LOAD GAME →音叉塔-森にて 残り時間00:03:30
最後のダンジョンの中は驚くほど広かった。森の中という事もあって正確な広さは分からないものの、開けたそこからは天井が見当たらないないほどの高さがある。
鬱蒼と生い茂る原生林の中は、しかしながら蛍のような不思議な明かりに満ち溢れていた。暗いのだけれど、見通せる。幻想的と言っても青い夜を前に、パックはそんな不思議な感想を胸に抱いていた。
“音叉塔”の内部でナーガホームは攻撃の準備を整えている。彼らが即座に移動を開始しなかったのには理由があった。夜という事もあって遠くを見通すことはできず、されど蛍火の明かりの中にそれがあったのだ。
パフが竜の顔のまま眉根を寄せて警戒を露にする。
「死体とは……随分な歓迎だな」
一同が着地した大地は原生林が部分的に途切れて空白地帯となっていたのである。そこには幻想的な風景に似つかわしくない、古びた骸骨が転がっていた。見れば兵士の様な鎧を身に付け片手で手帳のような物を抱えたまま、反対の手が塔の入口へと伸びている。
ティーはそれを一切気にせずに近づくと、遠慮なく骸骨の手帳を取り出す。
「これは……日記ね」
紙は痛んで黒ずみ、虫食いの後も多かった。それを気にせず彼女はページを開き、その文章に目を通していく。それは死んでしまった彼の日記だったのだ。
『
3月5日 雨
恵みの雨とはこの事だよ! 重苦しい黒雲は、されど空から襲い来る黒竜から身を隠すにはうってつけなのだ! 明日はついに“音叉塔”へと辿り着ける! 僕たちは負けられない。化け物どもめ、そこは人間の砦なんだ! 返してもらうぞ!
』
そこまで読み進めた所で続きがあることを確認したティーは、日記を全員に見えるようにする。幸いにも蛍火のお陰で読み進めるのに苦労は無い。
だが、バターの顔色が変わる。今自分達がいるのは原生林の中に不自然にできた空き地なのである。円形のそれはまるで、上空からドラゴンブレスを受けた爆心地のようであり――
「待って! ここは危ないんじゃないかしら!?」
静まり返る場。同時に、その音は注意深く聞こえてきた。もはや聞き慣れたといっても良い、大空の風を切って進む“終わりの竜”の飛翔音である。だがもちろんパフは空を飛ばずに大地に足を付けている。
「――っ! 一旦森の中に隠れるぞっ!」
事態を察した兄の掛け声で全員が慌てて木陰に身を顰める。既に空には大翼の羽ばたき音が嫌というほど響き渡っていた。同時にパックの視界にそれは現れた。夜の森の中からでもくっきりとわかる、漆黒の巨体。
ラスボス“終わりの竜”が天空を遊弋していたのである。
ラスボスはそのままナーガホームの頭上を通過すると、音叉塔の入り口を一瞥してからダンジョンの上空を警戒するように飛び去っていった。
それは同じ体の兄の物とはまるで違う、無機質な迫力を湛えていたのだ。パックは思わず息を吐き、いつの間にか右手が何かを求めて中空を彷徨っていることに気付く。
「……あの兵士の骸骨は、ボスと戦っていたのかな?」
「答えならここに載ってるはずよ」
一同は木陰に隠れたパフの下、再び日記の元に集まっていた。
『
3月6日 雨のち曇り
やった! 数多の味方の死を乗り越えて、僕たち6人も音叉塔に突入することができた! 決死の覚悟で“終わりの竜”の足止めを図った飛空騎士団、死を覚悟して自分よりも仲間の回復を優先した神官団、最後まで契約を守り抜いた傭兵隊、そして最前線で魔物の軍勢と激突した連合軍の全将兵! みんなの犠牲は、決して無駄になんてしない……!
』
その次のページは酷く水に濡れてしまっていて、読むことはできなかった。日記を持ったティーは構わず読めるページにまでめくっていく。
『
3月10日 不明
終わった……。終わってしまった……。あちこちで仲間の悲しみの声が周囲を憚ることを気にせず響いている。でも、その声も少ない。魔物に押され風前の灯火となっていた人類の最後の博打は、失敗したのだ……。
川から音叉塔に侵入した艦隊は、必死の砲撃も虚しく“最後の竜”の前にほとんどが沈んでしまった……。また数百人も居た筈の兵士達は、木陰で襲い来る敵の前に次々と死んでいく。
総司令官殿は傷ついた兵士達を必死で鼓舞している。だが、そんなあの人でも今回の敗北は堪えたみたいだ。たまたま知り合いだった僕の前では、せめて国で死にたかったと弱音まで零していた。
あぁ……。生き残った傭兵と神官が武器まで構えて喧嘩を始めてる……。竜騎士の彼も止めずに、皮肉で火に油を注いでいるし。彼女たちはいつも喧嘩してばかりで、それでも殺し合いには発展しなかったというのに……。もう、連合軍はおしまいだ……。輝かしい人類の歴史も、おしまいだ……。魔物に、蹂躙、されて、
音叉塔、の中で、皆、息、絶えるのだ。
帰り たい 死 にた く ない
』
日記の持ち主を、パックは複雑な顔で弔うしかなかった。度重なる戦乱のせいなのか、彼の書いた字は日によって大いに形を変えている。明るい日は闊達として飛び跳ねるようで、暗い日は病人がのたうち回るような文字で書かれているのだ。
気付けば彼は、それが作り物と分かっていても暗い気分になっていた。見れば暗闇の中ではバターも同様の顔をしている。2人とも、自身と似た境遇の彼に思わず同情していたのである。
「兄さん……時間もないし、先に進む?」
その蚊の鳴くような問いに、パフは静かに首を振った。
「いや、駄目だ。さっきの“終わりの竜”を見ただろう? ここには少なくともステージギミックが2つはある」
「2つ? 片方はラスボスとして、もう1つは?」
だが、パフの視線はティーのめくるページに注がれていた。彼は今、仕掛けを看破しようと全神経を注いでいるのだ。これだけの大作の日記を、意味も無く残す筈は無いのだから。
『
3月11日 不明
朝起きると、気分は大分マシになってた。きっと、昨夜殺し合い寸前になった傭兵と神官を、彼女が身を挺して止めてくれたからだろう。ありがとう、クリスタル。彼とは違って彼女の優しさは……
』
「クリスタル……?」
思わずパックは読むのを中断して呟いていた。彼の頭に浮かんだのは、“天空都市”の守護者の姿である。あれは、そういうことなのだ。
そのまま俯くと、姉の持つ日記帳に集中していく。
『
……崩壊寸前だった6人の絆をどうにか救ってくれたのだ……!
だからこそ、僕は彼女を推薦することにした。生臭神官の彼女も、生き意地の張っていた傭兵の彼女も、異国出身の総司令官殿も、口を開けば皮肉ばかりの竜騎士の彼も。彼女を選んだ。
道は決まった。既に地上に人類の住める場所は無い。残されたのは音叉塔と同じく敵の只中に孤立してなお敵を寄せ付けない“天空都市”だけ。他の全員で囮となって、どうにかしてクリスタルには撤退して情報を持ち帰ってもらわなくてわ……!
そうだ、忘れないうちに考えを整理しておこう。無学な僕は、話すのもうまくないし、考えるのはもっと苦手だし。
・上空に気を付けろ。ラスボスは常に上空を飛び回っていて、見つけ次第攻撃してくる。
・音叉塔の中は見た目以上に広い。しかも森の中は見通しが効かない上に、迷いやすい。
・森を抜けると巨大な湖が広がっている。水深は深い。壊滅した艦隊の船に乗るか、装備を軽くして泳ぐしかない。
・湖の中央には新月島がある。人類側の拠点だったところだ。でも、上に行くための階段は崩壊してしまっている……。
駄目だな、僕は。何も浮かばない。あぁ……またあの羽ばたきが聞こえる。速くあっちに行ってくれよ……
』
日記のその先は字が乱れ、また汚れや傷が目だっている。ページ全体にその影響は表れ、読み難くなっていた。
パックは暗黙の裡に結末を悟る。この日記の持ち主は既に……
『
月 日 ※※
終 わ っ た 。でも、よかった。クリスタルが泣きわめいて最ごまで戦うといった時はコまったけど、でも、ぜんいんで説とくして頷かせることができた。ボくの惨めな人生ニモいみガあっタとしたら、この瞬間のために違いナイ!
アァ……! そらからは激しい爆はつ音が聞こえル! ゆうかんにも竜きしの彼があえて高くトぶことで、“終わりの竜”をひきつけてイルのだ!
――月●日 不※
死んだ。総司令官殿だ。僕を庇って。コディアックの前に倒れ伏した……
生きた。真っ青になったクリスタルが、竜騎士の奮戦に隠れる様に低空を飛んで、音叉塔から脱出した。
死んだ。長い間囮になって奮戦していた竜騎士の彼だ。敵のブレスが直撃して、廃墟に墜落したみたいだった。しかもそこに敵が群がっている……
死んだ。湖で魔物の群れの襲撃だ。神官の彼女が透き通った笑顔で、戦えない自分が役に立てるのはこれだけだからと、僕たちの前で笑って身を晒し、敵と暗闇に消えた……
死んだ。誰よりも強かった傭兵の彼女は、足手纏いの僕を見捨てずどうにか森にまでたどり着いた。一目見た時は何て綺麗な女性なんだと思った。次に会った時は神官と仲良く喧嘩している時で、こんな強い女がいるのかと恐れ戦いた。そして今、彼女は僕の身代わりになって戦っている。彼女の音が遠ざかっていくのが分かる。でも。僕には どうにもできないよ……
』
そこでパックは思わず頭を上げていた。日記の内容とは関係なく、兄の巨体が身じろぎしたのである。彼は竜の手で苦労しながらアイテムを取り出していたのである。
「えっ?」
思わずパックは声を上げてしまう。パフが持っていたそれは、ただの飴玉だったのだ。しかもパフはその声に反応したのか、思わずそれを取り落としてしまう。
飴玉は空き地の方へと転がっていく。さすがの仮想現実も土の質感までは再現していないのだろう。コロコロと止めどなく転がり続ける。
それを見たパフの瞳が光った。
「やっぱりな」
「兄公?」
既に日記は最後のページである。時間も迫っている。
「日記の内容を思い出せ。森、船、湖、広い、これらはいずれも今までクリアしてきたフィールドの特徴を示している。だからだよ」
彼の視線はずっと飴玉に向いたままだった。そう、飴玉はゆっくりながら常に一定に、いや少しずつ加速して転がっていたのである。
「ダンジョンに小さな傾斜が施されてる。皆を惑わした“太古の森”と同じだな」
「……っなるほど!? じゃ、じゃあ、あのまま進んでたら私達は……?」
貴重な時間を浪費していたかもしれない。バターはそれを悟って戦慄していたのだ。彼らに残された猶予もまた、日記の持ち主である兵士と同様に少ない。
「兄さん、進みましょう。一刻の猶予も無い……!」
「あぁ……!」
パックは慌てて武装を整えていく。“最後の竜”に目が行きがちだが、日記によればこのダンジョンにはコディアックの様な強敵もまた潜んでるのである。
「兄さん! 何時でも行けるよ!」
「パフさん! 私もです! 皆で彼の分まで戦いましょう!」
「兄公。私も行けるわ……!」
その力に満ちた声に、パフは鷹揚に頷き笑った。
「準備はできたな、となれば……やることは一つ」
彼にはどうしても許せないことが一つだけあったのだ。異形と化した巨体のまま、されど彼の中身は人間なのである。
彼の鋭い竜の爪が大地を切り裂くように、それをなした。
「あむ。美味し!」
「飴玉食べんの!? それ地面に落ちた奴だよっ!?」
食べ物を粗末にできなかったのである。長家家は貧乏なのだ。
「全く、何をやっているの?」
「ほら! 姉さんだってこう言って……」
「ここは仮想現実だから汚れたりしないわ」
「そっち側!?」
彼女もまた、長家家の厨房を切り盛りする人間として兄に同意していたのである。パックは涙目になってバターに救いを求めるものの、彼女もまた可愛らしい弟分の姿につい意地悪したくなったのだ。
「あれは……! 間違いないわ。砂漠で数量限定で販売されてたレアアイテム、“ヤシの実キャンディ”! 拗ねたアメリアが一瞬でニッコニコ笑顔になるくらいに美味しい代物……!」
「バターまで!?」
どんなに厳しい状況でも、彼らは笑いあって立ち直れるのだ。ナーガホームのそれは強さといっても良いかもしれない。
短い息抜きの後、パフは鷹揚に頷き長大な尻尾を差し出す。彼には運良くラスボスは遥か遠くへと飛んでいくところなのが把握できていたのだ。決断は速い。
「乗れ……! 迷いの森を悠長に歩く時間は無い! 一気に飛んで森を抜けるぞ……!」
“終わりの竜”を終わらせるために、彼らは進むのだ。
パフは気付いていた。彼もまたラスボスの身体を持つものである。そこにはプレイヤーには無い特殊なスキルがあるのである。
彼には自身のダンジョンだからか、周囲に存在する敵や味方の位置がレーダーのように把握できるのだ。既に現在地の空き地はウルク=ハイやコディアックといった俊敏な魔物達に囲まれつつある。彼らと戦いながら、迷いの森をまっすぐに進むのは不可能であろう。
「行くぞパック……!」
「うん! 僕たちみんなで戦えば、どんな敵だって倒せるよッ!」
パフは尻尾に皆を乗せると、羽音共に大地に別れを告げる。巨大な黒翼が空気を叩きつけるように唸りを上げ、巨体が原生林の頭を越した。彼はそのまま腹に木を掠める様に飛んでいく。
「あれが……湖ね」
「綺麗……」
樹林の広さは相当なもので、もし歩いて突破していたらそれだけでタイムオーバーになっていただろう。その向こうには水没都市の様な、それでいて青くなく透明な湖が待ち構えていた。
パックの視線はその一角に釘付けである。
「あれは……日記にあった艦隊の生き残り……!?」
「……いるな、湖の中にも敵がいる。時間もかかるし、泳いで渡るのは得策じゃない」
一方、バターはボスがこちらに気付かない様に祈るような面持ちで敵の挙動を探ろうとしていた。彼女は彼女で辛い現実と戦っているのである。
すなわち、少しでもラスボスとの戦いを有利にしようと、虎視眈々と窺っているのだ。
やがて、ナーガホームは森を進み湖畔近くの空き地に到達していた。あいにくとそこにはコディアックが陣取っていたが、パフのブレスにバターとティーのレーザーを受けてあっさりと空気に消える。
森の敵は接近戦に特化しているのだ。
だが、鮮烈な爆発音が空気を揺るがし、それに彼方の敵が反応する。そう、“終わりの竜”が振り向いたのだ。ラスボスがプレイヤーを殲滅せんと喜び勇んでブレスの為に息を吸う中、一行はどうにか尻尾から飛び降りて森に散開していく。
「兄さん……本当にやるんだね!?」
「あぁ。その価値はあるだろうさ。援護は任せるぞ」
パフを除いては。彼には目論見があったのだ。
そう。別にボスを倒すのにボス部屋に行く必要はない。むしろ身動きのとりやすいこのフィールドで始末しても差し支えないのだ。ましてや、敵の能力値を彼は身をもって体感している。
「ここで滅びろッ! 俺達の邪魔をするんじゃない……ッ!」
刹那、空が光った。遥か彼方から発射された赤光が、それに応じた同じ灼熱と激突したのである。痛い程の爆音と共に竜巻のような衝撃波が周囲を襲う。バターが思わずよろけ、パックがそれを支える中、パフは見た。
一瞬の内に彼の明晰な頭脳が解答を導き出す。
「龍樹さんっ!」
同時にバターからスキップが届けられると、彼は一瞬だけ微笑んでから仕上げにかかっていた。既に敵の大雑把な動きは掴めている。敵の黒竜は次発の準備が整ったのか閉じられた牙の隙間から火の粉が舞い散っていた。
「回復は頼んだぞ……!」
同時に彼もまた、体内に生成された灼熱弾を構える。ブレスではなく火炎弾だ。敵のステータスを知り尽くした彼には分かっていた。
「隙の多いブレスを2発当てるより、連射できる火炎弾を10発当てた方が速い……!」
そして、今の攻撃で敵がブレスを発射した直後は軌道が直線になるのも読み切っている。つまるところ、敵の“絶対に死なない”割合攻撃さえ受けてしまえば、手数で押し切れるのである。まして、彼には傷を治してくれる仲間もいるのだ。
「兄さん……!」
「兄さんッ!」
眼下に犇めく樹木の中から届く声に、パフは万感の思いを込めて火炎弾を精製した。目前にはあらゆる装甲を貫くブレスが迫っていたが、彼は揺らめく炎の中で目も閉じずに狙いを定める。
「これで……俺達の勝ちだッ!」
激しい衝撃にも耐えた彼は、同時にあらん限りの火炎弾を発射していた。それはミサイルのように大気を焦がしながら突き進み、狙い通りに“終わりの竜”の顔面を打ち貫く。
巨大な爆発が次々と黒竜の身体を殴打し、その度に衝撃音が“音叉塔”の中を木霊する。反響し合って鐘のような響きになったそれが、パックには志半ばで力尽きた仲間たちが歓声を上げているように感じざるを得なかった。
同時に歓喜が彼の体を駆け回る。それを隠そうともせず、それどころか隣のバターに流し込むように力強く握りながらカウントする。
15回。まさに生命の躍動の様な衝撃は、彼に確かにボスの命脈が尽きたことを知らせていたのだ。
「やった……! これで……みんなで生きて帰れるッ! バター! やったよ! 僕、嬉しいッ!」
「パック! あぁ、私達、本当に……ッ」
2人は人目も憚らずに抱き合って喚声を上げる。ティーはそれから目を逸らし、功労者を労おうと頭上に目をやった。
空の彼方では赤々とボスの身体が火炎弾に飲み込まれている。そしてそれを成し遂げた彼女自慢の兄の表情は――
「駄目だッ!!! みんな逃げろッッッ!!!」
彼女が見たことも無い程、追い詰められて焦っていた。ティーが驚愕のあまり武器を取り落とすのと、ボスの反撃で無数の火炎弾がナーガホームを襲うのは同時だった。
轟音と共に高速で飛来するそれらをパフは避けきれず、また地上の仲間を庇ったため、無数の直撃弾を受けていた。最愛の妹の悲鳴を耳に歯がゆさを覚えながらも、彼は大地へと落ちていく。
完結まで、あと7話




