やり直し
維明に連れられてその屋敷へ到着した時は、十六夜はそこに居なかった。維明は、眉を寄せた。
「…ここのところは全く出掛ける事はなかったのに。いったい、どうしたのか。」
維月は、維明を見上げた。
「きっと、ふっ切れたのではありませぬか?十六夜なりに考えて…私は特に優れた人ではありませんでした。むしろ、祖母達のほうが真っ当に生きて死んで逝ったのですもの。それに思い当たったのかもしれませぬ。」
維明は、維月を見つめた。
「…主に代わりはない。我はそう思う…なので十六夜も同じであろうぞ。」
維月は、気取って下を向いた。
「維明様…。維心様の所へ戻りまするわ。」
維明は、維月の顔を上げさせた。
「同じであろう?」維明は、唇を寄せた。「我と維心は…碧黎が世へ出した命なのだから。」
維明は、維月に口付けた。維月は、こちらへ来てまでこうなることに戸惑った。今度こそ、穏やかに過ごそうと維心様と約束したのに…。
「主は変わらぬ…。」維明は、言った。「良い。今はこれ以上無理を申すまいぞ。十六夜は、あちらへ飛んだようだ。力の痕跡が残っておる。」
維明は、その方向を見た。維月も、同じ方向を見る。しかし、ここでの位置関係は、まだ分からなかった。
「…山の方でしょうか?」
維明は頷くた。
「恐らく主の祖母達の家がある方向。参ろうぞ。」
維明が維月を抱いて飛び上がり、維月は慌てて言った。
「そんな、維明様!あの、よろしいですわ。十六夜は何かを決心してあちらへ参ったのでしょうし。私は邪魔になりまする。」
維明は、首を振った。
「ならぬぞ。維月、今一度十六夜と話をするという約束ではないか。参ろう。」
維明は、有無を言わさずそちらへ飛んだ。維月は、生前よりいくらか強引で、維心に近くなったような維明に戸惑いながら、逆らえずに、自分の一族が住む場所へと運ばれて行った。
十六夜がそこへ着くと、佐月が駆け寄って来た。
「ああ、十六夜!どうしたの、呼んでも答えないから。どこに居たの?維心様も、心配なさってこちらへ問い合わせて来られていたわ。」
美月も、気付いてこちらへ駆けて来る。二人は、命を落とした時の姿ではなく、若い姿になっていた。
「ああ…すまねぇな。ちょっと考え事があってよ。維明の所に居たんだ。」
美月が微笑んで手を取った。
「そう。こっちへいらっしゃいよ、十六夜!この間見ていたお花、咲いたのよ?来ない間に枯れたらどうしようかって思っちゃったわ。」
十六夜が言われるままにそちらへ足を向けると、佐月が言った。
「おばあちゃん、ダメよ!私が先に声を掛けたのに。今日は私の家に来てもらうわ。だいたいこの前もそうだったじゃないの。月音おばあちゃんが怒っていたわよ。」
美月は、膨れて横を向いた。
「あら、なんのこと?月は私の所に来てくれたんだもの、いいじゃない。」
十六夜は、それをぼうっと見ていた。言われて見れば、いつもここではこんな風だった。我も我もと…子供のケンカのように思って、場をおさめようと日替わりで順番を決めて話に行っていたが、もしかしたら違うのかもしれない。佐月や美月は、どうしてオレを取り合うんだ。
「…お前ら、なんだってケンカするんだよ。なら皆一緒に話せばいいだろうが。どうせ昔話なんだからよ。」
佐月が、黙った。すると美月が言った。
「皆一緒って…二人で話したいもの。十六夜、ここでのパートナーを選ぼうと思ってるんじゃないの?」
十六夜は驚いた。パートナーとは、嫁のことか?
「何を言ってる。パートナーって嫁のことか?オレはお前らが呼ぶから、昔話に来てただけだ。そんなつもりはねぇよ。」
二人は眉を寄せた。
「え…皆、生前は維月だったけど、こっちに来てからはずっとここに来るから、誰か探してるんだと思っていたのよ?維月は、維心様に大切にされてると聞いていたから…。」
十六夜は、維月が言っていたのはこの事だと悟った。自分はただ昔看取ったもの達と昔話をするだけのつもりだったが、他から見たらそうではなかったのだ。
「…ま、考えとくよ。時間をくれ。」
十六夜は、美月の手から腕を抜くと、スッと飛び上がった。美月が慌てて叫ぶ。
「十六夜!今夜はここへ来てくれるわね?」
十六夜は、首を振った。
「夜には来ねぇ。お前らの考えを聞いたら、軽々しく来る訳にゃいかんだろうが。また考えてから来る。」
十六夜は、飛び立って行った。美月と佐月は、それを残念そうに見送った。
維明に抱かれた維月は、祖母達が住む場所の近くに、ようやく下ろしてもらった。とてもそこにいきなり入る気になれなかったのだ。
「そこの林を抜ければすぐぞ。なぜに、このような所へ。」
維月は、首を振った。
「やはり無理でございますわ。だって、せっかく前向きに幸せを探そうとしているかもしれない十六夜の邪魔なんて…。」
維明は、ため息を付いた。確かにそうかもしれない。なので、言った。
「ならば、我が十六夜を探して参ろうほどに。ここで待っておれ。」
「え、維明様!」
維明は、維月の制止を聞かず飛び上がった。維月は、おろおろした…何を話そう。今さら何だと言われるわ、きっと。特に美月おばあちゃんが、十六夜と結婚したいと積極的なんだと、お母さんから聞いたもの…。
ちなみに、母の美咲は月の声が聞こえなかった普通の人だったので、他の月の女達のように十六夜がどうの無いのだと言っていた。なので、皆の争いを冷めて見ているのだそうだ。
維月は、深くため息を付いて傍を流れる小さな川の水面を見つめた。そう、私だけが特別なんじゃない…ここには、ああしてたくさんの同じ血筋の女達が居る。
維月は、そんな自分の運の強さだけで愛されていたのだと、痛感していた。維心様…維心様も別の誰かに目を向けたなら、私など愛さなかったかもしれない。
そう思うと、維月は強烈に維心に会いたくなった。ずっと離れず側に居ても、愛していると言い続けてくれる…。迷うことなく、一心に…。
ふと、川に影が射した。
維明が戻って来たのかと上を見ると、そこには十六夜が飛んでいた。
「十六夜…!」
維月は、少し離れただけなのに懐かしい気がして、思わず小さく声を上げた。囁く程度のものだったのに、十六夜は聞き取ってこちらを見た。
「…維月!」
十六夜もまた、維月の姿に体の奥の方が痺れるような気がした。やっぱり何かが繋がっている。惹かれてならない…!
十六夜は、維月の前に降りて来た。
「なんで一人でこんな所に?あいつらに会いに来たのか?」
維月は、首を振った。
「違うの。維明様と維心様が、十六夜と話して来るようにって…。」
十六夜は、来た方角を見た。よりによって、久しぶりに出て来た今、維月を寄越すなんて。
十六夜は、維月に少し歩み寄った。
「維月…オレは、分かったんだ。あいつらがどう思ってたかって事、それに、オレが考えなしだったってことをな。あいつらは、オレが嫁を探してると思ってた。オレは最期まで見守った女達と昔話をする程度にしか思っていなかった。皆、我も我もと部屋へ呼ぶから、その時代時代の事もあるし、ただ話したいだけかとここに来てすぐは順番に回ってたんだがな。今、美月が言うのに、やっと分かった。」
維月は頷いた。
「…美月おばあちゃんは、十六夜がすごく好きなのだとお母さんが言ってた…佐月おばあちゃんも、他の祖先達も。」
「美咲が?」十六夜は、言った。「あいつは違うだろう。オレの声が聞こえなかったからな。話した事はねぇし。そういえば、最初は話した美咲も、段々と離れて見てるだけになってたな。お前に話してたのか。」
維月は頷いた。
「他の誰も来ないけど、お母さんだけは有と一緒に私に会いに来てくれるから。だから、維心様とも顔見知りよ?ほんとに人としてしか生きて居なかったお母さんなのに。」
十六夜は、微笑んだ。
「そうか、美咲はあれで、お前をそれは大事にしてたからな。オレと話すのを禁じてたのも、危ない思いをさせたくない一心だった。」
十六夜は、ふと、黙った。そして、険しい顔をした…維月は、十六夜の視線の先を見た。
「ああ」そこには、人の男が立っていた。「維月。こっちへ来たと聞いたから、やっとここまで来たよ。オレはあっちの方、一週間は歩く場所に住んでるんでな。神のように飛べないから。」
維月は、驚いて口を押さえた。若い姿だけど、これは…!
「…彰。」十六夜が、言った。「有から聞いたのか。」
彰と呼ばれたその男は、頷いた。
「あなたは、オレが死ぬ時維月と一緒に居た神ですね。」
彰は、維月の人の夫だった男。双子を含む五人の子をなした、離婚し、再婚したがそれでも維月を想って死んで逝った男。
「どうして?ここまで歩いて来たの?」
維月が聞くのに、彰は、頷いた。
「そう。有の家に泊めてもらえるらしいから。オレは今、両親と住んでいるんだ。お前とどうしても話したくてな。」と、微笑んだ。「本当に綺麗になって。人でなくなったからか。」
維月は、ためらった。
「彰…あのね、私…。」
彰は、首を振った。
「いいよ。とにかく話したいだけだ。行こう、有の家に。久しぶりに家族の再会だからな。」
維月は、黙って頷いた。十六夜は、思い出していた…維月が自分を愛して、自分も維月を愛しているのに、手が届かなかった、月でしかなかったあの時。彰が維月と結婚するのも、ただ見ているしかなかった。二人で歩くのを見ていられなくて内にこもり、本当にただただ、維月の幸せを願うしかなかったあの頃…。
歩いて行く二人を見ながら、十六夜は拳を握りしめた。今は、この身がある。どうして黙って見ていなきゃならない。
十六夜は、スッと飛んで維月の手を握った。
「維月…オレも行く。」
維月は、驚いて十六夜を見た。
「十六夜?おばあちゃん達は?」
十六夜は首を振った。
「さっきも言っただろ。あいつらは娘みたいなもんだ。有の家だろう?オレも行く。」
維月はためらいながら頷いた。
彰は、複雑な表情をした。
維明がそれを、黙って上空から見ていた。