1961_焼肉の儀式と冷麺ロス
おはようございます。きんぴらです。
今日は2025年11月29日、土曜日だ。
「いい肉の日」――。数字の語呂合わせに過ぎないのに、私たちはそれを口実に、少し特別な一食を用意する。昨日から決めていた。今日は肉を食べよう、と。
少し前、近所に新しく焼肉屋ができた。外観が洒落ていて、期待を裏切らない雰囲気を漂わせている。今日はその店へ足を運んだ。
牛タンとカルビを注文し、ご飯を添える。肉の脂が舌に広がり、白米がそれを受け止める。食べるという行為が、ただの栄養摂取ではなく、確かに「喜び」なのだと改めて思う。
締めには冷麺を選んだ。焼肉の後に冷麺をすする、その一連の流れは、私にとってもはや儀式だ。
この冷麺という料理は、店によって驚くほど差がある。肉やタレ以上に、冷麺の出来がその店の印象を左右する、と私は感じている。
木場にあったお気に入りの店の冷麺は、最初からお酢が効いていて、酸味が心地よかった。だが引っ越し先で出会った冷麺は、量ばかり多くて硬く、スープは水のように薄い。私はあれを「冷麺」と認めることができない。
今日の冷麺は、木場の店ほどではないにせよ、十分に美味しかった。ハーフサイズが小ぶりで、締めにちょうどいい。これなら、今後も焼肉と言う名の「儀式」を完遂することができる。
冷麺一杯の出来不出来が、私の暮らしの明るさを、果ては人生そのものを左右することだってある。だからこそ、今日の一杯は小さな救いだった。
……「いい肉の日」と題して書き始めたのに、結局冷麺の話ばかり。だがそれもまた、私の日常だ。
それでは、今日も頑張っていきまっしょい!
きんぴら




