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パックの頭の半分は混乱していた。敵の奇襲への驚愕や、自分が死んだことに対する衝撃のせいである。しかしながら、もう半分は冷静だった。何しろパックをチェーンソーで真っ二つにしたキラークラウンは、すかさずの次一撃をバターに見舞ったのである。
彼女はそれを間一髪で回避して距離を取っていた。
パックはそれに安堵し、肉体から解放された不思議な安心感に身を任せていた。既に彼の身体は存在していない。そんな彼の最後の意識の断片を彩るのは、目の前で彼を惨殺された家族や仲間の顔だった。
即座に状況を理解し、既に手遅れになったことに歯噛みして呪うパフ。片手で顔の表情を隠すように覆っており、その真意は分からない。
兄に寄り掛かる様にして両手で顔を覆いつつ、指の間から悲壮感の漂う瞳を覗かせるのはティー。武器の槍を地面に落とし、それに気付かないほど呆然としている。
激しい驚愕のあまり青白い間抜け面を晒し、それが見る見る内に赤く、激しい怒りの表情に染まっていくのはアメリア。
そして誰よりも強い屈辱感に塗れているバター。彼女は可愛がっていた弟分を、最後の瞬間に自分の落ち度で亡くしてしまったのだ。驚きをブレンドされた怒りと悲しみの織り交ざった表情は、強いて形容するならば笑いに近い。
それでも、笑いは笑いある。
パックが何時も夢見ている、笑った彼女の姿だった。理想とは程遠いものの、現実的には中々難しいそれ。
――サヤ姉さん……
体も無くなり意識も消え去りつつあるからだろうか。今更になって辰也が今までに内心に秘めていた感情が爆発する。
――サヤ姉さん、無事でよかった。
――兄さん、ごめんなさい。あんなに可愛がってもらったのに、僕は……最後まで敬愛する貴方の足元にも及ばない、矮小で羽ばたけもしない虫けらでした。……それでも…………。
――姉さん、ごめんなさい。いつも迷惑ばっかりかけて、まだ何も恩返しできてないのに。僕は……最後まで誰よりも愛を注いでくれた貴女の気持ちに、報いる事ができなかった。……それでも…………。
――アメリア、ごめん。先に死んじゃった。何時も太陽のように笑っていた君を、悲しませてしまってごめんね。でも、きっと立ち直って仇を取ってくれるって信じてるから。
――サヤ姉さん。ごめんなさい。貴女の事、ずっとずっと好きでした。僕は貴女以外の女性の事を考えたことなどありません。いつもいつも、愛する貴方だけを見ていました。最後まで貴方を笑わせる事はおろか、声をかけることすらほとんど難しかったけど……。それでも大好きでした。せめて……どうか、幸せになって……。
辰也は確信している。落ち着いた後の紗耶香は悲しみの海に沈むだろう。パックがこれまで笑わせた以上に、悲しむだろう。されど、既に辰也にできる事は無い。
ただ、皆の幸せを祈るだけであった。
――兄さん、サヤ姉さんを支えてあげてね。姉さん、サヤ姉さんを守ってあげてね。
彼は必死で振り払う。
――…………サヤ姉さん。本当は、僕、知ってました。……貴女が兄さんに恋していたことを。だって、兄さんは凄いんだもの。……僕なんかよりもずっと。……しょうがない。だから、僕は……貴女に気持ちを、伝える事も……できずに…………死んで……しまって。
――でも、これで大丈夫だと思う。……同じ悲しみを共有する貴女なら、きっと兄さんだって振り向くはず。……だから…………ッ……ッ……!
辰也は最後に、紗耶香の幸せを願っていた。
それは最悪の形であったが、何時か来ると予期していたことでもある。このゲームの世界で彼女と再会した時は本当に驚いたのだ。そして期待した。現実と違うこの世界なら、彼女も振り向いてくれると思ったのだ。
だが、蓋を開けてみればこの通り。なんら現実と変わることは無い。辰也は、結局何処まで行っても辰也なのである。場所が変わろうと、彼自身が変わらない限り意味は無い。
――もし生まれ変わったら、また、みんなに会いたいな……。
走馬灯だろうか。彼の澄んだ視界が逆回しになっていく。彼の前で敵の姿が消え去り、再び彼を殺そうと跳び降りてくるのだ。なんとも無駄な努力だ、とパックは思った。彼にできる事は1つだけ。何よりも大事なバターを守る以外に、取りうる行動は無いのだ。
――たとえ自身が死んだとしても、サヤ姉さんだけは守って見せるッ!
その幻影に彼は再び彼女を救うべく駆け寄る。前の時と一緒だった。同様に大地に響くチェーンソーの音。目前には驚愕に染まるバターの表情。
彼女を突き飛ばすのと、彼が吹き飛ばされたのは同時だった。
そう、吹き飛ばされたのである。吹き飛ばされて、地面を転がっていた。
「ッえ?」
「パック!? 良かった大丈夫!? 心配したんだからッ!?」
バターと共に全身を強かに地面にぶつけながらも敵の攻撃を回避する。彼にはしっかりとその足が残っていた。右手には家族の汗と涙の詰まった素早丸。そして左手には、直前でテイルウィンドを唱えて彼もろとも地面を転がったバターの身体。暖かく、柔らかいそれとしっかりと抱き合っていたのである。
「あぁ、夢か。どうせなら現実も、こんな風だったらなぁ……」
どうせ叶わぬ夢ならと、敵が迫るのも気にせずバターの身体をじっくりと堪能する。きつく抱かれて形を変える豊かな胸も、ほど良い弾力で指を押し返してくる尻も、さらさらと空気中を水のように流れる髪も。この瞬間だけはパックの物で、
「遊んでる場合じゃないわ」
「痛いっ!?」
呆けた彼の尻をティーが無慈悲にも引っ叩いていた。同時にスキップのかかったアメリアが悲劇を避けるべく走り出し、正面からチェーンソーと切り結ぶ。彼女を援護するべくスターファイアが槍を構えて突き進んでいた。
「パック。気持ちはわかるけど、戦闘中にラッキースケベしてる場合じゃないわよ」
「スケベ!? ち、違うから!? そんな、ぶち子ちゃんの渾名が長くなるようなこと言わないでよ!?」
一方でパックは真っ赤になってジト目の姉に反論していた。彼女の女の勘が事実ではないと告げていたが、幸いバターは気にしていないようなので水に流す。
「パック……その、そろそろ離して欲しいんだけど……?」
「あわっ!? バター! そ、そんなつもりじゃなかったんだ!?」
パックはがっしりとバターを抱きしめたままで、バターは不意打ちで男性にきつく抱かれるという体験に思わず頬を染めていた。
慌てて離れつつも露骨に未練がましい顔をしているパックに、濃厚な青春の香りを嗅ぎ取ったパフは眩しさを覚えていた。そんな兄に藁をもすがる思いでパックは話を向ける。
「兄さんッ!? さっきのは何!? 僕何で生きてるの!?」
「あぁ、弟よ。種明かしすると“イレヴンバック”だよ。時空魔法レベル7“イレヴンバック”。ラッキーセブンとはこのことだ!」
それは、以前にネウロポッセを拘束する時に使った魔法である。パックは敵味方構わず拘束する魔法だと勘違いしていたのだ。
仰天のあまりバターと揃って目を丸くしているパックに、兄は優しく語りかける。
「この魔法は名前の通り、11秒間だけ時間を巻き戻すことができるんだ」
「――ッ!? パフさん! つ、つまりパックが殺されたのは見間違いではなく……?」
「事実だ。書き換わったけどな」
一瞬だけ歓喜の表情を浮かべた後、ひとまずバターは落ち着いていた。説明は後でゆっくりと聞けばよいと判断したのだ。
時空魔法レベル7“イレヴンバック”。仮想現実時間を文字通りに巻き戻すこの魔法は、巻き戻っている最中は身動きが取れない。死んだパックが走馬灯だと思ったのは、彼を救うべく兄が唱えた起死回生の一手だったのだ。欠点はMPを半分以上も消費してしまう事か。
そしてその拘束時間を利用することで、彼はネウロポッセすらも嵌めている。“王墓”の時は敵を正面から奇襲する為に利用し、PKをあと一歩のところまで追いつめていたのである。
パックにもそれで十分だった。
「さぁ、反撃開始ね」
ティーの一言に勢いを取り戻す。前線では悲しみを避けようと、アメリアが一人奮戦しているのだ。
「行けパック! 男を見せろ!」
「任せてよッ!」
同時にスキップのかかったパックが駆け出す。彼の目の前では攻撃を引き付けるアメリアと援護するスターファイアが、既にキラークラウンのHPを20%近くも削っている。
キラークラウンは攻撃力が非常に高い代わりに、防御力は低いのである。だが、折角の攻撃力も躱してしまえば仔細無い。
「パック! 帰って来たです!?」
「勿論だよ! さぁ、前は任せて!」
高速で踊り続ける2人の剣士の舞に、キラークラウンは対応できていなかった。
「お返しだッ!!」
縦に唸りを上げて空気を裁断するチェーンソーを、パックは僅かに体を逸らして回避すると反撃の突きで相手に頭を串刺しにしていた。
クリティカル表記と共にキラークランが大きくノックバックする。パックもアメリアも追撃できない。HPが半分を割り込んでいたのだ。
刹那、ボスの目が見開かれる。同時に真っ白だった顔が変わった。口周りに血のように赤いルージュが惹かれ、血走った眼玉を強調するかのように青い三角模様が取り囲む。歯を剥き出しにした口は耳まで開き、その奥の鋭い犬歯が丸見えだった。
そのおよそ人間にできるとは思えない狂った笑いを浮かべたピエロは、けたたましくチェーンソーの爆音を奏でながらパックを指し示す。同時に、音が消えた。
――またこれか! でも、もう種は割れてるんだ!
この一切の音が聞こえなくなる攻撃は時空魔法の一種である。時空魔法レベル3“オーメン”というのだが、音を消して気配を隠すのは本来の効果ではない。
魔法の詠唱をキャンセルさせるのが本来の使用用途なのである。
――それがどうした! 僕たちナーガホームの絆は、音を奪ったぐらいじゃ消えないぞ!
逆に言うと、所詮その程度の魔法なのである。パフやバターの魔法が使用不能になるのは痛いが、必須と言うわけでもない。そして、敵と戦うのに言葉はいらない。数々の激戦を潜り抜けて来た絆は、阿吽の呼吸で一糸乱れぬ攻撃を披露するのだ。
「……!」
「…………ッ」
目の前のアメリアが魂で語りかけてくる。彼女が挑発的に笑いながら親指で首をなぞるその意味が、パックにも容易に理解できた。
それに応じる様に小さく頷くと、同時にアメリアが飛び出す。彼女は敵の振り回したチェーンソーをしゃがんで躱すと、そのままパックと敵を挟み撃ちにしていく。
キラークラウンはボスだけあって槍の複合攻撃の硬直が存在しない。だからそれを狙うよりも、接近戦の方が有効と判断したのだ。
オーメンが終了すると同時に、地獄から轟く呻き声が上がる。嫌と言うほど聞かされてきたゾンビのものだ。パックの視線の片隅では、いつの間にか現れたゾンビたちが綱渡り用のロープから飛び降りてくるとことだったのである。
パックは一瞬だけ兄を振り向く。パフは既に魔法で灯火を作って迎撃に入っていた。ならば彼の仕事は、兄を信じて最善を尽くすだけである。
「今更ゾンビなんて……ッ!?」
「Oh! 音が戻ったです!」
同時に、2人の耳は小さな足音を捉えていた。ゾンビたちが飛び降りるその音が。
「邪魔しないでッ!」
彼は振り向きもしない。喉笛を噛み切ろうと飛び降りたゾンビを、一瞥すらせずに返り討ちに一刀両断していた。不本意ながら既に一度経験しているのである。
彼はそのままゾンビに紛れてアメリアを襲おうとしていたキラークラウンに切りかかる。彼女は正面の相手と戦っている間に、背後のゾンビに噛まれて動けなくなっていたのだ。
「Nah! 変態Doteilヤロー、触るなですっ!」
ゾンビに纏わりつかれて涙目になっている彼女に、乱雑に治療薬を投げつける。気狂いピエロを彼女の元に近付けるわけにはいかないのである。
「来い! アンデッドめ、あの世に送り返してやるッ!!!」
一瞬の交錯の内、パックの剣はキラークラウンの頭を唐竹割にしていた。
“CRITICAL!”
同時にキラークラウンの身体を思い切り蹴飛ばして、後ろに追いやる。そこには兄が亡者どもを火葬する為に作り上げた人口の地獄の窯が開いていたのだ。同時に3本のミサイルがその爆撃を盛り立てる。
デトネイション。
大量の爆弾を放り込まれたその場所は、キノコ雲が立ちそうなほど強力な爆轟に飲み込まれていた。竜炎槍の真っ赤な爆炎と、デトネイションの全てを焼き払うオレンジ色がパックの視界を埋め尽くし、嵐のような爆風が静寂を切り裂いて吹き荒れ全員の足を止める。
再びの静けさが戻ったとき、既にキラークラウンのHPは25%を大きく割り切っていた。
面倒なゾンビたちが舞い戻る気配も無い。
「パック、やるじゃない!」
「そうです! パック、今のは良い感じでしたっ!」
「バター! ……それにアメリア」
ぞんざいな扱いを受けたアメリアが頬を膨らませつつも、微笑ましく抗議する。
同時に視界の上に再び現れる影たち。だが、パックは無視するつもりだった。キラークラウンのHPは残り少ない。そして特に防御力が上がったようなこともなさそうだ。
ナーガホームの面々は敵襲に応じられるよう、距離を詰めて油断なく身構える。
その瞬間だった。ゾンビたちが飛び降り始めるのと同時に、キラークラウンが土煙を上げて正面から不気味な声を響かせて走り出したのは。
「パック、アメリア、バター! ゾンビを殺せ!」
同時にパフの声が響き渡る。誰よりも信頼する兄の声をパックは鵜呑みにして、ボスの肉壁になって突撃してくるゾンビを迎撃していた。その時だった。鋭い声が響いたのは。
「違うッ! 今のは俺の声じゃないッ!」
「兄公?」
後ろで魔法を唱えていたパフが素早く警告を発する。だがそれは、少々遅すぎたのだ。
「みんな、突撃だッ!」
「攪乱だッ! ボスが味方の声で語っているぞッ!」
その展開にパックもバターもアメリアも、思わず足を止めて確認していた。まだキラークラウンとは十分に距離があり、対応できる。そう油断していたのだ。
同時にバターの顔を引きつる。
前を見れば、目の前に不気味な笑みのピエロがいたのだ。時空魔法レベル5“ステア”である。あらゆる障害を乗り越えて振るわれるチェーンソーを、彼女は避けきれない。
「こんのッ! 舐めるなァッ!」
そして、その必要も無かった。キリリと瞳が細められると、裂帛の気合と共に正面から盾をもって受け止めたのだ。
「バター!? 大丈夫です!?」
「くそッ! 今行くからッ!」
チェーンソーが丸盾を激しく削り取る不快な音が響き渡る中、彼女は一瞬の猶予を作り出すことに成功する。後は進むだけだった。
「逃げ回るのは、趣味じゃないッ!」
盾が敵の攻撃に耐え切れずアーマーブレイクする瞬間、バターは2人の心配をよそに巨大化した槍をキラークラウンに叩き込んでいた。それは盾を貫いたチェーンソーよりも僅かに速く、ピエロの頭部を貫く。
クリティカル判定で硬直したピエロに向けて2振りの剣が叩き込まれ、
ボスがニヤリと笑って消え去った。
「逃げた!?」
ステア。今までに活用してきたその魔法は、敵に使われると厄介なことこの上ない。即座にパックはバターにアメリアと背中合わせになって警戒し、その背筋を氷が貫いていた。
フレイムレインでゾンビの壁を剥ぎ取ろうとしていた兄の真後ろに、気狂いピエロは現れたのだ。そのチェーンソーは処刑人のように高々と振りかぶられている。ティーもスターファイアも、目前の敵を探すのに必死で背後に気付かない。
――兄さん!?
彼がそう叫ぶよりも、キラークラウンが振り下ろす方が速かった。無慈悲なチェーンソーがパフを両断しようと唸りを上げて、
「えっ!?」
あっさりと防がれていた。木の枝だった。そのバターの盾と比べるとあまりにも頼りないその杖は、されど火花を上げつつチェーンソーを受け止めていたのだ。苦笑いの兄によって。
「アーマーブレイクするのは、防具だけだろ?」
同時にパフの魔法が炸裂する。唱えられたバインドによる鎖のエフェクトがキラークラウンの身体を拘束する。効果時間は10と表示されていた。
「みんな、ゾンビを殺せ!」
「ふむ。ボスとはいえ、魔防が低ければ作用するのか。思ったよりも使えるな、これ」
同じ男の声が響き渡る中、誰もがもう間違えはしない。同時にティーとスターファイアの渾身の槍が、ボスを膾切りにしていた。
そして、それが止めとなったのである。高らかな勝利の雄叫びこそ無かったものの、確かな余韻が全員を取り巻いていた。




