぶつかり、忌々(いまいま)しげに吐き捨てた。


「……こんな薄汚い昆虫どもよりも、私を後回しにするとはな。しかも、誇り高き帝国人の『女』を犬のように(はべ)らせて。東方の移民の分際で、思い違いをしているのではないか」


侯爵は傲然と顎を上げ、老ライオンを見下ろした。


「お前がウメガイ=リュウノスか」


「いかにも」


ウメガイが短く答えると、侯爵は蔑意を隠そうともせずに言い放った。


「値段を言え。買ってやる」


しかし、ウメガイはフイ、とそっぽを向き、傍らのソファを顎でしゃくった。


「あの銀山のことなら、ここにいる息子のシシトラに任せてある。そっちと話してくれ」


「……シシトラ=リュウノスです」


立ち上がり、静かに右手を差し出したシシトラを、侯爵はじろりと睨みつけた。

 手を取ろうともしない。


「こんな青二才と話をしろ、と?」


「ドヒューモ侯爵。何か勘違いをされているようですが」


シシトラの声は、父親が同胞に示した温かさとは打って変わって、氷の刃のように冷徹だった。


「あの銀山について、我々は『売りに走っている』わけではない。あなたが『どうしても手に入れたくて這いつくばっている』のですよ。我々は、あなたに買っていただかなくとも一向に困らない」


シシトラの黒曜石の瞳に射抜かれ、侯爵は屈辱に顔を真っ赤にした。

 彼にはどうしてもこの銀山を手に入れねばならない切羽詰まった裏事情があるのだ。


「……言い値で買おう。いくらだ」


「金貨、30万枚」


「なんだとッ!? 相場の三倍ではないか! さては私をなぶる気か!」


「ええ」


シシトラは悪びれもせず、冷酷に微笑んだ。


「あなた以外の買い手になら、相場の10万枚でお譲りします」


ドヒューモ侯爵は、肩を震わせた。


「あなたに上乗せした20万枚の内訳を説明しましょう。先ほど我が父を侮辱した代金が10万枚。そして、あの善良な母娘を『昆虫』と呼んだ代金が10万枚です」


正義も、悪意も、価格で精算できる――シシトラはそう信じていた。

 買えなければ――破滅。

 侯爵はギリッと血が出るほど唇を噛み締め、震える手で契約書にサインをする。

 そして、亡霊のようにふらつきながら部屋を出ていった。


「……さて、シシトラ」


侯爵が去り、重厚な扉が閉まった直後。

 ウメガイが執務机の上に、1枚のゴシップ紙をポンと投げ出した。


「昨日のファンシー・フェアでの顛末について、説明してもらおうか」


先ほどまで帝国貴族を手玉に取っていた冷徹なシシトラの顔が、途端にバツが悪そうに歪んだ。


「……お騒がせする結果になったことは、申し訳ないと思っています」


「リザイア。お前がついていながら、なんという真似をさせたのだ」


「申し訳ございません」


深く一礼するリザイアの顔には、しかし微塵も反省の色はない。

 シシトラが、咳払いをして胸を張る。


「『持っている者が持っていない者を助けるのは当たり前だ』。私は父上のこの言葉を肝に銘じて生きてきました。昨日の出来事は、父上の教えに忠実に従ったまでです。そう思ってください」


「屁理屈を言うな」


ウメガイは深く大きな嘆息を漏らした。


「難儀している者がいれば見て見ぬふりができない。それでこそ私の自慢の息子だが……」


かぶりをふる。


「それにしても、金貨500枚はやりすぎだ。しかも、あのガスマン公爵家に喧嘩を売るとは」


「ウメガイ様。ご安心ください」


リザイアが、軽く顎を引いて、真顔で言った。


「この金貨500枚は、いまはガスマン公爵家に貸しているだけ、とご理解ください。いずれ利子をつけて回収させてもらいましょう。いかがでしょうか」


「……リザイア、お前の頭の中は相変わらず恐ろしいな。一体何を企んでいるんだ」


ウメガイは微苦笑する。


「シシトラ。お前は金貨500枚で、あの令嬢の『安全』を買ったつもりでいるのだろう。だが、金で買えるのは権利だけだ。命までは買えん」


シシトラが、わずかに眉をひそめる。


「強者が金貨を数えるたびに、弱者が悲鳴をあげている。悲鳴とは、この世界の損失だ。金持ちは数えようとはしない。――悲鳴に値をつけたら、自分の利益が消し飛ぶからだ」


ウメガイは、ライオンの瞳でシシトラを見据えた。


「人間でい続けるためにも、ゆめゆめ忘れるな。――市場は、悲鳴を計算できない」


ウメガイは理解している。

 金貨500枚は、エミルウ=スキャルファの『ダンス権』に支払ったのではない。

 エミルウの『悲鳴』の値段として、叩きつけたのだ。


その時。


バァンッ!


応接室の扉がはじけ飛ぶように開かれた。


『シシトラ様、リザイア様! 帝国のメイド服を着た若い娘が、お二人に助けを求めて――』


血相を変えた東方人の使用人の横を滑りぬけて、小さな影が部屋の中に転がり込んできた。

 泥と血と。

 破れた服。

 血が流れる指は、黒い『名刺』を握りしめている。


床を這うメイドの少女に、見覚えがあった。

 メイドは叫ぼうとしたが、涙声しか出なかった。


「……助けて、くださいッ……!」


――市場は、悲鳴を計算できない。

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