(11)新しい、一歩 【完結】
冬の夕方は、すぐに暗くなる。橋口を送っていきながらふと思った。俺、こいつが何か危険な目に遭った時、身体張って守れるかな……相手にもよるけど、今の俺には無理な気がした。割と何でもできる方だと思うけど、武道はやったことがない。ははっ、逃げ足は速いかもしんないけど。
去年お祖母ちゃん達の友達の、光彦おじさんの剣道してるとこ見たけどすごかったな。かっこよかった、とても70歳近いようには見えなかった。背筋もピンとしてて、眼光も鋭くて。聞けば昔は警察官だったって。それもかっこいいな。
光彦おじさんに会ったのは祖父ちゃんの葬式以来だったけど、俺の顔見て一瞬ギョッとしてたな。
「えっ……美晴、佳之君って……えっ?」
そしてお祖母ちゃんをちょっと離れた所に引っ張っていってこっちを見ながらコソコソ話してたっけ。多分、あまりにも似てる、っていう話だったんだろうな、あの時お祖母ちゃん泣いてたし。何で泣いてるのかあの時はわからなかったけど、今はわかる。
「今日、寒いね。夜、雪降るかもね」
「ああ、うん」
「佳之はいいね、あんなあったかい家族がいて……」
「お前さ……俺が何で村山になったか知ってる?」
「ん? ううん……ははっ、ごめん、だって聞き辛いじゃん? 離婚した風でもないし」
「お前最初に恵太先生見た時、俺にそっくりだって言ったよな」
「うん、なんていうの……佳之のお祖父ちゃんだな、って当たり前に思ったのに違うって言うからさ、逆にびっくりした」
「あれな……お前の言うとおりだった」
「――えっ?」
「恵太先生が、俺の本当の祖父ちゃんだった」
「ええっ?! マジで?」
「うん……母さんは、恵太先生とお祖母ちゃんの子なんだって」
「えっ、えっ? それで?」
「恵太先生、今まで桜井って名乗ってたけどそれ、前の奥さんの苗字でさ、本当は村山なんだ。母さんが養女に……本当は本当の娘なんだけど、戸籍上は養女になって、父さんも婿入りしてそれで家族全員村山になったんだ」
「へえ……ご、ごめん、なんか頭悪いからちょっとわかんない部分もあるんだけど……」
いつもの交差点に来た。ここから見える橋口のアパートの部屋の窓は、相変わらず真っ暗だった。
「まあ、とにかくそういうこと。これ、お前にしか言ってないからな。他の奴にベラベラ喋んなよ。じゃあな」
「えっ、ああ……うん、わかった。まあ、なんか複雑そうだけど、苗字が何だって佳之は佳之だもんね! じゃあ、バイバイ」
俺はさっと手を挙げて踵を返した。
佳之は佳之。俺は、俺――そうだよな。
祖母ちゃんの家に戻るとうちの車があって、父さんと母さんも来ていた。
「佳之、お義父さんに聞いたけど……お前、やっぱり春山に行きたいのか」
「ああ、うん」
「いいのか? 本当に」
「うん。俺、勉強もちゃんとする。でも、勉強ばっかりじゃなくて色んなことやってみたいんだ。陸上だけじゃなくて、今しかできないことたくさんしたい。だから、春山に行く」
父さんの目をじっと見て言うと、父さんはフッ、と笑った。
「よーし! わかった。お前がそう言うならそれでいい。待ってたよ、その決心を」
「……父さんは神戸行くの」
「いや、佳之が行かないならやめるよ」
「えっ……でも、教授になれるんだよね」
「そんなことよりも、父さんだって皆と一緒にいる方がずっと価値があることだと思うからいいんだ。なあ、佳之もちょっとそう思ったんじゃないのか?」
「――うん」
父さんは、俺の背中をバンバン叩いて嬉しそうに笑った。
*
それから、1年とちょっとの間、うちの家族が総力を挙げて……父さんは国語と社会、母さんとお祖母ちゃんが英語、恵太先生が数学と理科を、菜摘に叩き込んだ。元々根性はある奴だから、ヒィヒィ言いながらもついてきて最後の模試では偏差値65になった。
そして卒業、高校入試。俺はまず問題なく合格するのはわかっていたけれど、菜摘が心配だった。
合格発表の日、二人で見に行った。菜摘はもうわかりやすいくらいオドオドビクビクしていた。
「無理! 絶対ダメだって……ね、佳之、見てきて!」
「何言ってんだよ、大丈夫だって。あれだけ勉強したんだぞ。ほら、自分で見てみろよ」
俺の後ろに隠れるようにしておずおずと覗き込む――
「あった! 佳之、あったよ!」
きゃあ、と珍しく嬌声を挙げ、俺の手を握って大きく上下に振った。
「ありがとう……みんな……佳之と……みんなのお陰……」
目に一杯涙を溜めて俺をまっすぐ見るから……慌てて手を振りほどいた。
「バカ、恥ずかしい」
「ははっ、ごめん……嬉しくってつい」
その足でお祖母ちゃんの家に二人で行った。ただいま、と入るとパタパタとスリッパを鳴らしてお祖母ちゃんが出てくる。
「どうだったの?」
菜摘は、両手を挙げて大きくマル、をして
「合格しました! 美晴先生、ありがとう!」
菜摘がお祖母ちゃんに抱きつくと、祖母ちゃんはおめでとう、良かったわね、と菜摘の背中をポンポンと叩きながら俺の方をチラッと見る。俺は親指と人差し指で丸を作ってサッとあげると、うんうん、あなたは心配してないけど、という顔をした。
「お祖父ちゃんは?」
――そう、あれから色々考えて、米田の祖父ちゃんは「祖父ちゃん」だったから恵太おじさんは「お祖父ちゃん」に落ち着いたんだ。
初めてそう呼んだ時のすごく嬉しそうな、照れくさそうな顔が忘れられない。
「庭よ」
二人で庭に出た。庭は今花盛りで、色とりどり、何十種類もの花が満開だった。
「お祖父ちゃん」
振り向いて、俺達二人が両手を挙げて一緒に大きくマルを作っているのを見たお祖父ちゃんは、満面の笑みを浮かべた。
「おお、おめでとう! 今夜はお祝いだな。 菜摘ちゃん、今日はここで夕飯食べて帰るってお母さんにメールしなさい」
「はい、ありがとうございます!」
中3になった頃から、ここで勉強を遅くまでするようになったこともあるが、菜摘が大抵いつも夕飯を一人で食べていることを知ったお祖父ちゃんとお祖母ちゃんが、時々一緒に食べることを提案してくれ、その日は母さんが送って行ったり菜摘のお母さんが迎えに来たりした。
菜摘がタブフォンを取りに家の中に入っていった。すると、お祖父ちゃんが俺に手招きをする。傍まで行くと、少し背をかがめ耳元で囁いた。
「佳之、庭の花、自由に切っていいぞ」
「えっ?」
一瞬キョトンとした。何で?
「わからないか? 花をもらって喜ばない女の子はいないぞ」
うっわ。そ、そういうことか……参ったなあ、もう……
咲き誇る真っ赤なチューリップが風になびき、一斉に俺に顔を向けたように見えた。
「……あっ、明日にする」
「明日でいいのか?」
「うん」
明日3月14日は、ホワイトデーでしかも菜摘の誕生日だ。
バレンタインデーに手作りのチョコレートクッキーとスポーツタオルをくれた。佳之だけだから、と耳元で言われて……いいのかな、「そういう」つもりで。
その日はお母ちゃんが腕を振るい豪華な料理を、そして母さんがケーキを買って来て俺達を祝ってくれた。俺は自分の事より、菜摘が合格した事が嬉しかった。これで、また3年間一緒にいられる。
本当の愛がどんなものかはまだ俺にはわからない。だけど、これからもこいつを守っていけるような男になりたい。泣かせたりなんか、絶対しない。
明日、ちゃんと言うんだ。
この真っ赤なチューリップ「ALLEGROSSO」の花束を渡して。
―― 了 ――
~ALLEGROSSOの花言葉~
「あなたといるときが 一番楽しい」
「朝霧」のスピンオフとして書き上げたものではあり、本筋は佳之と菜摘の恋物語ですが、3世代にわたる家族の葛藤や決心、そして変わって行くもの、変わらないもの、家族とは、血とは――そういったテーマでもありました。
この後、更に佳之と菜摘の物語「グリーン・フィンガー」があるのですが、実はこれ、既に発表している上にずっと取り下げないままだったんですよ。果たして、何名の方がお気付きになられたでしょうか。
既に置いてあるものなので、改めて更新はいたしません。引き続きお楽しみ頂ければ幸いです。
実を言うと美晴の高校時代のお話を、別の男子視点で書きかけていたのですが……いつかまた、忘れた頃にでもポッと掲載するかもしれません。
お付き合いいただき、本当にありがとうございます。