8.青い爪2
目覚めると、儀式を行なったホールの一つ前の部屋のソファに寝かされていた。
「目が覚めたかの」
飴師の偉い人の声が聞こえて、起き上がるろうとすると、ぐらりと視界が揺れる感覚に、思わず肘をつく。それでも目の前が白黒にちかちかと輝いて、あたしは思わず頭をソファに投げ出した。
「あぁ、まだ落ち着くまで寝ててよい。私は少し雑務をしているが、何かあったら声をかけておくれ」
そう言われてあたしは背中も頭もソファに預けたまま、頷いた。カリカリとペンが紙を掻く音がするから何か書き物をしているのだろう。
しばらくその音を聞きながら天井を見つめ、ぼんやりとしていると、だいぶ気分が落ち着いてくる。
「もう大丈夫です。ご迷惑おかけしました」
今度こそと、ゆっくり起き上がって座りなおすと、彼は仕事をしていた手を止めて近寄ってきてくれる。
「いや、一つ指からいきなり五つ指になったからの。負担は大きかろう」
その言葉にあたしは膝の上にあった自分の手をまじまじと見た。
もともと左の薬指だけだった青い爪が左手の親指、中指、小指と右手の人差し指の五本に増えている。それ に加えて、左手首にしかなかった青い線と同じものが、右手首にもできていた。
「五つ指……なんか、不思議な感じです」
起きてすぐに少し目眩を感じただけで、それ以外、自分の体の中に変わったと感じられるところはない。
「神より受ける飴師としての力の強さを表す基準ではあるが、我々は自身は実感しようがないからの」
飴を作ったところで結局使った人の感想でしかわからんし、位が上がったと言ってもあまり気負わんでよいと、その人は朗らかに笑った。少しだけ気になって、その人の指を見ると、左右あわせて七つの爪が青く染まっている。この人はさらに二つ上の七つ指の飴師なのか。
「さて、落ち着いたのなら、明日の戴位の流れを簡単にして、部屋に戻ろうかね。もうとっくに夕餉の時間も過ぎてしまったが、王子のわがままのせいだ。きっと言えば、ちゃんと食事を用意してくれるだろう」
窓がないから外の様子がわからないが、もうそんな時間なのか。言われて初めて気づいたあたしは、慌てて飴師の人に謝ると、彼は「わしはもうここで食べたよ。ああ、食べてないで待っていれば、もしかしたら豪華な食事にありつけたかな」と茶目っ気たっぷり に言った。
明日は朝から王様の謁見の会に十数番目に出ること、何時にどこに行けばいいのか、持って行くものはないかなど話し、改めてお礼を伝えると、服を着替えて廊下に出る。来た時とは異なり、あかりが間引かれ、人気のない廊下は少しひんやりとしている。
「一人で戻れるかね?」
「えっと、多分大丈夫だと……」
「チトセ」
思います、と続ける前に背を向けていた廊下側から声がかかる。
「おや、レイが迎えにきたのかい」
「王宮で迷ったりしたら厄介なので、一応」
頭を少しさげてからレイが言う。じゃあ安心だと話す飴師の人の口ぶりからして、もともと顔見知りなのだろう。王子様のことといい、存外、レイは王宮で顔が広いようだ。
「行くよ」
「あ、ありがとうございました!」
「いいや、明日頑張るんだよ」
飴師の人は、にこにこと笑いながら手をあげると、また部屋の中に戻って行った。
「なんかすごい待たせたくせに、先に帰るみたいで悪いねぇ」
「いいんだよ、あの人あそこに住んでるし」
「え!?そうなの?」
そう言うと、レイは怪訝そうな顔をした。
「自分が属する団体の長も知らないの?タフィー飴師長。師長なんだから自分の院内に住むのは当たり前でしょ」
「いやぁ、確か偉い人だったなぁとは思ったんだけど……」
恥ずかしくて笑ったあたしに対し、レイは「ほんとに、興味ないことは覚えないんだな……」とため息をついた。ごめんと謝ったあたしにレイはさらに呆れた顔をする。
「で、どうだったの、試験」
「あ、そうそう。五つ指になっちゃった」
両方の手の甲を隣を歩くレイの方に向けて爪を見せる。歩みを止めこそしないが、それでもじっと穴が開くように指を見られているのがわかった。
「また随分と位の大盤振る舞いだな」
「だよねぇ……。あたし、そんなに飴師としてすごいとは思えないんだけどなぁ」
あたしが不思議そうに自分の爪をみていると、レイも少しだけ笑って、そうだな、と言った。側から聞けば嫌味に聞こえるかもしれないけど、なんとなく強張っていた、張っていた気が緩んだ気がする。
ねぇねぇとあたしから切り出して、レイたちが今日行ったところやテルタカとサクラの様子など王都を案内していた時の話をいくつか質問する。愛想はなく、でも一つずつ丁寧に教えてくれるその答えを聴きながら歩いていると、レイが足を止めた。
「ここだろ、チトセの泊まる部屋」
指差されて扉を見る。たしかに見覚えがある扉で、扉横の部屋札には私の名前が書いてあった。
「あ、うん。ありがとう」
「あとこれ、飯。町で買った適当につまめるものだけど、食べて。ちゃんと食べれるんだったら厨房の人になんかないか聞いてみるけど……」
「ううん。大丈夫。疲れたし、そのまま寝ちゃおうと思ってたぐらいだから、すごい助かる」
あたしの行動なんてお見通しだとでも言うようにレイが苦笑する。
「じゃあな、お疲れ」
「うん。レイは今日学園の寮に戻るの?」
「まさか。俺も明日の朝の会に出るし、今日はこんだけ振り回されたからな。部屋を借りたよ」
そう言って指をさしたのは、私の部屋の三つ隣、サクラとテルタカの部屋の先だった。
「色々あって疲れただろ、ゆっくり休めよ」
「あ、うん!ありがとう」
あたしの肩をポンっと叩いて帰ろうとしたレイの背中に小さな声ででも聞こえるように御礼を言う。彼が部屋に消えたのを見送って、あたしも自分の借りた部屋に入った。




